2章 アルルと錬金と魔法の大きな船
「俺たちの後をつけてたんだ、一体どこから」
木製のゴンドラの内部は一つの広い部屋のようになっていて、操縦室と客室を隔てる壁はなかった。
操縦席に手を置き、窓の外を覗くマルクが急げ、とトットを急かしている。
トットはちょっと待ってと言いながら、運転席にある多数のボタンのうちの一つを押し、エンジンをつける。飛行船の後部で何か機械が動き出す音が聞こえてきた。客室の壁の向こうにエンジンや燃料なんかがあるんだわ。錬金術と魔法で作った飛行船が、地下から大空に向かおうと準備をはじめている。
「もう少し待ってください。そんなすぐには浮かべません」
舵を握り、ゴーグルを下げる。
「フリューゲルを奪い去って何の得があるのか……あの子はまだ自分の能力を把握していません」
「白銀の祝福があるだけでも得なんだろう、あいつらにとっては」
「ちょっと、状況が分からないんだけど」
私もトットとマルクの所に向かい、今の状況の説明を求めた。先程私を襲ってきて、フリューゲルを奪い去ったのは何者なのか問う。
「あれが山脈が産む悪しきものだ。黒竜の手下だろうな」
長老が言っていた、あの黒い竜のことだ。魔物たちを従える魔の王――。
「白銀の祝福は魔力の源。あいつらは他者の持つ祝福の力を食らって、力を増やそうとする。くそ、つけられてたのに気が付かなかった」
舌打ちをするマルクを、トットがなだめる。
「仕方ないです。僕らも祝福を授かる種族ですから……、ドワーフなんて非力な種族を狙うほど飢えていたんですかね」
「いや、多分それは違う――フリューゲルを狙ったのには何かもっと何か別の理由があるような気がする……」
その時、船が大きく揺れた。
「準備できました。飛びます!」
私とマルクはトットの座る操縦席にしがみついた。客室の椅子に座っていてくださいと言われたけれど、私たちはそのまま操縦席の両端で船が浮かび上がるのを見ていた。
トットは舵を両手で握りしめ、垂直に浮かび上がるようにしている。窓から眩しいほどの光がさしこんできて、眼の前が一気に開けた。最初は大地の緑が。そして次第に海と空の青が広がりはじめる。
高度が上がり、トットはボタンをいくつか押した。すると、船は安定し、揺れはだいぶ収まった。気流が安定していて良かったとトットはほっとしている。
雲ひとつない晴天。飛行船は無事浮かび上がった。
「山脈目指して向かってみましょうか」
舵の脇にある方位磁針で方角を確認しながらトットはマルクに提案する。マルクもすぐに頷いた。
「小さい魔物だったから、まだ遠くには行ってないだろう。全速力で追いかけろ」
「了解」
舵を切って、船体の向きを変える。頭を北に向け、直進を始めた。
エンジンがごうん、ごうん、と低く唸っている。一体燃料は何なのだろう。
「マルク様、追いついたとしても、この船、戦闘は無理です。移動しかできません……申し訳ない」
「いいよ、俺がやる」
「上空ですが?」
「俺のこと知っててそれ言う?」
トットはゴーグル越しにマルクを見て、それから笑った。
「それもそうでした」
柔和な顔立ちをするお兄さん、といった雰囲気のトットが不敵な笑みを浮かべているので、私は更に首をかしげる。
「マルクとトットって知り合いなの?」
「いいえ。マルク様は僕のことは知らないはずです。ですが、マルク様のことはよく知っています」
そこまで言うと、マルクが隣から話を遮ってくる。それ以上言うな、と言いたそうな視線をトットに送っていた。
やっぱりマルクは私に何か隠しているし、トットもマルクを庇おうとしているみたいだった。
飛行船は全速力で直進する。しばらくすると、前方に黒い影が見えた。
マルクが身を乗り出して、目をこらす。私も目を細めて、その黒い影を見た。
コウモリのような翼を持っていて、ずんぐりとした丸い体をした生き物だった。
私は操縦席の左手にあった望遠鏡を覗いた。鳥のような細い足が、フリューゲルをしっかりと握りしめているのが詳細に見える。苦しそうに顔を歪めていて、今すぐにでも助け出したくなる。
「飛行船のほうが速度は上です」
「いや、まだ気づかれていない。背後から狙う。フリューゲルが落ちたところを拾いあげよう。扉を開けるぞ」
乗降口の扉を開けると、強い風がゴンドラ内に吹き込んでくる。マルクのマントのフードがたなびき、赤毛が露わになった。
「アルル、俺の足を持っていてくれ」
「え!?」
扉に足をひっかけようとしていた。私は言われたままマルクの足を両腕で抱きかかえる。
マルクはそのまま身を外に投げ出し、前方を見据えていた。
両手を上に伸ばしたかと思うと、その手には炎で燃え盛る弓矢があった。炎でできた弓矢なんて――魔法じゃなければ何なのだろう。
「トット! もう少し右に寄れ! 真後ろだと狙えない!」
ぎりぎりと弓を引きながらトットに指示を出す。トットは舵を切って、船体と魔物の位置を調整する。
両目でまっすぐと魔物を捉えていたマルクは、すぐには矢を放たなかった。絶対外さない。一発で当てる。眼差しがそう語っていた。
そして、マルクの右手が後ろに弾かれた。バシュッと矢が放たれる。燃え盛る矢は音を立てながら魔物に向かって飛んでいく。
矢は魔物の体のど真ん中を貫き、魔物はボシュッと音を立てて情けなく燃え散った。マルクは体を起こし、室内に戻ってきた。その手にはもう炎の弓はなかった。
その間、小さな爆発で、フリューゲルの軽くて小さな体がこちらに向かって飛んでくる。
私はフリューゲルに向かって手を伸ばした――けれど、フリューゲルは私の指先をかすめていった。
「……だめっ!」
すれ違う時、フリューゲルが私に向かって、小さな手を伸ばしているのが見えた。
この時、私はすっかり忘れていた。フリューゲルは自分で飛ぶことができるってこと。もしかしたら、フリューゲルは自力で飛んでくることができたかもしれない。
でも、そんなこと考えている暇はなかった。
「アルル!」
マルクの叫びを背中で受けた。私は昇降口の床を蹴って、飛べもしないのに――空中に身を投げ出していた。
ただただ落ちていく私の体。当たり前だ。私はただの人間だ。
馬鹿だわ。飛び出したあとになって気付く。ああ、本当に馬鹿。
地面に叩きつけられるのを目をつぶって待っていた。ごめんなさい、お父様、エステル先生、テオ先生、お母様――また城のみんなの顔が頭の中を駆けてゆく。一体、何回、私は死を目前にするのだろう。
今度こそ本当に死ぬ。もうダメだ。
――そう思っていた途端、落ちていく感覚が消えた。
冷たい風が私を包む。ぺちぺちと何か小さな粒が私の頬を叩いていた。
目を開けると、フリューゲルが私の眼の前で両腕を差し伸べて、苦しそうな顔をしていた。
お母様の使っていた、氷の魔法を思い出す……、きらきらとした、小さな氷の結晶たち……、それが私を包んで、抱きしめていた。
フリューゲルは私を受け止めるので精一杯で、そばに寄ってきた飛行船から、マルクが手を差し伸べてくる。私は引き上げられる形で飛行船に戻った。フリューゲルは力を使い果たしてしまって、私の頭の上でだらんとしていた。
「馬鹿か!? 馬鹿なのか!?」
「ごめんなさい……」
最もです……。私は項垂れてしまった。
「フリューゲルに氷の魔法が使える力があって良かったな……ああ、通りで魔物が狙ったわけだ」
一人で納得しているマルクを、私はちらりと見た。
フードが外れているのを、忘れているのだろうか。
この時、反省しながらも、私はぼんやりと思った。
――マルクの耳、ちょっとだけ尖っていて、歪な形をしているのねって。
木製のゴンドラの内部は一つの広い部屋のようになっていて、操縦室と客室を隔てる壁はなかった。
操縦席に手を置き、窓の外を覗くマルクが急げ、とトットを急かしている。
トットはちょっと待ってと言いながら、運転席にある多数のボタンのうちの一つを押し、エンジンをつける。飛行船の後部で何か機械が動き出す音が聞こえてきた。客室の壁の向こうにエンジンや燃料なんかがあるんだわ。錬金術と魔法で作った飛行船が、地下から大空に向かおうと準備をはじめている。
「もう少し待ってください。そんなすぐには浮かべません」
舵を握り、ゴーグルを下げる。
「フリューゲルを奪い去って何の得があるのか……あの子はまだ自分の能力を把握していません」
「白銀の祝福があるだけでも得なんだろう、あいつらにとっては」
「ちょっと、状況が分からないんだけど」
私もトットとマルクの所に向かい、今の状況の説明を求めた。先程私を襲ってきて、フリューゲルを奪い去ったのは何者なのか問う。
「あれが山脈が産む悪しきものだ。黒竜の手下だろうな」
長老が言っていた、あの黒い竜のことだ。魔物たちを従える魔の王――。
「白銀の祝福は魔力の源。あいつらは他者の持つ祝福の力を食らって、力を増やそうとする。くそ、つけられてたのに気が付かなかった」
舌打ちをするマルクを、トットがなだめる。
「仕方ないです。僕らも祝福を授かる種族ですから……、ドワーフなんて非力な種族を狙うほど飢えていたんですかね」
「いや、多分それは違う――フリューゲルを狙ったのには何かもっと何か別の理由があるような気がする……」
その時、船が大きく揺れた。
「準備できました。飛びます!」
私とマルクはトットの座る操縦席にしがみついた。客室の椅子に座っていてくださいと言われたけれど、私たちはそのまま操縦席の両端で船が浮かび上がるのを見ていた。
トットは舵を両手で握りしめ、垂直に浮かび上がるようにしている。窓から眩しいほどの光がさしこんできて、眼の前が一気に開けた。最初は大地の緑が。そして次第に海と空の青が広がりはじめる。
高度が上がり、トットはボタンをいくつか押した。すると、船は安定し、揺れはだいぶ収まった。気流が安定していて良かったとトットはほっとしている。
雲ひとつない晴天。飛行船は無事浮かび上がった。
「山脈目指して向かってみましょうか」
舵の脇にある方位磁針で方角を確認しながらトットはマルクに提案する。マルクもすぐに頷いた。
「小さい魔物だったから、まだ遠くには行ってないだろう。全速力で追いかけろ」
「了解」
舵を切って、船体の向きを変える。頭を北に向け、直進を始めた。
エンジンがごうん、ごうん、と低く唸っている。一体燃料は何なのだろう。
「マルク様、追いついたとしても、この船、戦闘は無理です。移動しかできません……申し訳ない」
「いいよ、俺がやる」
「上空ですが?」
「俺のこと知っててそれ言う?」
トットはゴーグル越しにマルクを見て、それから笑った。
「それもそうでした」
柔和な顔立ちをするお兄さん、といった雰囲気のトットが不敵な笑みを浮かべているので、私は更に首をかしげる。
「マルクとトットって知り合いなの?」
「いいえ。マルク様は僕のことは知らないはずです。ですが、マルク様のことはよく知っています」
そこまで言うと、マルクが隣から話を遮ってくる。それ以上言うな、と言いたそうな視線をトットに送っていた。
やっぱりマルクは私に何か隠しているし、トットもマルクを庇おうとしているみたいだった。
飛行船は全速力で直進する。しばらくすると、前方に黒い影が見えた。
マルクが身を乗り出して、目をこらす。私も目を細めて、その黒い影を見た。
コウモリのような翼を持っていて、ずんぐりとした丸い体をした生き物だった。
私は操縦席の左手にあった望遠鏡を覗いた。鳥のような細い足が、フリューゲルをしっかりと握りしめているのが詳細に見える。苦しそうに顔を歪めていて、今すぐにでも助け出したくなる。
「飛行船のほうが速度は上です」
「いや、まだ気づかれていない。背後から狙う。フリューゲルが落ちたところを拾いあげよう。扉を開けるぞ」
乗降口の扉を開けると、強い風がゴンドラ内に吹き込んでくる。マルクのマントのフードがたなびき、赤毛が露わになった。
「アルル、俺の足を持っていてくれ」
「え!?」
扉に足をひっかけようとしていた。私は言われたままマルクの足を両腕で抱きかかえる。
マルクはそのまま身を外に投げ出し、前方を見据えていた。
両手を上に伸ばしたかと思うと、その手には炎で燃え盛る弓矢があった。炎でできた弓矢なんて――魔法じゃなければ何なのだろう。
「トット! もう少し右に寄れ! 真後ろだと狙えない!」
ぎりぎりと弓を引きながらトットに指示を出す。トットは舵を切って、船体と魔物の位置を調整する。
両目でまっすぐと魔物を捉えていたマルクは、すぐには矢を放たなかった。絶対外さない。一発で当てる。眼差しがそう語っていた。
そして、マルクの右手が後ろに弾かれた。バシュッと矢が放たれる。燃え盛る矢は音を立てながら魔物に向かって飛んでいく。
矢は魔物の体のど真ん中を貫き、魔物はボシュッと音を立てて情けなく燃え散った。マルクは体を起こし、室内に戻ってきた。その手にはもう炎の弓はなかった。
その間、小さな爆発で、フリューゲルの軽くて小さな体がこちらに向かって飛んでくる。
私はフリューゲルに向かって手を伸ばした――けれど、フリューゲルは私の指先をかすめていった。
「……だめっ!」
すれ違う時、フリューゲルが私に向かって、小さな手を伸ばしているのが見えた。
この時、私はすっかり忘れていた。フリューゲルは自分で飛ぶことができるってこと。もしかしたら、フリューゲルは自力で飛んでくることができたかもしれない。
でも、そんなこと考えている暇はなかった。
「アルル!」
マルクの叫びを背中で受けた。私は昇降口の床を蹴って、飛べもしないのに――空中に身を投げ出していた。
ただただ落ちていく私の体。当たり前だ。私はただの人間だ。
馬鹿だわ。飛び出したあとになって気付く。ああ、本当に馬鹿。
地面に叩きつけられるのを目をつぶって待っていた。ごめんなさい、お父様、エステル先生、テオ先生、お母様――また城のみんなの顔が頭の中を駆けてゆく。一体、何回、私は死を目前にするのだろう。
今度こそ本当に死ぬ。もうダメだ。
――そう思っていた途端、落ちていく感覚が消えた。
冷たい風が私を包む。ぺちぺちと何か小さな粒が私の頬を叩いていた。
目を開けると、フリューゲルが私の眼の前で両腕を差し伸べて、苦しそうな顔をしていた。
お母様の使っていた、氷の魔法を思い出す……、きらきらとした、小さな氷の結晶たち……、それが私を包んで、抱きしめていた。
フリューゲルは私を受け止めるので精一杯で、そばに寄ってきた飛行船から、マルクが手を差し伸べてくる。私は引き上げられる形で飛行船に戻った。フリューゲルは力を使い果たしてしまって、私の頭の上でだらんとしていた。
「馬鹿か!? 馬鹿なのか!?」
「ごめんなさい……」
最もです……。私は項垂れてしまった。
「フリューゲルに氷の魔法が使える力があって良かったな……ああ、通りで魔物が狙ったわけだ」
一人で納得しているマルクを、私はちらりと見た。
フードが外れているのを、忘れているのだろうか。
この時、反省しながらも、私はぼんやりと思った。
――マルクの耳、ちょっとだけ尖っていて、歪な形をしているのねって。