1章 アルルと封印された魔法の巻物
夕食の時間が近くなって、私の部屋に二人のメイドが来た。エステル先生の指示で着付けをしに来たのだ。
クローゼットの中から取り出したのは、ピンクのドレス。フリルがたくさんついていて、私の趣味じゃない。私はもうちょっとシンプルで動きやすいドレスがいいって言うのに、エステル先生がこういう可愛いドレスばかりお針子たちに作らせる。
お父様の好みでもないと思うわ。お母様はライトブルーやパールホワイトといった清楚なドレスを着ていたもの。
化粧台の前に座って、メイドたちに好き勝手されるこの時間が嫌。ああ、憂鬱。お父様と顔を合わせるのも嫌。ぶりぶり怒られながら食べるご飯なんて、ちっとも美味しくない。お父様は律儀で食事は毎日私ととってくれる。前まではそれが嬉しかったけれど、今となってはただただ鬱陶しかった。
私の髪は肩までしかない。長いのは邪魔で嫌だった。これだけは譲れなかった。でも、メイドたちはこんな短い髪でも、一生懸命編み込もうとする。頭のてっぺんから三編みを二本作って、後ろで真っ赤なリボンでしばった。
「アルル様はやっぱり、こちらの方が可愛らしくていいですわ」
私の右側にいるそばかすのメイドがうっとりとして言う。
「ガリア様もお喜びになりますよ、アルル様」
左側にいる垂れ目のメイドもうっとりして言う。
「やめて。私は可愛くなんかないわ」
鏡を見ると、不貞腐れたアルルがそこにいた。ぜんぜん可愛くない。右の眉の上には赤く腫れたニキビがあった。最近の悩みのひとつだった。
お母様はもっと美しかった。お母様は銀の布のような綺麗な髪をしていた。氷の女神様かと思うくらい美しかった。その姿は、肖像画として残っていて、お父様のお部屋に飾られている。でも、お父様のお部屋には滅多に入れないから、私はもう何年もお母様のお顔を見ていない。
お母様に似ていればよかったのに。私はお父様にそっくりだった。
お父様は剣が上手で、賢くて、文武両道の王子って言われていたらしい。エステル先生がそう言っていた。私が受け継いだのは、お父様そっくりの顔と、運動神経だけ。溜息が出てしまう。
「そんなに溜息をつかずに。そろそろお時間です。ガリア様もご多忙な中お時間を取ってくれていますから。行きましょう」
メイドに立たされ、私はズルズルとドレスの裾を引きずりながら部屋から出た。歩きにくいったら仕方ない。
今すぐ脱いで、どこかに走り去ってしまいたい。こんな窮屈な場所から、逃げ去ってしまいたい。
けど、こんな状態では逃げられなかった。私の後ろにはメイドもいるし、廊下にも従者たちがたくさんいる。
城のホールを抜けて、食事をする広間に入る。もうお父様は席に座っていた。
机の上にある燭台では、七色の炎が揺らめいていた。赤、青、緑、黄、紫、橙、白。これは錬金術で色を変えている。私にはまだ仕組みは分からないけれど、錬金術ならこういうことができる。グランベル王国が錬金術王国であることを象徴していた。
「遅くなってごめんなさい、お父様」
「いや、私も今来たところだ。今日はハルゲナ海で捕れた魚がメインだそうだ」
……あれ、怒られない。
ちょっと腑抜けてしまった。
お父様は私と同じ金の髪を持っていて、背中の中ほどまで伸びた髪をうなじのところで一つに結っている。五十歳手前だったと思うのだけど、まだとても若く見える。冠は錬金石がはめ込まれていて、蝋燭の炎と同じく、七色に輝いている。派手で、私の趣味ではなかった。でも、国が錬金術で栄えていることを示すには、うってつけの冠だった。
食事が運ばれてきて、私たちは黙って食べ進めた。おかしいわ。ぐちぐち怒られながら食べると思っていたのに。エステル先生、告げ口しなかったのかしら。
ホワイトソースのかかった白魚のソテーのあと、デザートのミントのゼリーをいただいたところで、お父様は静かにスプーンを置いた。
「アルル。私は言いたいことを我慢して、ここに座っている。分かるかね」
「――分かってる」
今日は声が低く、ゆっくり話す。語尾がちょっとだけ震えていて、怒りを抑えているようだった。抑えなければいけないほど、怒っているのかしら……。
「アルルももう十二だ。大きい声を出して怒っても、意味がないと思っている。どうしてそこまで勉学を嫌がるのか」
私は手にしていたスプーンをぎゅっと握りしめた。
理由を話せだなんて……。
唇を噛んでいると、お父様は物悲しそうな目をして私を見つめた。なんでお父様がそんな目をするのよ。
「言えないような理由なのか」
「いえ。違うわ。違うけれど……話したところで、どうせ、お父様は分かってくれないわ……お父様が納得できるような理由ではないもの」
「では、誰が分かるというのか」
その問いに、お母様の微笑みが浮かんだ。小さい私を温かく抱きしめてくれていたお母様――。
私の目に、じんわりと涙が浮かぶ。
「いないわ! お母様はもういない! お父様はお母様が大切にしていた魔法を国からなくしたもの! お父様はお母様がいないことにしようとしてるのよっ! 魔法の消えた国なんて嫌い! だから勉強も嫌っ! こんなとこ、いつか出ていくわ!」
「アルルっ!」
スプーンを投げ捨てて、私はドレスをたくし上げて自分の部屋に走った。
お父様なんて嫌い。大嫌い。お母様の好きだったものをなくしたお父様なんて一生嫌いよ!
わくわくしない勉強も嫌い! 魔法を追いやった錬金術も嫌い! 全部大嫌い!
何もかもが嫌になって、ドレスを脱ぎ捨て、ベッドに滑り込んで、枕をぎゅっと抱きしめる。
みっともないけれど、涙が止めどなく溢れてくる。
今日は最悪だわ。街ではショールを奪われるし、お父様は分かってくれないし。
なんで私はずっとお城にいるんだろう。お母様――、お母様なら、きっととびきりの魔法で私をわくわくさせてくれたし、私を慰めてくれたわ。お母様がいたら、もうちょっと頑張れたかもしれないのに。
どうしていなくなってしまったの――。
お母様のメリアナ・ツェト・グランベルは、元々、小さな村の娘だった。それがどこの村なのかは分からないけれど、エステル先生はそう言ってた。
お母様は魔法が使えた。白銀の髪は、その象徴なのだ。グランベル王国最後の魔女って言われていた。だから、お父様と結婚したの。
グランベル王国は、元々は魔法と錬金術で栄えていた国。錬金術を愛するお父様と、魔法を愛するお母様が二人で国を治めていた頃――私がまだうんと小さかった頃は、魔法と錬金術が共生していた。エステル先生に教えてもらわなくても、私もちょっと覚えている。四歳の頃まで、お母様はここにいたから。
お母様は氷の魔法が得意だった。私が熱を出したら、ひんやりとする雪をおでこの上に降らせてくれた。夏の暑い日には、氷枕をすぐに作ってくれた。お母様の手はいつもひんやりとしていて、それが気持ちよかったのも覚えている。
けれど、お母様は突然いなくなった。
誰も、その理由を教えてくれない。
エステル先生も、お父様も、お母様がどうしていなくなったのか教えてくれない。何度も尋ねた。しつこいくらい聞いたけれど、ダメだった。
大好きなお母様。大好きな魔法。どこに行ってしまったの。グランベル王国には、もう、どこにも魔法はないのかしら――。
枕をきつく抱きしめる。お花の香りがする。
お母様の魔法を思い出していると、少し心が落ち着いてくる……。
イヤイヤって、まるで赤ちゃんみたいに駄々をこねても、何も良くならないのは分かっているわ。お父様に泣きながら怒鳴ったって、お父様を困らせるだけ。
お父様はせっかく私の話を聞こうとしてくれたのに。でも、聞かれたことに対して、カッとなってしまった。
こんな私が、一番、大嫌い。お母様もきっと悲しむ。
明日から、また元気なアルルに戻るかしら……。ううん、多分、明日もつまらない顔をしているに決まっている。
明日はどうしよう。城の外には行けそうにない。でも勉強は本当にイヤ。エステル先生には会いたくない。お父様にも会いにくい。
どこか城の中でいい場所はないだろうか。そう思ったところで、私は、ある人を思い出した。いい場所が一つだけある。
そうだ、明日はあそこに行こう。そう決めたら眠くなっちゃって、私はすとんと眠りに落ちた。
夢の中で、お母様が私を抱きしめてくれたの。お母様が大好き。だから、魔法を諦めたくない。
クローゼットの中から取り出したのは、ピンクのドレス。フリルがたくさんついていて、私の趣味じゃない。私はもうちょっとシンプルで動きやすいドレスがいいって言うのに、エステル先生がこういう可愛いドレスばかりお針子たちに作らせる。
お父様の好みでもないと思うわ。お母様はライトブルーやパールホワイトといった清楚なドレスを着ていたもの。
化粧台の前に座って、メイドたちに好き勝手されるこの時間が嫌。ああ、憂鬱。お父様と顔を合わせるのも嫌。ぶりぶり怒られながら食べるご飯なんて、ちっとも美味しくない。お父様は律儀で食事は毎日私ととってくれる。前まではそれが嬉しかったけれど、今となってはただただ鬱陶しかった。
私の髪は肩までしかない。長いのは邪魔で嫌だった。これだけは譲れなかった。でも、メイドたちはこんな短い髪でも、一生懸命編み込もうとする。頭のてっぺんから三編みを二本作って、後ろで真っ赤なリボンでしばった。
「アルル様はやっぱり、こちらの方が可愛らしくていいですわ」
私の右側にいるそばかすのメイドがうっとりとして言う。
「ガリア様もお喜びになりますよ、アルル様」
左側にいる垂れ目のメイドもうっとりして言う。
「やめて。私は可愛くなんかないわ」
鏡を見ると、不貞腐れたアルルがそこにいた。ぜんぜん可愛くない。右の眉の上には赤く腫れたニキビがあった。最近の悩みのひとつだった。
お母様はもっと美しかった。お母様は銀の布のような綺麗な髪をしていた。氷の女神様かと思うくらい美しかった。その姿は、肖像画として残っていて、お父様のお部屋に飾られている。でも、お父様のお部屋には滅多に入れないから、私はもう何年もお母様のお顔を見ていない。
お母様に似ていればよかったのに。私はお父様にそっくりだった。
お父様は剣が上手で、賢くて、文武両道の王子って言われていたらしい。エステル先生がそう言っていた。私が受け継いだのは、お父様そっくりの顔と、運動神経だけ。溜息が出てしまう。
「そんなに溜息をつかずに。そろそろお時間です。ガリア様もご多忙な中お時間を取ってくれていますから。行きましょう」
メイドに立たされ、私はズルズルとドレスの裾を引きずりながら部屋から出た。歩きにくいったら仕方ない。
今すぐ脱いで、どこかに走り去ってしまいたい。こんな窮屈な場所から、逃げ去ってしまいたい。
けど、こんな状態では逃げられなかった。私の後ろにはメイドもいるし、廊下にも従者たちがたくさんいる。
城のホールを抜けて、食事をする広間に入る。もうお父様は席に座っていた。
机の上にある燭台では、七色の炎が揺らめいていた。赤、青、緑、黄、紫、橙、白。これは錬金術で色を変えている。私にはまだ仕組みは分からないけれど、錬金術ならこういうことができる。グランベル王国が錬金術王国であることを象徴していた。
「遅くなってごめんなさい、お父様」
「いや、私も今来たところだ。今日はハルゲナ海で捕れた魚がメインだそうだ」
……あれ、怒られない。
ちょっと腑抜けてしまった。
お父様は私と同じ金の髪を持っていて、背中の中ほどまで伸びた髪をうなじのところで一つに結っている。五十歳手前だったと思うのだけど、まだとても若く見える。冠は錬金石がはめ込まれていて、蝋燭の炎と同じく、七色に輝いている。派手で、私の趣味ではなかった。でも、国が錬金術で栄えていることを示すには、うってつけの冠だった。
食事が運ばれてきて、私たちは黙って食べ進めた。おかしいわ。ぐちぐち怒られながら食べると思っていたのに。エステル先生、告げ口しなかったのかしら。
ホワイトソースのかかった白魚のソテーのあと、デザートのミントのゼリーをいただいたところで、お父様は静かにスプーンを置いた。
「アルル。私は言いたいことを我慢して、ここに座っている。分かるかね」
「――分かってる」
今日は声が低く、ゆっくり話す。語尾がちょっとだけ震えていて、怒りを抑えているようだった。抑えなければいけないほど、怒っているのかしら……。
「アルルももう十二だ。大きい声を出して怒っても、意味がないと思っている。どうしてそこまで勉学を嫌がるのか」
私は手にしていたスプーンをぎゅっと握りしめた。
理由を話せだなんて……。
唇を噛んでいると、お父様は物悲しそうな目をして私を見つめた。なんでお父様がそんな目をするのよ。
「言えないような理由なのか」
「いえ。違うわ。違うけれど……話したところで、どうせ、お父様は分かってくれないわ……お父様が納得できるような理由ではないもの」
「では、誰が分かるというのか」
その問いに、お母様の微笑みが浮かんだ。小さい私を温かく抱きしめてくれていたお母様――。
私の目に、じんわりと涙が浮かぶ。
「いないわ! お母様はもういない! お父様はお母様が大切にしていた魔法を国からなくしたもの! お父様はお母様がいないことにしようとしてるのよっ! 魔法の消えた国なんて嫌い! だから勉強も嫌っ! こんなとこ、いつか出ていくわ!」
「アルルっ!」
スプーンを投げ捨てて、私はドレスをたくし上げて自分の部屋に走った。
お父様なんて嫌い。大嫌い。お母様の好きだったものをなくしたお父様なんて一生嫌いよ!
わくわくしない勉強も嫌い! 魔法を追いやった錬金術も嫌い! 全部大嫌い!
何もかもが嫌になって、ドレスを脱ぎ捨て、ベッドに滑り込んで、枕をぎゅっと抱きしめる。
みっともないけれど、涙が止めどなく溢れてくる。
今日は最悪だわ。街ではショールを奪われるし、お父様は分かってくれないし。
なんで私はずっとお城にいるんだろう。お母様――、お母様なら、きっととびきりの魔法で私をわくわくさせてくれたし、私を慰めてくれたわ。お母様がいたら、もうちょっと頑張れたかもしれないのに。
どうしていなくなってしまったの――。
お母様のメリアナ・ツェト・グランベルは、元々、小さな村の娘だった。それがどこの村なのかは分からないけれど、エステル先生はそう言ってた。
お母様は魔法が使えた。白銀の髪は、その象徴なのだ。グランベル王国最後の魔女って言われていた。だから、お父様と結婚したの。
グランベル王国は、元々は魔法と錬金術で栄えていた国。錬金術を愛するお父様と、魔法を愛するお母様が二人で国を治めていた頃――私がまだうんと小さかった頃は、魔法と錬金術が共生していた。エステル先生に教えてもらわなくても、私もちょっと覚えている。四歳の頃まで、お母様はここにいたから。
お母様は氷の魔法が得意だった。私が熱を出したら、ひんやりとする雪をおでこの上に降らせてくれた。夏の暑い日には、氷枕をすぐに作ってくれた。お母様の手はいつもひんやりとしていて、それが気持ちよかったのも覚えている。
けれど、お母様は突然いなくなった。
誰も、その理由を教えてくれない。
エステル先生も、お父様も、お母様がどうしていなくなったのか教えてくれない。何度も尋ねた。しつこいくらい聞いたけれど、ダメだった。
大好きなお母様。大好きな魔法。どこに行ってしまったの。グランベル王国には、もう、どこにも魔法はないのかしら――。
枕をきつく抱きしめる。お花の香りがする。
お母様の魔法を思い出していると、少し心が落ち着いてくる……。
イヤイヤって、まるで赤ちゃんみたいに駄々をこねても、何も良くならないのは分かっているわ。お父様に泣きながら怒鳴ったって、お父様を困らせるだけ。
お父様はせっかく私の話を聞こうとしてくれたのに。でも、聞かれたことに対して、カッとなってしまった。
こんな私が、一番、大嫌い。お母様もきっと悲しむ。
明日から、また元気なアルルに戻るかしら……。ううん、多分、明日もつまらない顔をしているに決まっている。
明日はどうしよう。城の外には行けそうにない。でも勉強は本当にイヤ。エステル先生には会いたくない。お父様にも会いにくい。
どこか城の中でいい場所はないだろうか。そう思ったところで、私は、ある人を思い出した。いい場所が一つだけある。
そうだ、明日はあそこに行こう。そう決めたら眠くなっちゃって、私はすとんと眠りに落ちた。
夢の中で、お母様が私を抱きしめてくれたの。お母様が大好き。だから、魔法を諦めたくない。