2章

 そこからは、破壊行為だった。
 目標もなく、ただただ腕を振り回す巨人に、ゲルダは恐れをなして逃げた。手に持つカンテラが巨人にとって明るすぎたのだ。
 闇にも負けないまじないをかけたカンテラだ。巨人の目を潰してしまうほどの力があったのだろう。
 羽織るケープでカンテラを隠し、ゲルダは逃げる。巨人が周囲の岩山を叩くたびに、大小様々な石が飛んできては、ハルムが風で守ってくれた。
 もしハルムがいなかったら、ゲルダは岩に押しつぶされていたことだろう。自分の体の隣に落ちた岩は、自分の背丈よりも大きかった。
 ぎょっとしていると、ハルムがふよふよと飛んでくる。
「あーん、私、もう疲れたかも」
 ゲルダの肩にぺたりと座ったハルムは、もう飛ぶ気力も残っていないようだ。羽は萎れ、眠そうにあくびをした。
「そんなこと言ってないで!」
「やだ〜。いくらご主人さまのご命令でも、もう岩を食い止めるほどの風は起こせないわ」
 妖精の力は無限ではないのか、とゲルダはがっかりしながらも石から逃げた。
 自分だってもう疲れている。いつになったらこの谷を抜けることができるのだろう。抜けたとしても、巨人が襲ってこないとは限らない。
 がむしゃらに走った。巨人の足は大きい。ゆえにゲルダがいくら走っても巨人から距離を取ることができない。自分の足にはそこそこ自信はあったが、巨人を前にすれば、自分はちっぽけなただの人間でしかなかった。
 ママ・アルパの言葉を思い出す。自分は助けに行けないよ、と、ママ・アルパは言っていた。ハルムがいなければ、もう自分を救ってくれる者はどこにもいないのだ。
 自分を助けるのは自分だ。
「ハルム、私の鞄から、新しい石を出して!」
「え〜、あの重たい石を持たせるの〜? やだ〜」
 わがままし放題のハルムにゲルダは大きな声を出す。
「じゃあ、私と一緒に巨人の下敷きになればいいわ! もう一生、面白い話も、面白いこともできないんだから!」
 ゲルダは足を止め、巨人の方を向いた。そして、カンテラをケープの影から出す。
 光が広がった。巨人は一瞬足を止めたが、すぐに目標を見つけ、腕を大きく振りかぶる。
「潰されてもいいのね!?」
「分かった分かった、妖精使いの荒いまじない師ね!」
 ゲルダは大きく地面を蹴り、巨人の腕をすんでのところで躱す。地面に倒れ込み、腕で自分の頭を飛んでくる砂から守った。
 ハルムは振り落とされないように鞄の紐を握りしめ、中へと入る。自分との契約に使われた石はハーブの上にあったが、まっさらな石はハーブの下にある。
 それにゲルダが走るので、大きく揺れる。ハルムはハーブをかき分けて鞄の奥へと入ろうとするが、ハーブの香りが強烈でなかなか体を奥に入れることができない。
「早くして!」
「もー、待ってよ! くさいし、せまいし、最悪!」
 ハルムは残された力で自分の体に薄い風の膜を作り、一気にハーブに潜り込んだ。何も見えない。腕を伸ばし、冷たく、硬いものを探す。
 ゲルダの呼吸は大きく乱れ、もう足が止まりそうだった。
 バルバ村とノースゼリアを結ぶ道以上に走っている気がする。しかし、足を止めればあの大きな腕に体を粉々にされてしまうか、足で踏み潰されてしまうか、飛んでくる岩に吹き飛ばされてしまうかのどちらかだ。
 働かない頭で、古代文字を考える。カンテラの光よりもより強力で、もっと強い光。
 足が動かない。ゲルダは手を自分の膝につけた。額から大粒の汗が流れ落ちる。耳が痛い。鼻も痛い。
 後ろを振り向くと、巨人の足がすぐそこにあった。
「ハルム――!」
 手を伸ばしたちょうどその時、鞄からハルムが顔を出す。
 ハーブの中から一生懸命石を引っ張り上げ、ハルムもまた、顔が真っ赤であった。
「ご主人さまっ」
 ゲルダの頭上には、巨人の手がある。ハルムは大きな悲鳴を上げたが、ゲルダは片手でハルムの顔を覆った。
「輝け石、真昼の太陽のように、光、矢となれ!」
 思いっきり石を投げる。
 そして、ゲルダはカンテラを空に掲げた。
 すると、まばゆい光が石から放たれ、閃光となり夜の中を駆け抜けた。腕で顔を覆い、ゲルダは自分の目を守る。
 ハルムは驚きから声を上げ、巨人は再び光に圧倒され、よろける。自分の体を支えきれなかった巨人は岩山に倒れた。
 光は一瞬で消えた。
 砂埃が視界を遮る。何も見えない。ゲルダは恐る恐る腕をおろし、周囲を確認する。
 巨人の動きは止まったようだ。
 しかし、安心できなかった。別の声が聞こえたからだ。
「おい、さっきの光はなんだ」
 空から声が聞こえる。妖精だろうか。
「侵入者が放った光か。何者だ?」
「探せ、森に入る前に捕えろ。紅玉の間に行かせてはならない」
 会話の内容から考えると、妖精ではないようだ。
 ハルムが小声で教えてくれる。
「エルフよ。空を飛ぶ魔法でここまで見に来たのね。あなたを探してる。捕らえられるわ」
「そんな」
 エルフに聞きたいことがあったのに、今の自分はどうやら侵入者だと見なされてしまったようだ。
「エルフの王なら話を聞いてくれるかも。エルフの中でもっとも魔力を備えている王がいるはず。さっき言ってたわ、紅玉の間って。砂埃に隠れて行ってみましょうよ」
 ハルムに励まされ、ゲルダは頷いた。
 風は吹いていない。エルフが魔法で埃を払ってしまう前に、ゲルダはその場を離れた。
 鞄の中に残された石はあと一つしかない。
 ――自分は元の世界に帰れるんだろうか。
 不安に思いながらも、ゲルダはハルムの言う”紅玉の間”を目指し、歩いた。
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