1章  アルルと封印された魔法の巻物

「アルル様! アルル様ー! お勉強の時間ですよ!」
 春の青空の下、白く輝く城を見上げた。
 グランベル城の一番高い塔から私の名前を叫んでいるのは、私のお世話と教育を担当しているエステル先生だ。
 猫みたいな目に、尖った眼鏡、ひょろひょろの体、濃い化粧のおばさん先生になんか、私は絶対につかまらないんだ。
 私は自分の部屋の窓からこっそり脱走をして、ガーデンの茂みに隠れている。私の部屋は二階にあるのだけど、窓の下にはちょうどの高さの物置小屋とはしごがあるから、それを使って降りる。エステル先生はなぜこれに気が付かないのかしらっていつも思う。
 植木の葉がちくちくして痛いけれど、このくらい平気だ。私の金の髪が目立たないようにするには、ここに隠れるのがちょうどいい。
 エステル先生の叫びを合図に、城にいる従者たちが私を探し回る。門番も自分の持ち場を離れるから、余計に逃げやすくなるのだ。私が言えたことじゃないかもしれないけれど、みんな、もうちょっと頭を働かせたほうがいいんじゃないかしら。だから私がいつも勝ち続けるのよ。
 私はグランベル王国、第一王女、アルル・ツェト・グランベル。グランベル王、ガリア・ツェト・グランベルの一人娘で、大切に、それはもう大切に育てられてきた。
 エステル先生は城の中で一番賢く、お父様にも教育をした優れた先生だ。本当にダメな先生ってわけではない。着ている服も、学者らしく、紺のワンピースに金の刺繍がほどこされたマントを羽織っている。黄金の紐がついた学者帽もお父様から賜った特別なものだった。この国にとって、黄金は錬金術を意味する色。それをたっぷりと纏っているエステル先生は、この国一番の学者とも言える。
 けれど、私は、このお勉強の時間がだいっきらいだった。だって、ちっとも心が踊らない。錬金術は後回し。今の私が学んでいるのは政治の仕方、国土、国の産業、周辺の国との関係――そんなのぜんっぜん面白くない! 十二歳になったし、そろそろ将来に向けて勉強をしないといけないって、なんとなく分かってる。私がいつかこの国の女王になるんだもの。分かっているけれど、本当に無理!
 茂みの中で身震いしていると、門番がお城に向かって歩き出した。私は門番を目で追い、ゆっくりと影から出る。忍び足で城壁まで移った。
 門番の二人は「アルル様は足が速いからなあ」「放っとけばそのうち自分でお勉強なさるんじゃないか?」などと言いながら、私がさっきいたガーデンに入って行った。
 そう、私は足が速い。お勉強はめっきりダメだけど、運動だけは得意なのだ。
 今、着ているのは城下町でもらった丈の長いワンピース。赤褐色で、ぱっとしない服だけど、これがとっても動きやすい。薄汚れた麻布のショールで、私は頭を覆った。王族の証であるこの金の髪はなるべく見せないようにする。
 ワンピースの裾をたくし上げ、城壁に沿って一気に門まで走った。その姿は隠すことができなくて、塔の上からエステル先生が私を見つけてしまう。
「アルル様! どこへお行きになられるのですか! 門番、門番は何をやっているの!?」
 残念、門番はガーデンに入ってしまっている。私は城に向かってべっと舌を出した。
 私に逃げられたことは、エステル先生はすぐにはお父様には言わない。お父様は忙しいし、エステル先生にもプライドがある。従者たちが数人私を追ってくるけれど、門を出れば、城下町の味方たちが私を匿ってくれる。特に大きな問題はない。
 私は門から出て、城下町に向かって一気に走った。お堀に架けられた橋の上でくつろいでいる鳩たちが一斉に飛び立つ。とっても気持ちがいい、春の昼下がり。眩しい青空。心地よい風を全身で浴びながら走る。
 城の外には、私を縛るものは何もない。今日も、わくわくするものを探しに行くの!


 城下町には大きなマーケットがあって、そこに私の味方がいっぱいいいる。
 マーケットの入り口には、たくさんの薬を置いてあるお店が一つある。たくさんの瓶の中に入っているのは、ただの薬ではなくて、錬金術で作った薬。透明で綺麗なものから、紫色のなんだか不味そうな不気味な薬まで様々ある。病気を治すものもあれば、金属を溶かすものもあるのだという。
 薄暗い店の奥にはたくさんのフラスコと薬草や金属なんかが並んでいる。銅褐色の管がぐるぐると渦巻いていた。
 ここの店主であるカルラおばさんは、このワンピースをくれた人だった。それまでドレスを持ち上げて脱走していた私に、もっと動きやすい服がいいと言って譲ってくれたのだ。カルラおばさんが少女だった頃に着ていた服だから、少し色あせているけど、私にぴったりだった。
「カルラおばさん、こんにちは」
 カウンターに座っていたカルラおばさんは、うたた寝をしていた。きっと春の暖かさで眠くなってしまったのだろう。
 おばさんがくれたワンピースは細い体の女性のものなのに、今のおばさんは、丸々としていた。少女時代のカルラおばさんを一度でもいいから見てみたいっていつも思う。
 大きな体を持ち上げて、いらっしゃいませ、と声をかけてくれた。
「今日もお勉強から逃げてきたのですか?」
「そうよ。これからマーケットを散策するつもり。春だから、新しい商品が並んでいると思ったの」
 私の額に浮かんでいる大きな汗の粒を見たおばさんは、一杯のジュースを持ってきてくれた。蜂蜜のジュースだ。城では絶対に味わえない、甘ったるいジュース。でも、この甘さが私は大好き。
「何か、面白そうな情報はない?」
 カルラおばさんは様々な情報を握っている。マーケットに来たら、まずカルラおばさんに様子を聞くのだ。
「アルル様がお好きな魔法に関しては何もないですねえ。錬金術に関するものなら、たくさん新作がありますよ。宝飾店とかどうですか? 新しくできた錬金石のブローチが今、流行っていますから」
 その情報を聞いた私は、がっかりしてしまった。
 魔法。そう、私が見たいのは、魔法なのだ。かつて、このグランベル王国にも、魔法があったの。でも、今はすっかり錬金術の国となってしまった。
 期待外れだったけど、せっかく教えてもらったし、その錬金石のブローチは一度見てみよう。
「ありがとう、カルラおばさん。ついでに、お勉強をしなくても賢くなれる薬はある?」
「あはは、そんなものがあったら、このお店はもうちょっと繁盛していますよ。まあ、私からは勉強しなさいとは言いませんけれど」
「ありがとう。嬉しいわ。今日も城の誰かが探しに来たら、マーケットには来てないって伝えておいてくれる?」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
 カルラおばさんが教えてくれた宝飾店は、このマーケットの最奥にある。
 レンガ造りの店の前には、テントも並んでいて、道が狭い。人々が錬金術で必要な道具や材料を買いにここに来ている。
 宝飾店に行く前に、他国から取り寄せた魔法道具を取り扱っていた店にも向かってみる。数年前に魔法道具の輸入がストップしてしまって、閉店となってしまった店。いつかまた再開すると期待して、様子を見に行く。
 けれど、今日も穴の開いたテントだけが残っていて、あとは何もなかった。
 グランベル王国から、魔法が消えていく。魔法を使う者も一人もいないってエステル先生は教えてくれていた。
 隣のテントで売ってあったのは、錬金術で使う道具たちだった。カルラおばさんがよく使うフラスコをはじめ、謎の金属の箱、大きな黒い釜、さじ、すり鉢などが売ってある。
 錬金術は、それなりに勉強しないと使えない。私もそのうち勉強することになると思うけど、ワクワクはしそうにない。お父様は錬金術が大好きだから、グランベル王国を錬金術王国にするつもりなのだけれど、私はそうじゃない。
 なんだか落ち込んでしまった。宝飾店で綺麗なものを見て、時間を潰して帰ろう。そんなつもりじゃなかったのに。溜息が出ちゃう。
 踵を返した時、何かが肩にぶつかった。
「っ、いた」
 その衝撃で、髪を隠していたショールが落ちてしまった。もう、何よ。誰よ。
「――おまえ」
 私の目の前にいたのは、一人の青年だった。声が低かったから、多分、男の人。背は高い。モスグリーンのマントを羽織っていた。深くフードを被っていて、それくらいしか分からなかった。
 お前と言われて、私はついカッとなってしまった。私のこの王家を象徴する黄金の髪を見ておいて、おまえって言ってくるってどういうことよ。
「おまえじゃないわ、私はアル……、」
 そこまで言って、首をぶんぶんと振る。落ち着けアルル。お忍びで来ているのだから、こんな怪しい奴に名前を教える必要はない。
「これ、もらうな」
 彼は、地面に落ちていたショールをさっと拾って、走っていく。
「えっ、も、もらうってどういうこと!?」
 突然のことにすぐには動けなかったけれど、それが盗みだと分かった瞬間、私の足は動き始めた。
「ちょ、それがないと困っ……待って!」
 泥棒はフードを押さえながら走っていた。マーケットの路地は狭い。私が走っている姿に驚く人もいた。
 私がしつこく追いかけるから、彼はちらっと私を振り返った。
 その時見えた瞳と髪に、私はドキッとする。
 真っ赤な瞳と髪。グランベル王国じゃ見ない色だった。グランベル王国の民は、そのほとんどが黒髪、茶髪。目も黒目が多いわ。たまに私と同じグリーンの瞳を持つ人がいるけれど、ほんの少し。
 その色に戸惑いはしたけれど、逃がすわけにはいかない。絶対追いついてみせる。
 あとちょっとで手が届きそうというところになって、彼は舌打ちをして、曲がり角に身を滑らせる。私が追いついた時には、その姿はなかった。
 カッカッカと瓦の音が聞こえてきて、私は屋根の上を見た。屋根の上に登って逃げ去ってしまった。これではもう追いつけない。
 ああ……最悪。今日は大人しくエステル先生に捕まって勉強していたほうが良かったのかも。薄汚いショールだけど、私にとっては大切なものだったのに。
 落ち込みながら帰ると、門番さんに見つかって、帰ってきたことがエステル先生にバレてしまった。自分の部屋のベッドに入って落ち込んでいると、ぷりぷりと怒っているエステル先生がやってきた。
「アルル様、今日のことはお父様にもお伝えさせていただきますからね。このエステル、さすがにもう我慢なりません。ガリア様にお叱られくださいませ!」
「……好きにして」
 私の投げやりな返事に、エステル先生は一瞬固まったけれど、そうさせていただきますと言って部屋から出ていった。
 寝返りを打って、窓の外を見る。あの泥棒の瞳と髪を思い出させる真っ赤な空だった。
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