5章 アルルと白銀の祝福

「盾となれ!」
 トットが私に向かって何かを投げつける。
 それは水色の大きな盾となり、私たちを触手から守った。はじかれた触手はどろりと溶け、地面を黒くする。
「トット、飛行船は?」
「飛行船が多少壊れても、簡単な修復さえすればなんとかなります。ですがアルル様やアルテラザイード様が死んだら、魔法や錬金術ではなんともできません。魔法も錬金術も万能ではありませんから」
 トットはあの袋を持っていた。錬金石が入った袋だ。
「たまに、この石をこう呼ぶ人がいます。賢者の石と。オレゴからこっそり持ち出して正解でした」
 錬金石を複数黒竜に向かって投げると、固形だった石は水のようなものに代わり、氷のヒビに流れ込んだ。
 ただの高価な石だと私も思っていた。錬金術で白銀の魔力を封じ込めているから、あらゆる形になることができるのだ。
 トットはミストラザイードとマルクにも石を投げる。体力を回復させ、マルクは威圧するかのように吠えた。
「アルル様、今のうちです。祈りをすすめてください」
「う、うん!」
 私の思いは、お母様だけにあった。
 たくさん私に優しい魔法を見せてくれたお母様。誰も不安にさせないために一人で城から出ていった、誰よりも優しいお母様。怖くても引き返さなかった、誰よりも強いお母様。
 魔法で溢れているこの地で、必死に願った。トットに散々、山脈に意思なんてないと言われたけれど、それでも願わずにはいられない。
 奇跡とも言える魔法の力で、お母様を救ってください。
 巻物はわずかに詠唱の速度を上げた。黒竜は氷の中で苦しそうにもがき、氷を内からえぐっている。何度も氷が割れそうになるけれど、トットがそのたびに補強をした。
 あとどれくらい詠唱に時間がかかるのか分からない。でも、私も、マルクも、トットも、ミストラザイードも、フリューゲルも、この時間を耐える。
 つらい時間だった。でも、まだあきらめていない。
 氷の周りでちりちりと輝いている小さな結晶の粒がお互いにひっつきあって、徐々に大きな氷の塊へと姿を変えていく。
 冷気が押し寄せる。目が痛い。鼻も痛い。息をすれば冷たい空気が肺に入ってくる。どんなに温かい服を着ていても、体が凍ってしまいそうなほど寒かった。
 まぶたを閉じ、祈りを続けていると、かすかに声が聞こえた。
 ――寒い。
 それは私の声かと最初思った。私の気持ちがとうとう、我慢できなくて、口からこぼれ出たのかと思った。
 ――ガリア様……。
 お父様の名を呼んだ。
 ――アルル……。
 はっとして、私は目の前に立って巻物を支えているフリューゲルを見る。
 長い銀の髪を揺らし、白いドレスに身を包み、白銀の魔法を使っているのは、紛れもなくお母様だった。
 喋ることができないフリューゲルが、はっきりと声を出していた。
「そうか」
 トットはフリューゲルを見上げて呟く。
「フリューゲルが生まれたのは、メリアナ様が封印をした後だった……。もしかしたら、フリューゲルの白銀の力は、メリアナ様の白銀の残滓なのかもしれない! メリアナ様の魂をフリューゲルの体に戻せば助かるかもしれない。アルル様、メリアナ様は助かりますよ!」
「う、うん……うん……っ」
 もうすぐだ。そう思うと、涙が出てくる。まつ毛についていた氷の粒が、涙で溶かされた。
「お母様、戻ってきて……!」
 巻物はフリューゲルの手から離れ、最後の詠唱を進める。
 大きな塊となった新しい氷が、いろいろ黒竜を閉じ込めようとしていた。
 今、黒竜の動きを封じている氷は、てっぺんからじわじわと溶け始める。黒竜の体があらわになっていく。
 外の空気を吸った黒竜は、にんまりと笑った。
 この封印の一瞬の隙を狙っていたというのが、その一瞬の笑みから分かった。
 口をあんぐりと開け、私たちに向かって黒い炎を吐く。
「まずい!」
 トットが叫んだ。
 その叫びを聞いたマルクが、私たちの前に躍り出て、すかさず炎を吐き、対抗する。
 黒竜にも負けない力があった。
「アルル様、大丈夫です、続けて!」
 私がいちいち驚いてばかりいるから、なかなか封印ができないのだ。何があっても大丈夫。マルクやトットたちを信じて、集中しよう。
 お母様の氷が溶け、水はフリューゲルの体の中に移っていく。
 輝きを失ったフリューゲルは、崩れ落ちるようにして倒れた。トットが慌てて下敷きになる。
 フリューゲルを失っても、詠唱の最終段階に入った巻物は引き続き封印をすすめている。
「白銀の魔女は死んだはずだ!」
 呪われたような声が響いた。
「なぜだ、なぜだ、なぜた!」
 足元から、凍っていく黒竜が吠える。自分を閉じ込めようとする氷に向かって黒い炎を吐くものの、溶けることはなかった。
 マルクが飛び上がり、黒竜の肩に爪を立てる。
「魔法がある限り、この山がある限り、お前を封印し続ける。お前が諦めないのと同じように、俺らも諦めてない」
 黒竜の生んだ二体のドラゴンは、力尽き、倒れていた。
 ミストラザイードも黒竜の足に噛みつき、動きを封じる。
「お前は死んでも死にきれぬ。山脈で生まれたにも関わらず白銀に愛されなかった竜よ。せいぜい眠れ。それがお前にとっての救いだ」
「なぜだ――!」
 黒竜にとっては純粋な疑問なのだろう。
 ただ、生きたかっただけ。ただ、みんなと同じように、生を受けたからには外の世界で生きたかっただけ。
 なのになぜこのような目にあう。
 封印のたびに、何度も、白銀の魔女に問いかけたのだろう。自分はなぜここで眠り続けなければならないのだと。
「知るな。知らないほうがいい。眠れ。何も知らず、穏やかな眠りの中にいるのだ」
 ミストラザイードは、まるで子供をあやすかのように声をかけた。
 いよいよ黒竜を封じ込める準備ができ、ミストラザイードとマルクは、黒竜の体から離れた。
 同じドラゴンとして、思うことがあるのかもしれない。
 動きが鈍くなった黒竜に向かって、頭を垂れる。
「お前も、まだ諦めるな。いつか、救う方法が見つかるかもしれない」
 マルクが呟いた。
 巻物の文字が輝き、分厚い氷が黒竜の体を覆った。
 詠唱を終えた巻物は光を失い、ペンダントのサイズに戻って、私の手の中に収まった。
 ぎゅっと握りしめ、いにしえの白銀の魔女に祈りを捧げる。
 ペンダントを首にかけて、すぐにフリューゲル――お母様の元に向かった。
「眠ってるだけです。無事ですよ」
 トットがそれだけ言うと、私はわっと泣いて、お母様の胸に飛び込んだ。
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