おまけ
電話帳とか、SNSとかで、リアルで繋がっている人たちを眺めてみる。
会社の人とは全く交換していない。仕事で連絡が来る時は、基本、会社の電話番号でくる。個人でのやりとりをする必要はなかった。唯一知っているのは、元同僚の越智さんだけ。
越智さんの連絡先は、入社して半年後にもらった。もらったというか、押し付けられた。自分からもらいに行ったわけじゃない。
「せっかくなんだから」というよく分からない理由で登録された。それから越智さんのことが苦手になって、ずっと避けていた。
彼女とSNSを使ってやり取りするようになったのは、彼女が退社してからだった。
それからリリアさん。越智さん経由でもらった。
「もう友達でしょ」というよく分からない理由だった。越智さんはとにかく関わりができればすぐ連絡先を交換するタイプだった。だから苦手だったんだよなあ、と思う。
僕の連絡先を知ったリリアさんは嬉しそうな顔をしていた。こんな冴えないオタクに一度告白してきたのは、未だに信じられていない。でも、リリアさんの表情を見ると、あれはおふざけでも、からかいでもなく、本当に本気だったんだろうと思った。あの件については、僕もリリアさんも、前にそういうことがあった、という認識でいる。今はもう掘り返すことはしない。
二人が連絡を寄越す時は、いつもうちに遊びに来る時だ。僕に用事があるというよりは、紺ちゃんに用事があるという感じなのだけれど、なぜか僕に連絡を寄越す。恐らく、家主が僕だから。あと、飲むものと食べるものを用意するのが僕だから。僕に連絡するということは「用意しておけ」ということなのだ。うちに来るのは、ご飯目当てなのもある。でも紺ちゃんが楽しそうなので、断れない。チューハイとか、ビールとか、お菓子とか、そういうものを持ってくる日もあるので何も言えない。
有名人がただの一般人をお友達といって、しょっちゅう遊びに来るのは、二人が等身大の普通の女でいたいからなのだと紺ちゃんが言っていた。僕にも分かる言葉に言い換えたら「ネットとリアルの切り替え」らしい。そう言われたら、なんとなく分かる。だったら僕もリアル側のお付き合いをすればいい。
二人の音楽活動については、僕は有象無象のファンの一人でいたかったので、何も教えないでほしいとお願いをしている。リークは悪だ。チケットだってプレゼントではなく、自分のお金できちんと買いたい。それが芸能をやっている二人に対しての礼儀だとも思う。
画面をスクロールする。懐かしい名前が並んでいる。高専時代の友人たちだった。
中学時代はスマホを持っていなかったから、当時の友人の連絡先はほとんど知らない。
高専時代の友達はまだ残っているけれど、これもほぼ使っていない。もう削除してもいいくらいである。
両親の連絡先は、電話番号だけ知っている。二人はここから遠い場所で二人だけの人生を謳歌しているし、もはや絶縁状態なので電話をかけることも、かけてくることもない。別に仲が悪いとかではない。好きなことに没頭しようとしたらそうなっただけである。両親も相当のオタクなのだ。ジャンルは違うけれど。ということで、紺ちゃんと結婚したということも教えていない。
あとは紺ちゃん。電話番号と、SNSのアカウントの両方を知っているのは、紺ちゃんのみだ。
そういえば紺ちゃんも、越智さんと同じで、最初はちょっと無理矢理だったなと思い出す。
僕の家に来てからというもの、紺ちゃんは基本的に二階の自室にこもっていた。ちょうど書いているものがあって、外に出てくる余裕はなかったんだと思う。
あの頃はまだ、紺ちゃんのことを「家の一部を貸している赤の他人」と思っていて、だから紺ちゃんとあまり会わなくていいことにほっとしていた。確か、越智さんにもそんなことを言った気がする。紺野さんは同居人ではあるけれど、赤の他人だ、みたいな。
食事の時は一階に降りてきて、一緒に食べはするけれど、会話もそんなになかった。稀に「マッチングどうなってんの」と聞いてくるけれど、もうやる気がなかった僕は「どうもなってない」という返事を繰り返していた。
ある日、突然、どこかに出かけようと紺ちゃんから提案があった。それも新宿とか、渋谷とか、賑やかなところに行こうと言い出したのだ。
正直、僕はそういう派手な土地は苦手だったから渋った。
「紺野さんがネタ集めに行きたいだけじゃないんですか。原稿が詰まって息抜きしたいだけでは」
「そうよ。それもある。だから付き合って」
僕をいい男にするというのが、部屋を貸す条件だった。だから紺ちゃんはその約束を守ろうとしたのかもしれない――と一瞬思ったけれど、結局、紺ちゃんがただ遊びたいだけだったらしい。
残暑厳しい九月。暑い日だった。早く帰りたいと思いながら、紺ちゃんの行きたいところについて行った。何を買うわけでもなく、店の中をうろつく。高所から人の流れを見る。スクランブル交差点も見に行った。
小説家の視線ってよく分からない。それは今もだけど。紺ちゃんは僕が大して気にしていないところを細やかに見ているように感じることが多い。ずっと緊張しているような顔をしているのは、ネタを逃すまいと世の中をずっと見つめているからなのかもしれない。
今だからそう思えるけれど、当時はとにかく早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。なんで自分はこんなに暑い中連れ回されているのだろうと思いながら歩いていた。
そんな僕に「いつか誰かとデートする時のために我慢しなさい」と訳が分からないことも言っていた。
午前中にたくさん歩いたから、お昼を食べて帰ろうという話になった。そこでやっと帰れる、と安堵したのも覚えている。
適当にビル内にあった飲食店に入り、冷たい水を飲んだ時だった。
「スマホ出して」
ん、と手のひらを向けられた。ほら早く、と上下にひらひらさせていた。
「なんで」
「自分から一切、連絡先聞かないじゃない。教えて、くらい言えるようになりなさいよ」
「別に紺野さんの連絡先は聞かなくてもいいと思いますが」
「練習」
「だとしたら、今のって練習になってませんよね」
「じゃあ、教えたということで。忘れたわけじゃないでしょ、約束のこと。私、タダで住まわせてもらおうとか思ってはないからね」
「あ、そうだったんですか」
渋々スマホを出して、お互いにアカウントを登録した。
「こうやって連絡先もらうんだよ。分かった?」
「あまり参考になりませんでした」
「理由はなんだっていいってこと」
意味が分からないと思いながらスマホをしまうと、ちょうど料理が来て、話はそこまでになった。
絶対使わないだろうと思っていた。それは紺ちゃんも。
帰りに、越智さんのヒステリックな路上ライブを見て、散々な気持ちで帰った。
初めて紺ちゃんから連絡が来たのは、それから半年以上経ったあと。紺ちゃんが贔屓にしていた土井谷さんとトラブルがあった日だった。『迎え来て』が最初の連絡だった。
雨に打たれている紺ちゃんを見たとき、あの時、紺ちゃんからほぼ無理矢理に連絡先を渡されていて良かったと心底思った。絶望の淵にいるような顔をしていたから。
放っておいたらいけない人なんだろうなとも思った。一人で生きていけるみたいな顔をしているけど、実際の生活を見ていたら全然そんなことないし。
自分の生活圏の中にいてほしい、みたいなことを思うようになったのは、あの一件以降だ。
泣き疲れて眠っている紺ちゃんに綺麗だなと思ったのは、いつもの緊張から解き放たれたような表情に見えたからなのだろう。今も、ふっと表情が緩む時があるけれど、それを見れた時は嬉しく思う。
猫を飼い始めて余計に紺ちゃんは猫っぽいと思うことが増えて、流石に電話番号は自分から聞きにいった。自分の腕からするりと抜け出していく猫のように、紺ちゃんもふらりとどこかに行きそうだと感じる時がある。SNSだって、ヤケを起こして、衝動で消してしまうかもしれない。
「そんなことしないわよ。籍だって入れたのに」
「でも、しそうなのが紺ちゃんなんだって」
もう、と言いながらも、電話番号を教えてくれた。名字が僕と同じになった紺ちゃんの本名フルネームが電話帳に追加される。
そういうわけで、紺ちゃんだけSNSのアカウントと、電話番号の両方を持っている。
両方を知っているのは彼女だけ。その事実に嬉しさを感じながら、アプリを閉じた。
会社の人とは全く交換していない。仕事で連絡が来る時は、基本、会社の電話番号でくる。個人でのやりとりをする必要はなかった。唯一知っているのは、元同僚の越智さんだけ。
越智さんの連絡先は、入社して半年後にもらった。もらったというか、押し付けられた。自分からもらいに行ったわけじゃない。
「せっかくなんだから」というよく分からない理由で登録された。それから越智さんのことが苦手になって、ずっと避けていた。
彼女とSNSを使ってやり取りするようになったのは、彼女が退社してからだった。
それからリリアさん。越智さん経由でもらった。
「もう友達でしょ」というよく分からない理由だった。越智さんはとにかく関わりができればすぐ連絡先を交換するタイプだった。だから苦手だったんだよなあ、と思う。
僕の連絡先を知ったリリアさんは嬉しそうな顔をしていた。こんな冴えないオタクに一度告白してきたのは、未だに信じられていない。でも、リリアさんの表情を見ると、あれはおふざけでも、からかいでもなく、本当に本気だったんだろうと思った。あの件については、僕もリリアさんも、前にそういうことがあった、という認識でいる。今はもう掘り返すことはしない。
二人が連絡を寄越す時は、いつもうちに遊びに来る時だ。僕に用事があるというよりは、紺ちゃんに用事があるという感じなのだけれど、なぜか僕に連絡を寄越す。恐らく、家主が僕だから。あと、飲むものと食べるものを用意するのが僕だから。僕に連絡するということは「用意しておけ」ということなのだ。うちに来るのは、ご飯目当てなのもある。でも紺ちゃんが楽しそうなので、断れない。チューハイとか、ビールとか、お菓子とか、そういうものを持ってくる日もあるので何も言えない。
有名人がただの一般人をお友達といって、しょっちゅう遊びに来るのは、二人が等身大の普通の女でいたいからなのだと紺ちゃんが言っていた。僕にも分かる言葉に言い換えたら「ネットとリアルの切り替え」らしい。そう言われたら、なんとなく分かる。だったら僕もリアル側のお付き合いをすればいい。
二人の音楽活動については、僕は有象無象のファンの一人でいたかったので、何も教えないでほしいとお願いをしている。リークは悪だ。チケットだってプレゼントではなく、自分のお金できちんと買いたい。それが芸能をやっている二人に対しての礼儀だとも思う。
画面をスクロールする。懐かしい名前が並んでいる。高専時代の友人たちだった。
中学時代はスマホを持っていなかったから、当時の友人の連絡先はほとんど知らない。
高専時代の友達はまだ残っているけれど、これもほぼ使っていない。もう削除してもいいくらいである。
両親の連絡先は、電話番号だけ知っている。二人はここから遠い場所で二人だけの人生を謳歌しているし、もはや絶縁状態なので電話をかけることも、かけてくることもない。別に仲が悪いとかではない。好きなことに没頭しようとしたらそうなっただけである。両親も相当のオタクなのだ。ジャンルは違うけれど。ということで、紺ちゃんと結婚したということも教えていない。
あとは紺ちゃん。電話番号と、SNSのアカウントの両方を知っているのは、紺ちゃんのみだ。
そういえば紺ちゃんも、越智さんと同じで、最初はちょっと無理矢理だったなと思い出す。
僕の家に来てからというもの、紺ちゃんは基本的に二階の自室にこもっていた。ちょうど書いているものがあって、外に出てくる余裕はなかったんだと思う。
あの頃はまだ、紺ちゃんのことを「家の一部を貸している赤の他人」と思っていて、だから紺ちゃんとあまり会わなくていいことにほっとしていた。確か、越智さんにもそんなことを言った気がする。紺野さんは同居人ではあるけれど、赤の他人だ、みたいな。
食事の時は一階に降りてきて、一緒に食べはするけれど、会話もそんなになかった。稀に「マッチングどうなってんの」と聞いてくるけれど、もうやる気がなかった僕は「どうもなってない」という返事を繰り返していた。
ある日、突然、どこかに出かけようと紺ちゃんから提案があった。それも新宿とか、渋谷とか、賑やかなところに行こうと言い出したのだ。
正直、僕はそういう派手な土地は苦手だったから渋った。
「紺野さんがネタ集めに行きたいだけじゃないんですか。原稿が詰まって息抜きしたいだけでは」
「そうよ。それもある。だから付き合って」
僕をいい男にするというのが、部屋を貸す条件だった。だから紺ちゃんはその約束を守ろうとしたのかもしれない――と一瞬思ったけれど、結局、紺ちゃんがただ遊びたいだけだったらしい。
残暑厳しい九月。暑い日だった。早く帰りたいと思いながら、紺ちゃんの行きたいところについて行った。何を買うわけでもなく、店の中をうろつく。高所から人の流れを見る。スクランブル交差点も見に行った。
小説家の視線ってよく分からない。それは今もだけど。紺ちゃんは僕が大して気にしていないところを細やかに見ているように感じることが多い。ずっと緊張しているような顔をしているのは、ネタを逃すまいと世の中をずっと見つめているからなのかもしれない。
今だからそう思えるけれど、当時はとにかく早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。なんで自分はこんなに暑い中連れ回されているのだろうと思いながら歩いていた。
そんな僕に「いつか誰かとデートする時のために我慢しなさい」と訳が分からないことも言っていた。
午前中にたくさん歩いたから、お昼を食べて帰ろうという話になった。そこでやっと帰れる、と安堵したのも覚えている。
適当にビル内にあった飲食店に入り、冷たい水を飲んだ時だった。
「スマホ出して」
ん、と手のひらを向けられた。ほら早く、と上下にひらひらさせていた。
「なんで」
「自分から一切、連絡先聞かないじゃない。教えて、くらい言えるようになりなさいよ」
「別に紺野さんの連絡先は聞かなくてもいいと思いますが」
「練習」
「だとしたら、今のって練習になってませんよね」
「じゃあ、教えたということで。忘れたわけじゃないでしょ、約束のこと。私、タダで住まわせてもらおうとか思ってはないからね」
「あ、そうだったんですか」
渋々スマホを出して、お互いにアカウントを登録した。
「こうやって連絡先もらうんだよ。分かった?」
「あまり参考になりませんでした」
「理由はなんだっていいってこと」
意味が分からないと思いながらスマホをしまうと、ちょうど料理が来て、話はそこまでになった。
絶対使わないだろうと思っていた。それは紺ちゃんも。
帰りに、越智さんのヒステリックな路上ライブを見て、散々な気持ちで帰った。
初めて紺ちゃんから連絡が来たのは、それから半年以上経ったあと。紺ちゃんが贔屓にしていた土井谷さんとトラブルがあった日だった。『迎え来て』が最初の連絡だった。
雨に打たれている紺ちゃんを見たとき、あの時、紺ちゃんからほぼ無理矢理に連絡先を渡されていて良かったと心底思った。絶望の淵にいるような顔をしていたから。
放っておいたらいけない人なんだろうなとも思った。一人で生きていけるみたいな顔をしているけど、実際の生活を見ていたら全然そんなことないし。
自分の生活圏の中にいてほしい、みたいなことを思うようになったのは、あの一件以降だ。
泣き疲れて眠っている紺ちゃんに綺麗だなと思ったのは、いつもの緊張から解き放たれたような表情に見えたからなのだろう。今も、ふっと表情が緩む時があるけれど、それを見れた時は嬉しく思う。
猫を飼い始めて余計に紺ちゃんは猫っぽいと思うことが増えて、流石に電話番号は自分から聞きにいった。自分の腕からするりと抜け出していく猫のように、紺ちゃんもふらりとどこかに行きそうだと感じる時がある。SNSだって、ヤケを起こして、衝動で消してしまうかもしれない。
「そんなことしないわよ。籍だって入れたのに」
「でも、しそうなのが紺ちゃんなんだって」
もう、と言いながらも、電話番号を教えてくれた。名字が僕と同じになった紺ちゃんの本名フルネームが電話帳に追加される。
そういうわけで、紺ちゃんだけSNSのアカウントと、電話番号の両方を持っている。
両方を知っているのは彼女だけ。その事実に嬉しさを感じながら、アプリを閉じた。
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