エピローグ

「ようこそ、夜の国、小人の街へ。夜警が歓迎するわ……、っていっても、もう朝だけど。とにかく、ホームへいらっしゃいな。家のない小人は、ホームに泊まれる権利があるのよ」
 とっくに光の妖精を放し、仕事を終えたはずのリュートが、クラウスとフルダを迎えた。
「ねえ、私を捕まえないの?」
 フルダが、おどおどとしながら、リュートに聞いた。
 リュートは、首をかしげる。
「さあ、私はあなたのこと、知らないけど。ごめんなさい、私、小人の街のことはよおく知ってるって思ってるけれど、外のことはなんにも分からないの。何かしたの?」
 フルダを見つめるその目は、「何も言わなくていい」と言っていた。
『けっ、知ってるくせに』
 フルダの手の中でアイヴィンがそう言うと、リュートは笑った。
「あら、あなた、かまどによさそうな妖精じゃない。どうどう、うちで働いてみない? ただいま、夜警絶賛募集中よ」
 言われて、アイヴィンはフルダの中に身を潜めた。面倒な仕事はしたくないらしい。
 しかし、フルダは、その提案に目を輝かせた。
「かまどを、くれるの?」
「ええ、この家をあげる! あなたが夜警になれば、私はもう一人ですることはなくなるわ。お互い、いいでしょ? ああ、でも、妖精と契約が必要ね。そっちのあなたも。小人になりたてでしょ?」
 リュートがいうと、クラウスは「ぼくにできるかな」と小さな声で言った。
 新たなカンテラとベルを二人に渡す。
 そして、リュートは妖精を呼ぶようにと言った。
「できるできる。小人の街のすべての妖精に伝えるの。自分はこの街の夜警になるということを。認めてもらえば、あなたたちは、あらゆる妖精を使役できるわ。そして、夜警になれる。そうすれば、この家に住めるというわけ。やってみない?」
 クラウスは黙って、カンテラとベルを受け取る。そして、フルダも受け取った。
『おい、フルダ、俺だけとの契約じゃないのか!』
「もちろん、名前を知ってるのは、アイヴィンだけよ。あなたは、私の妖精。心配しないで、やってみるだけ。私、この街の妖精と契約できなかったからこの街を追い出されたの。だから、もう一度、聞きたいの。ここに住んでいいか」
 ホームのベランダに出て、フルダはクラウスと共に、カンテラを掲げた。
 ベルの音が、街に響く。
 すると、風が吹き、広場中央の噴水からは水が溢れ、光の粒が朝日に負けじと飛び始める。アイヴィンもベルの音にむずむずとして、ホームのかまどの中に潜ってしまった。
 妖精たちの合図だった。
「あら、良かったわね。おめでとう、これであなたたちは夜警よ。よろしくね、新米さん。私はリュート。この街さいごの夜警だったはずの夜警よ。いいかまどが見つかったみたいだし、歓迎するわ。じゃあ、寝室の用意をしなくては。疲れたでしょ。リビングで休んでて」
 人手が増えたのか、とても嬉しそうだ。リュートはご機嫌で布団を干しに行った。
 言われた通り、リビングで待つことにしたクラウスとフルダは、かまどで存分に休んでいるアイヴィンを見て、ほっと息をついた。
「フルダ、これでよかったの?」
「ええ。私、なんにもないわけじゃ、なかったのね……。妖精たちに、嫌われて、なかった。あの人の言うとおりだわ。私が、なんにもないって、思い込んでただけ……。クラウスもいるし、アイヴィンもいる。それだけで、本当は、幸せだったの。仕事をもらえて、住む場所ももらえて、とっても、幸せよ。幸せを、見つけるの。ここで、たくさん」
 カンテラを抱きしめ、フルダは微笑んだ。
「あの人も、夜警をしてるの。だから、私も夜警をする」
「ぼくも。フルダと一緒に」
 もう一人の自分は、なんていいものをくれたのだろうか。
 きっと、もう一生会えない人に、クラウスは心の中で、ありがとうと伝えたのだった。


 妖精の炎で焼けた貧困区も、巨人に潰されてしまった家屋も、どうやらクラウスのまじないで元通りに戻っていたようだった。
 そのせいか、昨晩の出来事はやはり夢だったのではないか、という噂が流れはじめ、結局、夢物語でティルの住民たちは落ち着いたようだった。
 しかし、夜警たちは覚えていた。自分たちが見たもの、やったことは、本当のことだったのだと、夜が終わっても信じていた。もちろんローレンもそのうちの一人で、数日のあいだは、ずっとその話をしていた。
「まったく、夜警というものは、いいものだなあ。なあ、少年」
 カンテラにこびりついた蝋を削りながら、ローレンはクラウスに話しかけた。
 団員みんなのカンテラをきれいにしようと提案したのは、クラウスのほうだった。あの夜を支えてくれていた夜警たちに、クラウスはお礼がしたかったのだ。
「ぼくも、そう思います。最初、助けてくれたのが、ローレンさんでよかったって、思ってます。ずっと」
「わはは、そう言われると、もっと頑張れるなあ。少年も、とても夜警らしくなった。俺の作った制服もマーオに気に入ってくれたし、君たちは大切な夜警の一員さ。そうそう、クラウスくん。あのな」
 ローレンが手を止め、キッチンにいるフルダに聞こえないように、こそこそとクラウスに話かける。
「フルダはどうやら、君のために、スープの味付けを変えたらしいんだ。つまり、君のためにご飯を作ってるし、君がいなくなると、フルダは悲しむわけ」
「へ?」
「君に、ここの永住権を渡そうじゃないか。俺はフルダの親ではないが、保護者ではあるからねえ。クラウスくん、君、もうずっとここにいていいよ。夜警でいてくれるのならの話だけど」
「え、いいんですか? だって、ぼく」
「いいのいいの。何も気にしなくていい。ああ、いい匂いだ。今日もクッキーだね。クラウスくんの大好きなクッキーだ」
 休憩しようと、ローレンはテーブルの上を片付けはじめた。ちょうど、お茶も入ったようで、フルダが茶器を持ってくる。
 紅茶のいい香りが部屋に広がった。
「今日は、アイヴィンが来るって言ってたから、多めに焼いたわ。そろそろ来ると思うけど」
「ああ、そうかい。楽しみだなあ。新しい門出を祝おうじゃないか」
 にこにことしながら、ローレンはゆっくりと紅茶を飲んだ。
 何一つ話を聞いていなかったので、クラウスはよく分からないまま、マーオに水をあげて、アイヴィンを待つ。
 そういえば、あれから、アイヴィンはホームに一度も来ていない。それに、制服もカンテラも杖もホームに置きっぱなしだった。
 階段から、足音が聞こえる。
「こんにちは、ローレン団長。それから、フルダとクラウス。今日はクッキーかい?」
「そ。アイヴィン警吏、待ってたわ」
 クラウスはアイヴィンの姿を見て、驚いてしまった。
「警吏? アイヴィン、警吏になったの?」
 確かに、制服は、あのオーウェン警吏が着ていたものだ。なかなか似合ってるね、と、ローレンがにこやかに言う。
「とりあえず、夜警監督になったので、ご挨拶をと思いまして。これからも、夜警とお付き合いが続くので、それは良かったです。あの警吏もいなくなったんで、安心してください」
 アイヴィンがいうと、ローレンはほっと胸を撫でた。
「それはよかったよ。夜警をよく知ってる人が監督になって。君が警吏長になるまでが楽しみだ」
「ほんとそうです。楽しいですよ、なかなか。組織改革は楽しいものです」
 二人の会話についていけず、クラウスはフルダに助けを求めた。
 どういうことなのかと聞けば、アイヴィンが警吏長の孫で、もともと警吏になるはずだったということを初めて聞いた。
 本当にしたいことは、そういうことだったのかとクラウスはそこで初めて知ったのだ。
「そっかあ、アイヴィン、良かったね」
「ああ、クラウスが、フルダを助けてくれたから。俺は君に感謝してるよ。なんでもできるって、いいことだな」
 お茶を楽しんでいると、時間はあっという間にたつ。
 夕暮れまでアイヴィンはホームにいたが、夜警の時間が近づいたので、市庁舎に戻ることになった。
 ホームから出ていく際に、アイヴィンはクラウスにこっそりと言った。
「俺がいなくともフルダは大丈夫だとは思うけど、フルダはクラウスがいないと、どうやらだめみたいなんだ。夜警としての活躍を祈るよ、クラウス」
「……、似たことを、ローレンさんにも言われた。うん、警吏、頑張ってね」
 言われてアイヴィンが掲げたのは、カンテラではなく、剣だった。きっと、あれで、ティルを守ってくれるのだろう。
 それならば、自分は、夜警として、夜を守らなければと、クラウスは夜警の制服に腕を通した。
「フルダは、今日は行くの?」
「ええ。事務作業はもう終わらせたから。クラウスと一緒に行く。ゲルダさんのところにも行くのでしょ?」
 その言葉にクラウスはどきりとしながらも、カンテラに火をつけ、マーオを呼ぶ。今日は、ゲルダの店に、まじない石を返そうと思っていたのだった。
 もうまじない石は必要ないと思ったのだ。これがなくとも、自分の光は、強く輝くとクラウスは信じていた。
 ゲルダの店はかなりの客が入っていた。もうこそこそとまじないを教えることもなく、堂々とまじないの店として成り立っていた。だから、クラウスも堂々と店に入り、まじない石を返した。アイヴィンが警吏の不当な取り締まりをなくしてくれたおかげだという話を、ゲルダから聞いたのだった。
「フルダ、あのね」
 店をあとにして、クラウスは海沿いを歩きながらフルダに声をかけた。
「あのね、ぼく、もう夜はぼくの中にはないし、今までみたいなまじないももう使えなくなったかもしれない。でも、やっぱり、歌いたくなるんだ」
 カンテラを揺らしながら、クラウスは言った。
「歌いたくなるって、どんな?」
「うーん、その時の気分で。何も考えずに歌うのがいいんだ」
 小さく口ずさみはじめたクラウスの歌を、フルダは隣で聴く。
 それは、この街で生きることが嬉しくて、幸せな夜を願う歌だった。
 クラウスがこの街で感じていることの、すべてのように、フルダは思えた。
 しばらく聞いていると、次第に、一人の少女が歌の中に出てきて、クラウスはその少女の幸せを願うものを歌っていた。
「ねえ」
 フルダが声をかけると、クラウスは、ただはにかむだけだった。
「――、なんでもない。続けて」
 クラウスの声は、ティルいっぱいに響く声だというのを知っていたから、フルダは恥ずかしくなったが、でも、しばらくすると、また穏やかな夜を歌うものに戻った。
 確かに、クラウスの歌は、とても心に響く。
 夜になじむ、静かな歌だ。
(夜警の歌は、いいものね――)
 そして、それを隣で聴くのも。
 夜を愛する夜警がここにいるのだから、これからも、この街の夜は毎日が素敵なものになる。フルダはそう思いながら、クラウスと共にカンテラを揺らしながら歩いたのだった。
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