明日もどこかで誰かが

「昨日ねー、クリスマスのかざり見に行ったの!」
 そう話す四歳女子に対し、へー、と私は相槌を打った。
 クリスマスのかざりというのは、イルミネーションのことだろう。
 教室の壁面にはクリスマスに関するかざりが貼ってある。サンタにトナカイ、子供たちが自分で描いた雪だるま。
 クリスマスだろうがなんだろうが、保育園はいつもと変わらず子供たちを受け入れているので、私はときめかないのだが、子供たちにとっては一大イベントである。サンタに来てもらうためにこの期間だけいい子になるわかりやすい子もいる。
「どこに行ったの? 大きな公園?」
 聞いてみると、女の子は首を横に振った。
「近くに、すっごいキラキラしてるお家があって、そこにじいじと一緒に行った」
「あー、なるほど」
 今どき珍しい。通勤路を車で走っていると、1件だけイルミネーションを飾っている住宅を見る。昔はもっとたくさんの家が競うように飾り付けをしていたはずなのだが。
 昔といっても、十数年前の話だ。
 自宅イルミネーションが流行ったのを、私はよく覚えている。

 実家もその流行に乗った一件だった。
 植木にはライトがぐるぐる巻かれ、窓からはしごを登ろうとするサンタの飾りが吊り下げられた。
 庭のレンガ道に沿うようにライトが置かれ、庭まで人が入ってくるようになった。
 それを望んだのは父である。父がハマりにハマってしまった。最初は私が喜ぶからという理由だったが、次第に父の自己満足になっていった。うちにサンタが来なくなっても、毎年、我が家はキラキラなイルミネーションで飾られた。
 電気代がかかるからやめてと母は言ったし、父も何度か今年はやめようかと呟いてはいたが、多くの人が見に来る名物になってしまい、やめようにもやめられなくなっていた。
 周りの家も簡単なイルミネーションを取り付けていて、地域としてやっているような感じにもなっていた。ローカルニュースで取り上げられたことがある。
 こういうのは全国的に流行っていたようで、全国ニュースでも見たことがある。
 母は迷惑していたようだが、父は次第に面倒になりつつもやり始めたらとことん飾っていたし、私は私で毎年のことと思って見ていた。いつしか、そうなるのが当たり前になり、クリスマスの風景といえば、この地域のイルミネーションになっていた。
 しかし、ある年に父がはしごから落ちて腰を痛めてしまい、その風景も見られなくなってしまった。
 うちがやめた途端、近所の家も飾るのをやめた。ずっと、うちに合わせてくれていたのだろう。
 他の地域でも、イルミネーションで飾っている家を見ることも少なくなっていった。ニュースで取り上げられることもなくなった。
 寂しさは感じていたように思う。当たり前の風景がなくなるというのは、寂しいものだ。あれだけ父にやめてと言っていた母も「できなくなって寂しい」とこぼすくらいだ。母は母で、当たり前の風景がなくなったのが寂しいのだろう。
 テーマパークや大きな公園の壮大なイルミネーションを見るたびに「昔は、そういう場所に行かなくても、近所でも見れたんだ」と思うことがある。
 あの風景は、今でも忘れられない。

「園庭にメタセコイアがあるでしょう。あれに、飾りつけしたいと思っているの。せっかくのクリスマスなのに、うちで過ごす子たちがいるでしょう」
 職員会議中、園長が控えめに言った。
 園長が言っているのは、夜間保育のことだ。今年は五名ほど予約が入っている。夕食から入浴、睡眠まで、園でやる。
「メタセコイアって、随分と背がありますよ?」
 主任が嫌そうな顔をする。そういう顔になるのも分かる。高所での作業は慣れてないとできない。
「するとしたら、低木がいいかと。私たちだけでするんでしょう?」
「それもそうね。金木犀くらいにしましょうか」
「だったら――」
 私は挙手した。
「プラ版に絵を描いて、ライトと一緒に飾るといいと思います。少し手間かもしれませんが、終われば持って帰れますし、思い出作りにするならちょいどいいかと」
 主任は嫌そうな顔をした。
 園長は破顔する。
「私、父と一緒に自宅でイルミネーションの飾り付けをやっていたので、勝手は分かります。やるなら、手伝います」

 父の携帯電話――相変わらずガラケーなのだが、その中に、1枚の写真がずっと残っている。待受に使われている写真である。
 庭のイルミネーションの中で笑っている私。まだサンタが来ると信じていた頃の私だ。これだけ光っていれば、迷わず来てくれるよね。そう父と話した記憶がある。
 クリスマスの風景は、ずっと記憶に残る。何年経っても、その輝きは褪せることがない。
 そして、その風景を作るのは、私たち大人の役目である。園としてできる、子供たちへの贈り物だ。
 私はライトを手にし、はしごに足をかけた。
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