4章

 崩れ落ちてくる屋根の音を、クラウスは闇の中で聞いた。
「……、あ」
 顔をかばっていた腕をおろし、恐る恐る視線を上げた。
「わ、あ」
 自分を覆っているのは、水だった。膜となり、クラウスを包んでいた。誰がしたのだろう。周辺を見回すと、カンテラの周りに複数の妖精を飛ばせているリュートがいた。泡粒がリュートの足もとからぷくぷくと浮かび上がっている。その後をフルダが走ってきているのが見えた。
「もう! まったく、どこかに走って行ったと思ったら。角笛を吹かなかったのはいい判断だったけれど、手遅れじゃない! 早く呼びなさいよね」
 からんからん、とベルを鳴らすと、カンテラの周りに漂っていた妖精たちが飛び立ち、火へと向かっていった。
 泡粒はシャワーとなり、妖精の炎を鎮めていく。あっという間に火の勢いはなくなり、燃えおちた柱から滴る水の音だけが響く。
(さすが、リュート様)
(使える妖精の数が違うんだよ、夜警というのは)
(すべての妖精を従える小人しか務まらないからね、リュート様はすごいなあ)
 周辺から小人たちのささやきが聞こえてくる。どうやら、リュートを讃えているようだ。
「ありがとう、あなたたち。ごめんなさいね、眠ってるはずだったのに」
 カンテラの元に戻ってきた水の妖精たちがリュートの頬を”いいのよ”と言うように撫でた。彼らたちに一言「おやすみなさい」とリュートが言うと、妖精たちは散り散りに去っていったのだった。
 そして、カンテラを揺らして、リュートは頬を膨らませてクラウスをぴっと指さした。
「何があったか教えなさいよね。全部よ、全部」


 場所を移して中央広場の噴水前にやってくると、リュートはどっと疲れたようにベンチに腰掛けた。
「とりあえず、助けてくれてありがとう、リュート」
 クラウスがへこりと頭を下げると、リュートは星がきらめくヘッドドレスを取りながら「いいえ」と気にしていないように応えた。
「助けるのが私の役目だもの。で? なんであそこまで大きな火事になってたの? 見たんでしょ? あなたたち」
 クラウスとアイヴィンは頷き、自分たちが追いかけたものと、火をつけたものの話をする。
「俺そっくりの妖精だ。名前も同じだった。俺と名前が同じなら、あの小人も恐らくフルダというのだろうな。夜のフルダが、妖精を使って火をつけた。俺たちから逃れるためだと思うが」
 面白がって火を放ったところが不愉快で、アイヴィンは顔をしかめた。けらけらと笑う声が自分が幼かった頃のものと同じだったのも、さらに腹立たせた。
 話を聞いたフルダは納得するように頷いた。
「すぐに火の出た場所を探したけれど、屋根が一番深く燃えていたわ」
「火の粉を空から蒔いたんだ。あっという間だったよ」
 話を聞いたリュートは少しだけ意外そうにフルダを見上げた。
「あら、フルダは、すぐに分かるの? さすがね。じゃあ、きっと、小人のフルダもあなたくらい賢いはずだわ。そうなのね、火の妖精を使ってるのね……。普通、火の妖精はかまどや暖炉にいて、連れまわすものじゃないと思うのに……。小人っていうのは、妖精を使うというけれど、人によって使える数が違うの。私は夜警だからその辺にいる妖精も使えるけれど、夜のフルダはどのくらい使えるのかしら。火の妖精は確実のようだけれど」
 この街で夜警を務めるならば、たくさんの妖精が使えないといけない。それは、さきほどの小人たちのささやきから分かることができた。
 もし、あの夜のフルダもリュートと同じようにたくさんの妖精を使えるとしたら。火だけでも厄介なのに、たくさんの妖精を使われるとなると、歯が立ちそうになかった。
 うっすらと空が明るくなりはじめたので、話はここまでにして三人は昼へと帰ることにした。
「ねえ、アイヴィン、アイヴィンも子どもの頃はあんな感じだったの?」
 クラウスのカンテラを頼りに霧の中を歩いている最中、どうしても気になってクラウスはアイヴィンに小声で聞いてしまった。
「はあ? そんなわけないだろ。性格まで同じとか、勘弁してくれ。顔だけでも妙な気持ちになるっていうのに」
 たまったもんじゃない、というようにアイヴィンは苦笑する。
 そっくりに会っていないのは、残るはクラウスだけになった。自分にもそっくりさんはいるのかな、と少しだけ気になったが、アイヴィンの話を聞いて、会うまででもないかと思った。
「しかし、確実に奴はいる。そして、奴は俺たちの動きを探っているというのは分かったぞ。俺たちが夜の国に行っているのも知られたわけだ」
 森を抜け、東門まで帰ってきた。アイヴィンは、森を見た。朝の光を遮り、相変わらず森の中は闇が広がっていた。
「なあ、思ったんだが、出口がここから変わることがなければ、向こうからこっちに来た時を狙うことはできないか?」
 アイヴィンの提案に、フルダははっとする。
「そうよ、それよ! ああ、なんで最初からそれを思いつかなかったの! ちょうどゲルダさんもいるし、まじないで何かできないか聞いてみればいいのよ。すぐに行きましょう」
 カンテラの火を消して勢いよく足を踏み出したが、フルダは一緒についてこないクラウスに気付いて振り返った。
「クラウス?」
 足取りが重そうだった。それに、ひどく疲れた顔をしている。
「クラウス、大丈夫?」
 フルダに何度か呼ばれて、はっとしてクラウスは顔を上げた。
「あ、うん……、ごめん、今日もたくさんのことがあったから、疲れちゃった……、ねむたい……」
 マーオが心配そうにクラウスを見上げている。
 連日、いろんなことがあって、疲れが取れていないのだろうか。瞼が重そうだ。
「歩ける?」
「うん。ごめん、心配かけて」
 ホームまではなんとか歩いて帰ったが、クラウスは朝食を取らずしてすぐにベッドに入り込んでしまった。
 本人はただ疲れたから、と言っているが、なんだかそれだけじゃなさそうで、フルダはゲルダに相談をしに行った。ゲルダの部屋に入ると、ふんわりとハーブの香りが漂っていた。これもまじないなのだろうか。紅茶を飲みながら読書をしていたゲルダだったが、フルダが部屋を訪ねると、本をすぐに閉じてくれた。
「クラウスくんが? さて、ちょっと見てこようか」
 クラウスの部屋のドアをノックしても、返事はなかった。ドアを開けると、マーオが迎えてくれた。ベッドの中で寝息を立てているクラウスは、苦しそうにしているわけでもなく、ただぐっすりと眠っているように見える。クラウスの額をそっと触り、ゲルダはフルダに言った。
「心配はしないでいいよ。おそらく、前も言ったけど、夜の国の空気が彼の体に合ってないだけだろう。初めての環境というのは、体に負担をかけるものさ。何度か行けば、そのうち慣れるだろう」
「そう……よかった……。クラウス、そういえば、ティルを歩いてても、疲れたって言ってたわ。歩いてるだけなのに、何に疲れたのかしらって思ったけれど」
「きっと、いろんなものを取り込もうとして、疲れるんだろう。ゆっくり休ませてあげな。それはそうと、さっき、アイヴィンから聞いたよ? 小人を捕らえるためのまじないだって?」
 静かにクラウスの部屋から出て、ゲルダは自分の部屋に何かを取りに行った。
 出てきた時には、ゲルダの手には複数の石があった。クラウスのカンテラに入っているまじない石とは少し違うもののようだ。
「捕まえるといえば、網、ロープ、いろいろあるが……、これが一番夜の国には効果的だろう。どこに仕掛ければいいんだい?」
「森の入り口よ。あそこが、道の入り口になっているの。向こうからやってくるにも同じ道を使っているなら、道の出口に仕掛ければ捕らえられるはずだわ」
「ああ、なるほどね。よく考えたもんだ。行ってみよう」
 東門には誰も近づかないため、門番くらいしか人がいない。その門番に怪しまれないように、フルダは夜警の制服を着たまま森の入り口へと行った。隣のゲルダはいかにもまじない師という恰好をしているが、夜警と一緒にいれば怪しまれないだろう。
「これはヒスイ。森の色と同化するので、見つかりにくくなるはずだよ。草の茂みに隠しておけばいいだろう。動物に触られると困るから、地面に少しだけ埋めておこう。この古代文字は”捕らえる”と”入らせない”の意味だ。きっと夜の国の住民がここを通れば、石に捕らえられて動けなくなるはずだよ。引っかかった時は、クラウスくんのカンテラが知らせてくれるはずだ。石は共鳴するからね」
「ありがとう、ゲルダさん。ごめんなさい、こんな遠くまで来てもらって」
 フルダがお礼を述べると、ゲルダは首を横に振った。
「いいんだよ、私はおいしいごはんを食べさせてもらってるからね。フルダは先に帰って、クラウスくんについておやり。私はまじないの道具を見に、市場へ行くから」
 じゃ、とゲルダは軽快に歩いて行く。揺れる亜麻色の髪はつやつやで、ご機嫌のように見えた。まじないを存分に使えるのが嬉しいようだ。
 ゲルダに言われた通り、フルダはクラウスの部屋に入って、ベッドの隣まで椅子を持ってきて腰かけた。フルダの膝にマーオが飛び乗ってくる。ご主人様がいつもの様子でないことは、マーオも察しているのだろう。
「心配ね」
 マーオの背中を撫でてやると、マーオはのんびり「マーオ」と鳴いた。
 クラウスが目覚めるのを待っていようと思っていたが、帰ってきて一睡もしていなかったので、フルダもしばらくして椅子に腰かけたまま眠ってしまった。
「……、わ、いっぱい寝ちゃった……?」
 ぱちりと目をさましたクラウスは、ばっと飛び起きた。太陽の位置をベッド脇の窓から確認すると、さほど時間は経っていないようだったが、それでもいつも以上に寝た感覚があった。ふわ、とあくびをしてベッドからおりようとして、クラウスはようやく誰かがいることに気付いた。
「え、フルダ?」
 椅子に座ったまま、マーオを抱いて眠っているフルダに、クラウスはびっくりしてしまった。
(ぼく、心配させちゃったかな……)
 ホームに戻ってくる時も、フルダが真っ先に「大丈夫?」と聞いてきたのを思い出す。
 ただただ眠たかっただけなのだが、そこまで心配させてしまったのだろうか。
(ぼくの心配なんて、しなくていいのに、なんで)
 一度、なぜ、と思うと、胸の中でなぜ、がいっぱいになってしまい、クラウスは困ってしまった。
「マーオ、分かる?」
 フルダの膝の上でうつらうつらとしていたマーオは、クラウスの問いに首をかしげた。
 そして、目線を上げると、ぱちりとフルダの目が開いた。
「あ、クラウス。起きた?」
 よかった、と安堵して微笑むフルダに、クラウスはどきまぎしながら頷いた。
「う、うん。あの、ごめんね、心配させちゃって。ぼく、フルダに心配ばっかさせてる……、心配させてって言ったの、ぼくのほうなのに」
「いいのよ。だって、クラウス、すごい疲れてるみたいだもの。私のためにとても疲れてるみたいだったから……でもよかった。ぐっすり眠れたみたいで安心したわ。私だって、あなたの心配くらい、していいでしょう?」
 何も食べてなくておなかすいたでしょ、とフルダはクラウスの部屋から出て、キッチンへと向かっていった。
(ん……なんだろ、これ)
 おなかはすいているけれど、胸がいっぱいな気がした。その正体がよく分からずもやもやとしていたが、しばらくして部屋に甘くて香ばしい香りが流れてきて、すっかりその胸のもやもやを忘れてしまった。
 フルダのホットケーキはおいしいね、というと、フルダは嬉しそうに笑った。
 今までフルダの泣き顔ばかり見てきたせいか、その笑顔を見れることが嬉しくて、クラウスはやはり、捕まえなければと思った。
 フルダの幸せを奪う小人を、ティルを燃やすあの小人を、必ず。アイヴィンの手からすり抜けていったあのドレスを。
(疲れてる場合じゃないんだ、ぼく)
 新しいまじないをしかけたという話を聞いたクラウスは、カンテラの中に入っている石が輝くのが待ち遠しく感じた。

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