5章 アルルと白銀の祝福

 マルクとミストラザイードは旋回して、周囲を観察する。すぐに降りるには危なすぎると判断したのだろう。
 トットにはもう少し離れたところに着陸して、万が一があった時にすぐ私を逃せる準備をしておくように伝えてあった。山頂から降りてすぐのところに停めてある。
 青く輝く氷の塊からはみ出しているのは黒竜の翼だった。それを見たマルクは息を飲む。
「封印したばかりの時はもっと大きかった。あれから十年ほどしか経っていないのに」
 氷の前に石のような体をした巨大な二体のドラゴンがいて、私たちをにらみあげる。殺気をまとっていた。
「お守りをしているようだな」
 魔物の群れが落ち着いたのは、そのせいだった。封印をさせないために全ての力を二体のドラゴンに注いでいたのだ。ミストラザイードとマルクの体よりも大きく、ずんぐりとしていた。口から見える牙が鈍く光っている。どろっとしたよだれを垂らしていた。
「ふん、即席のドラゴンめ」
 不敵な笑みを浮かべるミストラザイードは、マルクに目くばせする。
 マルクも頷いた。
「死ぬなよ、アルテラザイード」
「死にません、もちろん」
 攻撃をしかける前に、マルクは私に巻物を用意しておくよう伝えた。
 フリューゲルに頼んで、巻物をペンダントサイズから、普通のサイズにしてもらう。
 どんな魔法も使える巻物だけれど、万能ではない。フリューゲルの体力が尽きたらそこで終わり。封印することだけに集中する。マルクと最後の確認をして、私はマルクの背中で立ち上がった。
「行くぞ!」
 ミストラザイードの合図でマルクは地上に向かって高速で突っ込んでいく。
 私は巻物を広げて両手で持ち、フリューゲルの力でゆっくりと降りていく。
 ミストラザイードとマルクは首を狙って、敵のドラゴンの二体ともつれあっていた。お互いにお互いの首を狙って、牙を立てようとしている。
 なるべく黒竜から離れた場所に引き出そうとしてくれて、真正面に降り立つことができた。
 私が封印をする者だと分かったドラゴンは、ミストラザイードとマルクの体から離れて、私めがけて爪を振り下ろそうとする。
 鋭い爪が迫ってきて、私はフリューゲルを抱きしめて身をすくめた。
「させぬ!」
 私とドラゴンの間に入ったのはミストラザイードだった。振り下ろされた爪を掴み、そのまま捻って体を倒す。マルクが馬乗りになり、首を狙おうとするものの、ジタバタとするドラゴンの翼が地面の氷をえぐり、欠片を散らした。マルクも一瞬ひるみ、かけらは私の頬にも刺さり、鈍い痛みが走る。
 けれど、このくらいの痛みなら我慢できた。手の甲でにじんだ血を拭う。
「アルル、早く!」
「う、うん……、フリューゲル、お願い」
 巻物を掲げた時、黒竜と目があった。
 彼は、氷の中で目を覚ましていた。
 憎しみとか、悲しみとか、そういうものはまったくなかった。ただただ、純粋な目で、私のいる外の世界を見ていた。
 彼は、本当に、純粋に、生きているだけなのだと、察するにはじゅうぶんな綺麗な瞳だった。
 ただ、その純粋な心は、私たちにとっては敵になりうる、完全な悪のものだった。それはこれまでの出来事から分かることだった。騙されてはいけない、あの瞳に。
 お母様の氷が内側からえぐられているのが見えた。それに、深いヒビも入っている。目覚めて、何度も何度も外に出ようとして、傷を内側からつけていた。
 フリューゲルが私の目の前で体を大きくさせ、山脈の力を巻物に注ぎ始める。
 彼女の伸びた髪の毛は、やっぱりお母様に似た綺麗な絹のような髪で、やっぱりお母様に似ていると思った。
 フリューゲルが巻物を手にすると、封印のための詠唱がはじまる。詠唱は、マルクの強化をした魔法よりもかなり遅かった。じわじわと巻物に呪文が浮かぶ。
 その間にも、黒竜は内からガリガリと氷を削ろうとしていた。
「やめて……やめて、お母様が死んじゃう!」
 お母様の命が一緒に削られているような気がして、私は氷に手を伸ばした。
 その途端、私の体に何かが当たって、勢いよく宙に浮き、吹き飛ばされた。一瞬のことで、自分の身に何が起こったのか、すぐ把握することができなかった。
「アルル!」
 もつれ合っていたマルクが叫ぶ。
 どっと地面に叩きつけられ、意識を失いそうになる。すぐに起き上がることができなかった。
「アルル!」
「……っ、だ、だいじょうぶ」
 肩と背中を強く打っていて、鈍い痛みに顔を歪ませてしまう。めまいが襲ってきて、立つのだけで精一杯だった。
 そんな私を見たドラゴンが、ミストラザイードとマルクの手から逃れて私を襲おうとしている。
 巻物の詠唱が止まり、光を失っていた。このままではミストラザイードとマルクとフリューゲルの力を消耗してしまうばかりだった。
 集中しなきゃ。私が早く封印を終わらせなければ。ゆっくりと歩いて、フリューゲルのもとに行く。
 心配するフリューゲルは、やっぱりお母様そっくりだった。肖像画で見たお母様そっくり。お母様の命が吹き込まれているんじゃないかと思うほどに。
 透き通った手が差し伸べられる。私はそのフリューゲルの手をぎゅっと握りしめた。
「大丈夫。続き、やろう。お願い」
 フリューゲルは再度巻物を両手で掲げ、巻物に力を注ぎ込む。
 後ろでマルクの叫びが響く。けれど、私は振り返ることができない。振り向きそうになるけれど、祈りのほうに集中しなければならなかった。
 痛みに耐える咆哮は、マルクのものなのか、ミストラザイードのものなのか、それとも魔物のものなのか。分からないけれど、今は信じるしかない。マルクも、ミストラザイードも、負けるはずがないのだと。
 祈りを捧げていると、次第に、黒竜を包む氷の周りに、小さな結晶が浮かび始める。カチカチと空気を凍らせ、氷を作る準備に入っていた。小さな粒が光り輝いている。お母様がかつてみせてくれた氷の結晶を彷彿とさせるものだった。
 早く、早く、と気持ちが急いてくる。
 胸の前で手を組み、お母様――と無事を祈る。それくらいしかできなかった。
「アルル様!」
 飛行船にいるはずのトットの声が聞こえ、私ははっとして目を開けた。
 水晶のヒビの隙間からどろどろとした黒い何かが出てきたのだ。
 ビュッと触手のようなものを伸ばしてきて、私の体を貫こうとした。
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