4章

 先に東門へと来ていたアイヴィンと合流し、クラウスたちは夜の国、小人の街を目指した。
 途中、風の精に「ここを小人が通らなかったか」と尋ねたが、風の精たちは知らない、といたずらに笑いながら飛ぶばかりだった。
「ったく、風の妖精ってのは隠し事が好きなんだな。クラウスのまじないでどうにかならないのか」
 アイヴィンに言われ、クラウスはどきりとする。
「そんな、使おうと思って使えるものじゃないし……。気付いたらそうなってるだけだよ。ぼく、魔法みたいにすぐまじないなんて使えないよ。ぼく……」
 人間だもん。そう言おうとして、クラウスは口をつむいだ。
 分からないのに、そんなこと、言えなかった。自分が昼なのか夜なのか、自分では知ることができなかった。だから、はっきりと言うことができなかった。
 それきり黙ってしまったクラウスに、アイヴィンは何も言わず背中をそっと叩いてやった。
 森で迎えたクラウスの顔がどんよりとしていたので、アイヴィンはホームで何かあったのかとフルダにすぐ聞いたのだ。だから、クラウスが今抱えている事情は知らないわけではない。
 クラウスの沈黙の先に隠れた言葉も、アイヴィンは分かっている。杖を両手でかたく握りしめる様子を見ても、クラウスの言いたいことは分かっていた。
 ざっと強い風が吹き、霧が隠していた小人の街が現れる。
 三人を出迎えたのは、やはりリュートだった。
「待ってたわ。絶対来るって思ってたのよ」
 風の精を見送り、リュートはからん、とベルを鳴らした。
「昨晩、森から人間と小人と妖精が一緒にここから出てきたっていう話があったの。人間よ、人間。まったく、どこを探しても見つからないから、困ってるの。昨日、昼で何があったか教えなさいよね」
 ついてきて、と言われてリュートに案内されるまま向かったのは、ティルのホームと同じ場所に位置する小人の街のホームだった。
「あなたたちを招くわ。どうぞ」
 リュートに言われるままホームに入ると、やはり一階は事務室で、リビングのある二階へと案内された。間取りもまったく同じで、フルダは驚く。
「何もかも一緒なのね」
「ここだけはね。小人の街にまぎれこんでしまった人間を匿う場所でもあるから。それで、何があったの?」
 妖精たちがティーカップを持ってきて、三人に紅茶を入れてくれた。この妖精たちはホームに住んでいるのだろうか。手慣れているようだった。しかし、クラウスたちはそれには手をつけずに、昨晩のことをすべてリュートに話した。
 夜のクラウスが小人でも妖精でもないことを伝えると、エルフの可能性はないのかとリュートは考えた。
「エルフは極めて美しい容姿をしている種族よ。背丈は人間と変わらないけど男性だと長身が多いわ。その可能性はないの?」
「ぼくを見てよ。こんなくすんだ髪をしたぼくだよ? そう思う?」
「……そうね、ごめんなさい」
 気まずくなり、紅茶を口に含んだリュートにアイヴィンはさらに話を加えた。
「リュート、それと、彼が使ったのはナイフだ。君の話だと、エルフは魔法が使えるというね。なら、あの時、もし彼がエルフだったら魔法を使ったと思うんだが」
 アイヴィンの考えに、リュートはもっともだと頷いた。
 あの夜のクラウスの震える手を思い出すと、使い慣れている様子でもなかった。
「だとしたら、人間と考えるのが妥当かもしれないわね。小人たちが人間が入ったと騒いでたのも納得するわ。どこにいるのかしら。妖精も見つけられないと言っているし」
「ねえ、リュート。あなたはこの街の夜警なのよね。この街の外のことは? 街の外のことは知ってるの?」
 フルダがそう言うと、リュートは「それよ!」と声をあげた。
「フルダはやっぱり賢いのね! そうだわ、街の外だわ。街の外のことは小人たちは何も分からない、小人の街に住む妖精も街の外のことは何も知らない。ここは閉ざされた平和で安全な小人の街だから。でも、あの妖精たちはそうではないわ――」
 リュートはカップを妖精たちに預けて、椅子から飛び降りた。そして、ベランダに出て、カンテラと杖を夜空に掲げた。
「風、伝わる風、伝える風、私の杖に集まれ!」
 まるで呪文のようなものを紡ぐと、リュートの星空のドレスが風になびいた。
 くすくす、という笑い声が聞こえる。
「おい、風の精って嘘つきじゃないのか」
 霧の中のいたずら好きな風の精を思い出して、アイヴィンは悪態をつくが、リュートはお構いなしに風を杖に集めている。姿は見えないが、くすくすという笑い声は増えていくばかりだ。
『何、面白いお話?』
『うわさ?』
『恋物語?』
『悲しいお話?』
 どれも面白がっているような声ばかりだ。クラウスたちは風に帽子を取られないように帽子を押さえながらリュートを見守る。
「あなたたちにとっては面白いかも! 小人の街の外にこの人たちとまったくそっくりな妖精や小人や人間は見なかった? そういう話は外から聞いてない? あなたたちなら知ってると思うの」
 リュートの問いに、風は渦を巻いた。ドレスが大きく揺れ、風の中から歌うような声が聞こえてくる。
『知ってる知ってる』
『捨て子の小人』
『捨て子の人間』
『ずっと前から街の外にいた』
『ふたりはずっと一緒』
『そこへやってきた火の妖精』
『暖炉を持たないふたりに火を』
『家を持たないふたりに火を』
『でも知ってるのはここまで』
『面白いお話』
『もっとない?』
「ありがとう、だいたいわかったわ。追加のお話はまた今度ね。ありがとう、もういいわ。お礼にクッキー持って行って」
 びゅっと風がリビングに吹き込むと、カタカタと紅茶の入ったカップが揺れた。
 風の渦が皿に盛られていたクッキーを掴み、窓を抜けて帰っていく。
 ようやく風が落ち着き、クラウスたちはほっと帽子を押さえていた手をおろした。
「ま、そういうことらしいわ」
 リュートはベランダへと続く扉を閉め、暖炉で眠っていた火の妖精に新しい薪をあげた。妖精は新しいごはんを得たように薪に火をつけた。
「外にいるようね」
「風の精は嘘つきかと思っていた」
 アイヴィンが意外だというような顔をすると、リュートはふふ、と笑った。
「私を誰だと思っているの。妖精を従える夜警よ」
 でもなぜ、とリュートはつぶやいた。
「取替子という話が本当なら、取り替えられた人間はどこかの家の奴隷になってるはずよ。悲しい話だけれど、そういうことがここではたまにあるの。取替子は高額で売られるから。でもなぜそんな子が捨てられているのかしら。そもそも取り替えたのは誰……?」
 リュートの話にフルダも頷いた。
「そう、そこよ。誰が取り替えたのかが分からないわ。それに、なぜ夜の私と一緒にいて、一緒になって火をつけてるのかも……。直接話が聞けたらいいのに」
 街の外へと探しに行こうかとしたが、しかし街の外へと出てしまうと、朝に戻れない可能性が高かった。
 ひとまず今晩はここまでにして、クラウスたちはもやもやとしたまま、リュートに見送られ、昼へと帰った。
 
 
「おや、おかえり。今日は帰りが早いんだね」
 ホームへと戻ると、玄関にたくさんの荷物を置いて朝を待つゲルダがいた。
「ゲルダさん」
 クラウスはすぐに分かってしまった。
 夜を知る人が、ホームを去ってしまう。不安にかられ、クラウスはゲルダに抱き着いた。
 抱き着いたとき、どういうわけか懐かしさを感じてしまい、クラウスは目を熱くした。
「行かないで」
「カンテラを手放さなかったのなら大丈夫だよ、少年。きみはまじないを持っているじゃないか」
 ふるふると首を振りながら放さないクラウスの頭を、まるで子どもをあやすかのようにゲルダは撫でた。
「私が教えれるまじないはすべて教えたと思っている。大丈夫、フルダにもアイヴィンにもまじないは教えた。それにこの街からは出て行かないから。何かあったら海沿いの家へおいで。私はいつでもそこにいる。ほら、涙は布ではなく、お湯で流しなさい。ね?」
 言われて、クラウスは頷きながら、ゲルダから離れた。
 ゲルダはフルダを抱きしめて、ありがとう、と伝えた。
「マダム・ゲルダ。お持ちしましょう」
「ありがとう、アイヴィン。私を牢獄から救ってくれたうえに、荷物も持ってくれるのかい」
 それでは、とゲルダはにこりと微笑み、朝の中へと行ってしまった。
 クラウスはカンテラの火を消して、ゲルダに言われるまま、涙を湯で流した。
 いつもよりも朝食が豪華で、魚のムニエルまで出てきたので驚いたが、きっとローレンのゲルダへのはなむけなのだろうと思い、ゲルダのこれからの生活を祈りながらお腹に入れる。
 そして自分の寝室に戻る前に、フルダの部屋を訪れた。
「ねえ、フルダ。思ったこと、言っていい?」
 フルダの邪魔をしたかな、と思ったが、フルダはベッドに腰かけてクラウスを招いてくれたのでフルダの隣に座った。
「この前さ、ほら、置き手紙、リュートに読んでもらったでしょ」
「ええ」
「フルダが羨ましかったのかなって。同じようになればいいって。きっと。家があって、親がいて、幸せなフルダが、羨ましかったのかなって。夜のフルダは。だからフルダにあるものを奪おうと思って火をつけたんじゃないのかなって」
 言いにくいようにぽつりぽつりと話すクラウスに対して、フルダは「そうね」と相槌を打った。
「私もあの時、あなたと同じことを考えたわ。もしそうだったら、私は夜の私と同じになったわ。家も家族もなくした。幸せも一瞬でなくなった。家族との思い出も、燃えて何もかもなくなったわ。でも――」
 フルダは輝く朝日の下で、うっすらと微笑んだ。
「でも、私、つらくないの。全部なくしたって思ったけど、私、まだ持ってるものがあるもの。ローレン団長は私をまだホームに置いてくれているし、ゲルダさんは私にまじないを教えてくれたわ。それに」
 フルダはクラウスの顔を見上げて、少し恥ずかしそうに言った。
「クラウスもホームにいる」
「うん」
 フルダはベッド脇のテーブルから、そっと小さな紙切れを出した。
 小人の自分から送られてきた手紙。それを見つめて、フルダは抱きしめた。
「この子はきっと知らないんだわ。自分が持っているものを。ないことしか、知らないの。何もないって思ってる。だから燃やすんだわ。羨ましくて。そばに夜のクラウスがいるのに。夜のアイヴィンがいるのに。悲しいわ。ずっと悲しいんだわ。この子。会いたい。会って、話をしてあげたい」
 私もまじない歌が歌えたらいいのに。
 何気ないフルダの言葉にクラウスはどきりとしながらも頷いた。
「フルダのために歌ってあげたいけど……」
「ああ、そういうつもりじゃないわ。私が歌いたいって思っただけ。でも私、歌、クラウスより上手じゃないから」
 どこか不安げな顔をするクラウスにフルダは自分の手を添えた。
「私のことはだいたい想像がついたわ。それより、クラウス、あなたのことが心配よ。誰がどうしてあなたと夜のクラウスを取り替えたのか、夜のあなたはどうして夜の私といるのか……、夜の私の手助けをしてるようだったし、そこが気になるわ」
「うん。それにやっぱり怖いんだ。まじない歌を歌うのもなんだか怖いし、ぼく、なんか、知らないうちに夜になっちゃいそうで。眠いんだ。夜から帰ったらすごい眠いんだ。今もすごい眠い。前まではただ疲れて眠たいだけかなって思ってたけど、夢も見ないし、ぼく、眠ってるうちに夜になりそうで怖い」
 昼のあいだはカンテラは持てないし、石は光らない。その間がとても怖かった。
 夢の中には光は入ってこない。そのまま目覚めず、闇の中に捕らわれそうな気がして、クラウスは身を震えさせた。
 それは、自分が覚えている、”本当の夜”そのものな気がしてならないのだ。
「分かった。起こしてあげる。マーオもきっと全力で起こしてくれるわ。一緒に寝ましょ。私、いつもパパとママに、そうしてもらってたの。安心して眠れるように――」
 眠気に負け、ふらつくクラウスを支えながら静かに寝かせ、マーオも呼んだ。どうやらマーオはいつだってご主人様と一緒にいたいようだ。ふとんをかぶせ、すぐに眠ってしまったクラウスの頬に、フルダは軽くキスをした。
(本当は、私も、してほしいけど……)
 夜のフルダは、夜のクラウスにしてもらっているのだろうか。気持ちまでが同じことなどないはずなのに、そんなことを思いながら、クラウスの隣に横になったのだった。
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