4章 アルルと白銀の戦士

 おもむろに飛び上がり、こちらに向かってくるミストラザイードに、私はドキッとしてしまい、マルクの首に抱きついた。
「食うわけがなかろう」
 動けないマルクの体を抱き上げ、ミストラザイードはゆっくりと彼を霊泉の中に入れた。
 フリューゲルもその中に入れてやれと言われるので、ゆっくりと私の手で支えてやりながら湯の中に体を入れてあげる。
 しばらくして目を覚ましたフリューゲルはきょとんとしていた。
 先程あったことは忘れてしまっているのかもしれない。無邪気な顔をして飛び立ち、濡れた体で私の頭の上に座った。
 それからまたしばらくして、マルクは目を覚ました。
 ミストラザイードが目覚めるのを待っていたということを知って、申し訳無さそうに頭を下げた。
「自らの力を把握しきれず倒れるなど、一族の恥だぞ」
「……分かってます、そのくらい」
 だが、とミストラザイードは、優しい声色で続けた。
「黒竜の封印ができる者を探し出し、ここまで連れてきたことは、褒めてやってもいいのかもしれない」
 ペンダントに戻ってしまった巻物を見たミストラザイードは、私とフリューゲルに頭を下げた。
「メリアナの娘よ。それから錬金術と白銀で生み出された小さき者よ。先程の非礼を詫びよう」
「私のことはいいの。マルクのこと認めてやって。お母様もそう言うと思うわ」
 私が言うと、ミストラザイードはマルクに頭を下げた。
 それが彼ら一族の礼なのだろう。
「どうするのだ。アルテラザイード。お前が頂へ向かうのか」
「行かせてください。メリアナ様のこと、俺もまだ諦めてません」
 マルクが立ち上がろうとすると、ミストラザイードはそのままでいろと言った。
「早く回復することだな。魔物は他にもうろついているが、それらについては我がどうにかしよう」
 ミストラザイードが飛び去ると、ちらちらと雪が降ってきた。風はなく、吹雪にはなりそうにはなかった。
 マルクの頭に落ちた雪はじんわりと溶けていく。魔力のこもった雪だ。マルクにとっては回復の助けになるのだろう。
「……どっちの名前で呼んだほうがいい?」
「今までのでいい」
 ブーツを脱いで、私は足を霊泉につけた。凍えた足が温められて、気持ちがよかった。フリューゲルも霊泉の中に入り、泳ぎはじめる。
「どうして名前、隠してたの」
「人に紛れるにはそうするしかなかった。自分の力の一部を封印するしかなかったんだ。ただ、一度封じると、誰かに呼んでもらう必要があった。それがアルルで良かったと思う」
「う、うん……」
 改めて言われるとなんだか不思議な感じがして、恥ずかしくなる。
「フリューゲルがあんな力持ってるとは思わなかった」
「メリアナ様に似てたな」
 気ままに泳いでいるフリューゲルからはちっともお母様らしさは感じないけれど。
 もしかしたら、お母様の力がフリューゲルにあるのかもしれない、なんて思ってしまった。
 ペンダントに戻ってしまった巻物を見てみる。
 見たい、と思うと、今度はフリューゲルが手を貸さなくても普通の大きさになる。
 開いてみるけれど、文字は何もなかった。
「たぶん、それ、アルルの願いで、どんな魔法でも使えるようになる代物だと思う」
「そんなことあるの?」
「やつらの話とさっき起きたことを考えると、フリューゲルはやっぱり力の媒体でしかない。フリューゲルが魔法を使ったんじゃなくて、アルルがそうさせたんだ」
「そっか……」
 私が魔法を使ったという自覚はないけれど、魔法に詳しいマルクがそう言うのならそうなのだろう。
 ペンダントのサイズに戻った巻物を私は握りしめ、それから胸元に大切にしまった。
「お母様のこと、マルクも諦めてないって、ほんと?」
「……半分は諦めてた。けど、アルルを見ていたら、まだ諦めたくないって思った。だから、諦めてない」
「ありがとう、マルク。お母様と最後まで一緒にいてくれたのが、マルクで良かった」
 飛行船に戻る前に、マルクの鼻の上に感謝のキスをした。
 マルクは硬直してしまったし、私も恥ずかしくて、フリューゲルを呼んで飛行船に走って向かった。
 何があったのか知らないトットは、顔を真っ赤にしている私を見て、寒かったんだろうと思ったのかすぐに温かいお茶を出してくれた。
 お茶を飲みながら、巻物の魔法が使えたことと、フリューゲルの力の真実をトットに語ると、トットは私に謝った。
「ドワーフの端くれとして、フリューゲルの力を見抜けなかったのは申し訳ないです。分かっていれば魔物から狙われることも予想がついたのに」
「それはいいのよ。なんとなかったから」
「あの、では、アルル様はマルク様……アルテラザイード様と一緒に頂に向かわれるのですよね。では僕と飛行船は麓で待っていたほうがいいでしょうか。この飛行船、移動することしか能がありませんし」
「え、なんで。トットも一緒に行くのよ。私は馬鹿だから、何かあったときのための知恵は必要でしょ?」
「あ……は、はい! ぜひとも……!」
 黒竜封印の瞬間は、ドワーフとしてもぜひ見ておきたいという気持ちがあったらしい。そういうところはこの世のことを全て知りたいドワーフらしいなと思う。
 オレゴの谷から出れたのだ。最後までトットにも一緒にいてほしい。
 それから二日して、飛行船のドアが叩かれた。
 ドアの前にいたのは、いつもの、赤毛のマルクだった。すっかり元気になっていて、私はほっとして胸をなでおろす。
「ドラゴンの姿でもよかったのに。私、どっちも好きだけど」
「こっちのほうが小回りがきいていいんだよ」
 そう言って、マルクはドアの前で膝をついた。
 驚く私に、トットは「ドラゴンの儀式なので、やってあげてください」と耳打ちする。
「尊き白銀の魔法の使い手様を最後まで守り抜くことを誓います」
 右手を取られ、軽く手の甲にキスされる。
「う、あ……、」
 狼狽えている私に、マルクは立ち上がって、私の頭にこつんと拳を当てた。
「儀式だってのに何赤くなってんだよ馬鹿。こっちまで恥ずかしくなるだろ。王女様なのにこういうのに慣れてないのかよ」
「だ、だって! 私まだ公務とかしてないし! ドラゴンのままで良かったんじゃないの!」
「だから、こっちのほうが小回りがきいていいって言ったろ。翼と爪のある足じゃ……無理だし……」
 マルクは私を抱きしめて、ありがとうと囁いた。
「何があっても、戦士として守るから」
「あ、う、うん」
 お母様を助けたいのは、私だけじゃなく、マルクも同じ。それがとても嬉しかった。
 まだあきらめていない人がいる。
 後ろでトットがコホンと咳払いをするので、私は恥ずかしくなってマルクの背中をばしばしと叩いた。
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