2章 アルルと錬金と魔法の大きな船
岩の中を無理矢理くり抜いたような、歪な曲線を描く階段を降りていくと、ほんのりと光るオレンジ色の光が私たちが迎えた。
岩の中に、巨大な空間が広がっていた。そして、その空間を中心にしてさらに奥に続く通路が見える。まるで何かの巣のようだった。
この広い空間の中心には、大きな木製の円テーブルと椅子があった。グランベル城にもこのような部屋がある。会議室だ。テーブルの中央には小さな燭台が置かれているけれど、火は灯されていなかった。
しん、とする空間にぽつんと立つ私達。誰も出てこない。
「おい、俺だ、長老」
椅子にどっと座ったマルクが、通路の奥に向かって叫んだ。私はマルクの隣にちょこんと座る。
待っていると、通路からかつん、かつん、と何かを突くような音が響いてきた。
姿を表したのは、赤黒い肌をした小さな人――子供じゃないわ、でも、子供みたいに背が低い老人だった。お母様と同じ白銀の髪をしているけれど、傷んでいるのか縮れていた。
ハンマーのような形をした杖をつきながら歩き、マルクと向かいの椅子によじ登る。杖をテーブルの上に置き、はあ、と息を吐いた。ここまで来るだけで疲れてしまったようだった。額には僅かに汗が浮かんでいる。
「いらっしゃい。今の名は?」
「マルクだ」
「はいはい、ここまでご苦労さん」
今の名――ってことは、マルクはこれまで何度も名を変えてきたってことかしら。二人の会話を聞いていれば、なんとなく、マルクのことが分かるかも。そんなことを考えていると、長老の小さな瞳が私を捉えた。
「そちらはグランベルの王女ですな。父君は息災ですかな」
「あっ、えっと」
髪を見たのかしら。長老は私が慌てているのを見て、にっこりと微笑んだ。
「ガリア少年は、立派な王になったと聞くよ。一度、ここに来たことがあってね」
「お父様が?」
「そう。この世のことはなんでもここに話が入ってくる。アルル様」
名前を呼ばれてドキッとする。まあ、国民ならば私の名前は知っていてもおかしくないわ。驚くほどじゃない。
それよりもお父様が一度ここを訪れたことがあるというのがびっくりだった。
「えっと、あなた方は……?」
「ドワーフ。オレゴのドワーフだよ。ああ、ご苦労」
奥から一人の若い小人の女の子がやってきて、背伸びをしてテーブルにお茶の入ったカップを置いた。ありがとう、とお礼を言うと、ぽっと顔を赤らめてまた奥へと引っ込んでしまった。
「いにしえから、錬金術と魔法を組み合わせた技術の研究をしておってな。かつては王族との交流も頻繁にあったし、研究成果を渡していたのだが……、まあ、訳あって、今はこうやって隠れて過ごしている」
そこまで話したところで、また通路の奥からざわざわと音がする。わーっと小さな子供のドワーフたちが私を囲んだ。五人の男女の子供たちだった。彼らも皆、白銀の髪をもっていた。
「うわあ! 王女様だ。すごい!」
「髪の毛が光ってる」
「でもメリアナ様には似てないよ?」
「なんで?」
「なんでなの?」
わいわいと騒がれて、答えにくい質問をされて、私は硬直してしまった。そんな私を見てマルクは溜息をついているし、長老もほほ、と笑うだけだった。
「これ、王女様もお困りだよ」
長老が柔らかく声をかけると、子供たちは「はーい」と返事をしてまた奥へと戻っていった。あの奥にはきっとたくさんのドワーフがいるんだろう。
「お母様をご存知なのですか」
聞くと、長老は頷くだけだった。
「長老。引きこもってるとはいえ、白銀の魔女が山に向かったのも、それからどうなっているのかも知っているんだろ。ドワーフは見てみぬふりをする種族だったのか。同じ山脈の祝福を授かっておいて」
マルクがやや苛ついたように長老に指摘する。
長老は微笑みを捨てて、テーブルの上の杖を握りしめた。
「そうではない」
「そうではない?」
「何もしていなかったわけではない、ということだよ。儂らは臆病で、卑怯だ。それは、ずる賢いともいう。おぬしから見たらずるいと思うだろうが、できることはしておったよ。王女様がここに来られるということは、母君の元へ向かうためだろう。事情は聞かずとも分かるよ」
長老は杖を持って椅子から飛び降り、着いてきなさい、と私たちに声をかける。
言われるまま、長老に着いていき、細く、暗い道を歩く。杖が先が淡く光っている。あれはレイラン石だ。
黙ってしばらく歩いていくと、別の広い空間に出た。地下にぽっかりとくり抜かれた大きな穴の中に、目を疑うものがあった。
地下の中に、小型の船がある。
それも、普通の船じゃないわ。丸い窓が印象的な木製のゴンドラの上には、大きな風船みたいなものがあった。その風船は大きな布を頑丈に縫い合わせて作っている。
「飛行船?」
マルクが長老に聞く。
「いつか、北方の山脈に向かう勇敢な者が訪れた時、これを授けるつもりだった」
飛行船の入り口で切り株でできた椅子に座って眠っていた青年ドワーフを長老は杖で叩き起こした。
「これトット」
背中をばしんと叩かれたトットと呼ばれたドワーフは、わぁっと大きな声を出す。丸々とした目がかっと開く。
「す、すみません長老! メンテナンスは終わっています」
立ち上がって、敬礼をする。トットは額に丸いゴーグルをつけていて、分厚い皮でできたグローブを手にはめていた。毛皮のジャケットを着ている。この飛行船の操縦士なのかもしれない。
「飛行の準備を」
「はい! そちらのお二人ですか?」
「そう。グランベルの王女のアルル様と……マルクだ」
マルクを紹介する時の僅かな沈黙はなんだったのだろう。マルクはなんともなかったような顔をしているけれど。
そして、私が王女であることを聞いたトットは、深々と礼をした。
「トットです。王女様がお乗りになられるとは、光栄です。安全運転を努めます」
「あ、うん。そこまで堅苦しくしなくていいから」
「とんでもない、アルル様。まあでも、そうさせてもらいます」
にかっと笑うトットは爽やかな青年といった感じだった。秘密が多くて、ちょっと意地悪で、よく分からないマルクとは大違いだった。
トットは飛行船の中に入り、飛行の準備に入った。風船の中に何らかの気体が入れられているのか、シューッという音が聞こえてくる。
「白銀の魔女については、非常に残念だった」
長老が風船を見上げながら言う。
「残念って、それ、お母様が……」
「そうとは言ってはないが、可能性は……半々だろう。我らも手助けをしようと思ったが、我らの技術では彼女を助けられなかった。恐ろしくて、ここに隠れ、他人の力を借りるずるい一族であることを許してほしい」
お母様が命をかけて国を守ってくれている。国を襲おうとしているのが一体なんなのか。長老なら教えてくれそうな気がする。私は長老に、山脈にどんな悪いものがあるのか尋ねると、彼は身を大きく震わせた。
「――黒の竜。山脈の生み出す悪しき魔物を従える、魔の王。いにしえに生まれた水晶と氷の魔神とはまた違う悪だ。魔神はただ傲慢で暴れるだけだったが、黒竜は純粋な悪でな。代々白銀の魔法の使い手が山に封じ込めてきたのじゃが、メリアナ様は残念なことに、力が弱かった」
その話を、マルクは背を向けて聞いていた。聞きたくない話だったのかもしれない。
「メリアナ様はそれでも、魔女として山に向かった。だから、我らドワーフは、何かあった時のために、助けになるように、山脈に近づけるように船を作った。あの山は普通には登れぬ。だが、この錬金と魔法を組み合わせた船なら、容易く近づけるだろう。移動の助けとしかならんが、使ってくれ」
その時、ゴンドラの中からトットの叫びが聞こえてきた。
バンっとゴンドラの扉が開けられ、中から小さな光るものが飛んでくる。
「おやおや、中にいたのか」
長老は、手の中に収まったそれに笑いかけた。
「この船を作る時、錬金と魔法の副産物として生まれた者だよ。錬金で生み出されたものに白銀の祝福を授かることは滅多にないのだが」
長老が私に手を差し出す。
その上には、小さな妖精のような、半透明の体をした女の子がちょこんと座っていた。私とマルクをまじまじと見ている。銀色に輝く長い髪は、まるでお母様のようだった。
「フリューゲル。錬金と魔法と祝福が組み合わさった子だ。どんな力があるのかは分からんが、きっと助けになるだろう。一緒に連れて行ってやってくれ」
フリューゲルは私の手の平に飛んできて、にこりと微笑んだ。喋れないのかもしれないけれど、表情を見ると、なんだか楽しそうだ。
そうしているうちにトットがゴンドラから出てきて、壁にあったレバーを下げた。
岩だと思っていた天井が鈍い音を立てて、左右にスライドし、大きく開いた。青い空が見える。
「準備できました。すぐ向かえます」
「よし」
長老がさあ、と私たちに言った時だった。
マルクが剣を抜いて、空を割いた。
え、何、と思った瞬間、私の目の前に真っ黒な何かが飛び込んできて――フリューゲルを奪い、空に飛び去っていった。
「っち、魔物だ! すぐ追うぞ! 船を出せ!」
マルクは剣を鞘に納め、私の手を引いて飛行船に乗り込んだ。
岩の中に、巨大な空間が広がっていた。そして、その空間を中心にしてさらに奥に続く通路が見える。まるで何かの巣のようだった。
この広い空間の中心には、大きな木製の円テーブルと椅子があった。グランベル城にもこのような部屋がある。会議室だ。テーブルの中央には小さな燭台が置かれているけれど、火は灯されていなかった。
しん、とする空間にぽつんと立つ私達。誰も出てこない。
「おい、俺だ、長老」
椅子にどっと座ったマルクが、通路の奥に向かって叫んだ。私はマルクの隣にちょこんと座る。
待っていると、通路からかつん、かつん、と何かを突くような音が響いてきた。
姿を表したのは、赤黒い肌をした小さな人――子供じゃないわ、でも、子供みたいに背が低い老人だった。お母様と同じ白銀の髪をしているけれど、傷んでいるのか縮れていた。
ハンマーのような形をした杖をつきながら歩き、マルクと向かいの椅子によじ登る。杖をテーブルの上に置き、はあ、と息を吐いた。ここまで来るだけで疲れてしまったようだった。額には僅かに汗が浮かんでいる。
「いらっしゃい。今の名は?」
「マルクだ」
「はいはい、ここまでご苦労さん」
今の名――ってことは、マルクはこれまで何度も名を変えてきたってことかしら。二人の会話を聞いていれば、なんとなく、マルクのことが分かるかも。そんなことを考えていると、長老の小さな瞳が私を捉えた。
「そちらはグランベルの王女ですな。父君は息災ですかな」
「あっ、えっと」
髪を見たのかしら。長老は私が慌てているのを見て、にっこりと微笑んだ。
「ガリア少年は、立派な王になったと聞くよ。一度、ここに来たことがあってね」
「お父様が?」
「そう。この世のことはなんでもここに話が入ってくる。アルル様」
名前を呼ばれてドキッとする。まあ、国民ならば私の名前は知っていてもおかしくないわ。驚くほどじゃない。
それよりもお父様が一度ここを訪れたことがあるというのがびっくりだった。
「えっと、あなた方は……?」
「ドワーフ。オレゴのドワーフだよ。ああ、ご苦労」
奥から一人の若い小人の女の子がやってきて、背伸びをしてテーブルにお茶の入ったカップを置いた。ありがとう、とお礼を言うと、ぽっと顔を赤らめてまた奥へと引っ込んでしまった。
「いにしえから、錬金術と魔法を組み合わせた技術の研究をしておってな。かつては王族との交流も頻繁にあったし、研究成果を渡していたのだが……、まあ、訳あって、今はこうやって隠れて過ごしている」
そこまで話したところで、また通路の奥からざわざわと音がする。わーっと小さな子供のドワーフたちが私を囲んだ。五人の男女の子供たちだった。彼らも皆、白銀の髪をもっていた。
「うわあ! 王女様だ。すごい!」
「髪の毛が光ってる」
「でもメリアナ様には似てないよ?」
「なんで?」
「なんでなの?」
わいわいと騒がれて、答えにくい質問をされて、私は硬直してしまった。そんな私を見てマルクは溜息をついているし、長老もほほ、と笑うだけだった。
「これ、王女様もお困りだよ」
長老が柔らかく声をかけると、子供たちは「はーい」と返事をしてまた奥へと戻っていった。あの奥にはきっとたくさんのドワーフがいるんだろう。
「お母様をご存知なのですか」
聞くと、長老は頷くだけだった。
「長老。引きこもってるとはいえ、白銀の魔女が山に向かったのも、それからどうなっているのかも知っているんだろ。ドワーフは見てみぬふりをする種族だったのか。同じ山脈の祝福を授かっておいて」
マルクがやや苛ついたように長老に指摘する。
長老は微笑みを捨てて、テーブルの上の杖を握りしめた。
「そうではない」
「そうではない?」
「何もしていなかったわけではない、ということだよ。儂らは臆病で、卑怯だ。それは、ずる賢いともいう。おぬしから見たらずるいと思うだろうが、できることはしておったよ。王女様がここに来られるということは、母君の元へ向かうためだろう。事情は聞かずとも分かるよ」
長老は杖を持って椅子から飛び降り、着いてきなさい、と私たちに声をかける。
言われるまま、長老に着いていき、細く、暗い道を歩く。杖が先が淡く光っている。あれはレイラン石だ。
黙ってしばらく歩いていくと、別の広い空間に出た。地下にぽっかりとくり抜かれた大きな穴の中に、目を疑うものがあった。
地下の中に、小型の船がある。
それも、普通の船じゃないわ。丸い窓が印象的な木製のゴンドラの上には、大きな風船みたいなものがあった。その風船は大きな布を頑丈に縫い合わせて作っている。
「飛行船?」
マルクが長老に聞く。
「いつか、北方の山脈に向かう勇敢な者が訪れた時、これを授けるつもりだった」
飛行船の入り口で切り株でできた椅子に座って眠っていた青年ドワーフを長老は杖で叩き起こした。
「これトット」
背中をばしんと叩かれたトットと呼ばれたドワーフは、わぁっと大きな声を出す。丸々とした目がかっと開く。
「す、すみません長老! メンテナンスは終わっています」
立ち上がって、敬礼をする。トットは額に丸いゴーグルをつけていて、分厚い皮でできたグローブを手にはめていた。毛皮のジャケットを着ている。この飛行船の操縦士なのかもしれない。
「飛行の準備を」
「はい! そちらのお二人ですか?」
「そう。グランベルの王女のアルル様と……マルクだ」
マルクを紹介する時の僅かな沈黙はなんだったのだろう。マルクはなんともなかったような顔をしているけれど。
そして、私が王女であることを聞いたトットは、深々と礼をした。
「トットです。王女様がお乗りになられるとは、光栄です。安全運転を努めます」
「あ、うん。そこまで堅苦しくしなくていいから」
「とんでもない、アルル様。まあでも、そうさせてもらいます」
にかっと笑うトットは爽やかな青年といった感じだった。秘密が多くて、ちょっと意地悪で、よく分からないマルクとは大違いだった。
トットは飛行船の中に入り、飛行の準備に入った。風船の中に何らかの気体が入れられているのか、シューッという音が聞こえてくる。
「白銀の魔女については、非常に残念だった」
長老が風船を見上げながら言う。
「残念って、それ、お母様が……」
「そうとは言ってはないが、可能性は……半々だろう。我らも手助けをしようと思ったが、我らの技術では彼女を助けられなかった。恐ろしくて、ここに隠れ、他人の力を借りるずるい一族であることを許してほしい」
お母様が命をかけて国を守ってくれている。国を襲おうとしているのが一体なんなのか。長老なら教えてくれそうな気がする。私は長老に、山脈にどんな悪いものがあるのか尋ねると、彼は身を大きく震わせた。
「――黒の竜。山脈の生み出す悪しき魔物を従える、魔の王。いにしえに生まれた水晶と氷の魔神とはまた違う悪だ。魔神はただ傲慢で暴れるだけだったが、黒竜は純粋な悪でな。代々白銀の魔法の使い手が山に封じ込めてきたのじゃが、メリアナ様は残念なことに、力が弱かった」
その話を、マルクは背を向けて聞いていた。聞きたくない話だったのかもしれない。
「メリアナ様はそれでも、魔女として山に向かった。だから、我らドワーフは、何かあった時のために、助けになるように、山脈に近づけるように船を作った。あの山は普通には登れぬ。だが、この錬金と魔法を組み合わせた船なら、容易く近づけるだろう。移動の助けとしかならんが、使ってくれ」
その時、ゴンドラの中からトットの叫びが聞こえてきた。
バンっとゴンドラの扉が開けられ、中から小さな光るものが飛んでくる。
「おやおや、中にいたのか」
長老は、手の中に収まったそれに笑いかけた。
「この船を作る時、錬金と魔法の副産物として生まれた者だよ。錬金で生み出されたものに白銀の祝福を授かることは滅多にないのだが」
長老が私に手を差し出す。
その上には、小さな妖精のような、半透明の体をした女の子がちょこんと座っていた。私とマルクをまじまじと見ている。銀色に輝く長い髪は、まるでお母様のようだった。
「フリューゲル。錬金と魔法と祝福が組み合わさった子だ。どんな力があるのかは分からんが、きっと助けになるだろう。一緒に連れて行ってやってくれ」
フリューゲルは私の手の平に飛んできて、にこりと微笑んだ。喋れないのかもしれないけれど、表情を見ると、なんだか楽しそうだ。
そうしているうちにトットがゴンドラから出てきて、壁にあったレバーを下げた。
岩だと思っていた天井が鈍い音を立てて、左右にスライドし、大きく開いた。青い空が見える。
「準備できました。すぐ向かえます」
「よし」
長老がさあ、と私たちに言った時だった。
マルクが剣を抜いて、空を割いた。
え、何、と思った瞬間、私の目の前に真っ黒な何かが飛び込んできて――フリューゲルを奪い、空に飛び去っていった。
「っち、魔物だ! すぐ追うぞ! 船を出せ!」
マルクは剣を鞘に納め、私の手を引いて飛行船に乗り込んだ。