3章 アルルと灰の学園都市
墓地は街のはずれにあった。
様々な形をした墓標が佇んでいる。花などのお供えものは一切なく、忘れ去られた場所のようだった。
街の中とは違う空気が漂っている。寂しくて、悲しくて、悔しいような、そんな空気だと思った。
できれば早く帰りたいとさえ思ってしまう。
「ここは悲劇のあとに作られた場所ですね。被害を免れた人たちによって作られたのでしょう」
墓標に刻まれた文字をトットはなぞった。見てみたけれど、知らない文字だった。外国の言葉かと聞くと、トットは首を横に振る。
「今は使われていない文字です。れっきとしたグランベル語ですよ。勉強しようと思えば城の学者が教えてくれるでしょうから、教えてもらったらいいと思いますよ。詩が多く残っています」
トットは今の言葉に訳して読み上げてくれた。
「”白銀の祝福あれ”ですね。きっと白銀の魔法の使い手だったのでしょう」
「魔法が使えても、死んじゃうの?」
「力の差はあれど、いくら強力な力をもっていても、魔法は万能じゃありませんよ。錬金術も万能ではありません。もしそうだとしたら、黒竜は白銀の魔女に封印なんてされていないはず……です」
トットの言葉に一瞬の間があったのは、私のお母様のことを思い出したから。私の顔を見上げて、すぐにごめんなさいと謝る。
そんなにわかりやすい顔をしていたかしら。いや、多分、していたわ。
お母様がもしかしたら――もしかしたら、もう、この世にいない可能性だってあるもの。魔法が使えても死んでしまった白銀の魔法使いたちを目の当たりにして、万能じゃないって分かって、その可能性を考えてしまった。
もちろん、可能性があるというだけで、まだあきらめてはいないわ。実際にこの目で見て確かめてからにしたい。でも、分からないから、余計に不安になる。
もし、最悪の結果だった場合、私はその事実を受け入れられるのかしらって。
黙り込んでしまった私に、トットはもう一度謝る。
「すみません、余計なことを言いました」
「いいの。あまり気遣われてもそれはそれで困るから」
それから、気を紛らわせるためにマルクを探してみたけれど、彼の姿を見つけることはできなかった。
風が冷たくなってきて、フリューゲルが小さなくしゃみをした。トットもそろそろ戻りたいというので、ここで一旦船に戻ることにした。
墓地から出るとき、私は視界の隅で、ぼんやりと白く光る何かがあることに気がついた。
その光るものをちゃんと見ようと思って、振り向く。
人影だった。男の人が、虚ろな目で私達を見送っている。
「……っ」
悲鳴が出そうになって、私は咄嗟に口を手で覆った。
「アルル様?」
立ち止まった私に気がついて、トットとフリューゲルは不思議そうに振り返る。
なんだか一気に寒くなって、鳥肌が立って、肩にかけたショールを掴みながら早歩きでトットの元に向かった。
「……、私もくしゃみが出そうになっただけ。は、はやく帰りましょ!」
「そうですね。なんだか冷えます。帰ったらお茶を淹れましょう」
トットは彼がいることに気付いていなかった。それがさらに私をぞっとさせてくる。
もう一度振り返ると、もうそこには人はいなかった。消えてしまった。まるで――幽霊みたいに。
怖くてたまらなくて、私はそれから一度も振り返らずに船に戻った。
それからトットに熱いお茶を淹れてもらって、フリューゲルとトットと三人でゆっくりしたけれど、私はお茶を飲みながらもう一度、あの人影のことを考えていた。
あのときはびっくりしたけれど、怖くなって、逃げるように帰ってきたことに少しだけ罪悪感があった。
だって、もし幽霊だったら、あの人は悲劇の被害者ということになる。もしそうだとしたら、私はとっても失礼なことをしてしまった。とてもむごたらしい最期の中で亡くなってしまった人を怖がるなんて、とても失礼なことだわ。
それに、墓地に行ってからお祈りを一切していないことに気付いたのだ。お母様のことで頭がいっぱいいっぱいになってしまって、そこに眠る人たちにお祈りを捧げることを忘れていた。
お茶を飲み終えたあと、トットとフリューゲルはもう夜が遅いからとマルクを待たずして寝てしまった。
マルクはまだ帰ってこない。
もう一度、あの墓地に行ってみようと思って、私はひっそりと船から出た。
一度行ってみると、恐怖感というのは薄れるものらしい。
それに、もし幽霊が出たとしても、その幽霊がどういう人たちなのか分かったから、もう大丈夫だった。
怖いというのは、分からないからこそ怖いのだ。それはトットも言っていた。ドワーフたちは、分からないことから逃げたのだと。
知らなかったから怖かっただけ。だからもう怖くない。
墓地に到着して、まずしたことは、祈りを捧げることだった。
一つ一つめぐることはできないと思ったから、みんなに対して、だけれど。王女として、祈りを捧げた。
苦しい最期だっただけに、これからも安らかに眠ってほしい。白銀の祝福がありますようにと。
それから、私は、あの男の人を見つけた。墓標に座って、塔をじっと見つめていた。さっきは幽霊みたいに一瞬で消えたと思ったけれど、しゃがんで見えなくなっただけかもしれない。
そして、彼はまるで、テオ先生みたいだ、と思った。それから、お母様みたい、とも。
眉の上でまっすぐに切りそろえられた前髪。おかっぱの銀の髪。すぐに白銀の祝福を得た人だと分かった。
体は透けていないし、なあんだ、とそこでほっとした。
幽霊じゃないわ。
白銀の魔法の使い手はもういないと聞いているけれど、テオ先生みたいに、白銀の祝福を少なからず授かっている人なんだと思った。テオ先生も祝福は授かっているけど力はちょっとしかないって言っていたし、きっとそれに近い人なんだわ。
「こんばんは」
挨拶をしてみると、彼は私を見て、ふ、と微笑んだ。それから首を傾げて挨拶を返してきた。声が出ないのかしら。出せないのかしら。
純白のローブを着ていて、まるで神父のようだとも思った。白く光っているように見えたのは、その白が、月光を反射していたからだった。
きっと彼も祈りを捧げているのだ。塔を見上げていたのは、塔の中で亡くなった人々に祈りを捧げていたからだろう――違うかもしれないけれど。
「私も、祈りに来たの。ここの話は、旅の仲間に聞いたわ」
彼にならって、私も塔に向かって祈りを捧げることにした。
静かな時間が流れる。風は穏やかだった。冷たいと感じていたのは、私が必要以上に怖がっていたからかもしれない。私の気持ちも風と一緒で穏やかだった。
もうこれ以上、悪しきものからの被害がないことを祈る。
だって、だってお母様が命を賭して山脈に向かったのだもの。だから、きっと大丈夫。そう思いたいし、思いたかった。
祈りを終えると、彼はすっと手を上げて、塔を指さした。
その意味が分からず、私は首を傾げて、もう一度塔を見上げる。
そのときだった。
爆音と共に、塔の窓の一つが吹き飛び、そこから黒い煙が吹き出す。
「ええっ!?」
驚きで、素っ頓狂な声が出る。
そこから、塔にマルクがいるのだと理解するのに数秒かかる。マルクのあの炎の魔法のようなもの――彼は魔法じゃないって言っていたけれど、あれを思い出すのに数秒かかってしまった。
様々な形をした墓標が佇んでいる。花などのお供えものは一切なく、忘れ去られた場所のようだった。
街の中とは違う空気が漂っている。寂しくて、悲しくて、悔しいような、そんな空気だと思った。
できれば早く帰りたいとさえ思ってしまう。
「ここは悲劇のあとに作られた場所ですね。被害を免れた人たちによって作られたのでしょう」
墓標に刻まれた文字をトットはなぞった。見てみたけれど、知らない文字だった。外国の言葉かと聞くと、トットは首を横に振る。
「今は使われていない文字です。れっきとしたグランベル語ですよ。勉強しようと思えば城の学者が教えてくれるでしょうから、教えてもらったらいいと思いますよ。詩が多く残っています」
トットは今の言葉に訳して読み上げてくれた。
「”白銀の祝福あれ”ですね。きっと白銀の魔法の使い手だったのでしょう」
「魔法が使えても、死んじゃうの?」
「力の差はあれど、いくら強力な力をもっていても、魔法は万能じゃありませんよ。錬金術も万能ではありません。もしそうだとしたら、黒竜は白銀の魔女に封印なんてされていないはず……です」
トットの言葉に一瞬の間があったのは、私のお母様のことを思い出したから。私の顔を見上げて、すぐにごめんなさいと謝る。
そんなにわかりやすい顔をしていたかしら。いや、多分、していたわ。
お母様がもしかしたら――もしかしたら、もう、この世にいない可能性だってあるもの。魔法が使えても死んでしまった白銀の魔法使いたちを目の当たりにして、万能じゃないって分かって、その可能性を考えてしまった。
もちろん、可能性があるというだけで、まだあきらめてはいないわ。実際にこの目で見て確かめてからにしたい。でも、分からないから、余計に不安になる。
もし、最悪の結果だった場合、私はその事実を受け入れられるのかしらって。
黙り込んでしまった私に、トットはもう一度謝る。
「すみません、余計なことを言いました」
「いいの。あまり気遣われてもそれはそれで困るから」
それから、気を紛らわせるためにマルクを探してみたけれど、彼の姿を見つけることはできなかった。
風が冷たくなってきて、フリューゲルが小さなくしゃみをした。トットもそろそろ戻りたいというので、ここで一旦船に戻ることにした。
墓地から出るとき、私は視界の隅で、ぼんやりと白く光る何かがあることに気がついた。
その光るものをちゃんと見ようと思って、振り向く。
人影だった。男の人が、虚ろな目で私達を見送っている。
「……っ」
悲鳴が出そうになって、私は咄嗟に口を手で覆った。
「アルル様?」
立ち止まった私に気がついて、トットとフリューゲルは不思議そうに振り返る。
なんだか一気に寒くなって、鳥肌が立って、肩にかけたショールを掴みながら早歩きでトットの元に向かった。
「……、私もくしゃみが出そうになっただけ。は、はやく帰りましょ!」
「そうですね。なんだか冷えます。帰ったらお茶を淹れましょう」
トットは彼がいることに気付いていなかった。それがさらに私をぞっとさせてくる。
もう一度振り返ると、もうそこには人はいなかった。消えてしまった。まるで――幽霊みたいに。
怖くてたまらなくて、私はそれから一度も振り返らずに船に戻った。
それからトットに熱いお茶を淹れてもらって、フリューゲルとトットと三人でゆっくりしたけれど、私はお茶を飲みながらもう一度、あの人影のことを考えていた。
あのときはびっくりしたけれど、怖くなって、逃げるように帰ってきたことに少しだけ罪悪感があった。
だって、もし幽霊だったら、あの人は悲劇の被害者ということになる。もしそうだとしたら、私はとっても失礼なことをしてしまった。とてもむごたらしい最期の中で亡くなってしまった人を怖がるなんて、とても失礼なことだわ。
それに、墓地に行ってからお祈りを一切していないことに気付いたのだ。お母様のことで頭がいっぱいいっぱいになってしまって、そこに眠る人たちにお祈りを捧げることを忘れていた。
お茶を飲み終えたあと、トットとフリューゲルはもう夜が遅いからとマルクを待たずして寝てしまった。
マルクはまだ帰ってこない。
もう一度、あの墓地に行ってみようと思って、私はひっそりと船から出た。
一度行ってみると、恐怖感というのは薄れるものらしい。
それに、もし幽霊が出たとしても、その幽霊がどういう人たちなのか分かったから、もう大丈夫だった。
怖いというのは、分からないからこそ怖いのだ。それはトットも言っていた。ドワーフたちは、分からないことから逃げたのだと。
知らなかったから怖かっただけ。だからもう怖くない。
墓地に到着して、まずしたことは、祈りを捧げることだった。
一つ一つめぐることはできないと思ったから、みんなに対して、だけれど。王女として、祈りを捧げた。
苦しい最期だっただけに、これからも安らかに眠ってほしい。白銀の祝福がありますようにと。
それから、私は、あの男の人を見つけた。墓標に座って、塔をじっと見つめていた。さっきは幽霊みたいに一瞬で消えたと思ったけれど、しゃがんで見えなくなっただけかもしれない。
そして、彼はまるで、テオ先生みたいだ、と思った。それから、お母様みたい、とも。
眉の上でまっすぐに切りそろえられた前髪。おかっぱの銀の髪。すぐに白銀の祝福を得た人だと分かった。
体は透けていないし、なあんだ、とそこでほっとした。
幽霊じゃないわ。
白銀の魔法の使い手はもういないと聞いているけれど、テオ先生みたいに、白銀の祝福を少なからず授かっている人なんだと思った。テオ先生も祝福は授かっているけど力はちょっとしかないって言っていたし、きっとそれに近い人なんだわ。
「こんばんは」
挨拶をしてみると、彼は私を見て、ふ、と微笑んだ。それから首を傾げて挨拶を返してきた。声が出ないのかしら。出せないのかしら。
純白のローブを着ていて、まるで神父のようだとも思った。白く光っているように見えたのは、その白が、月光を反射していたからだった。
きっと彼も祈りを捧げているのだ。塔を見上げていたのは、塔の中で亡くなった人々に祈りを捧げていたからだろう――違うかもしれないけれど。
「私も、祈りに来たの。ここの話は、旅の仲間に聞いたわ」
彼にならって、私も塔に向かって祈りを捧げることにした。
静かな時間が流れる。風は穏やかだった。冷たいと感じていたのは、私が必要以上に怖がっていたからかもしれない。私の気持ちも風と一緒で穏やかだった。
もうこれ以上、悪しきものからの被害がないことを祈る。
だって、だってお母様が命を賭して山脈に向かったのだもの。だから、きっと大丈夫。そう思いたいし、思いたかった。
祈りを終えると、彼はすっと手を上げて、塔を指さした。
その意味が分からず、私は首を傾げて、もう一度塔を見上げる。
そのときだった。
爆音と共に、塔の窓の一つが吹き飛び、そこから黒い煙が吹き出す。
「ええっ!?」
驚きで、素っ頓狂な声が出る。
そこから、塔にマルクがいるのだと理解するのに数秒かかる。マルクのあの炎の魔法のようなもの――彼は魔法じゃないって言っていたけれど、あれを思い出すのに数秒かかってしまった。