5章
名前を呼ばれたような気がして、フルダははっと顔を上げた。
(私、もしかして、寝てた……?)
長らく、待っていたような気がする。身動きしないクラウスを抱きしめて、じっとしていたが、いつしか意識が飛んでしまっていた。
気が付いたら、自分はどこかの家の中にいた。クラウスも、マーオも、いない。
「どこ、ここ……」
夜にいたはずなのに、明るく、温かい家にいた。暖炉には火がついており、テーブルの上にはできたてのパンとスープが置かれていた。
見たことがある景色だ。でも、それはホームのものとは違った。
(燃える前の……私の、家?)
気づくと、いろいろなものを思い出す。キッチンには母が使っていたフライパンや鍋がフックから下がっているし、暖炉のそばには金物職人をしていた父の仕事道具を入れた箱が置いてあった。
リビングには誰もいないのに「フルダ!」と呼ぶ母の声は聞こえてくる。その声を聞いて、呼ばれたと感じたのだろうか。声は階段の方から聞こえた。ヒステリックで、フルダはその声に少し怯えた。
(ここは、私の家のようで、違う家なの……?)
リビングからそうっと出て階段を見ると、自分を呼んでいる母が仁王立ちで立っていた。ぴりぴりとした空気に、フルダは確信する。
(夜の、私の家だわ。きっと。だって、私のママは、いつだって優しかった!)
そう思いたかった。これがもし自分の家だったら、悪夢だ。夜は一緒のベッドに入り、たくさんの夜の国の物語を聞かせてくれた母だ。きっと自分の母ではない。そう信じてフルダは怯えながらも、自分の部屋から出てくる自分を待った。
ドアがゆっくりと開き、中から、汚れたドレスを着た幼い自分が出てくる。四歳くらいだろうか。びくびくとしながら、ゆっくりと階段をおりてきた。
「早くしなさいと言ってるの! 本当に嫌な子ね。さっさと食べてちょうだい」
母はフルダの襟をつかみ、ずるずると引きずりながらキッチンの椅子に座らせた。
その間、フルダは泣きながら「やめて!」と叫んでいたが、母親はお構いなしだった。食べるのが遅いフルダからスプーンを奪い取り、口の中に熱いスープを入れ込む。その間、フルダは泣き叫んでいたが、母親はやはり気にせず食事を無理矢理取らせていた。いつの間にか父親もキッチンにいて、黙ってスープをすすっていた。母親の行為を止めようともせず、ただ、食事を進めるだけだった。
「やめてあげて、お願い、やめて!」
たまらなくなってフルダは母親に対して手を伸ばしたが、自分の手は腕をすり抜けてしまった。触れることも、声を届くこともできず、幼いフルダを救うことはできなかった。
いつまでも泣き続けているフルダにしびれを切らした母親は、その苛立ちを暴力でぶつける。喉が枯れるまで、フルダは泣き続けた。結局、その泣き声を暴力では止めることができず、母親は泣きわめく娘を抱えて、家から出た。父親はそれを止めようともせず、新聞に目を落としたままだった。
母親が向かった先は、都市の門だった。
「捨てられるのですか」
「そうよ。いつまでも泣いてばかりでうるさいの。妖精と契約できないだなんて、私たちの娘じゃないし、小人としての恥よ」
「取替子にはされないのですか?」
「だって、もう犯罪じゃない。街が禁止したのよ」
母親の話に、門番は仕方なしに門をゆっくりと開けた。母親は、門の外に泣き続けるフルダをおろし、最後に言った。
「妖精も使えない子なんて、産むんじゃなかった」
さようならの声もかけず、母親は小人の街へと戻る。門番は哀れに思いながらも、その大きく、重たい扉を閉ざしたのだった。
咄嗟に、フルダは門の外へ出る。はじめて、小人の街から出た。
何もない、平原が続く。
「ねえ……」
フルダは声をかけても、夜の自分は自分に気付くことなく、涙を流していた。抱きしめたいのに、その手は何もかもすり抜けてしまう。
(なんて、かわいそうなの、夜の私……)
いよいよ喉も枯れ、声も涙も出なくなり、体力も使い果たして土の上に寝そべってしまったフルダに対して、何もできなかった。
日が沈み、星がちらちらと瞬き始めた時だった。
「ねえ」
男の子の声がした。
夜のフルダは土に汚れた顔を上げた。
「ここがどこか知ってる? ぼく、いつの間にか、ここにいたんだ。ここはどこ?」
だいじょうぶ? と、男の子はフルダの頬についていた土をとってあげた。
(夜の国に来たばかりのクラウスだわ。いつの間にかここにいたってことは、取り替えられたばかりなのかしら)
小さな男の子と女の子は、夜の中で、語らっていた。
「私は妖精と契約できなかったの。大切な四歳の誕生日に小人たちは妖精と契約をするの。でも、私はできなかった。契約してくれる妖精が、小人の街にいなかったの。だから、パパとママに捨てられちゃった」
そこで、フルダはまた、ぽろりと涙を流した。クラウスは、その涙を小さな手で拭ってあげる。
「ぼくは、ばあばと住んでたんだけど、気付いたらここにいたんだ。なんでだろう」
「きっと、取り替えられたんだわ。夜の国の誰かと。私たち、捨てられた者同士ね」
「そうだね」
小さな手を取りあい、フルダとクラウスは、共にいることを約束した。
風の妖精が教えてくれた通りだった。
(捨てられて、何も持たない二人が、一緒に――)
身を寄せ合い、小人の街の城壁のそばで、二人は風雨から身を守っていた。
(そして、火の妖精が――)
それは、流れ星が多い夜だった。
流れ星に乗って、はじける火の粉が二人の元へ落ちた。
粉から出てきたのは、もちろん、夜のアイヴィンだった。なぜ小人と人間が、と驚きながらも、声をかける。
『寒くないのか?』
「寒いわ。だから、二人でいるのよ」
『暖炉はないのか?』
「ぼくたち、家がないんだ」
やつれた二人を見て、アイヴィンは指をぱちんと鳴らした。
すると、二人の前に、小さな焚火ができあがる。あたたかな日に、フルダはぱあっと笑顔を見せた。その笑顔に、アイヴィンは照れ臭そうに鼻を人差し指でこすった。
『俺、お前と契約してやろう。名前を教えろよ。俺はアイヴィンっていうんだ。火の妖精の中じゃ、最強だぜ』
「いいの?」
フルダの周りを飛びながら、アイヴィンは『いいとも!』と答えた。
『妖精は嘘はつかない。からかいはするけどな! 俺はお前に火を与えたい、そう思ったのさ。教えろよ、お前の名前』
「フルダっていうの」
『フルダ、よし、俺のご主人様だ。なんでも言ってくれ。暖炉もかまども持たないフルダのために、俺はどこへでも火をつけよう』
「それじゃあ――」
フルダが何かアイヴィンに耳打ちをすると、アイヴィンは高く飛び上がり、小人の街へと入って行った。
中から爆発する音が聞こえ、煙の柱が夜空へ突き刺さる。
それをフルダは門の外からクラウスと一緒に見ていた。
「何もかも、燃えてしまえばいいのよ……、私を捨てたパパもママも……」
クラウスが、フルダに手を伸ばし、ぎゅっと握った。
「フルダ」
「あなたは、ずっと一緒よ。クラウス、私とずっといて。私を捨てないで」
「捨てないよ。ずっと一緒。ずっと」
アイヴィンが戻ってきて、それから二人と一匹で、火を囲んでいた。
二人はずっと探していた。クラウスが入れ替わってしまった理由を。そして、その中で、フルダは昼への道を見つけ、昼のフルダを知ってしまった。
優しい親と一緒に幸せに過ごす昼の自分を、夜のフルダは見つけてしまったのだ。激しい嫉妬心に苛まれ、フルダはすぐに火を放った。
(そういうことだったのね――!)
自分の家が燃え上がる。その中から小人のフルダは飛び出し、クラウスと共に森へ去っていった。ローレンが自分を抱きかかえて家から出てきて、アイヴィンがそれに付き添う。そして、ホームを新しい家にしたのだ――。
何かがぺろりと自分の頬を舐めて、フルダははっと目をさました。
「マーオ。起こしてくれたの」
クラウスを抱きしめたまま、やはり自分は眠っていたらしい。
『いい夢だったかい? 夜の国の出来事だよ』
目の前に、夜の女王が立っていた。
「いい夢では、なかったけれど……、でも、夜の私のことは、分かったわ。でも、なんで……」
『愛する息子は、自分でどうにかすると言った。では、どうするのだ? これを、どうするつもりなのだ?』
夜の女王はそれだけ言って、ドレスを広げて夜空の彼方へと消えてしまった。
マーオが唸る。
振り返ると、クラウスがいた。
「あなたも、あなたのこと、教えてもらったの?」
夜のクラウスは。質問には応えなかった。
「ぼくは、"夜"に、入れ替えられたんだ。そいつのわがままで、そいつのせいで、ぼくは――!」
「夜って」
「そいつが、ぼくから、昼を奪ったんだ! どうせ、また奪うんだ、ぼくから! ぼくから、今度は全部奪うんだ! お前も、フルダに殺されるはずだったんだ! そこをどけろ、殺してやる!」
自分の首を切ったナイフを取り出し、クラウスはフルダめがけて駆けた。
すると、マーオが飛び出し、クラウスの手首にかみつく。
「っ、犬め!」
クラウスに振り払われ、マーオは地面に転がる。
「マーオ! ねえ、ちょっと待って! クラウスが何をしたっていうの」
「そいつは、ぼくから、全部奪ったんだ! ぼくの生きる世界も、ぼくのばあばも、ぼくの家も、全部!」
興奮しているのだろうか。目は憎しみと悲しみと怒りで溢れていた。
フルダの声に耳を貸さず、クラウスはナイフを振り落とす。刃の先にあったのは、フルダではなく、クラウスだった。
「だ、だめ……、やめて!」
手にしていたクラウスの杖を取り、横に薙いだ。
(逃げなきゃ、ここから!)
怒りで興奮している今のクラウスと話をすることはできない。フルダはそう思って、スカートの中から火打ち石を出した。
(ゲルダさん、助けて!)
再度襲ってくるクラウスの前で、フルダは強く石を打った。
すると、火から大きな火花が飛び散り、目をくらませる。
クラウスのカンテラに、火が灯った。クラウスたちを包んでいた闇はなくなり、うっすらと明るくなる空が広がってる。ここがどこかなど、考える余裕はなかった。
「クラウス、起きて! ねえ、昼に帰るの!」
揺さぶるが、ヴェールに包まれたクラウスは起きてはくれなかった。
「クラウス!」
光に照らされるクラウスが、透けている。抱きかかえる自分の手が、透けて見えていた。
このままでは、クラウスは本当に夜になってしまう。
遠くで、夜明けを告げる鳥の声が聞こえた。フルダはマーオを呼び、クラウスを抱き上げた。重さもない。空気を抱きしめているような感覚だ。
でも、これなら、一緒に昼に帰れる。フルダはクラウスの杖を強く握りしめた。
「――帰ろう、昼へ、繋がれ、昼へ、私"たち"の国へ!」
必死に歌った。
まじない歌を歌った。自分がまじない歌を歌えるか歌えないかではなく、歌わなければいけなかった。
すると、霧があたりを覆いはじめる。夜のクラウスはもう自分たちを襲ってはこなかった。
「行くわよマーオ。帰らなきゃ。このままじゃ、クラウス……」
朝が近づくにつれて、徐々にクラウスは空気に溶けていきそうになっている。フルダは走った。
「ゲルダさん、助けて!」
クラウスのカンテラが揺れる。
『分かった、まじない師のところに行きたいのね』
何かがフルダの声にこたえた。
『アイヴィン、探している人、見つけたわ。送ってあげる!』
フルダたちを風が包み、渦を巻き始める。そして、霧がぱっと晴れた。
そして、そのまま何かの上にどさりと落ちる。大量の本のようだった。
「は!? え、何!? なんだ、もう、整理したばかりだというのに……、って、フルダじゃないかい」
驚いて自分を見るのは、新しい家に行ったはずのゲルダだった。
(私、もしかして、寝てた……?)
長らく、待っていたような気がする。身動きしないクラウスを抱きしめて、じっとしていたが、いつしか意識が飛んでしまっていた。
気が付いたら、自分はどこかの家の中にいた。クラウスも、マーオも、いない。
「どこ、ここ……」
夜にいたはずなのに、明るく、温かい家にいた。暖炉には火がついており、テーブルの上にはできたてのパンとスープが置かれていた。
見たことがある景色だ。でも、それはホームのものとは違った。
(燃える前の……私の、家?)
気づくと、いろいろなものを思い出す。キッチンには母が使っていたフライパンや鍋がフックから下がっているし、暖炉のそばには金物職人をしていた父の仕事道具を入れた箱が置いてあった。
リビングには誰もいないのに「フルダ!」と呼ぶ母の声は聞こえてくる。その声を聞いて、呼ばれたと感じたのだろうか。声は階段の方から聞こえた。ヒステリックで、フルダはその声に少し怯えた。
(ここは、私の家のようで、違う家なの……?)
リビングからそうっと出て階段を見ると、自分を呼んでいる母が仁王立ちで立っていた。ぴりぴりとした空気に、フルダは確信する。
(夜の、私の家だわ。きっと。だって、私のママは、いつだって優しかった!)
そう思いたかった。これがもし自分の家だったら、悪夢だ。夜は一緒のベッドに入り、たくさんの夜の国の物語を聞かせてくれた母だ。きっと自分の母ではない。そう信じてフルダは怯えながらも、自分の部屋から出てくる自分を待った。
ドアがゆっくりと開き、中から、汚れたドレスを着た幼い自分が出てくる。四歳くらいだろうか。びくびくとしながら、ゆっくりと階段をおりてきた。
「早くしなさいと言ってるの! 本当に嫌な子ね。さっさと食べてちょうだい」
母はフルダの襟をつかみ、ずるずると引きずりながらキッチンの椅子に座らせた。
その間、フルダは泣きながら「やめて!」と叫んでいたが、母親はお構いなしだった。食べるのが遅いフルダからスプーンを奪い取り、口の中に熱いスープを入れ込む。その間、フルダは泣き叫んでいたが、母親はやはり気にせず食事を無理矢理取らせていた。いつの間にか父親もキッチンにいて、黙ってスープをすすっていた。母親の行為を止めようともせず、ただ、食事を進めるだけだった。
「やめてあげて、お願い、やめて!」
たまらなくなってフルダは母親に対して手を伸ばしたが、自分の手は腕をすり抜けてしまった。触れることも、声を届くこともできず、幼いフルダを救うことはできなかった。
いつまでも泣き続けているフルダにしびれを切らした母親は、その苛立ちを暴力でぶつける。喉が枯れるまで、フルダは泣き続けた。結局、その泣き声を暴力では止めることができず、母親は泣きわめく娘を抱えて、家から出た。父親はそれを止めようともせず、新聞に目を落としたままだった。
母親が向かった先は、都市の門だった。
「捨てられるのですか」
「そうよ。いつまでも泣いてばかりでうるさいの。妖精と契約できないだなんて、私たちの娘じゃないし、小人としての恥よ」
「取替子にはされないのですか?」
「だって、もう犯罪じゃない。街が禁止したのよ」
母親の話に、門番は仕方なしに門をゆっくりと開けた。母親は、門の外に泣き続けるフルダをおろし、最後に言った。
「妖精も使えない子なんて、産むんじゃなかった」
さようならの声もかけず、母親は小人の街へと戻る。門番は哀れに思いながらも、その大きく、重たい扉を閉ざしたのだった。
咄嗟に、フルダは門の外へ出る。はじめて、小人の街から出た。
何もない、平原が続く。
「ねえ……」
フルダは声をかけても、夜の自分は自分に気付くことなく、涙を流していた。抱きしめたいのに、その手は何もかもすり抜けてしまう。
(なんて、かわいそうなの、夜の私……)
いよいよ喉も枯れ、声も涙も出なくなり、体力も使い果たして土の上に寝そべってしまったフルダに対して、何もできなかった。
日が沈み、星がちらちらと瞬き始めた時だった。
「ねえ」
男の子の声がした。
夜のフルダは土に汚れた顔を上げた。
「ここがどこか知ってる? ぼく、いつの間にか、ここにいたんだ。ここはどこ?」
だいじょうぶ? と、男の子はフルダの頬についていた土をとってあげた。
(夜の国に来たばかりのクラウスだわ。いつの間にかここにいたってことは、取り替えられたばかりなのかしら)
小さな男の子と女の子は、夜の中で、語らっていた。
「私は妖精と契約できなかったの。大切な四歳の誕生日に小人たちは妖精と契約をするの。でも、私はできなかった。契約してくれる妖精が、小人の街にいなかったの。だから、パパとママに捨てられちゃった」
そこで、フルダはまた、ぽろりと涙を流した。クラウスは、その涙を小さな手で拭ってあげる。
「ぼくは、ばあばと住んでたんだけど、気付いたらここにいたんだ。なんでだろう」
「きっと、取り替えられたんだわ。夜の国の誰かと。私たち、捨てられた者同士ね」
「そうだね」
小さな手を取りあい、フルダとクラウスは、共にいることを約束した。
風の妖精が教えてくれた通りだった。
(捨てられて、何も持たない二人が、一緒に――)
身を寄せ合い、小人の街の城壁のそばで、二人は風雨から身を守っていた。
(そして、火の妖精が――)
それは、流れ星が多い夜だった。
流れ星に乗って、はじける火の粉が二人の元へ落ちた。
粉から出てきたのは、もちろん、夜のアイヴィンだった。なぜ小人と人間が、と驚きながらも、声をかける。
『寒くないのか?』
「寒いわ。だから、二人でいるのよ」
『暖炉はないのか?』
「ぼくたち、家がないんだ」
やつれた二人を見て、アイヴィンは指をぱちんと鳴らした。
すると、二人の前に、小さな焚火ができあがる。あたたかな日に、フルダはぱあっと笑顔を見せた。その笑顔に、アイヴィンは照れ臭そうに鼻を人差し指でこすった。
『俺、お前と契約してやろう。名前を教えろよ。俺はアイヴィンっていうんだ。火の妖精の中じゃ、最強だぜ』
「いいの?」
フルダの周りを飛びながら、アイヴィンは『いいとも!』と答えた。
『妖精は嘘はつかない。からかいはするけどな! 俺はお前に火を与えたい、そう思ったのさ。教えろよ、お前の名前』
「フルダっていうの」
『フルダ、よし、俺のご主人様だ。なんでも言ってくれ。暖炉もかまども持たないフルダのために、俺はどこへでも火をつけよう』
「それじゃあ――」
フルダが何かアイヴィンに耳打ちをすると、アイヴィンは高く飛び上がり、小人の街へと入って行った。
中から爆発する音が聞こえ、煙の柱が夜空へ突き刺さる。
それをフルダは門の外からクラウスと一緒に見ていた。
「何もかも、燃えてしまえばいいのよ……、私を捨てたパパもママも……」
クラウスが、フルダに手を伸ばし、ぎゅっと握った。
「フルダ」
「あなたは、ずっと一緒よ。クラウス、私とずっといて。私を捨てないで」
「捨てないよ。ずっと一緒。ずっと」
アイヴィンが戻ってきて、それから二人と一匹で、火を囲んでいた。
二人はずっと探していた。クラウスが入れ替わってしまった理由を。そして、その中で、フルダは昼への道を見つけ、昼のフルダを知ってしまった。
優しい親と一緒に幸せに過ごす昼の自分を、夜のフルダは見つけてしまったのだ。激しい嫉妬心に苛まれ、フルダはすぐに火を放った。
(そういうことだったのね――!)
自分の家が燃え上がる。その中から小人のフルダは飛び出し、クラウスと共に森へ去っていった。ローレンが自分を抱きかかえて家から出てきて、アイヴィンがそれに付き添う。そして、ホームを新しい家にしたのだ――。
何かがぺろりと自分の頬を舐めて、フルダははっと目をさました。
「マーオ。起こしてくれたの」
クラウスを抱きしめたまま、やはり自分は眠っていたらしい。
『いい夢だったかい? 夜の国の出来事だよ』
目の前に、夜の女王が立っていた。
「いい夢では、なかったけれど……、でも、夜の私のことは、分かったわ。でも、なんで……」
『愛する息子は、自分でどうにかすると言った。では、どうするのだ? これを、どうするつもりなのだ?』
夜の女王はそれだけ言って、ドレスを広げて夜空の彼方へと消えてしまった。
マーオが唸る。
振り返ると、クラウスがいた。
「あなたも、あなたのこと、教えてもらったの?」
夜のクラウスは。質問には応えなかった。
「ぼくは、"夜"に、入れ替えられたんだ。そいつのわがままで、そいつのせいで、ぼくは――!」
「夜って」
「そいつが、ぼくから、昼を奪ったんだ! どうせ、また奪うんだ、ぼくから! ぼくから、今度は全部奪うんだ! お前も、フルダに殺されるはずだったんだ! そこをどけろ、殺してやる!」
自分の首を切ったナイフを取り出し、クラウスはフルダめがけて駆けた。
すると、マーオが飛び出し、クラウスの手首にかみつく。
「っ、犬め!」
クラウスに振り払われ、マーオは地面に転がる。
「マーオ! ねえ、ちょっと待って! クラウスが何をしたっていうの」
「そいつは、ぼくから、全部奪ったんだ! ぼくの生きる世界も、ぼくのばあばも、ぼくの家も、全部!」
興奮しているのだろうか。目は憎しみと悲しみと怒りで溢れていた。
フルダの声に耳を貸さず、クラウスはナイフを振り落とす。刃の先にあったのは、フルダではなく、クラウスだった。
「だ、だめ……、やめて!」
手にしていたクラウスの杖を取り、横に薙いだ。
(逃げなきゃ、ここから!)
怒りで興奮している今のクラウスと話をすることはできない。フルダはそう思って、スカートの中から火打ち石を出した。
(ゲルダさん、助けて!)
再度襲ってくるクラウスの前で、フルダは強く石を打った。
すると、火から大きな火花が飛び散り、目をくらませる。
クラウスのカンテラに、火が灯った。クラウスたちを包んでいた闇はなくなり、うっすらと明るくなる空が広がってる。ここがどこかなど、考える余裕はなかった。
「クラウス、起きて! ねえ、昼に帰るの!」
揺さぶるが、ヴェールに包まれたクラウスは起きてはくれなかった。
「クラウス!」
光に照らされるクラウスが、透けている。抱きかかえる自分の手が、透けて見えていた。
このままでは、クラウスは本当に夜になってしまう。
遠くで、夜明けを告げる鳥の声が聞こえた。フルダはマーオを呼び、クラウスを抱き上げた。重さもない。空気を抱きしめているような感覚だ。
でも、これなら、一緒に昼に帰れる。フルダはクラウスの杖を強く握りしめた。
「――帰ろう、昼へ、繋がれ、昼へ、私"たち"の国へ!」
必死に歌った。
まじない歌を歌った。自分がまじない歌を歌えるか歌えないかではなく、歌わなければいけなかった。
すると、霧があたりを覆いはじめる。夜のクラウスはもう自分たちを襲ってはこなかった。
「行くわよマーオ。帰らなきゃ。このままじゃ、クラウス……」
朝が近づくにつれて、徐々にクラウスは空気に溶けていきそうになっている。フルダは走った。
「ゲルダさん、助けて!」
クラウスのカンテラが揺れる。
『分かった、まじない師のところに行きたいのね』
何かがフルダの声にこたえた。
『アイヴィン、探している人、見つけたわ。送ってあげる!』
フルダたちを風が包み、渦を巻き始める。そして、霧がぱっと晴れた。
そして、そのまま何かの上にどさりと落ちる。大量の本のようだった。
「は!? え、何!? なんだ、もう、整理したばかりだというのに……、って、フルダじゃないかい」
驚いて自分を見るのは、新しい家に行ったはずのゲルダだった。