3章 アルルと灰の学園都市

「白銀の力の名残りだろ、お前。噂で幽霊と言われていたのはお前のことか」
 マルクの言葉に私はぎょっとしてしまった。
「ちょ、ちょっと待って。幽霊!?」
 体は透けていないし、浮いてもいないし、ちゃんとした人間だと思ったのに。彼はマルクの言葉にただ、微笑みを返すだけだった。
「幽霊じゃない。白銀の力が魂を真似て形を象っただけのものだ。意思もない。この魔法使いが死んだ時、白銀の力だけはこの地に遺ってしまったんだ」
「で、でも、ドアの金属を溶かしてくれたり、瓦礫から守ってくれたりしたわ」
「アルルがそうしてほしいって無意識のうちに願ったんだろ。俺のところに行かないと、とか思ったんじゃないか? それに忘れたのか、白銀の魔法の使い手は今はメリアナ様とテオ以外にはどこにもいないんだぞ」
「うぐ……」
「白銀の魔法がお前に応えてくれたんだよ。それからフリューゲル、お前、なんかしたな? だいぶ力が安定している」
 フリューゲルは舌をちろりと出して私の手の中に入った。あの頬ずりのことを言っているのだろうか。白銀の魔法を安定させる力があるなんて。でも、フリューゲルはマルクに怒られたと思っているのか隠れてしまった。
 マルクは首を横に振り、溜息をついた。
「見ての通り、あの魔物は攻撃はしてこない。攻撃をすれば反撃がくると分かっているからだ。俺が攻撃しても少ししか反撃してこなかった。敵だと見なされたくないんだろう。この学園に遺っている力をじわじわ吸い取って、ここまでデカくなった。まるで植物みたいだ。ほぼ動かず、力を蓄えて育つ厄介なヤツだよ。ちょっとやそっとじゃ傷すらつけられない。もっと早くに来ればよかった。既に討伐されているかと思ってた……」
 天井から、どろりと黒いねばねばが滴り落ちる。
 べったりと張り付いた、まるでスライムのような魔物は、一つ目をぎょろりと動かしてこちらを見ていた。見ているだけで、確かに何もしてこない。
 自分を成長させるためだけに、じっとそこにいる。そういう策略をとる魔物もいるのだ。
「まあでも白銀の残滓があるなら、ありがたく拝借させてもらおうか。アルル、お前、もう塔から出ろ。何があるか分からない。フリューゲルも。俺は怒っていない。残滓をここまで持ってきてくれて助かった」
「う、うん」
 気をつけて、と声をかけ、その場を離れようとすると、魔法の彼も一緒に着いてきてしまう。
「マルクと一緒にいて」
 そう声をかけても、彼は微笑みを見せたまま、私に着いてきてしまう。
「……ねえ」
 マルクに助けを求めると、彼はやれやれと肩をすくめた。
「分かった。離れたところにいろよ」
 マルクは頬の血を親指で拭い取り、ふっと息を吹きかけて炎に変える。これを魔法と呼ばないのなら、一体何なのだろう。
 フリューゲルと一緒に壁際まで下がり、その様子を見ていた。
 魔法の彼がマルクの炎に手をかざすと、結晶が炎の中に溶け込み、いっそう炎を大きくした。ぎゅっと握り潰し、球にして、それを思いっきり魔物に投げつける。
 激しい爆音と爆風に、私はフリューゲルを庇い、その場にしゃがんだ。
「……危ない!」
 マルクが叫びと共に私の元に駆け寄る。どんっと肩を押され、瓦礫の上に倒れ込んだ。
 私の足元に、なにかが突き刺さる。
 どろどろから伸びる触手のようなものだった。槍のように一直線に伸びるそれは、液状に戻り、床に落ちた。
 どろどろはドシャ、と音を立てて、天井から剥がれ落ちる。むくむくと体を膨らませ、怒りに満ちた視線をこちらに向けている。恐ろしくて、ひっ、と声が出た。
 ダメージを受けて、余裕がなくなったのかもしれない。魔物は殺気立っている。
 マルクは両手を胸の前で合わせ、手の中になにかを召喚する。合わせた手をゆっくりと開くと、それに合わせて炎の槍が大きく伸びる。
 魔物の体から伸びてくる触手を炎の槍ではたき落とし、地面を蹴り、槍を突き出して大きな目玉を貫いた。魔物の言葉にならない叫びが塔を震わせる。
「お前は命と力を吸いすぎた、散れ!」
 マルクの背後にいた魔法の彼が、マルクに向かって手をかざす。結晶がマルクを包み、槍が一層激しく燃える。
 槍から手を離したマルクは、私の元に駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。
 その瞬間、凄まじい爆発が起こる。
 その爆発は、塔を壊すには十分な威力で、足場がぐらりとする。
「お、落ちる……っ」
 マルクの腕を掴み、私は、ああ、まただ、と思った。
 落ちてばかりだ。この前は飛行船から落ちて、今度は塔から落ちる。
「お前といると、こういうのばかりだな」
 マルクは余裕そうに笑っていて、私はもうダメだと思った。だって、マルクの余裕は諦めだって思ったもの。
 お母様、お父様、お城のみんな――と思ったところで、バサリ、となにかが広がる音が聞こえた。そして、浮遊感が襲ってくる。
「ま、ま、マルク、それ……」
「ん、ああ、気にするな、というかあとで忘れて」
「無理でしょさすがに!」
 私たちは飛んでいた。
 マルクの背に、大きな、まるで――まるで、ドラゴンのような翼が生えているのだ。
 それに、私は自分の体を抱いているマルクの腕を見てぎょっとした。
 手にうろこが生えていて、爪が鋭く尖っている。それにマルクの目もちょっとだけ……トカゲっぽい。
 私がマルクの変貌に驚いている後ろで、塔がガラガラと崩れ落ちる。
 学園都市ジクラスのシンボルがなくなってしまった。
「魔法がなくなっちゃう……」
「なくなりはしない。気まぐれな山脈がある限り。戦いも、なくなりはしないんだ」
 マルクは翼をはためかせ、ゆっくりと地上に降りた。
 あの魔法の彼は、無事だったみたいで、崩れ落ちた塔の横に立っていた。
「供養にはなっただろ。あの時、お前たちを助けられなくてすまなかった……」
 マルクが頭を下げると、彼は微笑み、体をうっすらとさせた。それから、私の胸元を指さす。
 そこにあるのは、城の地下にあった巻物のペンダントだった。チェーンを引っ張って、巻物を出す。
 彼がペンダントに触れると、パキン、と結晶が割れたような音が響いた。封印が解けたのだ。でも、変化はそれだけだった。
 魔法の彼は、それから空気に溶けるかのように消えてしまった。
「残るはその巻物を使う者だけか……、はやく山脈に行かないと……」
 マルクはそこで意識を失い、倒れてしまった。
「マルク……!?」
 駆け寄ろうと思っても、すぐには駆け寄れなかった。
 彼の体がむくむくと膨れ、全身がうろこに覆われ、形が――形が、本当にドラゴンになってしまったのだ。真っ赤に燃えるようなうろこが月光を反射している。
「ど、どういうこと……!? ううん、それは後で良い、フリューゲル、トット呼んできて!」
 私が叫ぶと、フリューゲルはこくこくと頷いて飛行船を呼びに行く。
「マルク、大丈夫!?」
 片目をゆっくりと開き、口をもごもごとさせた。牙が見える。
「恥晒しだ……忘れてくれ……」
「だから、それは無理でしょ! どうしちゃったのよ」
「力を使いすぎた……、一度、故郷に帰らないと……」
 マルクはそれからぐったりとして、何も喋らなくなってしまった。地面に伏せ、月光を静かに浴びている。
 しばらくして、飛行船がやってくる。
 勢いよく船の扉を開け、駆けつけたトットはマルクの口を無理矢理開き、中に錬金石を突っ込んだ。マルクはもごもごと咀嚼し、ゆっくり飲み下す。
「飛行船には自分で乗ってもらわないと、あなたの巨体は誰も運べませんよ」
「すまないトット……石を」
「いいから早く乗って。このままじゃあなた、死んじゃいます」
 トットは「ドアを大きめに作っておいてよかった」と一人で呟いていた。
 マルクがずしずしと歩いて飛行船に乗ったあと、私はトットに聞き返した。
「死ぬって、どういうこと?」
「燃料切れということです。魔法生物は長く生きますが、死ぬ時はあっけないですよ。魔力が尽きれば死にます。とにかく急いで彼の故郷に行きましょう。アルル様も乗って」
 マルクはゴーグルをつけ、操縦席に向かった。飛行船は高度を上げ、全速力で北を目指す。
「山脈の麓、ドラゴンの住処に向かいます」
 フリューゲルは室内の中央で眠るマルクに付き添い、私もマルクの隣で膝を抱えて座った。
 それから、飛行船の中は、エンジンの音だけが響いていた。
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