3章 アルルと灰の学園都市

 彼の責務は、各地に散らばって残っている魔物を処理すること。トットの言っていたことを思い出す。
 レストランで噂話に耳を傾けていたのも、一人で動いているのも、全部、その”責務”を全うするため。辻褄が合う。
 あの塔の中に魔物が残っていて、マルクは今、その魔物と戦っているのだ。
 ずっと塔を見ていたこの人は、もしかして、塔の中に魔物がいるって知っていたのかもしれない。
 白銀の祝福を授かっているにも関わらず、その力は微量で、魔法は使えないに等しい。それで悔しい思いをしているテオ先生みたいに、この人も思うことがあるのだろう。
 どうせ、来るなって言われるに決まってるし、私はこれまで何度も馬鹿なことをしてきたから行ったらいけないのは分かっている。
 でも、先程の大きな爆発で、マルクが怪我をしていたらどうしようって思ったの。いくら”戦いに優れた一族の者”だとしても、万能じゃない。最強じゃないのだ。
 魔法と錬金術があっても、人間たちは万能じゃないって、この墓地が、そう語っているじゃない。
「行きましょうよ」
 私は隣で棒立ちになっている彼の手を握った。ひんやりとする手だった。
「私たちでも、何かできることがあるかもしれないわ」
 彼は一瞬驚いた顔をして、それから頷いた。
 塔まで距離がある。私たちは走って塔の元に向かった。途中、もう一度、塔の中で爆発があったのか、ものすごい音が響いた。あれだけの爆発があってもまだ戦いが終わっていないということは、手こずっているのだろうか。
 街の中を走っていると、爆音に気がついて船から抜け出してきたフリューゲルと落ち合った。トットはどうしているのかと聞くと、眠っているジェスチャーをする。フリューゲルだけで来たようだ。
 白銀の祝福を得ている彼に気がつくと、フリューゲルは彼に頬ずりをした。祝福を得ている者同士で何か通ずるものがあるのかもしれない。彼も愛しそうにフリューゲルを見つめていた。
 それから三人で急いで塔に向かった。
 ドアを見つけて、ノブに手をかける。開けようと思っても、びくともしなかった。
「なんで!?」
 マルクは入れたのに。
 いえ――マルクが意図的に中から鍵をかけた可能性がある。私たちが中に入ってこないようにしたのかもしれない。
 また爆音が聞こえる。塔全体がびりりと震えるような凄まじい音だ。
 入らないほうがいいのかもしれない。やっぱり、私が行っても、足手まといになるだけかもしれない……。
 悩んでいると、彼がすっとドアノブに手を差し伸べた。
 彼の口が、音にならない音を紡ぐ。
 その瞬間、ドアノブが光り、ドア全体に雪の結晶のような模様が浮かぶ。まるで勢いよく凍る水面のようだった。
 お母様の魔法を思い出させるそれは……。
「――あなた、魔法が」
 彼はにこりとして、ドアノブから手を離した。
 すると、金属製のノブが鍵ごとどろどろに溶けてゆく。ドアを留めている金具も溶け、支えを失った木製のドアは内に向かって倒れた。
 フリューゲルが真っ先に入り、彼もそれに続く。私も慌てて中に入った。
 塔の中は明かりは一つもなかったけれど、窓から差し込んでくる月光がとても明るかった。私たちはゆっくりと階上を目指した。
 螺旋状の階段に沿って、様々な部屋がある。それぞれの小さな部屋の中で、数人が集って研究や勉強を進めていたのだろう。
 傾いた黒板に、錆びついた金属の道具。机の上には開かれたままのノートや筆記具。筆記具は床にも散らばっている。割れたフラスコや試験管、瓦礫が足場を悪くしていた。
 この中は時が止まっている――。かつての悲劇から、何ひとつ変わらず、ここにある。
 慌てて逃げようとした人、果敢に魔物に挑んだ人、研究成果を守ろうとした人、様々な人の様子を想像して、胸が締め付けられる。
 けれど、そんな感傷に浸っている場合ではなかった。
 また階上から爆音が聞こえてくる。外で聞いていたものよりも大きい。驚いて、体を縮こませてしまった。
 ぱらぱらと埃やガラスの破片のようなものが降ってきて、私は頭を腕で守った。
 そんな中、フリューゲルが私の体を押そうと飛んでくる。私は、え、と思って上を見上げた。
 大きな瓦礫が降ってくる!
 逃げなきゃ、と思ったけれど、突然のことに体がまったく動かなかった。
 そうしているうちに彼が手の平を瓦礫にかざした。
「――」
 音にならない呪文が空気を凍てつかせる。手から伸びる氷の枝は瓦礫を貫き、一瞬で空中で凍らせた。
 彼が手を握りしめると、凍った瓦礫は粉々に砕かれる。月光に照らされて、まるで錬金石のようにキラキラと輝いていた。
「あ、ありがとう。助かったわ」
 彼はにこりと笑った。
 彼が魔法が使えないというのは、私の勘違いだったのかもしれない。テオ先生みたいだって思ったけれど、その魔法は、お母様の魔法に似ていた。お母様が私に見せてくれた結晶の輝きに……。
 あれ、でも、おかしいわ。白銀の魔法の使い手はもういないって聞いていたけれど……。
 いや、今はそんなことはあとよ。はやくマルクのところに行かなくては。白銀の魔法が使えるのなら、彼が力になれるかもしれない。
 最上階を目指して一生懸命走る。
 そして、私はとても恐ろしいものを見た。
 天井にべったりと張り付いている、どろどろの泥のような魔物を。どろどろの中央には一つの大きな目があった。
 その大きな一つ目が捉えているのは、手負いのマルクだった。しゃがんで痛みに耐えている。
「マルク!」
 駆け寄るとマルクはぎょっとした目で私を見た。
「なんで来るんだよ、馬鹿か!?」
「馬鹿よ、私は馬鹿。でも怪我してるじゃない!」
 頬にも腕にも切り傷があって、血が出てしまっている。マルクはつばを吐き、立ち上がった。
「別にあいつにやられたわけじゃない。半分は自分でつけた傷」
 マルクは腕から流れる血を指で拭い集め、口元に持っていった。そして、血に息を吹きかけると、勢いよく燃えあがる。炎の塊をどろどろに向かって投げつけた。勢いよく爆ぜ、瓦礫が散らばる。
 けれど、その勢いをもってしても魔物はびくともしなかった。
「ダメだ。あいつ、燃やしきれない。出直そうと思ってたんだけど」
 マルクは私の後ろに立っている男を見て、唇を噛んだ。
「まさか白銀の残滓に助けられるとは思ってなかったよ」
 彼はマルクを見て、ただ、微笑んだ。
6/7ページ
スキ