3章

「夜の国はいろんな住民がいて――そうね、まるでティルハーヴェンのようなところだわ。妖精や小人がいて、それは賑やかな国だというの。それぞれに地区があるみたいで、住む場所を分けてるとも言われてるわ。……なんでそう伝わってるのかは分からないけど、とにかく、そう言われてるの」
 図書館からホームへと戻り、休憩にと出された紅茶を片手にクラウスはフルダから夜の国についてもう少し話を聞いていた。
「”夜と昼が出会う”って言われてるほどなんだから、誰かが夜の国に踏み込んでしまって、そう伝わってるんじゃないか?」
 リビングの机の上に無造作に置かれていた新聞をばさりと広げながらアイヴィンはそう言った。
 昨晩の火災のことが堂々と紙面に載っている。
「私は夜の国のお話は好きだけれど、本当にあるかどうかで言えば、信じてないわ」
 二人のやり取りの隣で、クラウスはドキドキとしていた。
 どうも自分が昨日見たと思っているものとフルダの話が合ってしまう。フルダが言うように、それが夢で幻である可能性もあるが、それにしては何もかもがぴったりだった。
「さて、フルダ。お茶美味しかったよ。俺はそろそろ帰るとするよ」
「はいはい、気を付けて」
 三人分のカップを重ねてキッチンへと入って行くフルダを見送り、アイヴィンはシャツの襟を正した。。
「クラウス、さっきから黙っているけど、何か思い当たることでも?」
「いや、うーん……。フルダに言うとたぶん信じてもらえないと思って言わなかったけど……、ぼくさ、昨日、その、夢かと思ってたけど……、夢かもだけど、夜の国を見たんだ。フルダの言う通り、ティルに似てて……、ぼくが行ったのは小人の街だったんだ。そこで小さい女の子に会って、それからマーオを見つけて、気付いたら、フルダに叩き起こされて……」
 クラウスが記憶をたどりながらぽつりぽつりとつぶやくのを、アイヴィンは自分のベストを羽織りながら聞いていた。その目は昨日の夜に向いているのだろうか。焦点が定まってなかった。その顔は、前にも見たことがあった。クラウスがかの、よく分からない歌を歌った時も、同じような顔をしていた。
「あ、ごめん。アイヴィン、帰るんだったよね。ただの夢だと思う。気にしないで」
 おかしな夢を話して恥ずかしくなってしまったのか、クラウスは少し赤面しながら手を振った。
「クラウス、明日の夜は暇かい?」
「え? あ、うん。たぶん。街には出ると思うけど」
「ひとり、夜の国に詳しそうな人を知っているんだ。会ってみるかい?」
 その提案に、すぐには「行きたい」とは言えず、クラウスは首をかしげた。
「なんで……、夢かもしれないのに」
「フルダも気付いているかもしれないが、ここのところの話で行きつくのは”夜の国”だろ。だったら、それについてもっと詳しい話を聞いてもいいと思ったからだよ。それに、君、不思議な歌を知ってたしね。それについても聞いてみたらどうかなと思って」
 あ、とクラウスは声を漏らした。
 あの、誰に歌ってもらったか分からない”夜の国”の歌。フルダでさえ知らない――おそらく、自分の故郷にあってティルにはなかった歌。気になるといえば、気になっていた。
「分かった。ありがとう、アイヴィン」
「じゃ、決まりだな。もしフルダが行きたいというなら、連れてきておいで。市庁舎前に来てほしい。いいな、市庁舎だ。もちろん、制服で来てほしい」
 つば付きの帽子を深くかぶり、アイヴィンはそのままホームから出て行った。
「なに? アイヴィンと何かお話してたの?」
 ハンカチで手を拭きながらリビングに戻ってきたフルダが眉をひそめながらクラウスに聞いてきた。
「あ、フルダ。なんかね、アイヴィンが”夜の国”に詳しい人がいるって。明日の夜に会いに行くって」
「あなたも?」
「うん」
「じゃ、私も行く」
 話が決まるのは、早かった。
 
 
 日が落ちて、クラウスたちはすぐに市庁舎前へと向かった。相変わらず教会前の広場はたくさんの街灯で明るく照らされ、噴水の水がきらきらと輝いていた。
 アイヴィンは既に来ていたようで、夜警の姿で立っていた。
「アイヴィン」
 クラウスが声をかけると、アイヴィンはにこりとした。
「おや、フルダも来たのかい」
「だって、二人が行くって言うから……、気になったのよ」
「そうか、では行こう」
 アイヴィンについていく形でクラウスたちは市庁舎に入った。既に業務時間は終わっているようで、中は薄暗かった。警吏もこの時間は業務は縮小されるようだ。日中はたくさんの警吏の姿がある市庁舎だったが、今は数が少ない。だから夜警があるのかとクラウスは納得してしまった。
「おや」
 アイヴィンが呟く。
「オーウェン警吏ではないですか」
 警吏がある扉の前に、まるで門番のように立ちふさがっていた。確か、ローレンにこの扉の先には牢があると教えられていたはずだ。
「今日は門番ですか?」
 茶化すようにアイヴィンが言うので、オーウェンは舌打ちをした。
「貴様らが来ると聞いたから待っていたのだ。何用だ」
「警吏、この先は刑吏の管轄だと思うのですが」
「それはこちらのセリフだ。民間が何用で来た。ここは公的な場だぞ」
 アイヴィンはため息をついて、外套の中から一枚の紙を出した。何やら黒インクでびっしりと文字が書き込まれている。印のようなものも見えた。
「警吏長からお許しをいただいております。オーウェン警吏、あなたが、夜警に調査を許したはずですよ。連続放火の調査です」
 その書面を見たオーウェンは、再び舌打ちをした。
「分かった、入れ」
「ありがとうございます」
 扉の裏にいた門番がろうそくを差し出してきたが、カンテラがあるといって断った。
 地下におりる階段は、長かった。
「まったく、オーウェン警吏は何がしたいんだか。誰があいつを夜警の監督にしたんだ。ろくに調査もしないくせに、夜警が踏み込むのは嫌うんだから」
「警吏だからよ。自分の身分のことしか考えてないの。何事もないように隠すのが、警吏なのだから」
 フルダが言うと、アイヴィンはオーウェンに似た舌打ちをした。
(夜警と警吏って、仲悪いんだ……)
 ローレンもあまり得意としていない相手のようだったが、フルダもアイヴィンもどうやらよくは思っていないようだった。あまり協力的ではないのは、先ほどの話からでも分かった。
(でも、オーウェン警吏と言い合えるって、すごいな、アイヴィン……)
 あんなに偉そうな相手にも要求を飲み込ませるアイヴィンの姿は、とても頼もしく、かっこよく見えた。しかし、警吏長直々に書類をもらったのはアイヴィンなのだろうか。もしそうだとしたら、どうやって手に入れたのだろう。
(アイヴィンって、昼の間、何やってるんだろう)
 普通は昼の職と掛け持ちをしている者が多いというのはフルダから聞いていたが、改めて考えてみると、クラウスはアイヴィンの昼の仕事を知らなかった。
「ねえ、アイヴィン。さっきの手紙、どこでもらったの?」
「ああ、あれ。そこらへんにあるやつ持ってきただけさ。ただの許可証だよ」
「ふうん」
 試しに聞いてみても、クラウスにはよく分からなかった。
 それからしばらく足音を響かせ階段をおり、ようやく三人は地下に下りた。かなり地下深いところに牢があるようだ。
「さて、この先だったかな」
 薄暗い地下をカンテラで照らしてみると、ただ地下をくりぬいただけのような場所に鉄格子で作ったような牢が広がっているのが分かった。その中をアイヴィンは迷うことなく進んでいく。
「初めて来たけれど、嫌な場所ね」
 フルダは息をひそめながら、牢の中を見る。男もいれば、女もいた。刑を待つ者なのか、それともここで一生を終える者なのかは、見分けがつかなかった。
「中には、罪をおかしていないのに、捕らえられた人もいるんだとか。これから会おうとしている人も、そういう人だよ」
 アイヴィンが足を止めたのは、女が入っている牢の前だった。
「マダム」
 声をかけると、女は顔を上げた。生気はほとんどなかった。げっそりとした顔。カンテラのせいか、影が濃く見える。ウェーブのかかった長い亜麻色の髪には、クモの巣がひっついていた。服はよれよれとなってしまっている。
「まじない師はあなたのことでしょうか」
「いかにも。魔女と噂され、この通りさ。私に何か」
「あなたに用があって、助けに参りました。ここでは落ち着いて話ができませんから。クラウスとフルダと一緒に地上に出てください」
 クラウスとフルダは驚いてアイヴィンを見た。
 外套の中からさっと出したのは、鍵の束だった。鉄の環に通された数多くの鍵の中から、女が入っている牢のものを選んで、手早く鍵を外した。
「クラウス、フルダ、警吏が来る前にこの人を地上へ連れて行ってくれ。こっちだ、この向こう。急げ、時間がかかると警吏が来てしまう」
 束の中からもう一つの鍵を出し、牢の近くにあった扉を開くと、階段が現れた。入口はどうやら一つではなかったようだ。
 なぜアイヴィンが、と思う前に、アイヴィンに急かされ、まじない師の女を支えながらクラウスとフルダは階段を登って行った。
 すぐに扉を閉め、鍵を外套の中にしまいこむ。
 深く息を吐いたところで、アイヴィンはその場をすぐに離れた。来る時に使った階段を登り、地上へと出る。
 一人だけで地上に戻ったアイヴィンをオーウェンはすぐには帰さなかった。
「おい、あの二人は?」
「フルダとクラウスに聞き込みをしてもらってます。聞き込みはフルダのほうが上手なので。ところで、捕らわれた人たちについては、きちんと、名簿なりなんなり作ってるんでしょうか」
「さてな、ティルハーヴェンに籍があれば、登録されてるのではないか? 浮浪者に関してはよく知らない。お前が言うように、刑吏の管轄だからよく分からない」
「そうですか。オーウェン警吏、クラウスとフルダはしばらくすれば地上に帰ってくると思うんですが、その間、これを返そうと思って。でも警吏長もお休みのようだし、場所が分からないので、教えてもらっていいですか? あと、ちょっと新聞読んだんですけど、警吏側の調査結果も知りたくて。まさか、夜警監督であるオーウェン警吏が何も知らないわけないですよねぇ。まだ春の夜は冷えますし、温かいお茶――あ、酒のほうがいいですか? 何か飲みながら話しましょうか。ね、ここには刑吏さんもいるようですし。ちょっとくらいいいでしょう?」
 許可書を取り出し、アイヴィンはオーウェンの背中をぽんぽんと叩きながらその場を離れた。
 もちろん、クラウスとフルダは、市庁舎内の扉から出てくることはなかった。


「ふ、フルダ、ここ、どこ?」
 女を支えながらやっとのこと地上へと出たクラウスは、見慣れない景色に戸惑っていた。
 どうやら出口は隠し扉のようになっていたみたいで、床から顔を出す形になってしまった。
「ねえ、これ、無断でこの人連れてきてよかったの?」
「知らないわよ!! まったく、アイヴィンったら何考えてるの!! あとで警吏に怒られても私は関係ないわよ!?」
 ただ話を聞くだけだと思っていたのに。フルダはぷりぷりしながら女に声をかけた。
「こうなってしまった以上、知ってることは教えてもらいますからね!」
 振り向いた瞬間、女が意識を失い、どさりと倒れてしまった。
「ああもう! クラウス、何がなんでもホームに戻るわよ。重いけど! 頑張って!」
 見つからないようにと、フルダはカンテラの火を消した。勤務中に消すということは、よっぽどのことだ。
「わ、分かった」
 クラウスもフルダと同じようにカンテラの火を消し、女を再び支えて、部屋から出た。
 出てから、フルダは、何かが分かったようで、息を止めた。
「……。クラウス、こっち」
「分かったの?」
 それからフルダは何も言わなかったので、クラウスはそれ以上聞くことはしなかった。どうやらここは大きな屋敷のようだった。フルダの案内に従って、クラウスたちはカンテラの明かりのない道を黙って歩いたのだった。
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