5章

「同行って、俺が何をしたっていうんでしょうか、オーウェン警吏」
 カンテラを揺らし、アイヴィンはオーウェンに問うた。
 警吏はどうやら一人ではないようだ。あと二人、オーウェンの傍らに立っている。歳は若い。警吏の中でも最年少の者のようだった。
「とぼけるなよ、アイヴィン。まあいい、市庁舎に来て、全部吐いてもらえばいいことだ。捕らえろ」
 オーウェンが言うと、控えていた警吏がアイヴィンの両の手を掴み、ロープで縛った。
 どこか誇らしげな顔をするオーウェンに、アイヴィンは舌打ちをした。今、警吏の相手をしている場合ではないのにという苛立ちが、オーウェンの耳に届いてしまった。
「あ?」
「なんでも。まあ、俺も、何のことか分かってはいますけどね。あなたが来いと言うのなら、行きましょう」
 アイヴィンは観念して、警吏に連れていかれるまま、市庁舎までやってきた。きつく縛られて、ロープが擦れて傷になってしまったのか、ひりひりする。
 市庁舎の中には、取調室がある。警吏が使用する部屋だった。オーウェンたちはその取調室に直行した。
 ここに連れてこられるということは、ゲルダのことがオーウェンに知られてしまったということだろう。アイヴィンは既に分かっていた。
 しかし、なぜオーウェンに知られてしまっているのだろうか。隠し通路のことはクラウスとフルダと、あと一人を除いて誰も知らないはずなのにとアイヴィンは思考する。
(汚い警吏のことだ、何か手を打ったんだ。それも全部、暴いてしまえ――)
 若い警吏二人に乱暴に椅子に座らされる。手は解放してくれなかった。
「お前、ティルで禁止されてるまじない師を逃がしたらしいな」
「”らしい”って、なんですか、それ」
 鼻で笑うと、オーウェンは眉を吊り上げた。
「いろいろと聞く前に、その口を切ってしまいたいが、まあいい。聴いたんだよ、あの夜、お前がしたこと」
「誰に」
「牢の中にいる奴らさ。あいつらはいい。逃がしてくれると思えば、なんでもする奴らだからな。逃がすつもりはさらさらないが、そう言うと、奴らは全部教えてくれたよ。隠し通路のことも、お前が鍵を持っていたことも」
 勝った様子で語るオーウェンに、アイヴィンは、自然と笑いが漏れてしまった。
(こいつ、なんて愚かなんだ……!)
 笑ってしまってはオーウェンを激昂させるだけとは分かっているが、アイヴィンはこらえることができなかった。
「ああ、そうなんですか。へえ。そうなんですか、オーウェン警吏って、そんなことするんですね。聞きました? たぶん、あなた方、新人でしょう。そういう奴らですよ、今の警吏ってのは。正義心のままに入ったんでしょうけど、今の警吏は、皆、こんな感じですよ」
 そう言われた若い警吏二人は、くつくつと笑うアイヴィンと、怒りに震えるオーウェンに視線を往復させた。
 恐らく、この反応から、二人は警吏になってから、オーウェンに教育されていたのだろう。そのオーウェンがこうやって自分に批判されているので、うろたえているのだ。
「それに、俺も馬鹿ではないですからね。易々と捕まるわけがないですよ。だって、ティルに、占い師もまじない師も禁止するという法がないですから。法がないならまじない師は捕らえられない。俺も捕まらない、それがティルだ。ティルにはなんでもある。だから、法もある。ここが他の都市なら話は違っただろうけど、ここはティルなんだよ。お前のほうこそいい加減にしろ。お前のようなクソな警吏がいるから、お前たちが勝手に決まりを作るから、罪のない者たちが牢に入れられるんだ。縄をはずせ。俺は無罪だ。なんだったら、警吏長を呼べ、俺のじいさんをな!」
 言ってやった。
 アイヴィンは胸の中に残っていた空気を押し出した。
 ゲルダが捕まっていたのも、罪のない放浪者が捕まっていたのも、逃げたがっているのも、すべて、警吏たちの勝手な行為からだった。治安がよくなれば、警吏の立場はよくなる。薄汚い放浪者が減れば治安はよくなったと見える。だが、実際はティルの住民だって犯罪は起こしているし、放浪者が犯罪を起こしてしまうのは支援の手が差し伸べられないからだった。
 フルダが貧困区にろうそくを配るのは、犯罪を減らすための手立てだった。それすらしない警吏にアイヴィンはほとほと呆れていたのだ。
 警吏内部のことは、よく知っていた。フルダやクラウスには言っていないが、言うつもりもまったくなかったが、アイヴィンは警吏長の孫だった。隠し通路があるのは、バルグ家が警吏長を勤め続けているからで、鍵を持っていたのも、それが理由だった。そのことを知っていての今回のオーウェンの行動には、呆れるばかりだった。
 アイヴィンの気迫に押された二人の警吏は、やめろと止めに入るオーウェンを差し置いてロープをナイフで切った。
 若い警吏からカンテラを奪い取り、オーウェンにつめよる。
「じいさんはどこだ、言いたいことがある」
「ば、バルグ長なら、執務室に……」
「――そうですか。ありがとうございます。俺も警吏長の孫なので、正しいことはさせていただきますよ」
 夜警の帽子を取り、ぺこりとオーウェンに頭を下げた。
「そうそう、俺、この仕事が終わったら、警吏になるつもりなんです。そうしたら、よろしくお願いしますね」
 帽子をかぶり、カンテラを揺らしてアイヴィンは取調室から出た。
 ドアを閉めると、中から、テーブルを蹴る音が聞こえた。オーウェンが暴れているのだろうか。
(さっさと、やめちまえばいいのに)
 クラウスにいつか言った、本当にしたいことは、これではっきりとした。もう悩む必要はなかった。
 アイヴィンは夜警の証を風になびかせながら、市庁舎の廊下を歩く。
「じいさん」
 書類に埋もれる警吏長が顔を上げる。
「なんで、じいさんは、いつまでもここで、紙に埋もれてるんですか。バルグ家が守ってきた正義はどこへ行ったんだ」
 長は何も言わなかった。
 アイヴィンは、カンテラを揺らし、杖で床を突いた。
「今のままなら、ないほうがましだ。じいさん、俺は、もう少ししたら、ここへ来る。でも、まだここへは来ない。今のティルの正義は、夜警にあるから――」
 フルダを救えるのは、夜警だ。それまでは、警吏の制服に袖は通せない。ローレンにも前からそう言っている。
 アイヴィンはそう言って、長の執務室から出て行った。
 
 
 急いでホームへと戻ったが、クラウスもフルダもどちらもいなかった。事務室だけではなく、リビングも寝室も見たが、二人はどこにもいなかった。マーオもいないということは、外へと出ているのかと思ったが、アイヴィンは二人の制服が壁にかかっているのを見た。
(なぜだ。ないのはクラウスのカンテラだけ……、制服を着ず、外へ出るなんて、クラウスやフルダが、そんなことするか?)
 帽子も取らないまま、アイヴィンはリビングの中央で立ちすくんだ。
(ここで何かあったと考えたほうがいいのか。何かあるとしたら、夜の国……)
 アイヴィンは自分のカンテラを見た。
 クラウスのようなまじないは自分のカンテラにはかかっていない。まじないのないカンテラで夜の国に行けるかどうかは分からなかった。
 唯一持っているまじないは、ゲルダが剣にほどこしてくれた古代文字の彫刻だった。意味は分からない。とにかく、剣を使う時に役に立つとしか教えられていなかった。
(とりあえず、行くか。リュートに会えば、なんとかしてくれるだろう)
 森を抜け、霧の中を歩く。やはり、自分のカンテラでは、光が小さかった。先が見えにくい。このまま歩いていいのか不安になる。
『今日は一人なの?』
 風の妖精が、アイヴィンの頬を撫でた。面白がられている。そのことに少し苛立ちながらも、アイヴィンは応えた。
「クラウスとフルダはここに通らなかったか?」
『私たちとお話するの? なら、面白いお話を聞かせてくれなきゃ。リュートみたいに』
「ないと言ったら?」
『私たちを掴まえたら、教えてあげるし、どこへでも連れて行ってあげる。そのカンテラじゃ、光が足りないんでしょ?』
 くすくす笑う風に、アイヴィンは頷いた。
「言ったな。嘘じゃないな? わかった。それが、面白い話はひとつもないんだ」
『では、はじめましょ。たいくつしてたの』
 風の妖精たちが、アイヴィンの周りをぐるりと飛び始める。姿は見えない。空気の動きで、アイヴィンは妖精を感じた。
 リュートの周りを飛び、杖に集まる風の妖精たちを思い出す。
(マダム・ゲルダのまじないにかけるか……)
 空気が渦を巻き始める。
 帽子を押さえながらも、アイヴィンは杖から剣を抜いた。すらりとした剣がカンテラの光を反射する。
(風を止めれば……)
 ぐるぐるとアイヴィンを包む風の中に剣を入れた。すると、剣を入れたところだけ空気の流れが止まる。
『あっ』
 一匹の妖精が声を上げ、空気の流れから飛び出した。剣に当たってしまったのだろうか。しかし、再び渦の中に戻る。とても身軽のようだ。
「なら、ぜんぶ切ってしまえ!」
 風の層の中に、剣をずぶりと差し込む。そして、流れに押されないように両の手で剣を持ち上げた。
『きゃあっ!』
 何匹もの風の妖精たちが剣にぶつかり、跳ね返る。ころころと妖精たちが転がってゆき、風の渦は消えてなくなってしまった。
 空気が止まる。再び、霧がすべてを包んだ。
「俺の勝ちだな。捕まえた」
 地面に伏せっていた妖精の一匹を掬い上げ、手のひらに乗せた。かわいらしい少女の姿をする妖精だった。
『あなたのまじない、ずるいわ。妖精の動きを止めるものだなんて。それに、契約のまじないがあるじゃない!』
「おや、そうだったのか? 知らずに使ってたよ。契約というのは?」
 アイヴィンの手のひらに乗る妖精は、アイヴィンの剣のまわりを飛んだ。
『最初に捕らえた妖精を使役できるまじないよ。ずるい! 人間のくせに! 知ってたら、こんなことしなかったのに!』
 妖精は再び、アイヴィンの手の中に戻った。
『まあ、いいわ。約束だもの。妖精は、契約を守るものよ。あなたが契約を切るその時まで、一緒にいてあげる。で? どこに行きたいの?』
「ありがとう。クラウスとフルダのところに行きたいんだ。君の風なら、見つけられると思うんだけど」
『分かった。探してきてあげる。でも、一つ言うわ。私の名前は、エルティーニ。名前を呼べばすぐに戻るわ。覚えてて』
 妖精はそう言って、アイヴィンの手から飛び立った。
 なるほど、小人はこうやって妖精と契約するのか。アイヴィンはエルティーニを見送りながら、そう思った。
(夜のフルダは、夜の俺と、どんな契約を交わしたんだろうか……)
 火を放つことが生きがいのような顔をする妖精の自分。どんな気持ちで、火を放っているのだろうか。
(フルダを守ろうとするのは、俺と一緒のようだけどな)
 しばらくすると、風がそよいだ。
 ひゅっという音がしたかと思えば、エルティーニがアイヴィンの肩に乗っている。
『駄目。夜の国にいるみたいだけど、場所が駄目だわ。連れていけない』
「場所?」
 アイヴィンの肩の上で蝶のような羽を伸ばしながら、歌うように言った。
『夜の城。夜の国の女王、夜そのものがいる闇の城にいるみたいよ。門番が教えてくれたわ。あそこは、招かれる者しか行けれないの。カンテラを持ってるあなたは、なおさら、締め出されるに決まってるわ。昼の国で待ってたら?』
 私、昼に行ってみたかったの。そうエルティーニが言うので、アイヴィンは渋々頷いた。
 気づいたら、ホームのリビングに立っていた。エルティーニが送ってくれたのだろう。風となり、エルティーニは姿を消した。名前を呼べば来てくれると言っていたので、しばらく自由にさせておくことにする。
(何があったんだ、クラウス……)
 残された外套が風になびく。
 待つ夜は長い。アイヴィンははじめてそう思った。
 

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