南十字星を目指して
ふたご座流星群の日、金子と金子のゼミ生と共に附属小で観測会を開いた。小中どちらにもビラを配ったところ、いつもより少し多めの参加者が来てくれた。
とても寒い夜で、水筒に入れていた温かい紅茶がやけに美味しかった。コップで手を温めながらつんとする空気を吸いながら空を眺めていると、たくさんの流星を見ることができた。月も雲もない夜だった。好条件のなかで観測することができた。
シリウス、プロキオン、ベテルギウスがとても綺麗に輝いている。
中学生の一人がベテルギウスは爆発するかもしれないんですよね、と言うので、遥は頷く。
星は永い時間を生きるが、永遠ではない。それよりも短い自分の人生、悔いのないように生きたいと思うことが増えた。星を見ていると、そういう気持ちになることがここ最近増えた。それを花澄に言うと、まだ若いのにと笑われてしまうのだが、星が遥の人生観に大きな影響を与えていることは確かだった。
最後の観測会を終えたあと、サークルを解散した。サークルが所有していた望遠鏡は中学校に提供し、部屋の鍵を学生支援課に返却した。これについては悔いはない。最後のふたご座流星群観測会はとても楽しかった。
観測会を終え、新年を迎えたあと、遥は日本を出た。
飛行機の中ではしゃいでいたのは花澄だった。ボランティアへの参加が決まったあと、花澄に一緒にハワイに行かないかと誘ったのだ。ずっと海外に行きたいと言っていた花澄はもちろんとすぐに誘いに乗ってきた。彼女はボランティアには参加はしないで、一人で観光を楽しむ予定である。
「機内食で日本のお菓子が出てくるんだねえ」
おこしの包みを開けて頬張る花澄の隣で遥は乾いた笑いを漏らした。
「どうしたの、食べてないじゃん。酔った?」
「昨日はよく眠れなくて。飛行機も初めてだし。高校の修学旅行は新幹線だったから」
「それは楽しみなのか緊張なのか」
「どっちも」
誠司にやっと会えるという期待が一番大きい。ふたご座流星群の日、今度こそ、期待外れにならないことを祈った。七夕も流れ星も願い事が叶うなんて嘘だと思っていたのだが、願わずにはいられなかった。叶うかどうかはさておき、そういう気持ちにさせてくれるのが、神秘的な天体ショーなのだと遥は思う。星に詳しくなって、その正体が何なのか分かっていても、畏怖の念は忘れていなかった。
飛行機の揺れにも慣れてくると、眠気に負けてほぼほぼ眠っていた。半日を超える空の旅を終え、飛行機から降りると、南国の空気に圧倒された。日本と全く空気が違うし、青空が眩しい。夜になると日本と違う星空を眺めることができるのだと胸が踊る。
リゾート地としての賑いに心が弾むが、この旅の一番の目的はボランティアである。
ホテルに荷物を預けたあとは花澄と別れて、すばる学園での打ち合わせとなる。もし美味しいお店があったら一緒に行こうと約束した。
すばる学園はホノルルの中心部にあった。小さめの学校で、遥が赴いた時は休み時間だったのか生徒がグラウンドで遊んでいた。英語も聞こえてくるし、日本語も聞こえてくる。流暢な日本語を話す者もいれば、たどたどしい日本語を話す者もいるようだ。
玄関から校舎に入り、職員室に行くと、見知らぬ男性教師が遥を迎えた。首からさがっている名札には英語ではなく漢字が印刷されていた。
「日本からわざわざありがとうございます。長旅だったでしょう。小川といいます」
握手ではなくお辞儀をしての挨拶だ。空港からずっと英語だったので少しほっとする。
誠司はどこにいるのだろうと思って、ちらりと部屋の中を見てみるが、彼の姿はなかった。
「あの、担当の先生は、成島先生だとお伺いしていたのですが……」
「あれ。まだ新しい募集要項に変わっていませんでしたか?」
忘れていたのかな、と小川はぽりぽりと頬をかく。新しい募集要項、という言葉に、遥はどきりとする。
「成島先生、数ヶ月前に退職されたんですよ。多分、遥さんが見たのは、前の要項ですね。観測会は例年中学生を対象に行っているものなので、ボランティアをしていただくことになりました。内容も変わりありません。南十字星の観測をしますので、時間は夜ではなく早朝になります」
「そうですか。わかりました」
退職。ずしりと重たく響く。
ハワイまで来たのに。どうして近づいたと思っても、誠司はそこにいてくれないのか。
だが、小川を前にして落ち込むことはできないし、ボランティアの打ち合わせで来ているので誠司の行方を聞くこともできなかった。
もう、望みはない。誠司のことはもう忘れよう。
この一瞬の時間で、遥は自分の初恋を手放した。小川からボランティアの概要を聞きながら、泣くことも、落ち込むこともできない時間を過ごす。
一通り説明され、職員室から出る時に、小川がふと遥に聞いてきた。
「成島先生とはどういったご関係で?」
「天文サークルの先輩です。知っている先生だったし、南十字星が見えるハワイにも来てみたかったし、観測会も好きなので、ボランティアに参加させていただきました」
「そうですか。ありがとうございます。では、明日の朝、よろしくお願いします」
深々と頭を下げ、学校を後にした。
その後、花澄とカラカウア通りで合流し、彼女の顔を見た瞬間、大粒の涙を流した。すべてを察した花澄はめちゃくちゃ美味しそうな料理がある店を見つけたんだと言って慰めてくれた。
めちゃくちゃ美味しいうえにめちゃくちゃ高くてめちゃくちゃ辛いメキシコ料理を食べたあと、星でも見に行くかと言われたが、それは明日の観測会のために取っておくことにした。
誠司のことは残念だったが、その感情を観測会には持ち込みたくない。星を見ることと、ボランティアのことに集中することにした。
憧れの南十字星をやっと目にすることができるのだ。星は逃げない。しっかりと目に焼き付けておこうと決めた。
集合時間は朝六時。布団でぐっすり眠っている花澄を起こさぬようにそっとホテルから出る。日の出を迎えていない、ひっそりとするホノルルの街を移動する。
早朝のビーチに集まった生徒の数は多かった。ざっと見て一クラス分ほどあるのではないだろうか。皆、眠たそうに目をこすっている。今回の観測会は全員参加のもので、中にはまったく興味がなさそうな生徒もいた。
望遠鏡の設置を手伝いながら、時々話しかけてくる生徒に挨拶をした。まったく日本語が話せない生徒はいなかったので会話に困ることはない。
準備ができたあと、小川が生徒たちに南十字星の説明をする。遥は生徒たちの後ろで話を聞きながら星を探した。
十字ははっきりとした形をしていて、すぐに見つけることができた。明るい四つの星が綺麗に輝いている。これが南十字星なのだと感動を覚える。長年見たかった星をついに見ることができた。
日本では見ることができず、アメリカだとハワイでしか見ることのできない星であること。古代では航海の目印にされていること。小川の語る内容はとても詳しく、遥も聞いていて楽しめた。
「成島先生が教えてくれた内容ですよ。さすが成島先生ですね。南十字が見たいからハワイに来たのだと言っていただけのことあります」
照れながら遥にそう語った。
生徒たちは一人ひとり順番に望遠鏡を使って南十字星の星を見ていく。見終わった人から解散という流れだった。遥は望遠鏡の隣に立って、観察の補助をする。
最後は背の高い少女だった。すらりとしていて、モデルのようだと瞬間的に思った。いつまでも三つ編みを下げる垢抜けない自分とは違う。
「南十字、見るのはじめて」
「そうなんだ」
「親の転勤でハワイに来たばっかりなんだ、私」
望遠鏡を覗いたあと、肉眼でも十字を見つめる少女。
「先生はなんでハワイに来たの?」
潮風を浴びて長い黒髪を流す、どこか寂しそうな少女には、自分のことを話してもいいような気がした。
「南十字星が見たかったから。星を好きになるきっかけをくれた憧れの人に教えてもらったのがはじまりで。その人に会えるかなって思ったからっていうのもある」
「へえ。その人のこと、追いかけてるんだ」
「追いかけてた、が正しいかも。私も今日はじめて南十字星を見て、目標の一つを達成できた。ずっと見たかったんだ、南十字星。これが一応、終着点ってことにしとく」
「じゃ、私は出発点ってことにしとこ。ハワイが好きになる。本当はここに来るの嫌だったんだけど、嫌って言ってても仕方ないし」
もう一度、望遠鏡で南十字を見た少女は、遥にまたね、と言って帰っていった。
小川からお疲れ様と声がかけられ、ボランティアは終了となる。
遥はそのまま日の出までビーチに残った。十字が見えなくなる瞬間まで、砂の上に座り、空を見つめていた。
東の空が少しずつ明るくなってゆく。
これまではずっと、誠司と南十字星を追って生きてきた。古代の船乗りたちがそうしたように、南十字星を目印にして人生を歩んできた。
ここが終着点だとしたら、これから何を目指して進んでいこう。次なる目標は何にすればいいのだろう。
太陽が顔を出した時、遥はその問いに対する答えを見つけた。
とても寒い夜で、水筒に入れていた温かい紅茶がやけに美味しかった。コップで手を温めながらつんとする空気を吸いながら空を眺めていると、たくさんの流星を見ることができた。月も雲もない夜だった。好条件のなかで観測することができた。
シリウス、プロキオン、ベテルギウスがとても綺麗に輝いている。
中学生の一人がベテルギウスは爆発するかもしれないんですよね、と言うので、遥は頷く。
星は永い時間を生きるが、永遠ではない。それよりも短い自分の人生、悔いのないように生きたいと思うことが増えた。星を見ていると、そういう気持ちになることがここ最近増えた。それを花澄に言うと、まだ若いのにと笑われてしまうのだが、星が遥の人生観に大きな影響を与えていることは確かだった。
最後の観測会を終えたあと、サークルを解散した。サークルが所有していた望遠鏡は中学校に提供し、部屋の鍵を学生支援課に返却した。これについては悔いはない。最後のふたご座流星群観測会はとても楽しかった。
観測会を終え、新年を迎えたあと、遥は日本を出た。
飛行機の中ではしゃいでいたのは花澄だった。ボランティアへの参加が決まったあと、花澄に一緒にハワイに行かないかと誘ったのだ。ずっと海外に行きたいと言っていた花澄はもちろんとすぐに誘いに乗ってきた。彼女はボランティアには参加はしないで、一人で観光を楽しむ予定である。
「機内食で日本のお菓子が出てくるんだねえ」
おこしの包みを開けて頬張る花澄の隣で遥は乾いた笑いを漏らした。
「どうしたの、食べてないじゃん。酔った?」
「昨日はよく眠れなくて。飛行機も初めてだし。高校の修学旅行は新幹線だったから」
「それは楽しみなのか緊張なのか」
「どっちも」
誠司にやっと会えるという期待が一番大きい。ふたご座流星群の日、今度こそ、期待外れにならないことを祈った。七夕も流れ星も願い事が叶うなんて嘘だと思っていたのだが、願わずにはいられなかった。叶うかどうかはさておき、そういう気持ちにさせてくれるのが、神秘的な天体ショーなのだと遥は思う。星に詳しくなって、その正体が何なのか分かっていても、畏怖の念は忘れていなかった。
飛行機の揺れにも慣れてくると、眠気に負けてほぼほぼ眠っていた。半日を超える空の旅を終え、飛行機から降りると、南国の空気に圧倒された。日本と全く空気が違うし、青空が眩しい。夜になると日本と違う星空を眺めることができるのだと胸が踊る。
リゾート地としての賑いに心が弾むが、この旅の一番の目的はボランティアである。
ホテルに荷物を預けたあとは花澄と別れて、すばる学園での打ち合わせとなる。もし美味しいお店があったら一緒に行こうと約束した。
すばる学園はホノルルの中心部にあった。小さめの学校で、遥が赴いた時は休み時間だったのか生徒がグラウンドで遊んでいた。英語も聞こえてくるし、日本語も聞こえてくる。流暢な日本語を話す者もいれば、たどたどしい日本語を話す者もいるようだ。
玄関から校舎に入り、職員室に行くと、見知らぬ男性教師が遥を迎えた。首からさがっている名札には英語ではなく漢字が印刷されていた。
「日本からわざわざありがとうございます。長旅だったでしょう。小川といいます」
握手ではなくお辞儀をしての挨拶だ。空港からずっと英語だったので少しほっとする。
誠司はどこにいるのだろうと思って、ちらりと部屋の中を見てみるが、彼の姿はなかった。
「あの、担当の先生は、成島先生だとお伺いしていたのですが……」
「あれ。まだ新しい募集要項に変わっていませんでしたか?」
忘れていたのかな、と小川はぽりぽりと頬をかく。新しい募集要項、という言葉に、遥はどきりとする。
「成島先生、数ヶ月前に退職されたんですよ。多分、遥さんが見たのは、前の要項ですね。観測会は例年中学生を対象に行っているものなので、ボランティアをしていただくことになりました。内容も変わりありません。南十字星の観測をしますので、時間は夜ではなく早朝になります」
「そうですか。わかりました」
退職。ずしりと重たく響く。
ハワイまで来たのに。どうして近づいたと思っても、誠司はそこにいてくれないのか。
だが、小川を前にして落ち込むことはできないし、ボランティアの打ち合わせで来ているので誠司の行方を聞くこともできなかった。
もう、望みはない。誠司のことはもう忘れよう。
この一瞬の時間で、遥は自分の初恋を手放した。小川からボランティアの概要を聞きながら、泣くことも、落ち込むこともできない時間を過ごす。
一通り説明され、職員室から出る時に、小川がふと遥に聞いてきた。
「成島先生とはどういったご関係で?」
「天文サークルの先輩です。知っている先生だったし、南十字星が見えるハワイにも来てみたかったし、観測会も好きなので、ボランティアに参加させていただきました」
「そうですか。ありがとうございます。では、明日の朝、よろしくお願いします」
深々と頭を下げ、学校を後にした。
その後、花澄とカラカウア通りで合流し、彼女の顔を見た瞬間、大粒の涙を流した。すべてを察した花澄はめちゃくちゃ美味しそうな料理がある店を見つけたんだと言って慰めてくれた。
めちゃくちゃ美味しいうえにめちゃくちゃ高くてめちゃくちゃ辛いメキシコ料理を食べたあと、星でも見に行くかと言われたが、それは明日の観測会のために取っておくことにした。
誠司のことは残念だったが、その感情を観測会には持ち込みたくない。星を見ることと、ボランティアのことに集中することにした。
憧れの南十字星をやっと目にすることができるのだ。星は逃げない。しっかりと目に焼き付けておこうと決めた。
集合時間は朝六時。布団でぐっすり眠っている花澄を起こさぬようにそっとホテルから出る。日の出を迎えていない、ひっそりとするホノルルの街を移動する。
早朝のビーチに集まった生徒の数は多かった。ざっと見て一クラス分ほどあるのではないだろうか。皆、眠たそうに目をこすっている。今回の観測会は全員参加のもので、中にはまったく興味がなさそうな生徒もいた。
望遠鏡の設置を手伝いながら、時々話しかけてくる生徒に挨拶をした。まったく日本語が話せない生徒はいなかったので会話に困ることはない。
準備ができたあと、小川が生徒たちに南十字星の説明をする。遥は生徒たちの後ろで話を聞きながら星を探した。
十字ははっきりとした形をしていて、すぐに見つけることができた。明るい四つの星が綺麗に輝いている。これが南十字星なのだと感動を覚える。長年見たかった星をついに見ることができた。
日本では見ることができず、アメリカだとハワイでしか見ることのできない星であること。古代では航海の目印にされていること。小川の語る内容はとても詳しく、遥も聞いていて楽しめた。
「成島先生が教えてくれた内容ですよ。さすが成島先生ですね。南十字が見たいからハワイに来たのだと言っていただけのことあります」
照れながら遥にそう語った。
生徒たちは一人ひとり順番に望遠鏡を使って南十字星の星を見ていく。見終わった人から解散という流れだった。遥は望遠鏡の隣に立って、観察の補助をする。
最後は背の高い少女だった。すらりとしていて、モデルのようだと瞬間的に思った。いつまでも三つ編みを下げる垢抜けない自分とは違う。
「南十字、見るのはじめて」
「そうなんだ」
「親の転勤でハワイに来たばっかりなんだ、私」
望遠鏡を覗いたあと、肉眼でも十字を見つめる少女。
「先生はなんでハワイに来たの?」
潮風を浴びて長い黒髪を流す、どこか寂しそうな少女には、自分のことを話してもいいような気がした。
「南十字星が見たかったから。星を好きになるきっかけをくれた憧れの人に教えてもらったのがはじまりで。その人に会えるかなって思ったからっていうのもある」
「へえ。その人のこと、追いかけてるんだ」
「追いかけてた、が正しいかも。私も今日はじめて南十字星を見て、目標の一つを達成できた。ずっと見たかったんだ、南十字星。これが一応、終着点ってことにしとく」
「じゃ、私は出発点ってことにしとこ。ハワイが好きになる。本当はここに来るの嫌だったんだけど、嫌って言ってても仕方ないし」
もう一度、望遠鏡で南十字を見た少女は、遥にまたね、と言って帰っていった。
小川からお疲れ様と声がかけられ、ボランティアは終了となる。
遥はそのまま日の出までビーチに残った。十字が見えなくなる瞬間まで、砂の上に座り、空を見つめていた。
東の空が少しずつ明るくなってゆく。
これまではずっと、誠司と南十字星を追って生きてきた。古代の船乗りたちがそうしたように、南十字星を目印にして人生を歩んできた。
ここが終着点だとしたら、これから何を目指して進んでいこう。次なる目標は何にすればいいのだろう。
太陽が顔を出した時、遥はその問いに対する答えを見つけた。