4章 アルルと白銀の戦士

 しばらく歩いていると、黒の岩肌の中に目の前に、明るい緑の石が混ざるようになってくる。
 この優しい光は、レイラン石だ。レイラン石の産地はどこなのかしらって思っていたけれど、この山脈の麓だったのね。
 でもこの付近はドラゴンの住処だから、掘り返したような跡はなかった。自然なままでいるレイラン石に感動を覚える。
 今はまだお昼だからその光は太陽に負けてしまっているけれど、夜になったらこのあたり一帯は優しい緑の光に包まれて幻想的な風景を見せてくれるのだろう。
 隆起する岩の中にもレイラン石があり、そのうちいくつかは黒が混ざらないレイラン石の塊のようなものもあった。
 その中に白い湯気が立ち上っている場所があった。くぼみの中にはお湯がたまっていた。
「温泉?」
 マルクは頷いて、前足からゆっくりとお湯の中に入る。
 翼を畳み、全身を湯に浸けた。
「霊泉だよ。地下から湧き上がってきているんだ」
 地上に溢れる過程の中で白銀の魔法がたっぷり溶けているのだという。私も手を浸けてみるけれど、魔法は特に何も感じなかった。でも、温かくて、私も一緒に入りたくなってしまう。お城の大きなお風呂もいいけれど、このレイラン石でできた湯船もとても幻想的で素敵。
 マルクは顎を岩の上に乗せて、まぶたを閉じてじっとしていた。
 ある程度、元気が戻ってきたところで、うっすらと目を開けて、私にすまないと謝った。
「頑固なクソジジイだっただろ」
「ミストラザイードのこと? まあ、うん……。私こそ、我慢できなくてごめんなさい。ちょっとは労ってあげてもいいじゃないのって……むかついちゃって」
 もし私がこのまま何もなさずして城に戻って、お父様に怒られても、それは当然だって思う。お父様が怒る時は、私のことをとても心配している時で、私のことを大事にしてくれているって知ったもの。それに、私だって、怒られるようなことをしている自覚はある。
 でも、マルクがあそこまで怒られる理由が分からなかった。ドラゴンたちの過去に理由があったとしても、マルクがここまでしてきたことをちゃんと聞いてあげてほしかった。
 私の気持ちを伝えると、マルクは遠い空を見つめた。
「俺とジジイのこと――トットは話さなかったんだな」
「……マルクから教えてもらってくださいって言われたけど」
 前足をお湯の中から出し、岩にもたれる。
「メリアナ様が関係する話だ……。これを話すということは、メリアナ様のこと、この白銀の山で起こったことを全て語ることになる。話すのが遅くなってしまったのは……、俺の自責の念のせいだ。アルルがメリアナ様のことを諦めていないというのを知って、申し訳なくなったんだ。アルルは、たぶん、これからの話を聞いて、俺を責めるかもしれない。そういう話だ。それでも……聞いてくれるか」
 何も知らないまま、登頂してしまって、そこでお母様の真実にたどり着くほうがいいのかもしれないけれど……、これまで何も教えてくれなかったマルクが、ここに来てようやく、自分のことを私に話してくれようとしている。
 だから、聞こうと決めた。
「聞く。お母様のことも、マルクのことも知りたい」
「……、メリアナ様が城から消えた時の話だ。そこに遡る」
 お母様が城からいなくなって、私は何度か泣きじゃくっていた記憶がある。
 お父様も、城のみんなも、お母様が使命のために城から出ていったことを知らず、突然のことに驚き、悲しみに打ちひしがれていた。
 その間、お母様は、自分の使命のためにこのミハラマ山脈を目指していた、というのは知っていることだ。
「メリアナ様がまず来たのは、このドラゴンの住処だった。白銀の魔女は代々、ドラゴンを護衛につけて山を登るからだ。メリアナ様が代々の魔女に比べて力が弱いというのは、ドラゴンたちはすぐに分かった。メリアナ様だけでは黒竜の封印は難しいということもすぐ分かった。だから、長はメリアナ様に言ったんだ。この白銀の戦士がなんとかするから、メリアナ様は城に戻れと」
 当時、まだドラゴンは複数体いて、その誰もが、お母様の封印は失敗に終わると思っていたらしい。賛成するドラゴンはいなかった。
 でも、お母様は白銀の魔女はもう自分しかいないと言って、引き下がった。
「メリアナ様は言ったんだ。”白銀の魔法の使い手が滅んだとしても、いにしえの白銀の魔女が遺した魔法が残っています。だから私は行きます。ドラゴンに護衛をしてもらおうと思いましたが、もう結構です”と」
 さっき、ミストラザイードが”頑固だ”と言っていたのは、そういうところのことらしい。
 お母様は私には優しいところしか見せなかったけれど、一度決めたことは覆さない強さもあったんだわ。
「ドラゴンたちは、封印が薄々弱まっていることも知っていた。ジクラスの悲劇を耳にしていたからだ。あれは寝耳に水だった。ドラゴンたちは何もできなかったことを恥じて、見て見ぬふりをしていたんだ。でもこのままだと危ないということにメリアナ様に気付かされた。だから、メリアナ様が行ってしまったあと、すぐに護衛のドラゴンが選ばれたんだ。それが、俺だった」
 そこで、一旦言葉が途切れる。
 私の肩に座っていたフリューゲルがマルクの額に飛び移る。つらい過去を思い出しているマルクを慰めようとしているのかもしれない。
「メリアナ様の封印が成功したら問題はないし、失敗しても、黒竜の間近で犠牲になるのは一番非力なドラゴンのほうが良かったんだ。力のあるドラゴンを失うわけにはいかなかったからな。メリアナ様は俺が着いてきてくれることにたいそう喜んだ。俺の背に乗って一気に山脈の頂上に向かった。まだ幼い娘がいるから、本当は生きて帰りたいって、言っていたんだ」
「でも、お母様……最初から、もう、城に帰るつもりなんて」
「メリアナ様も分かっていたんだ。自分の力が歴代の魔女に比べて弱いことは。封印をしてきたのは、その時代、もっとも力のある魔法の使い手たちだったからな。ジクラスの悲劇がなければ、メリアナ様以上の力を持つ魔女が向かったかもしれないのに。可哀想だなって、思ったんだ。その時、俺はまだ死ぬつもりはなかったから、メリアナ様を励まして羽ばたいた。ドラゴンの翼なら山頂まで一瞬だ。すぐに封印の場に着いた。黒竜は氷漬けにされていて、巨大な氷の塊の中で眠っていた。その氷が内側から爪でえぐられ、ヒビが入っているのを見た時、メリアナ様はすぐに魔法を唱えた」
 その瞬間、ヒビ割れたところから出てきたのは、黒竜の闇の魔力だった。
 魔力は魔物にと姿を変え、マルクとお母様を襲う。マルクの話があまりにも生々しくて、本当に起こった話なのだという実感があった。
「俺は戦士として戦わなくてはいけなかった。メリアナ様も俺を守っているだけでは封印ができない。メリアナ様には封印に集中するよう言って、魔物は俺が対処することにした。氷のヒビから絶え間なく溢れ出てくる魔物は、黒竜から直接生み出されたせいか力が強かったし、数も多かった。俺は多くの傷を与えられ、メリアナ様が封印を終わらせるまでもちそうになかった。崩れ落ちる俺を見たメリアナ様は俺を庇って魔物たちの前に立ったんだ」
 ――私の命を使わなければ、封印できそうにありません。私は死ぬかもしれませんが、あなたは死ぬ必要はありません。私の命を源にした封印は数年しかもたないでしょうから、このあとすぐに下山し、いにしえの白銀の魔女が遺したといわれる魔法を城に取りに来てください。あなたに託しましたよ。
 マルクが止めようとする前に、お母様は自分の命を源にし、自身が黒竜を覆う氷となった。
 それがマルクの見た、お母様の最後だった。
「戦士のくせに、メリアナ様に守られ、メリアナ様を守りきれなかった俺は、そのあとすぐに長から叱られた。俺が逃した魔物たちはドラゴンの麓を襲い、残されたのは長と俺だけになってしまった。長は俺をドラゴンの恥だ、誇り高いまま戦士として死ねばよかったのだと憤慨したし、俺もそうすべきだと思ったんだ。でも、そうはならなかったし、やり直しも叶わない。だから、せめてと思って、傷が癒え、力を取り戻したあと、各地に飛び散った魔物を倒しながら、城に向かったんだ」
 ただ城に入るのは難しかった。城下町で私を見かけて、泥棒のようなことをして私に近づき、そして城の地下にある魔法を取りに行った――。
 マルクは視線を遠い過去から私に向けた。
「俺はドラゴンだ。白銀の魔法の使い手にはなれない。アルルが魔法を持っていて、次なる使い手になるのなら、アルルにそのまま仕えてもいいかなと思ったんだ。アルルはメリアナ様の真相を知るために山脈に行きたがっていたし、魔法も求めていた。都合がよかったんだ。無理に山脈に来いなんて言わなくても、アルルが行きたがっていたからな。アルルがメリアナ様の遺した娘だというのも知っていたから、そうすることがメリアナ様への償いだとも思ったんだ……。けど、自信がない。アルルを本当にあの場所に連れて行っていいか、迷っている」
 湯が波打った。マルクの尻尾が揺れていた。迷うと尻尾が揺れる癖があるのかもしれない。
「お母様は……まだ、生きてるの?」
「まだ、可能性はある……、ただ、確実にメリアナ様を救い出せるとは限らない。しばらく離れていたから、メリアナ様の命がどのくらい残っているか分からないんだ」
「だったら行く。私、ずっと、お母様のことも、魔法のことも、諦めてないから。ペンダントの魔法もまだどんなものか分からないし」
 マルクの頬を撫でて、私は言った。
「だから、早く元気になって。お母様みたいに、私をマルクの背中に乗せて。飛行船で行くのもいいかもしれないけれど」
 一瞬、驚いたような顔をして、それからマルクは頷いた。
「……数日はかかる。魔物が襲ってくる可能性は充分にある。それまでは飛行船にいろ」
「うん。ありがとう、マルク」
 マルクが元気になるまでは私ができることはないし、フリューゲルを呼んで、言われた通りにすることにした。
 一度は晴れた空も、いつの間にかまた雲に覆われていた。このあたりの天気はころころと変わりやすいようだった。
 急いで帰ろうとして立ち上がり、振り向いた時だった。
 フリューゲルが雲を指差す。
「どうしたの――わっ!」
 私を何かが覆う。ざぱりという音と共に、唸り声が聞こえた。
 私を覆っていたのはマルクの翼だった。ぽたぽたと湯が落ちてくる。よじ登って、翼の向こうにあるものを見て、私は息を飲んだ。
 私たちの目の前にいたのは黒い竜だったのだ。
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