1章  アルルと封印された魔法の巻物

 朝、目が覚めて、枕元にお母様の手帳と木箱があることを確認して、夢じゃなかったんだって実感した。私は昨日、マルクと一緒に地下に行って、この二つを見つけて、巨大な像から逃げて、生きてここに帰ってきて、それからマルクに包帯を巻いてもらって……抱っこもしてもらって……って、そこまで思い出して、なんだか恥ずかしくなって布団を蹴飛ばして飛び起きた。
 エステル先生やメイドたちが来る前に、木箱は一旦隠しておくことにした。床に投げっぱなしだったショールで木箱を包んで、クローゼットの奥に入れた。逃亡用のワンピースもある。ここなら、絶対に見つからない。今までも見つからなかったから大丈夫。多分。
 それから、腕の包帯を取った。大げさなのだ。大した傷じゃないのに。こんなに大げさにされると、メイドたちが心配してしまう。傷口はすでにかさぶたになっていた。何か聞かれたら「地下の猫に引っかかれた」と言うことにする。
 メイドが朝の準備のために部屋にやってきて、私の髪の毛をぐいぐい引っ張りながら編み込んで、たくさんの紐を結びながらドレスを着させていく。今日は新緑をイメージした、グリーンのドレスだった。やっぱり似合わないと思った。かといって、自分に似合うカラーも分かっていなくて、私からリクエストすることはできなかった。唯一の救いは、今日のドレスはフリルが少なめってこと。
 胸を見ると、ほんの少しだけ、膨らんでいた。身体は待ってくれない、徐々に、徐々に、大人になっていく。マルクと同じで、私も、子供でも大人でもない時期になっていく。鏡を見るたびに、私は不安になる。これからどんな大人になればいいのか、分かっていないから。地下の冒険に胸を高鳴らせている私は、まだまだ子供じみている。身体が大きいだけの子供だと思う。
 朝食は自分の部屋でとる。トーストと、目玉焼き、それから芋がごろごろ入ったスープ。朝食はこういうので充分。
 そのあと自由時間になったから、部屋で一人で手帳を開いた。お母様の、手書きの字は、とっても綺麗だった。私のヘビみたいな字とは全く違う。お母様の知性を感じられる字だった。私とお母様を比べて、私がいかにちっぽけな人物であることを思い知らされて、うなだれてしまったけれど、でもやっぱりお母様みたいになりたい。お勉強はまだちょっとずつだけど……、魔法と錬金術が大好きな、お母様みたいになりたい。
 日記は、お父様と出会ったところから始まった。城に来たお母様は、すぐお父様と結婚して、結婚したあとにお父様のことをゆっくり知っていた。お父様に白銀の魔法を見せると、まるで少年のように目を輝かせたこと。錬金術の実験をしている時は、真剣な眼差しで反応を見ていて、とてもかっこよかったこと。お母様がお父様のことを大好きになっていく様子が書かれていた。なんだか嬉しくなっちゃった。それから、羨ましくなった。私も、こういうどきどき、してみたい――そう思った時、また、マルクの顔を思い出して、赤面してしまった。朝からずっと、マルクがちらつく。
 首をぶんぶんと振って、日記の続きを読んでいく。私を身ごもったあたりから、お母様の悩みが言葉となって表れていた。
『白銀の義務を果たさなければならないけれど、私には、力がない』
『三十年前のあの悲劇は予兆だった。もう時間がないかもしれない』
『私一人だけで行けば、みんなを守れる。私、一人だけで行けば。これは、ガリア様には伝えられない。黙って行く。アルルがもうちょっとだけ大きくなって』
『テオは、城に残す。テオは私の代わりにアルルを導いてくれると思う。ガリア様は悲しむと思う。みんな悲しむと思う。でも、白銀の魔女には、やらないといけないことがあるから。歴代の魔女のような、強い力を持たない私でごめんなさい』
 三十年前の悲劇? 白銀の義務って、白銀の魔女のやるべきことって何なのかしら。お父様にも黙って、一人で、どこに行ってしまったのだろう。お母様ははっきりと書いていなかった。
 でも、最後にこう書いてあった。
『もし、魔法が必要だったら、地下に行って。そこに、いにしえの魔女が遺した白銀の魔法があるから。かの者が蘇ろうとしている。ガリア様をお守りするためにも、国を守るためにも、私だけが行く』
 私はクローゼットに押し込んだ木箱と手帳とランプを持って、勢いよく部屋から出た。廊下を走っていると、従者たちが驚いた顔で私を見てくる。アルル様、と声をかけられるけど、全部無視した。
 滑り落ちないように、でも急いで、階段を降りていく。
 図書館の猫たちは、今日もカウンターでのんびりとしていた。テオ先生もカウンターに座って本を読んでいる。
「テオ先生」
「やあ、アルル様。地下に行ったんですね」
 白銀の髪をさらりと流しながら、私に微笑みかける。ああ、やっぱりテオ先生はお見通しだ。占いで何もかも知られてしまう。私が木箱を持っていることも、手帳を読んだことも、全部知っているんだろう。テオ先生は、お母様と一緒に城に来た、白銀の人。魔法は使えないけれど、魔法みたいなことができる人。だから、木箱のことも、地下に遺された白銀の魔法のことも知っているはず。
 私はカウンターに木箱を置いた。
「これを持って、山脈に行けば、お母様に会える?」
「まあまあ、アルル様。落ち着いて」
 テオ先生は私の腕の傷を撫でた。
「無事戻ってこられて良かったです」
 テオ先生の手が離れると、傷はすっかり消えていた。
「えっ、テオ先生も魔法、使えるの?」
「内緒にしていましたが、ちょーっとだけ。小さな傷を治すくらいしかできませんよ。こんな小さな力、使えないのと同じなんです。メリアナ様も悩まれていましたが、僕の力はその数万分の一しかありません。山脈の祝福を中途半端にいただいてしまった、中途半端な魔法使いの占い師の司書、ということにしておいてください」
 くすりと笑って、テオ先生は木箱を持ち上げた。紋章を指でなぞったあと、パチンと指を鳴らした。キィ……と小さな音を立てて、木箱の蓋が開く。
「僕ができるのはここまでです。アルル様、どうぞ」
「え?」
 中を見てみて、と催促され、私は恐る恐る木箱の中を見た。
 金色の紐が巻かれた、白銀色の巻物。手のひらよりも小さな巻物だった。巻物とはいえないかもしれない。ペンダントの装飾みたいだったもの。実際、金色の紐が輪になってついていて、ペンダントみたいになっていた。
「何、これ」
「白銀の者が途絶えた時、必要とする者のためにいにしえの魔女が遺された魔法です。それがあったから、メリアナ様はひとりで山脈に向かわれ、白銀の義務を果たしました」
「その義務って何なの? 山脈に何があるの?」
「山脈は、良いものと悪いものを生み出します。良いものとは、白銀の者が受け取る魔法の祝福や、小さき魔法の生き物たちです。悪いものとは、私利私欲のために生きる魔神、魔物たち。白銀の魔女や魔法使いは、その悪いものを山脈から出さないようにする務めがあるのです」
 テオ先生は巻物のペンダントを私の首にかけた。
「これは白銀の者しか知らないことです。ですから、黄金の血を引くガリア王は、このことは知りません。僕も教えるつもりはありません。行きたいなら――メリアナ様の真実を知りたいのならば、行ってください。この巻物も、山脈で真の力を見せてくれるでしょう。それに、あなたを待っている方が、もういらっしゃいますよね?」
 どきりとした。
 テオ先生は、マルクを知っている。マルクは、私を待っているんだ。でも、なんで。マルクって一体、何者なの。
「うーん、僕は知っているんですけど、彼は、自分のこと、アルル様に知られたくないみたいなので、僕はそれを尊重しておきます。戦いに優れた一族の者である、とだけ」
 はぐらかされた。マルクが内緒にしていること、やっぱりあるんだ。でも、なんだかそのうち、分かる気がする。そんな気がするってだけだけれど。
「メリアナ様は山脈で、白銀の魔法を待っています。今も、あの過酷な環境の中で、国を守り続けています。ペンダントも山脈でなら真の力を見せてくれるでしょう。もしガリア様が僕を怒鳴りつけても、僕はうまくやり過ごしますので、心配なさらず」
 ペンダントを握りしめ、私は頷いた。
 とっても、とっても大きなことになった。想像していた、何倍もの大きな、大事なことだった。
 お母様は国を守るためにいなくなった。今も山脈にいる。助けたい。助ける手段があるのなら、行きたい。
 少しだけ迷った。お父様を不安にさせてしまうかもしれないって。でも、テオ先生がなんとかしてくれるって言っている。テオ先生は、お母様のことを知る唯一の人物。本当は自分で行きたかったんだと思う。でも、テオ先生には力がなくて、本当にお母様を救える人をこの図書館でひっそりと待っていたのだ。
 お母様のためにも、お父様のためにも、テオ先生のためにも、国のためにも、私は行く。
 地上に戻って、逃亡用のワンピースに着替える。ドレスは床に投げ捨てた。ショールを肩にかけ、ペンダントが胸にちゃんとあることを確認し、窓から飛び降りる。小屋の屋根に着地し、それからはしごを使って降りて、ガーデンの茂みに身をひそめる。
 塔のてっぺんから、エステル先生が私を呼んだ。いつもだったら、べって舌を突き出したかもしれない。でも、今日は、ごめんなさいって心の中で謝った。ごめんなさい、エステル先生。帰ったら、いっぱい勉強するわ!
 橋を渡って、マーケットに行く。ショールを奪われた場所に向かうと、マルクがいた。フードを深く被って、ぼんやりと歩いていた。
「ねえ!」
 マルクの手を掴むと、ばっと振り向かれる。
「王女様?」
「山脈に行きたいの。マルクへの褒美は、私と一緒についてくることでいい? 魔法が欲しいのよね。だったら一緒に山脈に来てほしいの」
 マルクは目を丸く見開いて、それから、私の胸元にあるペンダントを見た。
「封印されてたのって、それ?」
「そう、これ」
「え……、思ってたのと違った……」
「でも、これを持って山脈に行けば、魔法使えるかもって、テオ先生……白銀の魔法使いが言ってたから」
 テオ先生から教えてもらったことを伝えると、マルクは頭を抱えて蹲ってしまった。がっかりしている。深い溜息をついて、地面を見つめていた。
「……ま、いっか。白銀の魔法はあるわけだし」
 ゆるゆると立ち上がり、私に深々と頭を下げた。それは泥棒のすることじゃなくて、従者のすることだった。テオ先生は「戦いに優れた一族」って言っていたけど、もしかして、騎士だったりするのだろうか。お姫様抱っこできるくらいだし。でも、フードは相変わらず被ったままだった。赤毛を見られるのが嫌なのかもしれない。
「お仕えいたします、王女様」
「え、や、やめて、アルルって呼んで。敬語もいらない」
「ふうん、そう? じゃ、そうする」
 マルクはにっと笑って、歩きはじめた。世間知らずの私は、マルクに着いていくしかない。隣に並んで歩いた。
 空を見上げる。春の気持ちいい陽が降り注いでくる。
 知らないことをたくさん知って、ちょっとだけ大きくなって、魔法を見つけて、お母様を助ける。ほんの少しだけ、怖いって思うけれど、でも、一人じゃないから平気。
 魔法をあきらめなくて良かった。
 胸を高鳴らせ、私は魔法を取り戻す冒険に出た。
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