2章 アルルと錬金と魔法の大きな船

「テオっていう白銀の魔法使い? 占い師が、山脈に行けば使えるかもしれないって言ったんだな?」
 宿のキッチンで朝食をとっていると、マルクが唐突にそう聞いてきた。私はフォークからボイルドウインナーをぽろりと落とす。目玉焼きの上に落ちたウインナーはお皿の上でころりと転がった。
 寝起きで何のことを言っているのか、すぐに分からなかった。首をかしげると、マルクは私の胸元にある銀の巻物の形をしたペンダントを指差す。
「本当だろうな」
 フードで影の落ちた赤い目が、疑い深そうに私を見ていた。マルクはいつもマントを羽織っていて、フードを深く被っている。朝食くらい、脱いでくればいいのに。
 マルクが言っているのは、数日前のことだ。
 私は消えたお母様と、魔法を諦めきれなくて、城に忍び込んできた泥棒らしき青年マルクと一緒に城の地下に行った。
 そこにあったのは、古代、グランベル王国周辺を荒らしていた氷と水晶の魔神が封印された石像。いにしえの黄金の錬金術師と白銀の魔女が、魔神の力を動力としたとてつもなく大きなからくりの石像があったの。そのからくりが守っていたのが、今、私の胸元にある銀の巻物のペンダント。それから、お母様の手記も残っていた。
 その手記には、お母様は国を守るために、国の北方にそびえ立つミハラマ山脈に一人で向かったことが書かれていた。深い雪に覆われたミハラマ山脈は霊験あらたかな山で、魔力が溢れる場所。そこに山脈が産む「悪しきもの」がある。お母様は、その「悪しきもの」から、今、一人で国を守っていてくれている。
 白銀の魔法も、お母様も、山脈に眠っている――と思う。テオ先生は、山脈まで行けばペンダントの魔法が使えるかもしれないと言っていた。
 ペンダントの魔法がどういったものなのかは分からないけれど、きっと役に立ってくれるはずだ。白銀の魔法を失った時のためにと遺されたものだから。
「そうよ。何、信じてくれないの?」
「占い師ってところがなあ……」
「て、テオ先生だって、ちょーっとだけ魔法使えるもの! 髪だってお母様と同じ白銀の髪よ!」
 勢いよく、ぱり、とウインナーの皮を破いた。咀嚼しながら、マルクの髪の毛を見る。
 マルクはフードを少し持ち上げて、癖のある前髪を指でいじった。炎のような綺麗な赤。あの時マルクが使っていた炎の魔法は、魔法じゃなくて錬金術だったのかしら……。見なかったことにしろ、と言われたので、聞かないでおくけれど。
 マルクがずっとフードを被っているのって、赤毛が嫌だからなのだろうか。
 マルクの顔をよく見ることができたのは一回だけ。地下から戻ってきた時に、私の腕の傷に包帯を巻いてくれていた時。綺麗な顔をしていたし、赤毛だって珍しくて、マルクのきりっとした表情に似合っていて、私は好きだ。だからきっと髪が理由なんかじゃない。もっと深い理由がある気がする。でも、マルクは何も私に教えてくれなかった。
「あ、そうだ」
 パンをちぎりながら、また唐突にマルクは話しかけてくる。
「金がもう尽きた」
「えっ」
 涼しい顔をして、厳しい現実を私に突きつけてきた。それって、もうご飯も、宿も、確保できないってこと?
 城の外の生活をしたことがない私には、残酷な宣言だった。マルクには普通のことなのかもしれないけれど、私にはかなりショックな話だった。
 ここまで一週間。私達は徒歩で川沿いを進んできた。城の外については何も分からない私だったから、マルクに着いていくだけ。マルクにははっきりとした目的地があるようだけれど、それを知らされることはなかった。分からないまま歩いて、慣れない宿に泊まって、じんわりと私の体に疲労が溜まっていた。宿に泊まれなくなるということは外で寝るのだろうか。
 さっと血の気が引いたような気がしたわ。
「泥棒なんだから、金目になるようなもの、何かないの」
「は? 王女様は盗みを推奨するのか?」
「なっ……違うわよ! そんなわけないじゃない!」
「王女様こそ、いいもの持ってないのかよ。てかその古いワンピースとショール、何?」
 私が着ているのは、ドレスや綺麗な外行きの服ではなく、赤褐色のぱっとしない丈の長いワンピース。ショールも薄汚れている古いものだった。城から脱走するためのもので、城下町の錬金術師からもらった大切なものだった。
「私が王女ってばれたら、大変でしょ?」
「金の髪ってだけで一発で分かるけどな。多分ここにいる奴らみんな分かってるぞ」
 マルクが周囲に視線を向けた。キッチンには私の他にも、数人の男女が座って朝食をとっている。ちらちらと見られていることは薄々感じていたけれど、いざそれを正直に言われると恥ずかしくなった。
「ぐ……っ、も、もう! いいの! マルクだってその剣は何なの!? まさか、どこかから盗んできたものじゃないわよね」
 椅子に立てかけてある剣を指さした。細身の片手剣だ。鞘には金の装飾が施されているし、鍔にも真っ赤な石が埋め込まれている。マントで隠れて気付くまで時間がかかったのだけれど、マルクはずっとこの剣を腰にさげていた。
「そんなことするわけないだろ」
「泥棒のくせに」
「それはアルルが勝手にそう思ってるだけ。はあ。金になるものはなしか……もういい、時間が惜しい。食べたら行くぞ」
 パンと目玉焼きの残りを頬張り、羊のミルクで流し込んだあと、マルクは剣を持って部屋に戻っていった。
 私はもそもそとゆっくりパンを食べる。城のふんわりした焼き立てパンじゃなくて、硬い、保存用のパン。食べにくい……。ミルクがなかったら食べられない。でも、これが城の外の普通。私は、城の外を本当に何も知らない。
 だからマルクに着いていくしかない。マルクも魔法が欲しい、私もお母様と魔法を取り戻したい。目的は一致している。城の地下まで着いてきてくれたマルクには、私と一緒にいることを褒美として与えた。王女だから褒美という形を取ったけれど、本当は私がマルクを必要としている。


 城から何も持ってこなかったから、今までの旅で必要最低限のものはマルクに買ってもらった。下着は何着かはいるってことすら知らなかった私。なんで一枚も持ってないんだよって怒られてしまった。
 小さなバッグを肩からさげて、部屋から出る。マルクは腰にあるポシェットの中に全部詰めているらしい。なんでその小さなポシェットに全部入るのか分からなかった。旅に慣れているのだろう。それか、泥棒だから荷物が少ないかのどっちか。
 宿の玄関で落ち合って、歩き出す。宿場町を出ると、平原が広がっていた。
 大きな川が右手に見える。太陽の方角からして――どっちに進んでいるのか見当もつかない。ああ、エステル先生にそのくらい教えてもらっておけばよかった。
「ねえ、マルク。どこに向かっているの?」
「ハルゲナ海」
「え? 山脈と全然真逆じゃない!」
 ハルゲナ海は、グランベル王国の南にある。三日月の形をした大陸に抱かれるようにして広がる海だ。ハルゲナ海でとれた魚は城にまで届く。王都と海はそこまで遠くないし、水路を使っての運送ができるからなのだと思う。川を見ると、輸送船が行き来していた。
 でも私達は船に乗るお金は持ってなかった。節約して、こうやって歩いている。
「行きたいところがあるんだよ。ここから南西に向かっていったところに”この世でいちばん賢い者たち”がいる」
「へー……?」
 者たち? グループか何かだろうか。グランベル王国にはグランベル人しかいないと思っていたのだけれど。
 でも世界は広い。私の知らないものだって多くいるのだろう。
 春の風を浴びながら黙って歩いていると、マルクが立ち止まった。人差し指を唇に当てて、音を立てるなと指示してくる。それからここで待ってろ、と耳元で囁かれた。
 よく分からなくて、こくこくと頷いた。
 マルクは身をかがめて、私から離れていく。マルクの向かっている先には――馬がいた。
 柵で囲まれている。誰かが飼い慣らしている馬のようだった。マルクは周辺に人がいないことを確認して、柵を軽々と乗り越えた。そして、馬にそろりそろりと近づいていく。馬が人に慣れていることを確認すると、柵の近くにあった小屋から鞍を持ち出し、栗毛の馬に寄っていった。
 遠くから見ていたからはっきりとは分からなかったけれど、なんだか馬に語りかけていたような気がするわ。
 鞍をつけ終えて、マルクは平然と馬を連れてくる。
「こいつ、賢いや。ちょっと拝借しよう」
「は、拝借?」
「そ。こいつ、来た道をひとりで戻れるって言うから。名前はティレルだって」
「何、マルクって、馬と会話できるの……え、あ、わっ」
 マルクが私をティレルに乗せる。ティレルは背が高くて、一気に視界が広がった。澄み渡る春の青空と、風の吹き抜ける平原。気持ちがいい。
 マルクが私の後ろに乗る。手綱を握るマルクを背中で感じると、妙にどきどきとしてしまう。軽快なティレルの足取りを感じながら海へ向かっていく。
 馬と会話できるのかどうかは分からないけれど、会話できそうなほど扱いに長けている。ティレルの気持ちくらいは分かるのではないだろうか。
 ティレルはとても素直だった。一度も暴れなかったし、自ら足を止めようともしなかった。疲れているはずなのに、弱音を見せなかった。マルクはティレルの性格も分かっているみたいだった。
 泥棒のくせに――何度もそう思った。ティレルだって「借りる」って言っていたけれど、本当は盗んだのかもしれない。
 何度かの休憩を挟みながらも、マルクは道を急いだ。あっという間に日は傾く。その中で見えてきた。
 夕日に染まる海、ハルゲナ海が。沈みゆく太陽を反射して、キラキラと輝いていた。
 海を見るのは初めてだった。風に乗ってやってくる潮の香り。私はときめきを隠せなかった。
 すごい――。私の生きる世界って、こんなに綺麗なんだ。素直にそう思った。
1/6ページ
スキ