南十字星を目指して
東の空は群青、西の空は茜色。夏らしい、赤い夕焼けだ。太陽は山の向こうに沈んでいった。
遥は周辺の景色を眺めた。ここは郊外にある、大学附属中学校の屋上。周辺は畑や田んぼが広がっており、住宅地、商店街、駅などは少し離れたところにある。
日中は容赦なかった熱気も夜が近づくにつれ、少しだけ落ち着いてくる。心地よい風が、遥の三つ編みを揺らした。
「遥、落ちるよ」
「わ、わっ」
背中を押されて、肩が跳ねた。それを見た友人の花澄がけらけらと笑っている。ショートヘアの似合う、快活な少女だ。附属小にいる頃はあまり仲が良くなかったのだが、中学に上がってから三年間ずっと同じクラスで、ほぼ毎日一緒に過ごしている。
遥は目の前にあったフェンスにしがみついて、深呼吸をした。何かにしがみつかないと、立っていられないほど驚いた。空いた手で、胸元のリボンを握る。
「もう、やめてよ。びっくりした。心臓止まるかと思った」
「あはは、ごめん。そんなに驚くとは思わなかった。望遠鏡の準備、できたって。行こう」
屋上の中心には二台の望遠鏡がある。望遠鏡の操作をしているのは、大学の学生だった。三人の男子学生がレンズを覗き込んでいる。望遠鏡は二台とも東の空を向いていた。
その隣にいる教師もまた、大学の教師だった。黒縁メガネの似合う、温厚そうな中年のおじさん先生だ。ポロシャツというラフな格好をしているせいで保護者のように見えた。あまり大学の先生という雰囲気を感じない。
中学校側の教員は理科の先生のみ。専門が違うのか、彼はあまり面白くなさそうにしている。
参加者は、遥と花澄の他にあと二人だけ。集合、と呼ばれ、望遠鏡の周りに集まる。
「それでは」
おじさん先生は、こほん、と咳払いをした。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。広告でお伝えした通り、今日は皆既月食とペルセウス座流星群が重なる貴重な日です。雲もありません。場所もジャスト。好条件が重なりすぎていて、怖いほどなんですが、この天体ショーを楽しみましょう。分からないことがあれば、私か、天文学サークルの彼らに声をかけてください」
彼の話によると、月の出と同時に食が始まるらしい。
遥と花澄は、別に天体ショーに興味があってここにいるのではない。夏休みの課題である科学レポートの材料がすぐに集まるからという理由で来ていた。スマホがあれば、望遠鏡で写真が撮れるという旨もビラに書いてあったので、きちんとスマホを持ってきている。写真で誤魔化して終わらせてしまおうという悪知恵を働かせたのは、花澄のほうである。他の参加者も二人とほぼ同じ考えで来ているのだと遥は思う。
純粋に天体ショーを楽しもうとしているのは、望遠鏡をしきりに覗いている学生とおじさん先生だけだ。
月食はおよそ二時間の間、ゆっくりと進んでいく。できれば写真が撮れたらすぐに帰りたかった。
花澄は遥より単純に考えているようで、彼女は望遠鏡を使った写真でレポートを作成すると言っていたが、遥は月食中の写真を撮るだけではレポートにはならないと思い、写真が趣味の父親から空全体を撮るための一眼レフを借りて持ってきていた。「これだったら、星も撮れると思うから」と、こだわりのレンズをセットしてくれている。
通常の星空と月食中の星空の比較をして済ませようと考えていた。まだ鞄の中に入れたままで、セットはしていない。
空はすっかり暗くなった。星も出てきている。
学生の一人が声を上げる。月が顔を出したようだ。花澄は暇で仕方がないといった様子で、すぐに望遠鏡を覗きに行ってしまった。
まだ食は始まったばかりで、最大になるまでは時間がある。その間、自分は星の写真を撮っておこうと思い、鞄からカメラを取り出した。試しに、一枚撮ってみて、画像を確認する。ぼやけているうえに、ブレている。何度か試してみたが、どれもうまくいかない。父親はこれで星が撮れると言っていたから、撮れるのは確かなのだが、ただシャッターを切るだけではうまくいかないようだ。写真を撮るのにコツがいるなんて知らなかった。
遥の元に、一人の学生が近寄って来る。青色のシャツとデニムを着ている、爽やかな青年だった。背も高く、顔立ちもいいので、まるで少女漫画に出てくるような男の人だと思った。
にこっと微笑んできたので、遥は軽く会釈する。
「何か困ってる?」
ゆっくりで、穏やかな口調だった。どぎまぎしながら、カメラの液晶を青年に見てもらった。
「えっと。月じゃなくて、星を撮りたくて。レポート用に。でもぼやけちゃって」
カメラを覗き込んだ青年は、ああ、と頷いた。
望遠鏡の足元に置いてあった大きな袋から何かを取り出して戻ってくる。手にあったのは三脚だった。
貸してと言われたので、カメラを手渡す。青年は慣れた手つきで、カメラを三脚に固定した。東の空にレンズを向ける。慣れた手つきで設定を変え、シャッターを切った。青年に促され、カメラの液晶を覗き込んだ。先ほど撮った写真が映し出されている。
ピントが合っていて、星が鮮明に見える写真が撮れていた。
「今の設定なら、ブレずに撮れると思うよ。三脚は終わるまで貸してあげる。それ、予備で持ってきてただけだから」
「ありがとうございます」
頭を下げると、そんなにかしこまらないでとはにかんだ。
「望遠鏡は使わなくていい?」
「たぶん……。月食の時と普段の星の数の比較をしたかったので」
「なるほどね。だったら、それに加えて、等級が低い星を狙ったほうがいいかも。今日は色々と見られるはずだから。ネタが増えると思うよ。いくつか撮っておきなよ」
月は徐々に地球の影に飲み込まれていく。褐色の月はどこか禍々しい。だが、空全体はとても賑やかだ。
ここまで濃い天の川を見たことはあるだろうか。本当に空に星の筋ができている。言葉の通り、確かに川だ。イメージでしか知らなかった天の川に、遥は虜になっていた。
青年は遥の隣で天の川を見上げている。
「天の川をちゃんと見たの、これが初めてです」
「イラストや写真だと明るい川のように見えるけど、実は暗い星が集まっているんだよね。イラストや写真のような天の川を見ようと思うと、もっと暗いところに行かないといけない。この辺りは大学がある中心部よりも光が少ないから、会場をここにしたんだよ」
天の川だけではない。空全体がとても賑やかだ。まれに星も流れていく。もう少し遅い時間になれば、もっと見ることができるのだと青年が教えてくれた。
今日のメインは月ではなく星だ。遥はそう思った。
青年に望遠鏡の操作を手伝ってもらいながら、いくつか普段は見ることができない星の写真を撮った。 星々は遥が思っていた以上にカラフルで、赤、青、黄色、白と様々だ。
首が痛くなって、視線を下ろして周辺の様子を見る。花澄含め、他の生徒も先生やボランティアと二人ペアになって観測していた。遥はこの青年と自然にペアになっているようだった。
星座も知りたいと言ってみると、快く頷いてくれた。
「あのひときわ強く輝いているのが、ベガ、アルタイル、デネブの夏の大三角だよ。こと座は織姫、わし座は彦星というのは七夕で知っているよね。はくちょう座は北十字星ともいうね」
「北があるんなら、南もあるんですか?」
「うん。もちろん。みなみじゅうじ座。南十字星ともいう。緯度の関係でここでは見ることができないけど、もっと南に行くと見ることができるんだよ。いつか見に行きたいって思ってる。星マニアなら、一度は見たいって思う星座なんだよ」
「南って、オーストラリアとか?」
「ハワイもいいね。沖縄でもいいんだけど、どうせならね」
南の島で見る星空は、とても素敵なものなのだろう。
遥もまた、一度でもいいから、見てみたいと思った。ここでは見ることができない星を。
隠れている星を、追いかけてみたいと思った。この青年のように。
「私も」
「いいね。行こうと思えば行ける場所だし」
青年は望遠鏡を覗き込んだ。
その横顔がとても綺麗で、つい見つめてしまった。青年は星に夢中になっていて、遥に見つめられていることに気が付かない。
「はーるか!」
「ひゃあっ」
肩を叩かれ、びくりと身体が跳ねる
「え、何、そんなびっくりした?」
「……いや、ちょ、ちょっと。カメラに夢中になってたから」
あはは、と乾いた笑いが出る。青年に釘付けになっていたのが花澄にバレていなくてよかったとほっとした。
「もう資料が集まったから、帰ろうと思うんだけど。遥はどう?」
「あ、うん。私も」
食は最大を迎え、影からゆっくり抜け出そうとしていた。
今日は花澄の車に乗って帰る。だから、花澄が帰るタイミングが遥の帰るタイミングだった。
三脚を返さなければと、青年に声をかけた。
「資料が集まったので、そろそろ帰ります。三脚、ありがとうございました」
「ああ、いいよいいよ。どうだった?」
「とても感動しました。自分が思っている以上に、自分は星が好きなんだなって」
「良かった。そのための観測会でもあるからさ」
三脚を渡すと、寂しさが襲ってくる。それは、夏祭りが終わる時の寂しさに似ていた。
「あの、名前、教えてくれませんか」
「そういえば自己紹介してなかったね。ごめん。成島誠司。大学二年生です」
「誠司さん……、今日はありがとうございました」
頭を下げると、三つ編みが肩から落ちてくる。
もう少し何か話がしたかったのだが、花澄に早くと急かされるので、その挨拶で終わりとなってしまった。
車の中で、自分の名前を伝えるのを忘れたことに気付き、かなり落ち込んだ。窓の外を眺めながら、いつか、もう一度、彼に会いたいと思った。
父親にカメラを渡すと、よく撮れているなと褒められた。写真コンクールに出してみないかと言われたが、それは断った。これはレポート用の写真だからだと。それに、技術があるからよく撮れたのではない。よく撮れたように見えるほど星が出ていただけだ。
翌日、印刷してもらった写真を改めて見たが、記憶の中の星空のほうがよっぽど綺麗だ。
通常時の星空の写真を撮るために、その日も外に出て、シャッターを切った。そのあと、自分の目でもう一度空を眺める。昨夜に比べると、とても静かな空だった。あの星空を見てしまうと、とても寂しく感じてしまう。
夏の大三角を指で結ぶと、優しい声が聞こえたような気がする。ベガ、アルタイル、デネブ。こと座、わし座、はくちょう座。織姫、彦星。それから北十字星と南十字星。彼のガイドに沿って、自分も星を結ぶ。
ペルセウス流星群は数日間見ることができる。
星が流れるたびに、遥は誓った。星に願うのではなく、星に約束をした。
もう一度、誠司さんと会いたい。だから、自分も同じ大学に行って、星の勉強をするのだと。
その気持ちに恋心が含まれていることは、あとから自覚した。
遥は周辺の景色を眺めた。ここは郊外にある、大学附属中学校の屋上。周辺は畑や田んぼが広がっており、住宅地、商店街、駅などは少し離れたところにある。
日中は容赦なかった熱気も夜が近づくにつれ、少しだけ落ち着いてくる。心地よい風が、遥の三つ編みを揺らした。
「遥、落ちるよ」
「わ、わっ」
背中を押されて、肩が跳ねた。それを見た友人の花澄がけらけらと笑っている。ショートヘアの似合う、快活な少女だ。附属小にいる頃はあまり仲が良くなかったのだが、中学に上がってから三年間ずっと同じクラスで、ほぼ毎日一緒に過ごしている。
遥は目の前にあったフェンスにしがみついて、深呼吸をした。何かにしがみつかないと、立っていられないほど驚いた。空いた手で、胸元のリボンを握る。
「もう、やめてよ。びっくりした。心臓止まるかと思った」
「あはは、ごめん。そんなに驚くとは思わなかった。望遠鏡の準備、できたって。行こう」
屋上の中心には二台の望遠鏡がある。望遠鏡の操作をしているのは、大学の学生だった。三人の男子学生がレンズを覗き込んでいる。望遠鏡は二台とも東の空を向いていた。
その隣にいる教師もまた、大学の教師だった。黒縁メガネの似合う、温厚そうな中年のおじさん先生だ。ポロシャツというラフな格好をしているせいで保護者のように見えた。あまり大学の先生という雰囲気を感じない。
中学校側の教員は理科の先生のみ。専門が違うのか、彼はあまり面白くなさそうにしている。
参加者は、遥と花澄の他にあと二人だけ。集合、と呼ばれ、望遠鏡の周りに集まる。
「それでは」
おじさん先生は、こほん、と咳払いをした。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。広告でお伝えした通り、今日は皆既月食とペルセウス座流星群が重なる貴重な日です。雲もありません。場所もジャスト。好条件が重なりすぎていて、怖いほどなんですが、この天体ショーを楽しみましょう。分からないことがあれば、私か、天文学サークルの彼らに声をかけてください」
彼の話によると、月の出と同時に食が始まるらしい。
遥と花澄は、別に天体ショーに興味があってここにいるのではない。夏休みの課題である科学レポートの材料がすぐに集まるからという理由で来ていた。スマホがあれば、望遠鏡で写真が撮れるという旨もビラに書いてあったので、きちんとスマホを持ってきている。写真で誤魔化して終わらせてしまおうという悪知恵を働かせたのは、花澄のほうである。他の参加者も二人とほぼ同じ考えで来ているのだと遥は思う。
純粋に天体ショーを楽しもうとしているのは、望遠鏡をしきりに覗いている学生とおじさん先生だけだ。
月食はおよそ二時間の間、ゆっくりと進んでいく。できれば写真が撮れたらすぐに帰りたかった。
花澄は遥より単純に考えているようで、彼女は望遠鏡を使った写真でレポートを作成すると言っていたが、遥は月食中の写真を撮るだけではレポートにはならないと思い、写真が趣味の父親から空全体を撮るための一眼レフを借りて持ってきていた。「これだったら、星も撮れると思うから」と、こだわりのレンズをセットしてくれている。
通常の星空と月食中の星空の比較をして済ませようと考えていた。まだ鞄の中に入れたままで、セットはしていない。
空はすっかり暗くなった。星も出てきている。
学生の一人が声を上げる。月が顔を出したようだ。花澄は暇で仕方がないといった様子で、すぐに望遠鏡を覗きに行ってしまった。
まだ食は始まったばかりで、最大になるまでは時間がある。その間、自分は星の写真を撮っておこうと思い、鞄からカメラを取り出した。試しに、一枚撮ってみて、画像を確認する。ぼやけているうえに、ブレている。何度か試してみたが、どれもうまくいかない。父親はこれで星が撮れると言っていたから、撮れるのは確かなのだが、ただシャッターを切るだけではうまくいかないようだ。写真を撮るのにコツがいるなんて知らなかった。
遥の元に、一人の学生が近寄って来る。青色のシャツとデニムを着ている、爽やかな青年だった。背も高く、顔立ちもいいので、まるで少女漫画に出てくるような男の人だと思った。
にこっと微笑んできたので、遥は軽く会釈する。
「何か困ってる?」
ゆっくりで、穏やかな口調だった。どぎまぎしながら、カメラの液晶を青年に見てもらった。
「えっと。月じゃなくて、星を撮りたくて。レポート用に。でもぼやけちゃって」
カメラを覗き込んだ青年は、ああ、と頷いた。
望遠鏡の足元に置いてあった大きな袋から何かを取り出して戻ってくる。手にあったのは三脚だった。
貸してと言われたので、カメラを手渡す。青年は慣れた手つきで、カメラを三脚に固定した。東の空にレンズを向ける。慣れた手つきで設定を変え、シャッターを切った。青年に促され、カメラの液晶を覗き込んだ。先ほど撮った写真が映し出されている。
ピントが合っていて、星が鮮明に見える写真が撮れていた。
「今の設定なら、ブレずに撮れると思うよ。三脚は終わるまで貸してあげる。それ、予備で持ってきてただけだから」
「ありがとうございます」
頭を下げると、そんなにかしこまらないでとはにかんだ。
「望遠鏡は使わなくていい?」
「たぶん……。月食の時と普段の星の数の比較をしたかったので」
「なるほどね。だったら、それに加えて、等級が低い星を狙ったほうがいいかも。今日は色々と見られるはずだから。ネタが増えると思うよ。いくつか撮っておきなよ」
月は徐々に地球の影に飲み込まれていく。褐色の月はどこか禍々しい。だが、空全体はとても賑やかだ。
ここまで濃い天の川を見たことはあるだろうか。本当に空に星の筋ができている。言葉の通り、確かに川だ。イメージでしか知らなかった天の川に、遥は虜になっていた。
青年は遥の隣で天の川を見上げている。
「天の川をちゃんと見たの、これが初めてです」
「イラストや写真だと明るい川のように見えるけど、実は暗い星が集まっているんだよね。イラストや写真のような天の川を見ようと思うと、もっと暗いところに行かないといけない。この辺りは大学がある中心部よりも光が少ないから、会場をここにしたんだよ」
天の川だけではない。空全体がとても賑やかだ。まれに星も流れていく。もう少し遅い時間になれば、もっと見ることができるのだと青年が教えてくれた。
今日のメインは月ではなく星だ。遥はそう思った。
青年に望遠鏡の操作を手伝ってもらいながら、いくつか普段は見ることができない星の写真を撮った。 星々は遥が思っていた以上にカラフルで、赤、青、黄色、白と様々だ。
首が痛くなって、視線を下ろして周辺の様子を見る。花澄含め、他の生徒も先生やボランティアと二人ペアになって観測していた。遥はこの青年と自然にペアになっているようだった。
星座も知りたいと言ってみると、快く頷いてくれた。
「あのひときわ強く輝いているのが、ベガ、アルタイル、デネブの夏の大三角だよ。こと座は織姫、わし座は彦星というのは七夕で知っているよね。はくちょう座は北十字星ともいうね」
「北があるんなら、南もあるんですか?」
「うん。もちろん。みなみじゅうじ座。南十字星ともいう。緯度の関係でここでは見ることができないけど、もっと南に行くと見ることができるんだよ。いつか見に行きたいって思ってる。星マニアなら、一度は見たいって思う星座なんだよ」
「南って、オーストラリアとか?」
「ハワイもいいね。沖縄でもいいんだけど、どうせならね」
南の島で見る星空は、とても素敵なものなのだろう。
遥もまた、一度でもいいから、見てみたいと思った。ここでは見ることができない星を。
隠れている星を、追いかけてみたいと思った。この青年のように。
「私も」
「いいね。行こうと思えば行ける場所だし」
青年は望遠鏡を覗き込んだ。
その横顔がとても綺麗で、つい見つめてしまった。青年は星に夢中になっていて、遥に見つめられていることに気が付かない。
「はーるか!」
「ひゃあっ」
肩を叩かれ、びくりと身体が跳ねる
「え、何、そんなびっくりした?」
「……いや、ちょ、ちょっと。カメラに夢中になってたから」
あはは、と乾いた笑いが出る。青年に釘付けになっていたのが花澄にバレていなくてよかったとほっとした。
「もう資料が集まったから、帰ろうと思うんだけど。遥はどう?」
「あ、うん。私も」
食は最大を迎え、影からゆっくり抜け出そうとしていた。
今日は花澄の車に乗って帰る。だから、花澄が帰るタイミングが遥の帰るタイミングだった。
三脚を返さなければと、青年に声をかけた。
「資料が集まったので、そろそろ帰ります。三脚、ありがとうございました」
「ああ、いいよいいよ。どうだった?」
「とても感動しました。自分が思っている以上に、自分は星が好きなんだなって」
「良かった。そのための観測会でもあるからさ」
三脚を渡すと、寂しさが襲ってくる。それは、夏祭りが終わる時の寂しさに似ていた。
「あの、名前、教えてくれませんか」
「そういえば自己紹介してなかったね。ごめん。成島誠司。大学二年生です」
「誠司さん……、今日はありがとうございました」
頭を下げると、三つ編みが肩から落ちてくる。
もう少し何か話がしたかったのだが、花澄に早くと急かされるので、その挨拶で終わりとなってしまった。
車の中で、自分の名前を伝えるのを忘れたことに気付き、かなり落ち込んだ。窓の外を眺めながら、いつか、もう一度、彼に会いたいと思った。
父親にカメラを渡すと、よく撮れているなと褒められた。写真コンクールに出してみないかと言われたが、それは断った。これはレポート用の写真だからだと。それに、技術があるからよく撮れたのではない。よく撮れたように見えるほど星が出ていただけだ。
翌日、印刷してもらった写真を改めて見たが、記憶の中の星空のほうがよっぽど綺麗だ。
通常時の星空の写真を撮るために、その日も外に出て、シャッターを切った。そのあと、自分の目でもう一度空を眺める。昨夜に比べると、とても静かな空だった。あの星空を見てしまうと、とても寂しく感じてしまう。
夏の大三角を指で結ぶと、優しい声が聞こえたような気がする。ベガ、アルタイル、デネブ。こと座、わし座、はくちょう座。織姫、彦星。それから北十字星と南十字星。彼のガイドに沿って、自分も星を結ぶ。
ペルセウス流星群は数日間見ることができる。
星が流れるたびに、遥は誓った。星に願うのではなく、星に約束をした。
もう一度、誠司さんと会いたい。だから、自分も同じ大学に行って、星の勉強をするのだと。
その気持ちに恋心が含まれていることは、あとから自覚した。
1/6ページ