4章 アルルと白銀の戦士

 吹雪はますます強くなる一方で、外からごうっという音が聞こえてくる。魔力を伴った吹雪だから、落ち着くまで時間がかかるのだとトットは教えてくれた。
 結局一晩動けず、翌日の朝になってようやく晴れた。飛行船はぐんぐん高度を上げていく。
 吹雪いたあとはすっきりとした表情を見せていて、雪に覆われた大地が青空の下に広がっていた。太陽の光を浴びた雪がキラキラと輝いている。
 お母様を思い出す――お母様が見せてくれた、白銀の魔法を。お母様の魔法もキラキラしていて、きれいだった。魔力を湛えた雪だもの。お母様の魔法を思い出すのは当然だわ。
 山脈がどんどんと近づき、魔力を感じるみたいで、フリューゲルはくるくると部屋の中を飛び回っていた。マルクもうっすらを目を開けて、たまに首だけ持ち上げて窓の外を見ていた。 フリューゲルが嬉しそうに彼の周りをくるくると飛ぶので、鬱陶しそうに鼻息でフリューゲルと飛ばしてしまい、私のところに逃げてくる。怒ると、マルクは面倒くさそうに目をつむり、また床に伏せてしまった。でもちょっとだけ元気になったのならいっか、と許せてしまう私もいた。フリューゲルもそこまで怒っていなかった。からかわれたり、バカにされたりするよりも、弱々しいマルクを見ているほうがつらいから。
 トットがもう少しで麓ですよ、と声をかけたので、トットの隣に立つ。全体を見れば雪に覆われているものの、ところどころ雪がなくて、黒い山肌が見えていた。
「雪が少ない…、ピークがきているのかもしれません」
 魔力の量には波があるらしく、今は減少の波の中にいるのだという。数百年単位での波だから、回復までまだ数年はかかるとトットは予想していた。
 山脈の麓でしばらく飛行を続けていると、岩がいくつか隆起したところを見つける。巨大な力が大地の下から岩を突いたかのような凸凹で、複雑な地形をしていた。
「着きましたよ。心の準備はできてますか」
 マルクはそっぽ向き、何も言わなかった。
 故郷だというのに、心の準備は必要なのだろうか。
「ミストラ様はいないようですので、そのうちにさっさと降りてしまいますね」
 苦笑しながらトットは飛行船の高度を下げていく。
「ミストラザイード様。ドラゴンの長です。アルル様はメリアナ様の娘ですので、一応、話は通じると思います……が、気難しい方なので、礼儀は忘れないようにしてくださいね」
「わ、分かった。気をつける」
 一応、城でマナーについては教えてもらっているし、そのあたりは大丈夫……だと思う。自信はないけれど。
 ラルーンで買った服に着替える。厚底のブーツは歩きにくいけれど、とても温かい。コートも耳あても、皮がしっかりと冷気を遮断してくれそうだった。
 トットも分厚いコートで身を包む。
 飛行船のドアを開けると、キンッと張り詰めた空気が流れ込んでくる。顔が凍りそうなほど冷たい空気だった。
 マルクに声をかけると、ゆっくりと体を起こした。私とトットで彼の体を支えてやり、ゆっくりと外に出る。
 彼の体の周りは不思議と温かい。
 重たい足取りで外に出て、隆起する岩の間を歩く。しばらくすると、ひときわ大きな岩の塊が目の前に現れた。
 マルクはその岩の前で頭を下げる。トットもその隣で跪き、フリューゲルもそれにならってマルクの額の上で頭を下げた。私も慌てて頭を下げる。
 頭の上でバサリという大きな音がして、冷たい風が押し寄せた。
 翼をはためかせる音が何回かしたあと、何かが着地する音が聞こえる。
 そっと頭を上げると、大きな岩の上に、マルクと同じく真っ赤な体をした大きなドラゴンがいた。
 ミストラザイードだ。唯一生き残った二匹のうちの一匹、ドラゴンの長。
 長く生きているからか、瞳の赤は、マルクよりも深い赤だった。血が溜まったような瞳をしていて、恐ろしくも感じる。
 一部のうろこは剥がれ落ちていて、その肌には深い傷跡が残っていた。過酷な戦いを経験してきたのだろう。
 大きな岩は、彼のための玉座なのだ。足元を見ると、爪でえぐったような跡があった。その跡は、ここでドラゴンたちと魔物との戦いが繰り広げられていたことを示していた。
「なぜ帰ってきた」
 しゃがれた声は、厳しいものだった。せっかく故郷に帰ってきたのだから「よく帰ってきたな」とでも声をかければいいのに。
 マルクは頭を下げたまま、何も言えなかった。
 ミストラザイードの血の瞳がぎょろりと動き、私を見る。
「人間にその姿を晒したのだな」
 マルクはやはり何も言わない。何も言えないのだ。私がここにいることが全てを物語っている。
「なぜここに人間を連れてきた」
「……白銀の魔法を持つ者だからです。彼女は、メリアナ様の……娘です……」
 その言葉に、ミストラザイードが一瞬だけ、息を止めた――ような気がした。気のせいかもしれない。
「魔物は」
「いくつか倒しましたが……、小さな者に後をつけられていたことがあります……。俺がここに帰ってきていることももしかしたら……」
 そこで、ドン、と足を踏み鳴らし、ミストラザイードが吠える。
「お前は”あの時”からずっとそうだ! 一族を破滅に追いやったのはお前のせいだ、帰ってこなければよかったものを! 何度繰り返せば済む! 白銀の魔法を持ってきたことだけは褒めてやろう。だがそれ以外は何も変わっておらぬ!」
 マルクは項垂れ、何も言わなかった。
 ”あの時”が何を指しているのか、私は知らない。けれど、私は腹が立った。
 何も言わないマルクもマルクだけど、マルクに対してそこまで言わなくてもいいじゃないって思った。
「ねえ、ちょっと!」
 私が声を上げると、やめろ、とマルクが小さく言う。マルクの足が私の腹を掴み、引き下がらせようとするけれど、私はもがいて逃げた。
「あなた、それはちょっと言い過ぎなんじゃない!?」
「アルル」
「あなただってマルクのこと何も知らないくせに! マルクはずっと自分の役目を果たそうと頑張ってた! 体力使い果たすまで頑張ってたの! 何があったのかは知らないけれど、それはないわ!」
 再度マルクに掴まれ、ズルズルと後ろに引き下げられる。トットにも、これ以上何も言うなという視線を送られる。悔しくてマルクの足を握りしめた。
「メリアナの娘といったな」
 ミストラザイードがふっと鼻で笑う。
「頑固なところはよう似ておる――だが、我々の問題に口を挟むな」
 バサリと翼を広げ、風を巻き起こし、飛び立つ。
「我はまだお前を認めておらぬ。恥を晒し、のこのこ帰ってきたお前など、戦士などと認めぬ!」
 彼の遠吠えは風に乗り、こだました。
 どこかに飛び立ったミストラザイードを見送ったあと、マルクは溜息をついていた。
「なんなの、あいつ。帰ってきていきなり怒鳴るのっておかしくない?」
「アルル様」
 事情があるんですよ、というような視線を向けてくるトットに、私は「でも」と口答えをしてしまった。
 事情があったことはなんとなく分かるけれど、でも、納得できなかった。
 そのあいだにも、マルクはどこかに行こうとする。
「着いてくるな」
 そう言われても、私は彼を放っておくことはできなかった。トットは飛行船で待つことにしたらしいけれど、私は飛行船に戻るつもりなんてなかった。
 フリューゲルと一緒にマルクを追いかける。
 溜息をつかれたけれど、追い返されることはなかった。
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