1章  アルルと封印された魔法の巻物

 マルクの後をついて行きながら、私は壁一面を観察した。黄金の錬金術師と白銀の魔女との戦いでついたものなのか、それとも目覚めた魔神が外に出ようとしたのか、大剣のような、それもとてつもなく大きな刃で壁をえぐった跡が残っていた。床から突き上げる氷の柱にもそれは残っていた。ぞっとした。こんな大きな傷を残す魔神がもしかしたらこの先にいるかもしれないのだ。
 マルクも、小さく「すごいな」と呟いていた。会話はなかった。マントが揺れていて、腰に片手剣がさがっていることに気がついた。鞘には金の装飾がほどこされていて、中央には赤い石がはめ込まれていた。泥棒のくせに、なんだか立派な剣ね、と思った。それもどこかから盗んできたのだろうか。
 少し歩くと、たくさんの書物でできあがった山が見つかった。これがお父様が捨てたという魔法の書物や、お母様の遺品。私には読めないような本や巻物がたくさん積み上がっていた。読めないのは、私が知らない文字があったからだ。きっと、魔法は魔法で特別な文字があるのだろう。またいつか、魔法がこの国に戻ってきた時、エステル先生と一緒に勉強したい。
 本を漁っていて気がついたことがある。まるで誰かが積み上げたようになっていて、不自然だった。大きな本は下にあって、小さな本は上にある。巻物は別で置いてあったし、誰かが整理した感じがする。テオ先生……は怖いから来てないって言ってたし、その他の誰かがここに来たのだろうか。でも、図書館は王族しか入れないはずだ。
 お母様の遺したものの中には、手帳があった。日記だった。私はその手帳を持って帰ることにした。上に戻ってから、ゆっくり読もう。
「まだ探すのはあるの?」
 マルクはこの山には目もくれず、私を待っていた。
「もうちょっと奥に行きたい」
 フードの下に隠れている顔を見ると、この先にあるものを知っているような表情をしていた。本当に謎な人。
 しばらく歩くと、見上げないと顔が見えないくらい大きな像が現れた。普通の石像ではない。この像も、壁や床と同じで、青い水晶でできていた。頑丈そうな甲冑を身につけている男の像だった。まるでどこかの騎士みたいだった。太い眉がきりっと持ち上がっていて、目は地上を睨んでいた。怒っているような表情だった。身体の前には、私の背丈の二倍はあるのではないだろうか。それくらい大きな斧が床に突き刺さっている。
 この像が、あの封印された魔神じゃないかと思っていたけれど、目の前に立っても像は動かなかった。
「な、なあんだ。ただの像なのね。びっくりした」
 私はほっとして胸を撫で下ろした。マルクは黙って、斧の後ろを見に行く。私もマルクと一緒に像の足元に向かった。
 ブーツの間にあったのは、一つの箱だった。木製の素朴な箱だ。特に飾りとか彫りはなかった。ただ、側面に光る青い紋章が浮かんでいた。マルクはしゃがんで、その紋章を指でなぞった。
「これ、いにしえの魔法だな、封印してる」
「そんなこと分かるの?」
「ん、まあ……」
 どこかに封印を解くヒントがあるかもしれない。マルクは立ち上がり、数歩後ろに下がって再び像を見上げた。私もマルクの隣に立つ。
 私の見間違いだったのだろうか。一瞬、像の瞳がぎょろっと私達を見たような気がした。私はびくっとして、マルクのマントの裾を握った。
「おいおい、王女様、怖気づいたのかよ」
「今、像の目が動かなかった?」
「ああ、なるほど。だから怖くなったんだ」
 マルクははんっと鼻で私を笑ってきた。い、嫌な奴ね。恥ずかしくなってマントをぱっと離した。こんな奴に頼ろうと思ったのは、間違いだったかもしれない。封印された箱も気になるけれど、お母様の手帳は入手できたし、もう帰りたかった。
 泣きそうになっていると、マルクがいきなり大声を出して、像に話しかけた。
「お前、からくりか、魔法か、どっちだ」
 突然何を言っているのだろう。私が戸惑っていると、像の指がピクリと動いた気がした――いや、違うわ、気のせいじゃない、本当に手が動いた。
『我はそのどちらでもある。からくりでもあり、魔法でもある』
「なるほど」
 なるほどって、すぐに納得できるものなの? 私には言っていることがちっとも分からないんだけど。マルクは続けて像に質問した。
「原動力は封印している魔神の生命力だろ?」
『そうとも』
「いにしえの錬金術師と、白銀の魔女がお前を造ったのか」
『そうとも』
 像はマルクの質問に対して、簡単に答えた。会話になっているようで、なっていない、そんな問答だった。
「魔神を身体の中で封印する、黄金と白銀の守護像だよ、こいつ」
 そんなものがあるなんて、話に聞いていない。テオ先生も、エステル先生も、この像のことなんて知らなかった。
「マルクはなんでそんなこと知ってるの、なんで分かるの」
「泥棒だから?」
 からかうように答えた。なんで疑問形なのよ。泥棒だからなんでも知っているってわけ? やっぱり納得いかなかった。でも、私より、この地下空間について詳しいことは確かだった。マルク、一体、何者なんだろう。どこから来たんだろう。像のことよりも、私はマルクのことが気になって仕方なかった。
「その足元にある箱が欲しい、白銀の魔法が必要なんだ!」
 マルクは堂々と像に向かって叫んだ。
 像は床に突き刺さっていた大斧の柄を両手でぐっと握りしめた。ぱき、と水晶が割れる音が地下空間に響く。
『ならば、箱を持って、我から逃げきれ!』
 キィン――高い音が耳をつんざく。像が両手で斧をふりかぶった。私たちめがけて振り下ろそうとしている。
「逃げろ! 階段に向かえ! すぐ上に行くんだ!」
 そう言いながら、マルクは像の足元に走っていった。水晶の床を滑りながら、木箱を両手で掴む。像は背後のマルクに狙いを定め、ずしん、と足音を響かせながら体の向きを変えた。
 私は突然のことに動けない。足がすくんでしまっている。像はマルクめがけて斧を振り下ろした。マルクは床を転がり、刃を避ける。ぱきんっと割れた水晶の欠片が、周囲に勢いよく飛び、マルクの頬を傷つける。
「っつ」
 顔を守ろうとした私の腕にも水晶の欠片が突き刺さり、たらりと血が垂れた。
「アルル!」
 名前を呼ばれ、私ははっとした。像が再度斧を持ち上げ、今度は私に狙いを定めた。
 マルクは木箱を片手で抱え、起き上がり、私のところに駆けてくる。右手首をぐっと握られる。
「逃げろと言っている! 行くぞ! 奴は俺らを殺すつもりでいる! そう命じられてるんだ!」
 私の手をぐっと引っ張って走り出すマルク。ようやく私の足が動き始める。
 背後でズシン、ズシン、と足音を轟かせながら、像が私たちを追いかけてくる。斧を振り回し、床から突き上げる柱たちを折っていく。その折れた柱は、私たちめがけて倒れてくる。ずどん、と倒れた柱は、衝撃で砕け散り、床に水晶の欠片を散りばめた。そのせいで、床がますます滑りやすくなる。私は必死に走った。
 像は柱を折るだけじゃなくて、その柱を掴んで私達めがけて投げつけてくる。マルクが私の体を抱き、身を投げてかわした。床に転がった私たちはすぐに起き上がり、また走り出す。
 階段が見えて、ほっとしたところで、マルクが急に立ち止まり、勢い余った私を受け止めた。
 何かが降ってきた。
 斧だった。鋭い刃が、目の前に突き刺さる。
 私は腰が抜けてしまって、へたり込んでしまった。その間にも、像は私たちに近寄り、踏み潰そうと足を上げる。
「立てよ、死ぬぞ!」
「む、無理……っ、力、出ない」
 マルクの腕を掴み、立ち上がろうとするけれど、下半身にまったく力が入らなかった。このままでは死んでしまう。お父様、エステル先生、テオ先生、メイドたち、城下町のみんなの顔が走馬灯のように脳裏に浮かんでいった。
 ごめんなさい、やっぱりアルルはいい子じゃありませんでした。お勉強もできないし、こんなところに黙って、それも泥棒みたいな人と来てしまって、ごめんなさい。ぎゅっと目を閉じ、お祈りを捧げた。
「――っ、くそ!」
 隣でマルクが死を覚悟したのか、おもむろに立ち上がったのを感じた。
「――!」
 何か叫んでいる。殺せ、とでも言ったのかしら。
 じきに訪れる衝撃に備えて身を固めていたけれど、痛くも痒くもなくて、私は、え、と顔を上げた。
 冷気で包まれた部屋に、熱気が溢れている。ちりちりと何かが融ける音が聞こえる。
 目の前にマルクが立っていて、マントをたなびかせていた。
 像に向かって手を伸ばしている。そしてその手の先には、私たちを守るかのように炎がめらめらと揺らいでいた。
 熱気でマルクの頭を隠していたフードが取れる。マルクの真っ赤な赤毛が、一つに結った長い三つ編みが、揺れている。
「アルル! 逃げろ!」
 マルクの叫びに私は、もう一度、足に力を込めた。あたたかい風のおかげか、私の体はほぐれていて、立ち上がることができた。
 マルクがかざしていた手をおろすと、炎はしゅんっと消えた。像の甲冑が少しだけ融けている。像はこれ以上融けてしまわないように、少し私たちから距離を取っていた。私の手をまた握り、行くぞ、と声をかけてくる。
 階段にたどり着き、私たちは急いで上を目指した。
「今の――」
 魔法なの?
 訊ねようとして、でも、息が切れてしまい、声が出なかった。階段の途中で足が動かなくなってしまう。
「失礼、王女様」
 マルクは私に木箱を持たせて、ひょいっと私ごと抱き上げた。えっ。お姫様抱っこってやつだわ。いや、私、王女だけど。
 階段の下から、からくり像の雄叫びが聞こえた。マルクは一度足を止め、階下を見て、また階段を登っていった。


「あとにならないといいけど」
 マルクにぐるぐると腕に包帯を巻かれた。そんなに大きな傷ではなかったのだけれど。
 ここではじめて、マルクの顔をしっかり見た。勝手に同い年くらいかと思っていたけれど、私よりもいくつか年上のような気がする。十五、六歳くらいだろうか。すらっとした輪郭に、小ぶりの鼻。整った眉。血色のいい唇。綺麗な顔をしていた。かっこいいかも、って思ってしまった。三つ編みにまとめきれない赤毛がはねまくっていたのが少し残念だった。癖のある、ふわふわの赤毛だった。
 結局、私の部屋まで抱っこしたままだった。木箱とお母様の手帳は無事持ってくることができた。今はベッドに置いている。
 マルクの腰にある小さなポシェットには、応急処置セットが入っていた。泥棒のくせに、荷物はちゃんとしていた。
「マルクって、何者なの?」
「だから、泥棒って思ってくれたらいい」
「でも、さっきの、魔法じゃないの?」
「魔法じゃない。王女様は何も見なかった。いいね」
 ぽんぽんと私の腕を叩いて、おしまい、とつぶやく。泥棒なら、こんな綺麗な手当はできないと思うのだけれど……。
 内緒にしたい何かがあるのかしら。きっとそうね。喋らないということは、そういうことだわ。
 マルクはフードを被り直して、窓を開けて外に出ようとした。
「持っていかなくていいの?」
 ベッドの上に置きっぱなしだった木箱を指差す。マルクは首を横に振った。
「封印が解けなかった。もし解けたら、俺のとこに持ってきてほしい。生きて帰れたんだ。褒美くらいくれよ。じゃあな」
 ひょいっと窓から飛び降り、マルクはどこかに去っていってしまった。俺のとこに持ってきてって言われても、どこに持っていけばいいのかまで教えてくれなかった。まあ、きっと、また城下町のどこかで会えるわ。そんな気がする。
 私は窓を閉めて、ベッドに横になる。
 お母様の手帳と、青い紋章の浮かぶ木箱。ちょっとした冒険だった――。怖かったけれど、楽しかったかもしれない。
 明日、テオ先生のところに持って行ってみよう。私は二つの宝物を抱きしめて、こてんと眠ってしまった。
6/7ページ
スキ