3章

 ホームへ戻ると、フルダはひとまず朝食の準備のためにキッチンへと入っていった。
 やれやれ、と疲弊した夜警たちがホームに続々と帰ってくる。壁に並んでいるフックに外套と帽子をかけ、男たちはずしりと椅子に腰かけた。机の上に置かれていたコップに水を入れ、一息つけている。クラウスも寝室にカンテラや角笛を置いてきた後、皆と一緒に食卓を囲んだ。
「建物に燃え移らなかったのが不幸中の幸いだったな。本だけが燃えていた」
 クラウスの肩をぽんと叩き、アイヴィンが隣に座った。
「みんな疲れてるね」
「火災があればいつもより疲れるもんだ。クラウス、で、森で何か新しい情報は仕入れてきたのか?」
 アイヴィンに尋ねられ、クラウス「ううん」と首をひねった。
 思い返してみると昨日の出来事がすべて夢のように思えてならない。どこまでが現実で、どこからが夢なのか、今になってしまっては区別がつかなかった。確かに言えることは、森に足を踏み入れる前までだろうか。
「門番さんが、眠ってた……、角笛が鳴る前から」
「ほう?」
 アイヴィンは眉間に眉を寄せ、片腕で頬杖をついた。
「眠ってたねえ。門番が勤務中に。クラウスも、それで、一緒になって眠ってたわけだ」
 焼き立てのホットケーキを持ってきたフルダもまた、いぶかしげな顔をしていた。
「私抜きで話を進めないでくれるかしら」
「ああ、ごめんごめん」
 フォークとナイフを回しながらアイヴィンがフルダに謝る。どうやら、昨晩のことはフルダも聞きたいようだった。
 もう一度キッチンに戻るフルダを見送りながら、アイヴィンは肩をすくめた。
「どうやら、彼女もこの一連の放火事件が気になるようだね」
「だって、前はホームが燃えたわけだし……」
「ホームもだけど、図書館、フルダのお気に入りの場所なんだよなあ。ホームの次は、図書館か。フルダの好きな場所ばかりだ」
 サラダの入ったボウルをどん、と置かれ、アイヴィンとクラウスは顔を上げた。
「そうよ、どれもこれも、私の好きな場所ばかり。どういうことよ」
 震える声に、クラウスは、あ、と思った。
 また、眼鏡の奥に、涙が見えた。
 フルダはそのまま自分の部屋に戻って行ってしまった。その勢いに他の男たちも気付いたのか、心中察するようなまなざしでフルダの部屋のドアを見ていた。
「そっとしておこうじゃないか、みんな」
 ローレンがドレッシングの入った器を持ってきて、椅子に座った。
「ひとまず、朝を迎えれたことに感謝して、いただきますだ」
 コップを掲げ、それにみんなで応じる。
 重たい空気が流れている。いつもならあっという間に平らげてしまうクラウスも、フォークとナイフを使って、ちびちびとホットケーキを食べた。
 食事を終えて男たちはそれぞれの家庭に戻っていき、テーブルに残ったのはクラウスとアイヴィン、それからローレンだけになった。
「フルダがまだ幼かった頃、よく図書館へ連れて行ったものだ。俺も、幼い子に対してどんなことをしていいか分からなかったから、とりあえず、絵本を読んでやったな。彼女はとっくに文字は読めるようになってたから、賢い子なんだなって思ったよ」
 一杯のビールを片手に、ローレンは数年前のことを懐かしみながら話した。
「フルダのご両親は、フルダにいろいろとこの街に伝わる伝説を話していたみたいで、フルダはそれにかかわるものばかり好んで読んでいたよ。夜警の物語も好きだったね。”夜の国”から迷い込んだ住民を元の世界に戻してやる物語」
「ああ、それ、俺も好きでした。定番ですよね」
 アイヴィンは頷いた。この前にフルダが教えてくれた”夜の国”の話のことらしい。
「これにあこがれて夜警を志願する者もいるくらい。俺にとってはありがたい話だよ。それから、フルダも夜警になるって言ってさ。事務処理ばかりさせてしまってるけど。かわいそうに……。フルダを狙ったわけではないと思うけれど、あんまりだ」
「団長、もう寝たほうがいいですよ。片付けは後でするから」
 涙ぐむローレンにアイヴィンが優しく声をかける。アイヴィンの心遣いにありがとうと言って、ローレンはそのまま寝室へと向かった。
「俺だって――」
 アイヴィンが俯いて何かをつぶやいていたが、クラウスには聞き取ることができなかった。
「とりあえず、片付けよう。フルダも、落ち着いたら、たぶん、ごはん食べに来ると思うしさ」
「ああ」
 食卓の上に残された食器をキッチンにさげて片付けをし、リビングに戻ると、クラウスの言う通りフルダが一人で座って冷めたホットケーキを食べていた。目が赤く腫れている。
「心配はいらないわ。ちょっとベッドで休んだら落ち着いたから」
 クラウスが声をかける前に、フルダはそう言った。
「調査は、ひとまず睡眠を取ってからにしましょ。眠らないと、頭も回らないし」
 フルダの提案に、アイヴィンもまた頷いた。
「そうだな。クラウス、昨晩のことは忘れるなよ」
「分かってるよ……、整理しとく」
 じゃあ、おやすみ、と言って、アイヴィンはリビングを去った。
 アイヴィンの姿が見えなくなって、フルダは持っていたフォークとナイフを置いて、両手で顔を覆った。
「はやく帰ればいいのに」
 その言葉はアイヴィンに対しての言葉なのだろうか。クラウスは首をかしげた。
「フルダ?」
「もう、みんなに、心配させたくないのに――」
「迷惑じゃないと思うよ」
「迷惑とか、迷惑じゃないとか、そういうのじゃなくて、私は、心配をさせたくないの。あの時と、今は、違うわ。違うって、言いたいの……。もう何があっても、自分でなんとかできるって」
 でも、とクラウスは言いかけて、口をつぐんだ。
 アイヴィンがホームを去ってから、フルダの肩はまた震えていた。
「でも、なんで――、私ばかり」
 フルダの中のやるせなさが、ぽつりと呟きとなった。
(フルダの大事なものばかり――)
 ローレンは「フルダを狙ったわけではないだろうけど」と言っていたが、でも、フルダにしては、そう感じてしまうのだろう。クラウスだって、話を聞いた限りではそう思えてしまう。フルダにとっての幸せが、思い出が、燃えてしまったのだから。
 心配させたくないというのは、もうこういう目に遭いたくないという意味なのだ。クラウスはやっと気付くことができた。
「心当たりも……ないよね」
「ないわ。ないわよ。だから、なぜって思うの。なぜ、私の大切なものばかり。はやく、捕まえなきゃ。そのために、私は夜警になったのだから」
 眼鏡を取ってフルダは手で涙をぬぐった。
「ローレン団長に助けられて、私は、もう一度幸せになるチャンスを神様からもらったんだわって思ったの。自分の生きる場所は自分で守ると決めて、夜警になったの。もう二度と、私と同じ目に遭う人がいないように、守りたいって決めて。だから、泣いてる場合ではないの」
 クラウスは、以前、アイヴィンから聞いた話を思い出した。
 フルダが夜警になった理由。犯罪を許さない理由。自分が生きるために住む場所を守るんだというところは、自分と同じだった。
「ぼくも、ローレン団長に助けてもらって、歓迎されたから、夜警になったんだ。ぼくだって、はやく掴まえたいよ。フルダが悲しむのも――とても、つらいから」
 クラウスが言うと、フルダは少しだけ驚いたような顔をして、それから小さな声で「ありがとう」と言った。
 
 
 ”フルダばかり”という言葉と、あのフルダによく似た女の子は何か関係しているのだろうか。大きな瞳。そのひとみの色もフルダのものだった。輝く金髪。丸くて大きな眼鏡。似てないといえば、あの笑い方くらいだろうか。いたずらをするような笑み。あの女の子が夢の中の登場人物であるかもしれないが、それにしてははっきりと覚えている。
「で、クラウスが会ったのは、その小さな女の子なのね?」
「あ、うん。そう」
 フルダの確認に、クラウスははっとする。
「女の子。小さい女の子。よく見えなかったけど、門番さんに何かしてた気がする……気がするだけど……」
 ひと眠りしたあと、リビングでフルダ、アイヴィンに昨晩にあったことを話していた。その女の子がフルダにとてもよく似ていることを除いて、クラウスは自分が見たと”確信できるもの”だけを伝えていた。
「角笛が鳴る前に、ぼく、一度門へ行ったんだ。そうしたら、その時には門番さん眠っちゃってて。どうしようって思った時に角笛が鳴ったから、そこに走ったんだ」
「とすると、時系列的に整理してみると――その女の子が森からやってきて、まず門番さんを何かしらの手段を使って寝かせるわよね。そして街へ侵入した。図書館に火をつけたあと、クラウスを眠らせて森へ帰った、という流れになるわね」
「しかし、なぜそんな小さな女の子が森から来るんだ? 図書館の本に火をつけるのもおかしいだろう。動機が分からない」
 アイヴィンの発言に、フルダは黙ってしまった。
 そして、フルダは立ち上がる。
「夜までまだ時間はたっぷりあるわ。図書館へ行きましょう。今頃、どの資料が燃えたか司書たちが照合してるはずよ。私たちも知るべきだわ」
 すぐに図書館に向かい、三人は司書に照合結果の写しをもらった。
 燃えた本が分類ごとにリストアップされている。さすが司書たちである。綺麗にまとめられていた。
「どう?」
 タイトルを見てもクラウスはぴんとしなくて、フルダとアイヴィンに尋ねた。
「絵本、物語、学術系ね……、分類はばらばら。分類が違うということは、いろんな棚から本を集めてきて、中央のここで焼いた、というわけだわ」
 焼け焦げた絨毯の前で、フルダはそう判断した。
 まるで鳥がつばさを広げたように、クラウスたちの左右に棚が広がっている。フルダの言う通り、どうやらここは閲覧室の中央らしい。大きな窓からは日が差し込んでいる。本の日焼けを防止するためか、火が差し込む範囲には棚は置かれていなかった。広さはじゅうぶんあった。
「当てはまるといえば、これ、すべて、”夜の国”に関係するものじゃないか?」
 アイヴィンがリストを見ながら言うと、フルダも頷いた。
「そうね。どれも、それに関係するものばかり。適当に選んだんじゃなくて、意図があってしたようね。どうしてかしら」
 フルダたちが悩んでいる間、クラウスはまったく別のことを考えていた。
(フルダの思い出が、街から消えていく――)
 フルダが大好きな夜の国の伝説が、消えた。フルダが両親から聞かせてもらっていた物語が、街から消えた。そのことがクラウスには引っかかっていた。
 まるで、故郷のことが自分から抜けていくみたいに、街からフルダの記憶が消えているような――。
「クラウス? 何か心当たりがあるの?」
「あ、ううん……。分かんないや。ごめん」
 リストを丸め、フルダはため息をついた。
「森に逃げる女の子。夜の国。思い出すわ。夜の国には小人が住んでるって話。おとぎ話でしかないけれど」
 収穫はあったが、なかなか犯人にたどり着くことができない。
 三人は燃えた絨毯をじっと見つめ、そこに本を集める少女の影を映し出したのだった。
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