6章

 立ち並ぶ建物の間を軽快に飛ぶ妖精を目で捉えることができた。アイヴィンは気づかれないように追っていく。
 彼が足を着いたところから炎の柱が上がる。足跡は残っていた。
『どうするの?』
 隣を飛ぶエルティーニがアイヴィンに声をかけると、彼はもう少しあのままにしておくと言った。それが不思議で、エルティーニは首をかしげた。
『どうして、これじゃあ、ものは燃えるばかりよ』
「ああそうさ、だから、エルティーニにはやってほしいことがある」
 もう少し走れば、貧困区から出て、裕福層の住まう地区へと出る。おそらく、夜の国からやってきたところが貧困区だったのだろう。目的地は上級市民だ。ティルで起こっていた放火事件のほとんどは施設やフルダに関係のある場所、そして裕福層の家だ。今までの流れから考えても、今まさにそこへ向かっているところだろう。どうやら今日は、手当たり次第といった感じでもあるが。
「貧困区はもうこの通りだ。一度火がついてしまえば、もう燃えるしかない。でも、被害を拡げさせないようにすることはできる。エルティーニ、君の風で炎を留められないかい」
 アイヴィンがエルティーニにそのように提案すると、彼女はぐるりとアイヴィンの周りを旋回した。
『お安い御用よ。なんなら、今、ここにいる風の精たちを集めて、囲んであげる。あの妖精も一緒にね』
「頼んだよ」
 頷き、空へと飛んで行ったエルティーニを見送る。
 風の精と契約できたのは、このためだったのだろうかと思いながら、アイヴィンは風を待った。上空から風が降りてきて、この地区を取り囲む。中に風が吹き込んでくることはなく、どうやら、以前リュートが水の精でやったように、風の膜のようなもので取り囲んだようだ。
 火の妖精の足が止まる。
 アイヴィンの足も止まった。
 エルティーニがアイヴィンのもとへと飛んできて、肩に止まった。
『くそ、なんだこれは! 俺の邪魔をするのは誰だ!』
 風の膜を小さな足で蹴り上げ、手から小さな火が飛び散る。民家の屋根に落ち、ぼっと火が上がった。
「俺だよ、俺がお前の邪魔をした」
 アイヴィンが地上から声をかけると、火の妖精はすぐさまアイヴィンのもとへと降りてきて、睨みつけた。
『お前、俺の顔をして、本当にいやなやつだな』
「俺はこの街ですべきことをしているだけだよ。俺は夜警だからな。火災はこの街がいちばん嫌うものさ。失うことは、この街ではあってはならない。なんでもある街であるべきだから」
 アイヴィンがそう言うと、妖精はぱちぱちと手から火の粉を出しながら、声を上げた。
『そうさ、ここはなんでもある! だからフルダは苦しむんだ! フルダがかわいそうだ、何もかもなくして、凍えてたあのフルダを見た時、俺は自分の火をフルダのために使うと決めた。だから、俺はフルダのために飛ぶんだ、邪魔をするな、何もかもなくなってしまえばいい、フルダはそう願ってる!』
 ばちりと火の粉を飛ばすと、妖精は一気に周辺に撒き散らした。
『危ない!』
 一つの粉がアイヴィンに向かって降ってきたところを、エルティーニが風で受け止める。粉は力尽きるようにして、地に落ちた。
『何を考えてるの、あのままにしてていいの?』
「人間には、あの火に対抗するのは難しいからな。お前は、俺を守ってくれるだけでいい」
『わけわかんない。ほら、また向かってきたわ』
 アイヴィンめがけてまっすぐに大きな火の玉が飛んでくる。エルティーニは膜を張り、火を受け止めたが、アイヴィンは微動だにしなかった。
『邪魔だ邪魔だ、お前なんて、死んでしまえばいい、フルダのために何もできなかった俺なんて!』
 煙の雲がアイヴィンの上にでき、そこから火が槍のように降ってくる。
 エルティーニはそれを受け止めながら、『さすがね』と感心している。よっぽど、力のある妖精なのだろう。
「そうだな、俺はフルダのためにと思って夜警をやっていたけれど、特に何もできなかったよ。せいぜい、まじない師を牢から出したくらいだ。でもそれは、フルダは、自分で解決できる力があるからだ。俺の力なんて借りなくても、彼女は、自分で、自分を救えたのさ。だから、俺は、ここで俺のしたいことをする。夜警としての最後の仕事をな」
『じゃあなんで、俺のフルダは救われない! 俺は、こんなに、こんなに、頑張っているのに!』
 自分の体の倍の大きさはある火の玉を生み出し、それをアイヴィンに投げつけるものの、エルティーニの風の前では、弾けることはできなかった。
 彼がやっていることは、八つ当たりに近かった。アイヴィンはそう感じた。
 報われないから、怒っているのだ。どんなにものを燃やそうが、誰かを不幸にしようが、それによってフルダが幸せになることはなかったのだ。
 徐々に、アイヴィン目がけて飛んでくる炎の火力が小さくなってくる。
 しまいには、羽は羽ばたくことをやめ、地に落ちてしまった。
「エルティーニ、もういいぞ。ありがとう」
『いいえ。このくらいのこと、なんでもないわ』
 アイヴィンを守り続けていた膜は消え、地に伏せってしまった妖精のもとへ歩みを進めた。
「なあ、お前、こんなことがしたくて、フルダと契約したのか?」
 反応がなかった。
 反応がないかわりに、妖精の小さな手が、握りこぶしを作り、土を握った。
「本当にしたいこと、他にあるんじゃないか? お前がフルダにあげたかった火って、誰かからなにかを奪う火のことだったのか?」
 リュートは言っていたはずだ。
 火の妖精は、普通は、かまどや暖炉にいるものだと。普通は、かまどや暖炉で、小人の生活を支える妖精たちなのだと。それとはまったく逆のことをしていることが、不思議だった。
『……がう』
 ぽそりと、妖精はつぶやいた。
 そのあと、アイヴィンの前に、小さな、穏やかな焚き火が生まれた。
『俺は、最初、フルダにそれをあげた。すると、フルダは嬉しそうな顔をしたんだ。あの顔が好きで、俺は契約した。フルダが笑顔になる火を、俺はあげたかったんだ……。俺がいくら飛んでも、フルダはいつも、不幸せそうな顔をしてたんだ。俺は、ただ、フルダを喜ばせたかったのに……』
 もう何も生み出せない手で、妖精は目を拭った。アイヴィンはその小さな体を手ですくい上げた。
「お前はじゅうぶんやることをやってきた。ただ、お前のフルダは、気づけなかっただけさ。自分に温かい火があることをな。お前をフルダのところに連れて行ってやろう。もう飛べないだろう。そろそろ、フルダも気づくはずだよ、何もない自分はどこにもいないってことをな」
 気づけば、夜から昼に来てしまった水の妖精たちが、消火活動を行っていた。だいたい鎮火したため、エルティーニは貧困区を取り巻く膜を消し、アイヴィンの手の上でぐったりとする妖精に声をかけた。
『あなた、それだけ力があるのなら、小人の夜警と契約すればよかったのに。まあ、火の妖精のできることとすれば、暖炉かかまどで火を焚くことくらいでしょうけど』
 その言葉に対して、火の妖精は何も言わなかった。
 ただ、本来は、そうしたかったのだろうというのは、言わなくてもアイヴィンには伝わってきたのだった。


 自分のまじないは、きちんと小人に届いたようだった。
 燃え上がる貧困区のほうを見ながら、顔を歪めて、笑っていた。
「何もかもなくなればいいって、思ったことない? どうして、私だけ不幸なのって」
 輝く金の髪を揺らしながら、フルダを見上げた。
「そうね、どうしていつも私だけって、思ったことはあるわ。みんなそんなことないのに、どうして私だけこんな目に遭うのって」
「だって、私がそうさせたもの。あなたが、羨ましかったの。私より幸せなあなたが、憎くて仕方なかったの。今だってそうよ。今だって、あなたなんかいなくなればいいのにって思うわ。どうして、ここにいるの? なぜ、アイヴィンと一緒じゃないの。クラウスはどこ?」
 小人のフルダは、自分がアイヴィンやクラウスと共にいないことに対して、疑問を持ったようだ。いつも三人でいるのに、なぜ、と質問をする。
「それぞれ、やるべきことをやっているのよ。夜警として。私も、だから、ここにいるの」
「なんのために?」
「あなたとお話をするために」
 呆れた、と小人は笑った。
「ねえ、昼の私。どうして私を捕まえないの?」
「最初は捕まえようと思ってたわ。だけど、もう分かったからいいのよ。あなたのこと、全部知ったわ。だから、あなたの気持ちもわかるわけ。あなたを捕まえてどうするだなんて、思ってもないわ」
「それだけ話に来たの?」
「いいえ……、ただ、聞きたいことがあるの。ねえ、私から幸せを奪って、あなたは、幸せになれた?」
 フルダが尋ねると、小人は唇を噛み締め、黙ってしまった。
 フルダは、じっと、答えを待った。
 聞きたかった。自分の家族の死は、この小人を幸せにできたのだろうかと。
「私が羨ましくて、私の家を燃やしたその気持ちは分かるわ。でも、それをして、あなたは幸せになれた? なぜ、今、火をつけているの? 誰かの幸せを奪って、あなたは、幸せになれた?」
 貧困区から大きな音がした。
 あそこにはアイヴィンがいる。しかし、フルダは心配はしなかった。大きな爆発はあれから一つもしていないし、彼が火を留めていることは遠くからでも見てとれたからだ。
 しばらくすると、徐々に火が小さくなり、静かになった。
 赤く染まっていた空は普段の空へと落ち着き、星が輝きを取り戻している。
 小人からの返事を、フルダはじっと待った。
「私は、ずっと、幸せになれないって思ってるわ。妖精と契約もできず、小人の街から追い出された。家はないし、寒い。みんなは幸せに街で暮らしているのに、なぜこんな思いをしなければならないのって、思ってしまうの。みんな同じになればいいって思うの。だから、火を放って、八つ当たりするの。八つ当たりだって、わかってるの。だけど、私には、それしかないの……」
 ちょうどその時、アイヴィンが妖精を連れてフルダのもとへとやってきた。
 アイヴィンの手の中で眠っている妖精を、小人が受け取る。
「こいつ、お前に笑顔になってほしいから、お前と契約したと言ってるぞ」
 力尽きてしまった妖精を、小人は涙を流しながら手で優しく抱きしめた。
「そうよ、この子は、そう言って私に名前をくれたわ。でも、八つ当たりに使ってたの。みんな同じになればいいって思って、この子を使っていろいろ燃やしてみたけれど、結局、私はずっと、何もないままだったわ……。私には、この子と、クラウスしかないの。あなたたちは、どうせ、今度はクラウスを私から奪うんだわ。そうよ、だって、昼と夜が混ざってしまうもの! また私から大切な何かが奪われてしまうのよ!」
 そんなことはない、とフルダが言おうとした時、フルダの持つクラウスのカンテラが強く光った。
「ああ、いた。良かった、みんな一緒だったんだね。カンテラが見つかって良かったよ」
 クラウスのカンテラが作り出していた影から、クラウスとマーオが出てくる。
 フルダからカンテラを受け取り、小人の前に膝をついた。
「ねえ、夜のフルダ。心配しないで。だから、泣かないで。もう君からは何も奪わないし、夜のぼくからも何も奪わないから。今度はぼくが与える番だ。ねえ、夜のぼくはどこにいる?」
 小人は、クラウスの問いに、首をかしげた。どうやら、分からないようだ。
「じゃあ、探そう。ねえ、小人のフルダ。君は何もないって言うけれど、君はなんでも持ってるよ。何にもないというのは、なんでもあるってことだから。ぼく、分かったんだ。だから教えてあげる。夜のぼくにもね」
 クラウスはそう言って、カンテラを掲げ、そして、歌った。
 もう一人の自分に届ける、夜の歌を。  

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