3章 アルルと灰の学園都市
買い物も食事も終えたので、飛行船に戻ることになった。黙ってマルクのやや後ろを歩く。
トットたちはきっと届いた荷物に驚いているわ。
飛行船のエンジンのそばには小さなキッチンがあって、トットが調理をしてくれる。簡単なものしか作れませんよ、と謙遜するけれど、なんだかんだ毎日美味しい料理を作ってくれる。ドワーフは美食家なのかもしれない。彼がいなければいちいち飛行船から降りてどこかに食べに行かないといけなかったから、彼が来てくれて本当に助かっている。いつか、出会った人から聞いた「旅は道連れ」という言葉を思い出した。
届いた食材を使って、もう何か作って、フリューゲルと食べているだろう。お茶の葉もいくらか買っておいたので、あとでもう一度トットに淹れてもらおう――怖い話を聞いて、せっかくのお茶を美味しく飲めなかったから。
別に、怖いってわけじゃないわ。ちょっと、ぞっとしたくらいよ。幽霊よりも、もっと恐ろしいものを目の当たりにした私が、幽霊くらいで驚くわけないじゃない……、なんて心の中では思うけれど、本当は……少しだけ、本当に少しだけ、怖い……かも。
ひやりとしたから、トットには熱くて、舌が火傷するくらいのお茶を淹れてもらおうと決めた。
飛行船に向かって歩いている間、マルクは何か考え事をしているみたいで、一言も口をきかなかった。深く被ったフードが風にめくられて、真っ赤な髪の毛が丸見えになっても、歪な形の耳が丸見えになっても、無反応だった。通りすがりの人が、マルクの赤毛を見てたびたびぎょっとしていたけれど、マルクは気付いていないようだった。
飛行船に戻り、ドアを開けると、積み込まれた荷物の量にまず驚いた。大きな麻の布がいくつも転がっていて、その中に小さなトットがいた。サンドイッチを頬張っている。その姿がなんだか小さな動物――例えばリスみたいで――私は吹き出してしまった。
メモを渡して、その分だけ運んでもらったから、マルクもここまで買い込んでいたことに気が付かなかったのだろう「随分な量だな」と呟いていた。
「おかへりなさい」
彼は慌てて飲み込もうとして、咳き込んでいた。お茶を飲み、一息ついたところで、彼は私たちにお礼を言った。
「助かりました。これで行って帰ってくることはできると思います」
「そうか。こんなに積んでいても飛べるのか」
マルクの指摘に、あ、と思った。けれどマルクは、どんと胸を叩いた。
「ドワーフの錬金術を甘く見ないでください」
「ならいい」
ぱんぱんに膨らんだ袋をベッド代わりにして、マルクは寝そべった。買い物で疲れてしまったのだろう。私もちょっと横になりたい気分だったけれど、トットに熱いお茶を頼んで淹れてもらった。
テーブルの上にちょこんと座るフリューゲルは、人差し指の腹に乗るくらいの大きさの陶磁のカップをいつの間にか作ってもらっていて、それでお茶を飲んでいた。トットに作ってもらったのだろう。良かったね、と声をかけると、大きく頷いて笑顔を見せていた。
「どうでした、ラルーン。大きな街だったでしょう」
「あ、うん。王都のお店よりもなんだか小洒落たお店が多いような気もしたわ。どのお店もぴかぴかで」
「そうでしょうね。比較的新しい街なので」
王都よりも随分と後にできた街なのだと教えてくれた。かつて、グランベル王国が興った時から王都の場所は変わっていない。だから王都は古い街とも言える。一方、ラルーンは比較的最近、といっても数十年前だけれども、歴史的に見れば比較的最近できた街だという。新しいもの、流行のものが集まりやすい街でもあるようだ。だからピカピカのお店が多かったのだ。影でこそこそ何かしているような怪しいお店もあったけれど。
「あ、そうだ。怪しい話も聞いてきたわ」
「怪しい?」
「幽霊が出る学園都市……」
「ジクラスだ」
マルクが会話に入ってきた。両腕を頭の後ろで組んで、天井を見上げている。
「ああ、あの」
トットが顔の表情をさっと暗くする。
「何か知ってる? 廃墟なのよね」
「知ってるも何も。黒竜の手下たちに襲われた都市ですよ。唯一、被害にあった街です。白銀の封印の力が弱ってきたところを狙って、黒竜が送り付けたんです。これも比較的最近の話で今から三十年ほど前の話ですよ」
「酷かったらしいな。魔法と錬金術の研究がさかんな場所で、一般の学生も魔法使いも多くいたらしいが」
「そう、なの……」
お母様が自分の命を顧みずに一人で山脈に向かったのは、そのジクラスの被害の大きさを知っていたからだ。そうだわ、思い出した。お母様の手記に書いてあった。三十年前の悲劇って。
ジクラスだけでは済まされない。国が滅んでしまう。だから一人でも行く――、手記に書かれていなかった思いを、私は想像する。
「悲劇のあった時点では数を減らしていましたが、白銀の魔法の使い手はそこそこ存在していました。王都に出向き、王に仕える白銀の魔法使い、魔女だけではなかったんです。ジクラスで研究をする者もいました。ジクラスも王都に次ぐ、最先端技術をもつ場所だったんです」
「黒竜がまっさきに狙いそうな場所だったということだ。封印されているとはいえ、黒竜は大量の魔物を放ち、ジクラスを滅ぼした。で、トット。そこに船を運んでほしい。立ち寄りたい」
私は、えっ、と声を出した。
「ゆ、幽霊出るって話じゃない!」
「なんだ、怖いのか。あんなの噂でしかないぞ」
天井に向けていた視線が私に向けられる。にや、と嫌な笑みを浮かべていた。馬鹿にされて、かっとする。
「べ、別に怖くないわよ! 行って何か見つけるの?」
「いや……行きたいだけ」
「なにそれ、寄り道ってこと!?」
遊んでいる時間なんてないのに! と憤慨していると、フリューゲルとトットが、まあまあ、と宥めてくる。
気持ちを落ち着かせるためにお茶をすすっていると、トットは肩をすくめた。
「――そういうのは、無視できないんですね、マルク様って」
「責務のうちの一つだよ。すべきことがあるなら、すべきことをする。なければしない。それだけのこと」
せきむ、という言葉を、私は咀嚼した。
飛行船に乗った日の夜にも、マルクはその言葉を口にしていたのを思い出す。彼は何か、役目がある。その内容は分からないけれど、もしかしたらジクラスでしなければいけないことがあるのかもしれない。
ジクラスに行けば、彼のことが少し分かるかもしれない。だったら、寄り道する価値はある。
「私も行く」
「お、幽霊に会う気になったか」
「違うわよ!」
ニヤニヤ顔のマルクに茶化されて、反射的に声を上げてしまった。なんでマルクはああいう言い方しかできないのだろう。トットもテオも、優しいお兄さんって感じがするのに。
お父様みたいだわ、なんて。どうしたらいいか分からずに、私に声を上げたお父様みたい。
理由は分からないけれど、マルクは余裕がない……のかしら……。
トットはふふ、と笑って運転席に向かった。揺れるから気をつけて、と優しく声をかけてくれる。マルクと大違い。
ふわりと浮いた飛行船は、ラルーンから北東、学園都市ジクラスへと向かいはじめる。
マルクはその間、荷袋の上で眠っていた。船が安定してから、トットにもう一杯お茶をもらう。フリューゲルは私とのお茶会を楽しんでいた。
ジクラスが見えたのは、それから数時間後。飛行船の前に、まるまるとした月があった。
その月の銀の光に照らされ、鈍く光っているものがあった。
「あれがジクラスですよ。灰に包まれていますが」
トットがゴーグルを外し、酷い、と呟いた。私も頷く。
石造りの建物のようなものが密集している。ほとんどが半壊状態だった。鈍く光っているように見えたのは、建物に積もって固まった灰のせいなのもあるが、白っぽい石材を使っているからでもあった。
飛行船はゆっくりと街のはずれに着陸した。ドアを開くと、ひんやりとした空気がゴンドラの中に入ってきて、私はつい身震いしてしまった。
トットたちはきっと届いた荷物に驚いているわ。
飛行船のエンジンのそばには小さなキッチンがあって、トットが調理をしてくれる。簡単なものしか作れませんよ、と謙遜するけれど、なんだかんだ毎日美味しい料理を作ってくれる。ドワーフは美食家なのかもしれない。彼がいなければいちいち飛行船から降りてどこかに食べに行かないといけなかったから、彼が来てくれて本当に助かっている。いつか、出会った人から聞いた「旅は道連れ」という言葉を思い出した。
届いた食材を使って、もう何か作って、フリューゲルと食べているだろう。お茶の葉もいくらか買っておいたので、あとでもう一度トットに淹れてもらおう――怖い話を聞いて、せっかくのお茶を美味しく飲めなかったから。
別に、怖いってわけじゃないわ。ちょっと、ぞっとしたくらいよ。幽霊よりも、もっと恐ろしいものを目の当たりにした私が、幽霊くらいで驚くわけないじゃない……、なんて心の中では思うけれど、本当は……少しだけ、本当に少しだけ、怖い……かも。
ひやりとしたから、トットには熱くて、舌が火傷するくらいのお茶を淹れてもらおうと決めた。
飛行船に向かって歩いている間、マルクは何か考え事をしているみたいで、一言も口をきかなかった。深く被ったフードが風にめくられて、真っ赤な髪の毛が丸見えになっても、歪な形の耳が丸見えになっても、無反応だった。通りすがりの人が、マルクの赤毛を見てたびたびぎょっとしていたけれど、マルクは気付いていないようだった。
飛行船に戻り、ドアを開けると、積み込まれた荷物の量にまず驚いた。大きな麻の布がいくつも転がっていて、その中に小さなトットがいた。サンドイッチを頬張っている。その姿がなんだか小さな動物――例えばリスみたいで――私は吹き出してしまった。
メモを渡して、その分だけ運んでもらったから、マルクもここまで買い込んでいたことに気が付かなかったのだろう「随分な量だな」と呟いていた。
「おかへりなさい」
彼は慌てて飲み込もうとして、咳き込んでいた。お茶を飲み、一息ついたところで、彼は私たちにお礼を言った。
「助かりました。これで行って帰ってくることはできると思います」
「そうか。こんなに積んでいても飛べるのか」
マルクの指摘に、あ、と思った。けれどマルクは、どんと胸を叩いた。
「ドワーフの錬金術を甘く見ないでください」
「ならいい」
ぱんぱんに膨らんだ袋をベッド代わりにして、マルクは寝そべった。買い物で疲れてしまったのだろう。私もちょっと横になりたい気分だったけれど、トットに熱いお茶を頼んで淹れてもらった。
テーブルの上にちょこんと座るフリューゲルは、人差し指の腹に乗るくらいの大きさの陶磁のカップをいつの間にか作ってもらっていて、それでお茶を飲んでいた。トットに作ってもらったのだろう。良かったね、と声をかけると、大きく頷いて笑顔を見せていた。
「どうでした、ラルーン。大きな街だったでしょう」
「あ、うん。王都のお店よりもなんだか小洒落たお店が多いような気もしたわ。どのお店もぴかぴかで」
「そうでしょうね。比較的新しい街なので」
王都よりも随分と後にできた街なのだと教えてくれた。かつて、グランベル王国が興った時から王都の場所は変わっていない。だから王都は古い街とも言える。一方、ラルーンは比較的最近、といっても数十年前だけれども、歴史的に見れば比較的最近できた街だという。新しいもの、流行のものが集まりやすい街でもあるようだ。だからピカピカのお店が多かったのだ。影でこそこそ何かしているような怪しいお店もあったけれど。
「あ、そうだ。怪しい話も聞いてきたわ」
「怪しい?」
「幽霊が出る学園都市……」
「ジクラスだ」
マルクが会話に入ってきた。両腕を頭の後ろで組んで、天井を見上げている。
「ああ、あの」
トットが顔の表情をさっと暗くする。
「何か知ってる? 廃墟なのよね」
「知ってるも何も。黒竜の手下たちに襲われた都市ですよ。唯一、被害にあった街です。白銀の封印の力が弱ってきたところを狙って、黒竜が送り付けたんです。これも比較的最近の話で今から三十年ほど前の話ですよ」
「酷かったらしいな。魔法と錬金術の研究がさかんな場所で、一般の学生も魔法使いも多くいたらしいが」
「そう、なの……」
お母様が自分の命を顧みずに一人で山脈に向かったのは、そのジクラスの被害の大きさを知っていたからだ。そうだわ、思い出した。お母様の手記に書いてあった。三十年前の悲劇って。
ジクラスだけでは済まされない。国が滅んでしまう。だから一人でも行く――、手記に書かれていなかった思いを、私は想像する。
「悲劇のあった時点では数を減らしていましたが、白銀の魔法の使い手はそこそこ存在していました。王都に出向き、王に仕える白銀の魔法使い、魔女だけではなかったんです。ジクラスで研究をする者もいました。ジクラスも王都に次ぐ、最先端技術をもつ場所だったんです」
「黒竜がまっさきに狙いそうな場所だったということだ。封印されているとはいえ、黒竜は大量の魔物を放ち、ジクラスを滅ぼした。で、トット。そこに船を運んでほしい。立ち寄りたい」
私は、えっ、と声を出した。
「ゆ、幽霊出るって話じゃない!」
「なんだ、怖いのか。あんなの噂でしかないぞ」
天井に向けていた視線が私に向けられる。にや、と嫌な笑みを浮かべていた。馬鹿にされて、かっとする。
「べ、別に怖くないわよ! 行って何か見つけるの?」
「いや……行きたいだけ」
「なにそれ、寄り道ってこと!?」
遊んでいる時間なんてないのに! と憤慨していると、フリューゲルとトットが、まあまあ、と宥めてくる。
気持ちを落ち着かせるためにお茶をすすっていると、トットは肩をすくめた。
「――そういうのは、無視できないんですね、マルク様って」
「責務のうちの一つだよ。すべきことがあるなら、すべきことをする。なければしない。それだけのこと」
せきむ、という言葉を、私は咀嚼した。
飛行船に乗った日の夜にも、マルクはその言葉を口にしていたのを思い出す。彼は何か、役目がある。その内容は分からないけれど、もしかしたらジクラスでしなければいけないことがあるのかもしれない。
ジクラスに行けば、彼のことが少し分かるかもしれない。だったら、寄り道する価値はある。
「私も行く」
「お、幽霊に会う気になったか」
「違うわよ!」
ニヤニヤ顔のマルクに茶化されて、反射的に声を上げてしまった。なんでマルクはああいう言い方しかできないのだろう。トットもテオも、優しいお兄さんって感じがするのに。
お父様みたいだわ、なんて。どうしたらいいか分からずに、私に声を上げたお父様みたい。
理由は分からないけれど、マルクは余裕がない……のかしら……。
トットはふふ、と笑って運転席に向かった。揺れるから気をつけて、と優しく声をかけてくれる。マルクと大違い。
ふわりと浮いた飛行船は、ラルーンから北東、学園都市ジクラスへと向かいはじめる。
マルクはその間、荷袋の上で眠っていた。船が安定してから、トットにもう一杯お茶をもらう。フリューゲルは私とのお茶会を楽しんでいた。
ジクラスが見えたのは、それから数時間後。飛行船の前に、まるまるとした月があった。
その月の銀の光に照らされ、鈍く光っているものがあった。
「あれがジクラスですよ。灰に包まれていますが」
トットがゴーグルを外し、酷い、と呟いた。私も頷く。
石造りの建物のようなものが密集している。ほとんどが半壊状態だった。鈍く光っているように見えたのは、建物に積もって固まった灰のせいなのもあるが、白っぽい石材を使っているからでもあった。
飛行船はゆっくりと街のはずれに着陸した。ドアを開くと、ひんやりとした空気がゴンドラの中に入ってきて、私はつい身震いしてしまった。