3章 アルルと灰の学園都市

 私たちを乗せた飛行船は、青空の下、ゆったりと飛行していた。
 錬金術で飛行するこの飛行船は、ゴンドの谷に住むドワーフ、トットが操縦している。その姿は人間よりもずっと小さいけれど、トットは気さくなお兄さんといった感じ。舵を握る時はいつもゴーグルをつけて、かっこいい。
 マルクのことを知っているようで、マルクに対しても敬語をつかうけれど、たぶん、この船の中では一番年上。トットは既に成人済みであると言っていたから、彼が唯一の大人だ。
 でも、トットはマルクに対して敬語を使う。グランベル王国の王女である私に敬語を使うのは理解できる。けれどもマルクに対して敬語を使う理由が私には分からなかった。
 マルクは私にずっと隠し事をしている。トットはその秘密のうちの何かを知っているみたいだったけれど、教えてくれなかった。マルクがトットよりも立場が上である理由が、その秘密の中にあるのだろうけど、私はマルクが自分から教えてくれるのを待っている。
 今向かっているのは、王都の北にある商業都市ラルーン。王都の次に大きな都市だと聞いている。王都にも様々なお店があるけれど、ラルーンもたくさんのお店が集まっているらしい。
 ラルーンは王都から馬車で五日はかかるところにある。けれど飛行船ならそれが二日で行けるというのだから凄い。
 どうして商業都市に向かっているのかというと、旅に必要な食材を十分に積んでいなかったのと、私の服が必要だったから。
 私たちが向かっているのは、国の最北にあるミハラマ山脈。ここは年中、深い雪に覆われている。聖なる山であり、白銀の魔法の源であるこの山脈に、私のお母様がいるかもしれない。山脈が生んだとされる純粋な「悪しきもの」、黒竜を封じるために、白銀の魔女であるお母様は一人山脈に向かった。それ以来、この国から魔法は徐々に失われていき、錬金術を司るお父様も、お母様を失った悲しみで魔法を放棄してしまっている。私はお母様も、魔法も、諦めていない。だから山脈に向かっている。
 その山脈に行くには、寒さに負けない服が必要だった。私が着ているのは、薄っぺらいワンピース。肩に薄汚れているショールをかけているだけ。城から脱走する時に着ていたもので、城下町の人からのお下がりだった。これでは山脈の手前で凍えるかもしれない。
 ラルーンは山脈近くに向かう旅人のために防寒具などもたくさん売っているとトットから聞いていた。
 楽しみになってきて、私はトットの隣に立って、窓の外を見る。
「見えてきましたよ」
 ゴーグルの下でトットは目を細めた。
「どれ?」
「あの大きな円がそうです……望遠鏡使ってみてください。すぐ分かりますから」
 舵の左手にある望遠鏡のレンズを覗いてみる。
 蛇行する運河のほとりに、確かにトットの言う通り、大きな円があった。その円は、街をぐるりと囲む壁だった。教会の高い塔が中央にあり、それを囲むように様々な建物が軒を連ねていた。マルクも気になったのか、私の隣に立って窓の外を見ていた。
 手のひらほどの大きさで、半透明の体を持ち、白銀の祝福を得た魔法生物、フリューゲルはトットの頭の上をふわりと飛んでいる。
「街の近くに飛行船を降ろします。揺れますので、椅子に座って待っていてください」
 テーブルの上には、一つの巾着袋があった。
 中には、ゴンドのドワーフたちが時間をかけて作り上げた、大粒で高練度の錬金石が入っている。錬金石を錬成するには数多くの道具、素材、時間を要する。小粒の錬金石なら巷にごろごろとあるけれども、大粒はそう見かけない。お父様の冠に埋まっている錬金石と、テオ先生が持っている占い用の錬金石が、私が見た中では最上級の錬金石だった。この巾着袋の中にあるのは、それと同じか、それ以上のものだった。
 石一粒で家が何件も買えるほどの価値があるというのだから凄い。
 トットは「山脈に向かう者のために用意していたものですから」とあっさり渡してくれた。この飛行船といい、錬金石といい、ゴンドのドワーフは気前がいいと思ったけれど、実際はそうではないらしい。
「言ったろ。ドワーフたちは臆病で卑怯だって。黒竜から守ってもらえれば、なんでもする。そういう奴らだよ」
 マルクは窓の外を見ながら溜息をついた。
「それは悪く言い過ぎじゃない?」
「事実を言ったまでだ。まあ感謝はしてるよ」
 船は運河のほとり、街の門から少し離れたところに着陸した。
「僕は船のメンテナンスをするので、ここに残ります。すみません、これを買ってきてもらっていいですか?」
 トットからメモを渡されたマルクは、頭を引っ掻いた。彼のトレードマークである赤毛がくしゃっとなった。読んでもよく分からなかったらしい。
「人に聞いても分からなかったら無理だ」
「錬金術を扱う人なら誰だって分かりますから。よろしくお願いします。これがないと長距離を飛べないんですよ。荷物はお金を払えばお店の人が運んでくれると思います。重いので、運んでもらってください。フリューゲルはどうしますか?」
 トットに聞かれたフリューゲルは、舵の上に座った。どうやらフリューゲルもお留守番のようだった。珍しい魔法生物だから、留守番をしていたほうが確かに良さそう。魔物にも狙われている身だし、飛行船にいたほうが安心だというのはフリューゲル自身もよく分かっているのだろう。
 マルクは赤毛と歪な形をした耳を隠すためにフードを被り、私は金色の髪を隠すためにショールを被った。
「行ってらっしゃいませ。美味しいもの、待ってます」
 トットに見送られ、私とマルクは船から降りた。
 降りた瞬間、私のお腹がぐう、と鳴る。マルクはまた、大きな溜息をついた。
「俺たちは街で何か食って帰るか」
「う、うん……!」
 久しぶりのランチ。それからお買い物。お城にいた私にとっては、どれも心躍るものだった。
「迷子になるなよ」
「分かってる!」
 早足のマルクを追いかけるように、私は小走りになる。
 お昼を告げる教会の鐘が鳴るなか、私とマルクはラルーンの門をくぐった。
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