1章  アルルと封印された魔法の巻物

「アルル様! アルル様ったらまたどこに行かれたのですか!」
 エステル先生の叫びがまた城に響く。
 午後の勉強の時間になり、鬼ごっこがはじまった。今日は外には行かないから、塔に登って私を探そうとしても無駄。
 私は全く逆の場所、地下に行くのだから。
 従者たちの目をかいくぐって、地下に続く螺旋階段を目指した。明かりが一切ない、暗い階段。手すりがないから、壁を伝ってゆっくり降りる。
 誰もこんなところに来やしない。この下に何があるのか、知っている人のほうが少ないのだ。王族しか立ち入れない秘密の場所だから。
 私は小さなランプを持っていた。ランプの中には発光石が入っているの。レイラン石といって、自然に発光している不思議な石よ。海を思わせる深い青をしている。産地は知らないけれど、グランベル王国の特産品であることは間違いないわ。ほんのりと青白い光が周辺を照らしてくれるわ。ろうそくよりも光の届く範囲が狭いから、こういう時に役立つってわけ。
 足を踏み外さないように、ドレスの裾を踏まないように気をつけながら、下に下に降りていく。城の地下は、いつもひんやりしている。でも、寒くはない。ちょうどいいくらい。
 私が最初にこの階段を降りたのは、お母様がいなくなるちょっと前よ。ここはお母様に教えてもらった。秘密の素敵なお部屋って。
 それから、数ヶ月に一度くらいの頻度で通っている。エステル先生にバレないように来るのがちょっと大変だから。
 次第に、下に温かなオレンジ色の光が見え始める。その光に、私はほっとした。
 そこは、円形の大きな図書館だった。ここは王室図書館。王のためにかき集められた書物たちが、高い本棚に入っているわ。
 お母様の好きな場所だったの。お母様は物語が大好きで、幼い私によく読み聞かせをしてくれたわ。
 にゃあ、と声がする。
 たくさんの猫が、図書館の奥にあるカウンターにいた。王室図書館を守っている猫たち。まだら模様の猫、シマ模様の猫、真っ白の猫。様々で面白い。
 私は猫たちに挨拶をして、この図書館の守り人に声をかけた。
「テオ先生、眠ってるの?」
 カウンターの下から、ぬっと白い手が出てくる。猫たちが驚いて、カウンターから飛び降りた。
「や、やあ。アルル様。寝てないですよ」
 色白の青年が、目を擦りながらカウンターの下から出てきた。
 お母様と同じ、銀の長い髪を持っている、かっこいいお兄さん。お母様と出身を同じくするけれど、血縁ではないらしい。魔法は使えないらしい。眠たそうな垂れ目をしているけれど、瞳はこのレイラン石みたいにキラキラしている。何年もここで過ごしている、不思議な人だ。一体何歳なのだろう。顔が綺麗なせいか、ずっと若いままな気がする。
「寝てたでしょ」
「寝てないですってばあ。ちゃあんと、仕事してますよ」
 ほら、と出してきたのは、羊皮紙の巻物だった。テオ先生はそれを開いて見せてくれる。地図だった。中央にグランベル王国があるのは分かるけれど、それ以外はちっとも分からない。
 う、と顔をしかめると、テオ先生は困ったように笑った。
「またお勉強から逃げてきたんですか? それともお勉強をしに来たのですか?」
「逃げてきたって答えたら?」
「お茶くらい出してあげますけど。逃げてきたんですね、しょうがない王女様だ」
 テオ先生は溜息をついて、私の頭を撫でた。
「ちょっと。子供扱いしないでよ」
「あはは。まだ子供じゃないですか。……いや、大人になりかけた子供ってところですか。まあ椅子に座って待っていてください」
 私が顔の熱を感じている間に、テオ先生は奥の部屋に入っていった。猫たちがテオ先生についていった。黒いローブを着ているから、暗闇に消えたかのように見える。奥はテオ先生の住まいだ。
 テオ先生は滅多にこの図書館から出てこないけれど、どうやって生活しているのだろう。陽の光を浴びなくてもいいのだろうか。いつも疑問に思う。
 カウンターの前にあった椅子に座ると、白猫が私の膝の上に飛び乗ってくる。大きなあくびをして、うたた寝していた。猫の自由さがうらやましい。
 テオ先生が持ってきてくれたのは、リラックスできる甘い紅茶だった。それから、くるみがごろごろ入っている焼き菓子。
「これどうしたの?」
「僕が作りました。アルル様が来るって分かっていましたし」
 テオ先生がローブの中から出したのは、紫色の巾着だった。その中から、一つだけ石を取り出す。
「ほら。”待ち人来る”」
 黄金に輝く錬金石だ。テオ先生は、錬金石で占いをするのが得意だった。
「待ってた? 私を?」
「色々占いましたよ」
 カウンターの上にある五芒星の書かれた布の上に、一つ一つ石を取り出して置いていく。
 それはまるで、占いというより、魔法だった。
 テオ先生の銀の髪が、ろうそくの光に照らされてキラキラと輝いている。色とりどりの石も、テオ先生の手が触れると、ちかっと光った気がした。
 私は椅子にお皿を置いて、カウンターに寄った。
「アルル様、昨晩、お父様と喧嘩しました?」
「う」
「お勉強のことで」
「正解」
「アルル様は、今、心が踊ることがないんですよね」
「そうよ」
 ああ、全部テオ先生の占いで知られてしまう。
「魔法の行方が知りたいと」
 ドキッとした。テオ先生のまろやかな視線が、急に鋭くなる。
「――ということも予測できておりましたので、待っていた、ということです。どうですか、僕の占い」
「いちいち当たるから、なんだか魔法みたいよ」
「魔法だったらどれだけいいか。白銀の髪を持っていながら、僕は使えないんですよ、残念ながら。でもね、アルル様。僕はあることを知っています」
 テオ先生は、カウンターから出てきて、図書館の中央に向かって歩いていく。私と猫たちも一緒に付いていった。
 中央には閲覧ができる大きな木製のテーブルがある。テオ先生はそれを動かそうとしていた。でも、テオ先生は力がなくて、すぐに動かせなかった。私も手伝って、机を横にずらす。
 敷かれていた絨毯を丸めると、そこには扉があった。
「メリアナ様が行方不明になったあと、ガリア王は悲しみに暮れ、魔法に関するものを全てこの下に投げ込んだのです。この王室図書館には、もう、魔法に関するものがありません。僕が守れなかったもののうちの一つです」
「一つ? 他にもあるの?」
「メリアナ様です」
 テオ先生の声に、悲しみの音が混ざったような気がした。
「この下には何があるの?」
「ガリア様がお捨てになられた魔法に関するもの。そして、メリアナ様に関するものです。メリアナ様の手記なども落ちているはずです。取りに行くのは困難だと思いますが」
「どうして?」
「いにしえから眠る水晶と氷の魔神がいるという言い伝えがあります。この地で荒れ狂っていた魔神で、いにしえの黄金の錬金術師と白銀の魔女が共に封印し、その上に城を築いたのです。それが今のグランベル城であり、グランベル王国のはじまりなのです――アルル様だったら、知っていておかしくないのですが?」
 たまにテオ先生はいじわるになる。知っていて当然、という視線を送ってくる。
 い、いいの。今、テオ先生に教えてもらったから!
「勇気があれば、この下に行ってみたらいいと思います。魔神は眠りから覚めているのか、覚めていないのか。それは占いではみることができないので、行ってみないと分かりません。でも、魔法が残っている可能性はゼロではないと思いますよ」
 テーブルはずらしたままにしておくと、テオ先生は言ってくれた。
 それから、テオ先生は扉を開けてくれた。その下は、真っ暗で何も見えなくて、怖くて鳥肌が立った。この下に魔神がいると思うと、ぞっとする。
 勇気、あるかしら。私に。
 扉を閉めて、冷めた紅茶とケーキをいただいていると、テオ先生がまた私の頭を撫でた。
「お父様の悲しみも、理解してあげてください。メリアナ様がいなくなって悲しいのは、アルル様だけではなく、ガリア様、そして国民の皆なのですから。僕だってつらいのです」
「……分かってるわよ……、ごちそうさま、テオ先生」
「はい。あ、上でエステル殿が待ち伏せしておりますので、こう言ってください。『グランベル王国の成り立ちが知りたい』と。僕と同じか、僕以上に詳しく話してくれるでしょう。この内容は、アルル様も興味があるのではないですか?」
「そうね。ちょっとだけ。わざわざありがとう。また来るわ」
 地上に戻る間際、テオ先生は私の額にあるニキビに軟膏を塗ってくれた。ほっそりとした指が、私の額を撫でる。なんだかドキドキしてしまった。
 テオ先生とお話すると、なんだか少しだけ前向きになれる。ここはやっぱり私にとって特別な場所だった。テオ先生も……、私にとって特別な人だ。
 でも、何となく分かる。テオ先生は、ずっとお母様のためにここにいるんだってこと。テオ先生は言わないけれど、私はそう思っている。
 テオ先生の占いの通り、階段の上ではエステル先生が私を待っていた。腰に手を当てて、ぷりぷり怒っている。
「アルルさ――」
「ごめんなさい。知りたいことを見つけに行っていたの。自習ってやつだわ。エステル先生、グランベル王国のはじまりについて知りたくなったから、教えてくれない?」
 怒られる前にそう言うと、エステル先生は、驚いた顔をしていた。
 そして、すぐにごきげんな顔になる。
「ま、まあまあ! アルル様! 分かりました。このエステル、抜けがないように教えてさしあげます!」
 ほんと、テオ先生の占いって、どんぴしゃりだから怖くなる。
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