4章 アルルと白銀の戦士

 朝日が窓から差し込んできて、顔を上げた。
 飛行船の小窓から光の筋が伸びている。その向こうで、トットが黙って飛行船を操縦していた。
 トットは二日間、食事を除いて休憩を取っていなかった。
 マルクが魔物退治のために力を使い果たしてしまって、今はドラゴンの姿になって眠っている。
 ずんぐりとした、まるで炎の塊のような体。鋭い爪はお腹の下にあった。翼を弱々しく畳み、小さな寝息を立てている。
 首に手を当てて、そっと撫でてみるけれど、あれから一度も目を覚まさなかった。
 フリューゲルも心配して、白銀の祝福の力を使おうとしていたけれど、それはトットに止められている。フリューゲルはまだ小さな生き物だから、無理に力を使えば今度はフリューゲルの命が危ないのだ。マルクの額に座って、ずっと寄り添っていた。
 私もずっとマルクの隣に座って、体を縮こませていた。座ったまま眠っていたから、ちょっとだけ腰が痛い。立ち上がって、小さく伸びをして、窓の外を見る。
 遠くに、白くそびえる山脈が見えていた。標高はどのくらいあるのだろう。この世界の壁のように立ちはだかるミハラマ山脈。あそここそが、魔法の源。
 世界には他にも様々な魔法があると思うけれど、グランベル王国は、昔からあの山脈の力を源とした白銀の魔法を大切にしてきた。グランベル王国だけではない。あの山脈の周りにある国々はどこもそうだ。
 もう魔法はなくなったと思っていたけれど、あの霊験あらたかな山は常に魔法に溢れている。良いものも、悪いものも、全てがあそこにある。祝福を授かった人間がお母様とテオを除いていなくなってしまったというだけで、魔法は存在するのだ。
 早く行きたいという気持ちを抑えて、今はマルクのことを優先していた。
 マルクの故郷はミハラマ山脈の麓にあるらしく、トットは休みなしで飛行船を進ませていた。回復するには、一度故郷に帰らないといけない。
 魔法の生物は皆、白銀の祝福を授かり、白銀の力を命の源としている。その力が尽きてしまえば、命も尽きる。寿命として受け入れることもできるけれど、ドラゴンの場合は故郷に回復手段があるのだという。それが実際何なのかは分からないけれど、行けば分かるだろうと思って詳しくは聞いていない。聞かなくても、そのうち分かるって、思っていた。
 椅子に座ってじっとしていると、飛行船がガタンッと勢いよく揺れた。
 マルクが舵をぐっと握るのが見える。
「どうしたの?」
 舵を切りながら、トットは呻く。
「強い風が吹いていて、厳しいですね。このあと吹雪になる可能性があるので、一度地上に降りますね」
 私は空を見上げる。
 分厚い雲が空を覆っている。もう春だというのに、まるで冬のような空をしていた。低くて、ずっしりとした雲だ。山脈のほうまでずっと続いている。
「魔力のある雲です。あのおかげで、このあたり一帯は一年中冬です」
 室内は暖房がきいていて気が付かないけれど、外は氷点下近い気温をしているらしい。フリューゲルが窓の外を見て、嬉しそうに両腕を上げた。
 すると、小さな白い花がぱっと咲き、空気に溶けた。まるで、体から魔力が溢れているみたいだった。何をしないでも、白銀の魔法が飛び出してしまっている。
 飛行船はゆっくりと高度を下げ、二日ぶりに地上に降り立った。
 大きく伸びをしたトットが操縦席から飛び降り、そしてふらりとよろめいた。椅子に手をついて、ゴーグルを外す。
「トット、無理しないで」
 熱いお茶をいれて、トットに差し出した。眠っていないのだ。ふらふらになるのは当然だった。
 椅子に座って、お茶を飲むトットの唇は土色になってしまっている。
「大丈夫ですよ。このあと仮眠をすればまた飛べます」
 いつの間にか雪がちらついていた。風が強く、雪も次第に強くなってくる。トットの言うように吹雪になっていた。ごうっと風が鳴っている。
「……アルル」
 マルクが私を呼んだ。
 はっとして、彼の元に駆け寄る。トットもフリューゲルも一緒に。
「……なんだ、死者が生き返ったかのような顔して」
「だって」
「死んでねえよ。寝てただけ。山脈が近くなったのが分かる」
 トットがマルクの口に水を流し込み、錬金石をまた突っ込んだ。苦笑いしながらも飲んだマルクは、ゆっくりと体を持ち上げた。飛行船の中はマルクには狭くて、体は伸ばせなかったけれど、大きな口をあけてあくびをしていた。鋭い牙が見える。そのあと、マルクは窓の外を見て、雪を懐かしむように見つめていた。体の下にあった爪も見えて、私はもう一度思った。
 マルクは本当にドラゴンなんだ。
 私の視線に気がついたマルクは、真っ赤な瞳をこちらに向ける。その瞳孔は人のものではなく、ドラゴンのものだった。
「そんなジロジロ見るな。この姿でいることは、俺にとっては恥なんだ」
「なんで」
「あー……説明はトットにしてもらってくれ……」
 そしてまた床に伏せてしまった。
 トットは黙ってお茶を飲んでいた。仕方ないな、というような顔をしている。
「本当は、マルク様から説明すべきだと思うんですが」
「……ごめん、俺じゃ、まだ……む、り……」
 そこで再度、規則正しい呼吸をし始める。まだ眠っていないといけないのだろう。
 首を横に振ったトットは、カップを小さな両手で包んだ。
「……マルク様がお話すべきところは、僕からは話せませんよ。僕に説明の義務はありませんし、いいことになりませんから」
「いい。それはマルクにまた教えてもらう。話せるところまで話して」
 額に置いていたゴーグルを外し、銀の髪をくしゃくしゃとかき乱した。トットはそうやって頭の中を整理する癖があるのだろう。
「白銀の戦士であるドラゴンは、マルク様含め、あとお二方しか存在しておりません。まあ、つまり、簡単に言えば、絶滅寸前なんです。人間に白銀の祝福を得た者が減っているのと同じで、ドラゴンも、減る一方でした」
 悪しき者から世界を護る誇り高き戦士。それが白銀のドラゴンだという。
 体が燃えるように赤く、白銀の力を得てして炎を操るドラゴンたち。彼が「魔法じゃない」と言っていたのは、元々の力だからだった。
「黒竜が誕生してから力のある白銀の魔女たちが封印をし、対抗してきましたが、ドラゴンたちは次々に手下たちに狙われ、戦いに疲れ、命を落とすことになったんです。それでいて、山脈はドラゴンに新たな祝福を与えませんでした。このあたりは、白銀の魔法の使い手が減っているのと同じでしょう」
「そんな……、生まれは同じなのに、なんでそんな力の差が」
「タイミングですよ。そういうタイミングだったんです。もう一度言いますけど、山脈に意思はありません。ただ、なるようにしてなる。それがミハラマ山脈という魔法の源なんです。ドラゴンが減っていく流れの中で、偶然にも黒竜が現れてしまった。運がそうしたんです……、僕らドワーフもそうです。フリューゲルだってそうです。魔法生物はすべて、運のなかで誕生するんです。白銀の魔法の使い手だって、運なんです。封印ができるほどの魔法の使い手がいつもいるわけではないんです。メリアナ様とテオ様の力の差も、そういうことなんです」
 諦めのような何かを感じてしまった。
 私は無意識的にスカートを膝の上で握りしめていた。
 自分の力ではどうしようもない流れ。そういうものは、世の中にはたくさんある。でも、なんだかそれが、悔しかった。
「今生き残っているのは、最も力があり、最も長く生きている長ドラゴンと、最も若いマルク様のみです。魔物に狙われまいと人に化け、それでも生まれ持つ使命のために魔物と戦い続けていたんです。ドラゴンの姿でいるのが恥だというのは、マルク様の価値観の問題でしょう。彼は人に扮し、黒竜の封印のため、白銀の魔法使い――の代わりになるものを探していて、アルル様の持つ巻物を見つけた、というわけです。巻物だけを持たず、アルル様を連れてきたということは……、いや、この先はマルク様に聞くべきです。ここまでにしておきます」
 冷めたお茶を飲んだトットは、もう一度溜息をついた。
「すみません。これが、アルル様とマルク様に対する僕なりの礼儀だと思ったんです。僕らは種族によって異なる価値観や考え方があり、お互いに尊重します。ドラゴンは正義と、礼儀と、平和を尊ぶ誇り高き一族です。その代わりは、僕にはできません」
「いいの。ありがとう。……マルクが一人で、がんばってたってこと、分かったから」
 初めて会った時、マルクは泥棒のようなことをして私に近づいた。そうでしか手段がなかったから、そうしたんだわって今なら思う。
 彼は、私に痛いことをしなかったし、巻物を奪うこともなかった。借りた馬だって、最後には返した。それはマルクが正義と礼儀を大切にしていたから――。
 テオ先生、マルク、トットがその話をずっと隠していたのも、全てはドラゴンという種族の誇りを守るためだった。
 教えてくれたことに対して、私は心から感謝したかった。
「アルル様が泣く必要ないですよ?」
「そうなんだけど……。悔しいのと、嬉しいのと、いろいろあって」
「……、魔法を持たない人が、魔法の存在に涙を流してくれるって、嬉しいものですね」
 その呟きは、マルクに向けられていた。
 私が泣いたことは、知らなくていい。とにかく早く、元気になってほしい。それだけが私の今の願いだった。
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