4章
森の入り口に罠をしかけたとはいえ、すぐには獲物は引っかからなかった。一日経っても、二日経っても、夜の国からの訪問はなく、様子を見に行っても森はしんと静まっていた。
いてもたってもいられず、夜の国に行こうとクラウスは提案したものの、アイヴィンとフルダによってその考えは却下されてしまった。相手がこちらを見ているのならば、夜の国へ行かなければ向こうから自分から様子を見に来るだろうと二人は考えていたからだ。こちらから夜の国に行ってしまっては意味がない。昼の国にくるきっかけをこちらから奪ってはまじないをしかけても無駄に終わってしまう。そう説得させられ、クラウスはしぶしぶ納得した。
「なんだか、うずうずするね、マーオ」
夜の街をぶらぶらと歩きながら、クラウスはカンテラを揺らした。いつもの光と変わらない。ろうそくのあたたかな光が道を照らしている。
とてとてとおしりを振りながら歩くマーオがふとクラウスを見上げた。
何か、口ずさんでいる。リズムがあり、音程がある。曲のようだ。
「会いたいと思えば思うほど、時が経つのがはやく感じる。道は繋がってるのに――」
カンテラを揺らしながら、何気なしにクラウスが口ずさんでいるのを、マーオはだまって聞きながら歩いていた。深くは考えていないようだ。思っていることをそのまま口ずさんだようだった。
会いたい、その言葉を最後に呟いた時だった。
からん、とカンテラの中に入っていた石が転がって窓にぶつかった。
「え、うわ……!」
かっと光ったかと思うと、石はからからと振動しているように揺れている。
これが、フルダから聞いた”共鳴”なのだろうか。ガラス製のカンテラの窓を割ってしまいそうなほどぶるぶると震えている。その現象に驚きつつも、クラウスは自分の先を歩くマーオを自分の元に呼び寄せた。
「い、行こう、マーオ! フルダたちを呼ばなきゃ。マーオ、ホームに行って、フルダたち呼んで。頼んだよ。ぼくは森に行っておくから」
マーオの背中を撫でてやると、ぱっとマーオが駆けだした。ここからホームはさほど遠くない。すぐに来るはずだ。マーオがホームへ向かったのを見届け、クラウスは森へと走った。
(……、なんであんな歌、歌ってたんだろ、ぼく)
”まじない歌”とは思っていなかったのに。ただ、思っていることを口にしていただけなのに。クラウスは走りながらフルダの話を思い出す。
(フルダはああ言ってたけど……神様から与えられたものって言ってたけど……、何も知らないうちに、まじない歌を歌ってたら、どうしよう)
無意識のうちにまじないを使ってたらどうしよう。それが、もし、意図しないことを起こしたらどうしよう。今回だってそうだったし、夜の国への道を拓いてしまったのも自分のまじない歌だ。いつか、それが間違いを犯してしまいそうで、クラウスは自分を恐れてしまった。自分の声はゲルダが言うには地下まで響いていたのだ。響きやすいまじないを無意識で歌うことが、怖かった。
しかし、今はそれどころではない。杖をぎゅっと握りしめて、森へと急いだ。
東門の周辺には霧が立ち込めていた。この霧は、あの、夜と昼を繋ぐ道にあふれている霧だ。それが昼に流れ込んでしまっているのだろう。あの門番が、その中でぐったりと倒れていた。
「門番さん!」
クラウスが門番に駆け寄って肩をゆする。すると、門番は「ううん」と唸っただけで、目を覚ますことはなかった。周辺に小人や妖精はいないようだ。外傷もなく、ただただ眠っているようだ。
(霧のせい?)
周辺にあるのは霧だけ。これでようやくクラウスは分かった。
門番が眠ってしまっていたのも、門番の記憶がなかったのも、すべてこの霧によるものだ。あの時門番が眠っていたのは、夜の国が道を抜けた時に溢れた霧で眠っていたのだ。
(ぼくもあの時、霧の中で眠くなったんだ)
招かれざる者は霧に追い出される。そういうことなのか。門番を静かに横たえ、クラウスは門へと近づいた。
「あっ、昼のクラウス! ちょっと! これ! 何をしたのよ!」
クラウスの姿を見つけた小人が、ジタバタと暴れていた。
地面に埋めていた石が月の光を反射して、数多の光の柱を生み出している。その柱は小人に向かって一直線に走り、捕らえていた。その中で夜のフルダが足をバタバタと動かしていた。
「今日は君しか、来てないの?」
「アイヴィンも一緒よ! 放しなさいよ、放さなかったらこの街ごと全部燃やしちゃうわ! なんなのよ! 来るつもりじゃなかったのに、なんでここにいるのよ、私ったら! あなた、何か歌ったでしょ! 卑怯者! もう! もう!」
そのフルダの言葉に、クラウスはどきりとする。
(やっぱり、ぼく、歌ってたんだ、まじない……!)
なぜそんなまじないが使えてしまったのか。なぜ思ったことを口にしただけなのに、それがまじないになってしまったのか。混乱してしまい、クラウスは小人を前にして何もできなかった。
フルダの髪の中から、炎がちらりと見えた。飛び立つ機会をうかがっているようだ。
やはり、この小人は自分のまじないに呼ばれてここに来てしまったのだろうか。
もがき続けるフルダに何をすればよいのか分からず立ちすくんでいると、フルダとアイヴィンが合流した。
「ああ、捕まったのね、クラウス」
肩を上下させながらフルダが小人の顔を正面から見た。
「本当にフルダそっくりだね、この小人。フルダの幼い頃の顔と一緒だ」
アイヴィンが少しだけ関心しながら手を伸ばすと、小人は息を飲んだ。
「いやっ、飛んで……!」
小人の叫びに応え、ぱっと妖精が飛び出す。小人の街で火を放ったあのアイヴィンにそっくりな小人だった。
「フルダに手を出すやつは、俺の炎で真っ黒こげだぞ! ああ、いいな、ここでは角笛も吹けないだろう?」
角笛に手を添えている三人を見て、妖精はにやにやと笑った。はっとして、アイヴィンは舌打ちをする。
小人や妖精の嫌いな音ではあるが、ティルでは他の夜警を呼んでしまう音だった。この場面を見られては、説明に困る。アイヴィンたちは角笛から手を離した。
「いいか、動いたら、俺は火を出すぞ。まじないを除けろ。はやく」
「お前、小さいわりに、賢いんだな……」
火花を散らしながら飛ぶ妖精に、アイヴィンは鼻で笑った。
「よし、除けてやろう。ただ、その火花か火の粉か分からないが、それは散らさないでほしい。森が燃えてしまったら、お前たちも帰れなくなるぞ。クラウスが歌わない限り。夜の国への道はクラウスしか開けないからな、今のところ」
アイヴィンに言われ、妖精は顔に浮かべた笑みを落とした。ちっという舌打ちをして、小人の頭に乗った。何かあったらすぐ飛び立てるように、アイヴィンをじっと見つめている。
地面に埋めた石を一つ一つ、ゆっくりと取り除く。取り除くたびに、小人を捕らえていた光の柱は消えていった。
そして、小人の足に一番近い石に触れた時に、アイヴィンが叫んだ。
「捕らえろ、クラウス!」
「う、うん……!」
小人のドレスを掴もうとクラウスは勢いよく手を伸ばしたが、その手は空を掴んだ。
「ぼくのフルダに触れるな!」
りんとした声が、森から響く。
よろけた身を杖で支え、クラウスははっとして顔を上げた。
森から出てきて、小人を掴み、霧の中へと引きずった何者かがいる。その何者かの動きは早かった。影は勢いよく霧の中から出てきて、フルダへと向かった。
「……っ!」
フルダの首に、光るものが当てられる。フルダの声にならない叫びが響いた。
「それ以上森に近寄るな、こいつの息の根を止めてやる!」
ぎらりと光るそれは、ナイフだった。
それを持つ影が、カンテラの光に照らされ、クラウスは息を飲んだ。
「ぼ、ぼく……!?」
りんとした声とは違い、陰りのある目をした、もう一人のクラウスがフルダの首にナイフを当てていた。背丈も同じで、小人でも妖精でもないクラウスだった。驚いて身動きができないクラウスにかわり、アイヴィンが仕込み剣を出す。
森の中から妖精もやってきて、火の粉をぱちぱちと言わせながらフルダの前を飛んだ。
「燃やしてやる!」
「アイヴィン、落ち着いて。フルダは帰った」
飛び立とうとする妖精を宥めてはいるが、その目は怒りで満ちていた。声は穏やかではあったが、ナイフを持つ手は震えている。
「……んっ」
ぶるぶると震えるナイフの刃が、つっとフルダの首を切ってしまった。
ぱっとナイフを放したもう一人のクラウスは、そのまま黙って妖精と共に森の中へと逃げて行ってしまった。
「フルダ!」
緊張から抜け、痛みで気を失ってしまったフルダをアイヴィンが抱きとめる。
「フルダ、しっかりしろ! おい、クラウス! クラウスったら! 呆けるな! ホームに帰るぞ」
アイヴィンの声にはっとし、クラウスはフルダの首筋から流れる血を見て、杖を落としてしまった。ろうそくの火が消えてしまい、まじない石も光を失う。
「ぼく、ぼく……」
「いいから帰るぞ。手当が先だ」
ポケットの中からハンカチを出し、それでフルダの首を押さえる。フルダを抱きかかえ、アイヴィンは自分の杖をクラウスに渡した。
「持て。反省は後だ」
「うん……」
歩きながら、アイヴィンは隣を歩くクラウスの目から、涙が落ちるのを見た。
(あの時の俺みたいだな。ローレン団長の隣を泣きながら、歩いてた)
フルダがローレンに助けられ、ホームに向かう道中、泣きながら付き添っていた自分を思い出し、アイヴィンは何も言えなかった。
傷を負ったフルダの手当は、ゲルダがした。薬草を傷口に塗り、包帯を巻く。深い傷ではなかったことに、ひとまず安堵した。それから、アイヴィンはすぐにホームから出ていってしまった。アイヴィンはアイヴィンで、一人になりたかったのだった。
目を覚ますと、泣きじゃくる声が聞こえた。
自分の手をずっと握っていたのは、クラウスだった。
「ごめんね、ごめんね、フルダ」
大粒の涙を流し、何度も謝るクラウスに、フルダは黙って首を横に振った。
「血を見て驚いたの?」
「違う、怖いって思ったんだ、怖いって思ってしまったせいで、ぼく、フルダを助けられなかった! ぼくが、あの時、適当にまじない歌を歌ってしまったせいだ、ぼくがあの時歌ってなければ、小人は来なかったし、フルダは傷つかずにすんだのに!」
フルダは自分の首筋を触り、さほど傷が深くないことを確認して、起き上がった。
「こんなの大したことないわよ。もう、ちょっとナイフが当たっただけじゃない。そんなに泣くことじゃないわ」
笑ってみせたが、それだけではクラウスは納得しなかった。
「ぼくが小人を捕まえようとしたから」
「それはみんなで決めたことじゃない。捕まえるって……、クラウス、お願い、泣かないで。まじないのことも、詳しく聞いてないから分からないけど、絶対あなたのせいじゃないわ。泣かないで、あなた、泣かないでって私に言ったじゃない。だから、そのまま私も言うわ、泣かないでって。お願い、泣いてるクラウスを見るのは、つらいわ」
フルダはクラウスの涙を自分の手で拭ってあげた。その手をクラウスは握り、自分の手で自分の涙を拭った。
「うん……、ありがとう」
「朝ごはん、まだでしょ。食べましょ。一緒に作ってくれる? それから、考えましょ。ね。お腹いっぱいになったら、落ち着くわ」
部屋から出ると、部屋の前で待っていたマーオがクラウスの足を舐めた。慰めてくれているのだろうか。
「ごめんねマーオ。ありがとう、あの時走ってくれて」
撫でてやると、マーオはクラウスの手を舐めた。
ローレンがフルダの代わりに作っていた野菜のスープを温めて、それを胃に入れると、少しだけ落ち着いた。いつものようにフライパンで目玉焼きを焼くフルダの首を見てちくりと胸が痛んだが、もうクラウスは涙は出さなかった。
(考えること、いっぱいある……)
自分のまじない歌のこともそうだが、あの夜の自分も気になる。あれは、小人でも妖精でもなく、”人間”だった――。
考えるために、食べなければ。クラウスは、フルダとゆっくり遅めの朝食をとったのだった。
いてもたってもいられず、夜の国に行こうとクラウスは提案したものの、アイヴィンとフルダによってその考えは却下されてしまった。相手がこちらを見ているのならば、夜の国へ行かなければ向こうから自分から様子を見に来るだろうと二人は考えていたからだ。こちらから夜の国に行ってしまっては意味がない。昼の国にくるきっかけをこちらから奪ってはまじないをしかけても無駄に終わってしまう。そう説得させられ、クラウスはしぶしぶ納得した。
「なんだか、うずうずするね、マーオ」
夜の街をぶらぶらと歩きながら、クラウスはカンテラを揺らした。いつもの光と変わらない。ろうそくのあたたかな光が道を照らしている。
とてとてとおしりを振りながら歩くマーオがふとクラウスを見上げた。
何か、口ずさんでいる。リズムがあり、音程がある。曲のようだ。
「会いたいと思えば思うほど、時が経つのがはやく感じる。道は繋がってるのに――」
カンテラを揺らしながら、何気なしにクラウスが口ずさんでいるのを、マーオはだまって聞きながら歩いていた。深くは考えていないようだ。思っていることをそのまま口ずさんだようだった。
会いたい、その言葉を最後に呟いた時だった。
からん、とカンテラの中に入っていた石が転がって窓にぶつかった。
「え、うわ……!」
かっと光ったかと思うと、石はからからと振動しているように揺れている。
これが、フルダから聞いた”共鳴”なのだろうか。ガラス製のカンテラの窓を割ってしまいそうなほどぶるぶると震えている。その現象に驚きつつも、クラウスは自分の先を歩くマーオを自分の元に呼び寄せた。
「い、行こう、マーオ! フルダたちを呼ばなきゃ。マーオ、ホームに行って、フルダたち呼んで。頼んだよ。ぼくは森に行っておくから」
マーオの背中を撫でてやると、ぱっとマーオが駆けだした。ここからホームはさほど遠くない。すぐに来るはずだ。マーオがホームへ向かったのを見届け、クラウスは森へと走った。
(……、なんであんな歌、歌ってたんだろ、ぼく)
”まじない歌”とは思っていなかったのに。ただ、思っていることを口にしていただけなのに。クラウスは走りながらフルダの話を思い出す。
(フルダはああ言ってたけど……神様から与えられたものって言ってたけど……、何も知らないうちに、まじない歌を歌ってたら、どうしよう)
無意識のうちにまじないを使ってたらどうしよう。それが、もし、意図しないことを起こしたらどうしよう。今回だってそうだったし、夜の国への道を拓いてしまったのも自分のまじない歌だ。いつか、それが間違いを犯してしまいそうで、クラウスは自分を恐れてしまった。自分の声はゲルダが言うには地下まで響いていたのだ。響きやすいまじないを無意識で歌うことが、怖かった。
しかし、今はそれどころではない。杖をぎゅっと握りしめて、森へと急いだ。
東門の周辺には霧が立ち込めていた。この霧は、あの、夜と昼を繋ぐ道にあふれている霧だ。それが昼に流れ込んでしまっているのだろう。あの門番が、その中でぐったりと倒れていた。
「門番さん!」
クラウスが門番に駆け寄って肩をゆする。すると、門番は「ううん」と唸っただけで、目を覚ますことはなかった。周辺に小人や妖精はいないようだ。外傷もなく、ただただ眠っているようだ。
(霧のせい?)
周辺にあるのは霧だけ。これでようやくクラウスは分かった。
門番が眠ってしまっていたのも、門番の記憶がなかったのも、すべてこの霧によるものだ。あの時門番が眠っていたのは、夜の国が道を抜けた時に溢れた霧で眠っていたのだ。
(ぼくもあの時、霧の中で眠くなったんだ)
招かれざる者は霧に追い出される。そういうことなのか。門番を静かに横たえ、クラウスは門へと近づいた。
「あっ、昼のクラウス! ちょっと! これ! 何をしたのよ!」
クラウスの姿を見つけた小人が、ジタバタと暴れていた。
地面に埋めていた石が月の光を反射して、数多の光の柱を生み出している。その柱は小人に向かって一直線に走り、捕らえていた。その中で夜のフルダが足をバタバタと動かしていた。
「今日は君しか、来てないの?」
「アイヴィンも一緒よ! 放しなさいよ、放さなかったらこの街ごと全部燃やしちゃうわ! なんなのよ! 来るつもりじゃなかったのに、なんでここにいるのよ、私ったら! あなた、何か歌ったでしょ! 卑怯者! もう! もう!」
そのフルダの言葉に、クラウスはどきりとする。
(やっぱり、ぼく、歌ってたんだ、まじない……!)
なぜそんなまじないが使えてしまったのか。なぜ思ったことを口にしただけなのに、それがまじないになってしまったのか。混乱してしまい、クラウスは小人を前にして何もできなかった。
フルダの髪の中から、炎がちらりと見えた。飛び立つ機会をうかがっているようだ。
やはり、この小人は自分のまじないに呼ばれてここに来てしまったのだろうか。
もがき続けるフルダに何をすればよいのか分からず立ちすくんでいると、フルダとアイヴィンが合流した。
「ああ、捕まったのね、クラウス」
肩を上下させながらフルダが小人の顔を正面から見た。
「本当にフルダそっくりだね、この小人。フルダの幼い頃の顔と一緒だ」
アイヴィンが少しだけ関心しながら手を伸ばすと、小人は息を飲んだ。
「いやっ、飛んで……!」
小人の叫びに応え、ぱっと妖精が飛び出す。小人の街で火を放ったあのアイヴィンにそっくりな小人だった。
「フルダに手を出すやつは、俺の炎で真っ黒こげだぞ! ああ、いいな、ここでは角笛も吹けないだろう?」
角笛に手を添えている三人を見て、妖精はにやにやと笑った。はっとして、アイヴィンは舌打ちをする。
小人や妖精の嫌いな音ではあるが、ティルでは他の夜警を呼んでしまう音だった。この場面を見られては、説明に困る。アイヴィンたちは角笛から手を離した。
「いいか、動いたら、俺は火を出すぞ。まじないを除けろ。はやく」
「お前、小さいわりに、賢いんだな……」
火花を散らしながら飛ぶ妖精に、アイヴィンは鼻で笑った。
「よし、除けてやろう。ただ、その火花か火の粉か分からないが、それは散らさないでほしい。森が燃えてしまったら、お前たちも帰れなくなるぞ。クラウスが歌わない限り。夜の国への道はクラウスしか開けないからな、今のところ」
アイヴィンに言われ、妖精は顔に浮かべた笑みを落とした。ちっという舌打ちをして、小人の頭に乗った。何かあったらすぐ飛び立てるように、アイヴィンをじっと見つめている。
地面に埋めた石を一つ一つ、ゆっくりと取り除く。取り除くたびに、小人を捕らえていた光の柱は消えていった。
そして、小人の足に一番近い石に触れた時に、アイヴィンが叫んだ。
「捕らえろ、クラウス!」
「う、うん……!」
小人のドレスを掴もうとクラウスは勢いよく手を伸ばしたが、その手は空を掴んだ。
「ぼくのフルダに触れるな!」
りんとした声が、森から響く。
よろけた身を杖で支え、クラウスははっとして顔を上げた。
森から出てきて、小人を掴み、霧の中へと引きずった何者かがいる。その何者かの動きは早かった。影は勢いよく霧の中から出てきて、フルダへと向かった。
「……っ!」
フルダの首に、光るものが当てられる。フルダの声にならない叫びが響いた。
「それ以上森に近寄るな、こいつの息の根を止めてやる!」
ぎらりと光るそれは、ナイフだった。
それを持つ影が、カンテラの光に照らされ、クラウスは息を飲んだ。
「ぼ、ぼく……!?」
りんとした声とは違い、陰りのある目をした、もう一人のクラウスがフルダの首にナイフを当てていた。背丈も同じで、小人でも妖精でもないクラウスだった。驚いて身動きができないクラウスにかわり、アイヴィンが仕込み剣を出す。
森の中から妖精もやってきて、火の粉をぱちぱちと言わせながらフルダの前を飛んだ。
「燃やしてやる!」
「アイヴィン、落ち着いて。フルダは帰った」
飛び立とうとする妖精を宥めてはいるが、その目は怒りで満ちていた。声は穏やかではあったが、ナイフを持つ手は震えている。
「……んっ」
ぶるぶると震えるナイフの刃が、つっとフルダの首を切ってしまった。
ぱっとナイフを放したもう一人のクラウスは、そのまま黙って妖精と共に森の中へと逃げて行ってしまった。
「フルダ!」
緊張から抜け、痛みで気を失ってしまったフルダをアイヴィンが抱きとめる。
「フルダ、しっかりしろ! おい、クラウス! クラウスったら! 呆けるな! ホームに帰るぞ」
アイヴィンの声にはっとし、クラウスはフルダの首筋から流れる血を見て、杖を落としてしまった。ろうそくの火が消えてしまい、まじない石も光を失う。
「ぼく、ぼく……」
「いいから帰るぞ。手当が先だ」
ポケットの中からハンカチを出し、それでフルダの首を押さえる。フルダを抱きかかえ、アイヴィンは自分の杖をクラウスに渡した。
「持て。反省は後だ」
「うん……」
歩きながら、アイヴィンは隣を歩くクラウスの目から、涙が落ちるのを見た。
(あの時の俺みたいだな。ローレン団長の隣を泣きながら、歩いてた)
フルダがローレンに助けられ、ホームに向かう道中、泣きながら付き添っていた自分を思い出し、アイヴィンは何も言えなかった。
傷を負ったフルダの手当は、ゲルダがした。薬草を傷口に塗り、包帯を巻く。深い傷ではなかったことに、ひとまず安堵した。それから、アイヴィンはすぐにホームから出ていってしまった。アイヴィンはアイヴィンで、一人になりたかったのだった。
目を覚ますと、泣きじゃくる声が聞こえた。
自分の手をずっと握っていたのは、クラウスだった。
「ごめんね、ごめんね、フルダ」
大粒の涙を流し、何度も謝るクラウスに、フルダは黙って首を横に振った。
「血を見て驚いたの?」
「違う、怖いって思ったんだ、怖いって思ってしまったせいで、ぼく、フルダを助けられなかった! ぼくが、あの時、適当にまじない歌を歌ってしまったせいだ、ぼくがあの時歌ってなければ、小人は来なかったし、フルダは傷つかずにすんだのに!」
フルダは自分の首筋を触り、さほど傷が深くないことを確認して、起き上がった。
「こんなの大したことないわよ。もう、ちょっとナイフが当たっただけじゃない。そんなに泣くことじゃないわ」
笑ってみせたが、それだけではクラウスは納得しなかった。
「ぼくが小人を捕まえようとしたから」
「それはみんなで決めたことじゃない。捕まえるって……、クラウス、お願い、泣かないで。まじないのことも、詳しく聞いてないから分からないけど、絶対あなたのせいじゃないわ。泣かないで、あなた、泣かないでって私に言ったじゃない。だから、そのまま私も言うわ、泣かないでって。お願い、泣いてるクラウスを見るのは、つらいわ」
フルダはクラウスの涙を自分の手で拭ってあげた。その手をクラウスは握り、自分の手で自分の涙を拭った。
「うん……、ありがとう」
「朝ごはん、まだでしょ。食べましょ。一緒に作ってくれる? それから、考えましょ。ね。お腹いっぱいになったら、落ち着くわ」
部屋から出ると、部屋の前で待っていたマーオがクラウスの足を舐めた。慰めてくれているのだろうか。
「ごめんねマーオ。ありがとう、あの時走ってくれて」
撫でてやると、マーオはクラウスの手を舐めた。
ローレンがフルダの代わりに作っていた野菜のスープを温めて、それを胃に入れると、少しだけ落ち着いた。いつものようにフライパンで目玉焼きを焼くフルダの首を見てちくりと胸が痛んだが、もうクラウスは涙は出さなかった。
(考えること、いっぱいある……)
自分のまじない歌のこともそうだが、あの夜の自分も気になる。あれは、小人でも妖精でもなく、”人間”だった――。
考えるために、食べなければ。クラウスは、フルダとゆっくり遅めの朝食をとったのだった。