明日もどこかで誰かが

 中学に上がって、体育は男女別になった。水泳も例外ではない。うちの中学校はプールが一つしかないので、片方は保健を、片方は水泳をするようになっていた。
 アニメとかでよくある、遠くにいる水着姿の女子を拝むシーン、あれ、本当に実在するのか?
 ちょっと憧れていたのに。
「残念だよなー」
 プールサイドでクロールの順番を待っている間、隣にいる友人にぼやいた。
「何が」
 普段は眼鏡の友の腑抜けた顔を見る。眼鏡がないとなんか違和感。
 小学校からずっと同じの彼は、小五くらいから次第にアニメやゲームや漫画やラノベにずぶずぶ落ちていって、今や立派なオタクになっていた。だからこの俺の気持ちに同情してくれる、と思っていた。
「よくあるじゃん。プールで女子を拝むやつ」
「あれ、リアルだと思ってたの? 私立はともかく、公立だよ。それも田舎の」
 なんかちょっと馬鹿にされたような気がした。
 お前は二次元と三次元の区別がつかないのか、みたいな、そんな顔で俺を見ている。
「なんだお前、そういうの好きそうなのに」
「好きだから、区別してるんだよ。にわかと一緒にすんな」
 笛が鳴って、俺たちは二十五メートルさっさと泳ぎきった。俺が少しだけ遅く到着。
 こいつ、ひょろひょろのくせに、水の中に入ると途端に生き生きしだす。そういえば、小学生の頃、水泳大会でいい成績を収めていたような気がする。たまにいるよな、そういうやつ。陸では冴えないのに。
 熱々のプールサイドに腰を下ろして、真っ青な空を見上げた。
「さっきの続き」
「まだその話するの」
「じゃあお前は、リアル女子の水着は興味ないって感じ? そもそも三次元に興味ないって感じなの? そういえば俺、お前のそういう話、聞いたことないや」
 小六の時の修学旅行の時も、こういう話になったら一人でさっさと布団に潜ってたのを思い出した。
「別にそういうわけじゃないよ」
 ふい、と顔を背けた。
「……同年代より、ちょっとだけ上がいいってだけ」
 耳が若干、赤くなっていた。
「……ぶふ」
 我慢したのに、口から息が吹き出た。すっかり乾いてしまった肩をバンバン叩く。
「あー、よかった。何を言い出すかと思ったら。あー、よかった。ロリが好きとか言い出したらどうしようかと思った」
「さっき笑ったろ」
「いや、いいと思う。俺も好き。うんうん、分かる分かる」
「嘘つけ」
 先生にうるせえ、さっさと来いと怒鳴られたので、俺たちはもう一度水の中に入った。飛沫が上がる。
 笛が鳴って、壁を蹴った瞬間、お、と思った。
 あいつ、本気じゃん。一瞬にして離される。まじで魚。高校に行ったら水泳部にでも入ればいいのに。水泳部がある学校って、このへんにあったっけ。
 泳ぐことに集中できない十数秒だった。指先が壁に当たって、ようやく水中にいる苦しみから解放された。
 一足先に泳ぎきっていた奴の背中を追いかける。
「怒った?」
 ちらりと振り返ったあいつの顔がマジだったからぎょっとした。殺気のようなものを感じる。
「見たら分かるだろ」
「ごめんって。もうやめる」
 内に秘めているものは、俺が思っている以上に、大切なものだったのかもしれない。
 でも、なんだか、ちょっとだけ安心した。あいつもちゃんと、現実に関心があることに。数年前からどこか現実離れした雰囲気をしていたから。
 前世は魚だったのかもしれないが、ちゃんと人間で良かった。
 体育の授業が終わったあと、眠くなる国語のおじさん先生の朗読を聞きながら、ぼうっと斜め後ろから眺める。
 あいつは眼鏡をかけて、いつもの冴えない男子に戻っていた。
 もしプールに女子がいたら、きっと、水泳の時はモテるんだろうなあなどと思った。小学生の頃、女子たちはあいつのこと全く見向きしなかったが、隠れイケメンだと俺は思う。男の俺がそう思うんだ、絶対、女子にウケると思う。
 とにかく残念である。
 女子と水泳の授業が別なことも、あいつが陸では冴えないオタクをしているのも、水泳部がないのも、案外モテそうなのに年上好きだというのも。
 世の中、うまくいかないものだなあ、と思いながら、おじさんの子守唄に負けてしまった。
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