おまけ
私が今までしてきたセックスは、一方的な好意と性欲を浴びるだけのものだった。
どうせ、私のこの、だらしがなく膨らんだ乳が好きなんでしょ。私じゃなくて。
そんな冷めた気持ちで行為に付き合っていた。
学生の頃はまだ、夢を見ていた。私も相手が好きで、相手も私のことが好きで、イチャイチャと表現できるようなセックスしかこの世には存在しないのだと思っていた。
でも学生時代に彼氏ができることはなく、そのまま社会に出た。
社会に出ると、男性からの視線が気になり始めた。肌を出すのが怖くなって、常に長袖を着るようになった。女性専用車両があったら、それに乗るようになった。そういう目で見られることに嫌気が差した。初めて会う男は必ず私の胸部を見る。本当に嫌だった。
二十代後半にもなってくると、結婚の二文字が頭をよぎるようになる。彼氏がいたほうが、結婚していたほうが、子供がいたほうが、誰からもあれこれ言われずに済むからだ。彼氏はいないのか、結婚はしないのか、子供はつくらないのか。そういった質問にも嫌気が差していた。親から言われるのではない。職場の人間に言われるのだ。放っておいてくれ、余計なお世話だと、心の中で舌打ちしていた。
そんななか、誠に告白のようなものをされた。
半ば、諦めと共に、誠を利用するような形で付き合い始めた。
彼は最後まで私を好いていてくれたようだけれど、実際のことは分からない。
彼も、恋愛をしないと、結婚しないと、子供を作らないと、という義務感や焦燥もあったのかもしれない。私のように。
そういう間柄でのセックスは非常に面倒くさかった。だって気持ちよくない。苦しくて、疲れるだけ、時間の無駄。そんなことしている時間があるのなら、私は執筆をしていたかった。
それから、徐々にしたいとも思わなくなっていった。年齢とともに性欲もなくなっていっているのだと。
「キスだけじゃ、寂しい」
私に抱きついている智はそう言った。
身体がぶわっと熱くなる感覚があった。初めての感覚に戸惑う。
「何、したいの」
背中から抱きしめられたまま、尋ねてみた。
智の手を握る。熱い。
「うん、したい」
なんて素直な子なんだろうと思う。
何かを語り出すと、なんだか理屈っぽくなるオタクのくせに、その内容はいつも素直で真っ直ぐ。
全て理屈で考えているのかと思いきや、好きだから好き、とも言う。好きに理由なんてない。その単純さは、素直さからくるものなのかもしれない。
誠は雰囲気で押すタイプだった。そして私はそれにいつも流されていた。
はっきりと、したい、なんて言われるのは初めてだった。私に選ばせてくれている。
「紺ちゃん、そういうの嫌いなのかなって思ってたんだけど、やっぱり、したい」
「あ、うん……そうよね」
それもそうか、智にだって性欲はある。
初めてキスした時だって、なんとなく、したそうな雰囲気はあった。でも私は、智から逃げてしまった。
恥ずかしかったからだ。智の真っ直ぐすぎる好意に、照れてしまった。
中学生みたいだと、そのあと、もっと恥ずかしくなった。三十にもなって、そんなことでドキドキしてしまっていることに、驚きもあった。
セックスは億劫なもの。その学習によって抑えられていた性欲が、身体の奥で蠢いているような感覚になる。
驚いた。まだ自分にも欲が残っていることが。
「嫌?」
「嫌ではない。でも、忘れちゃった」
「どういうこと?」
「うーん……、私もしたいと思うよ。うん、したい。でも、どんな気持ちでいたらいいか忘れちゃった」
「好きって思ってたらいいんじゃないのかな。僕はそう思うから、紺ちゃんとしたい。やってみたいからとかじゃないよ。早く卒業したいとか、そういう焦りでもない」
「分かってる、智がそういう理由だけじゃしないってこと、分かってるから」
智のことは好きだ。だから私はここにいる。
自分のその気持ちを信じられなくて、それは好意ではなく、ただ智に甘えているだけなんじゃないかとも思った。でも離れると、寂しかった。確かに自分は智のことが好きだと自覚した。
でも、好きという気持ちと性欲とが、バラバラになってしまっている。どうやったら、一体化できるのだろう。
「ねえ、こっち向いて」
振り向くと、ぎゅうと強く抱きしめられる。
何もしない。ただ、黙って抱きしめる。私も、智の背中に腕を回した。
背丈はそんなに変わらない、少しだけ智のほうが高いかな、くらい。それに細い。でも体格は確かに男のそれで、私は包まれるかのように抱きしめられていた。
智のにおいがする。
心臓の音がする。呼吸の音もする。
あ、好き。心の中に浮かぶ言葉が、それだけになる。ぐだぐだした思考はどこかへ消えていった。
智の言う「好きだから好き」とは、こういうことなのだろうか。他の感情が入り込む余地がない。
熱い。身体は反応している。触ってほしい。
そうか、こうやって気持ちを合わせるんだ。私はそれを知らなかった。
キスしたくなったから、私からキスした。今までずっと智からしてくれていたから、自分からするのはこれが初めてだ。
「いい?」
最後の確認。ちゃんと聞いてくれる。そういうところに、ひどく安心した。彼は私の嫌なことは絶対にしないだろうという安心。今まで出会ってきた有象無象とは違う。
「いいよ、私もしたい」
ああ、好きだ、この人が。
智を受け入れた瞬間、そう思った。
「初めて紺ちゃんに好きって言われた」
「そうだっけ」
「そうだよ。僕は何回も言ってるけど、紺ちゃんはいつも照れて言ってくれない」
「許してよ」
「別に怒ってはないよ。言われなくて寂しいってこともない。嬉しかっただけ。疑ってないから」
「うん」
湯船に二人で入る。抱きしめられる格好になっていた。
智は私の胸に顔を埋めている。このだらしがない乳も、今なら、智をこうやって受け入れることができるからあってよかったと思う。
学生の頃夢見ていたイチャイチャというのは、こういうことをいうのだろう。
智は私よりずっと若い。性格的に落ち着いて見えるけれど、体力も気力もある。それについて行けるかどうかも不安だった。
でも、まだ大丈夫だと思う。私にもまだ元気はある。恋愛したいという気持ちも。
落ち着いて二人で生活したい、落ち着いた付き合いがしたい、というのは変わらないけれど、どこかで若々しい恋愛も求めていたのだと思う。
「今度の智の休みの日、どこかにデート行こうよ」
「え」
「えって何よ」
「いや、だって。取材じゃなくて?」
「うん」
「どこかって、どこ?」
「どこでも何でもあるじゃん、東京なんだから」
「僕あんまり遊ばないから」
「東京生まれ東京育ちのくせに」
「関係ないでしょ」
こんな私たちだから、派手な遊びにはならないだろうけれど。
私はまだできるはずだ。
手を繋いで歩くことも、カフェでおしゃべりすることも、だらだらとウィンドウショッピングすることも、キスも、セックスも。
「このあともう一回したいって言ったら怒る? 嫌だったりする?」
「ううん、しよう。したい」
勝手に衰えた気になっていたけれど、まだ大丈夫だ。
私は今、恋愛をしている。それを自覚できたことが、とても嬉しい。
どうせ、私のこの、だらしがなく膨らんだ乳が好きなんでしょ。私じゃなくて。
そんな冷めた気持ちで行為に付き合っていた。
学生の頃はまだ、夢を見ていた。私も相手が好きで、相手も私のことが好きで、イチャイチャと表現できるようなセックスしかこの世には存在しないのだと思っていた。
でも学生時代に彼氏ができることはなく、そのまま社会に出た。
社会に出ると、男性からの視線が気になり始めた。肌を出すのが怖くなって、常に長袖を着るようになった。女性専用車両があったら、それに乗るようになった。そういう目で見られることに嫌気が差した。初めて会う男は必ず私の胸部を見る。本当に嫌だった。
二十代後半にもなってくると、結婚の二文字が頭をよぎるようになる。彼氏がいたほうが、結婚していたほうが、子供がいたほうが、誰からもあれこれ言われずに済むからだ。彼氏はいないのか、結婚はしないのか、子供はつくらないのか。そういった質問にも嫌気が差していた。親から言われるのではない。職場の人間に言われるのだ。放っておいてくれ、余計なお世話だと、心の中で舌打ちしていた。
そんななか、誠に告白のようなものをされた。
半ば、諦めと共に、誠を利用するような形で付き合い始めた。
彼は最後まで私を好いていてくれたようだけれど、実際のことは分からない。
彼も、恋愛をしないと、結婚しないと、子供を作らないと、という義務感や焦燥もあったのかもしれない。私のように。
そういう間柄でのセックスは非常に面倒くさかった。だって気持ちよくない。苦しくて、疲れるだけ、時間の無駄。そんなことしている時間があるのなら、私は執筆をしていたかった。
それから、徐々にしたいとも思わなくなっていった。年齢とともに性欲もなくなっていっているのだと。
「キスだけじゃ、寂しい」
私に抱きついている智はそう言った。
身体がぶわっと熱くなる感覚があった。初めての感覚に戸惑う。
「何、したいの」
背中から抱きしめられたまま、尋ねてみた。
智の手を握る。熱い。
「うん、したい」
なんて素直な子なんだろうと思う。
何かを語り出すと、なんだか理屈っぽくなるオタクのくせに、その内容はいつも素直で真っ直ぐ。
全て理屈で考えているのかと思いきや、好きだから好き、とも言う。好きに理由なんてない。その単純さは、素直さからくるものなのかもしれない。
誠は雰囲気で押すタイプだった。そして私はそれにいつも流されていた。
はっきりと、したい、なんて言われるのは初めてだった。私に選ばせてくれている。
「紺ちゃん、そういうの嫌いなのかなって思ってたんだけど、やっぱり、したい」
「あ、うん……そうよね」
それもそうか、智にだって性欲はある。
初めてキスした時だって、なんとなく、したそうな雰囲気はあった。でも私は、智から逃げてしまった。
恥ずかしかったからだ。智の真っ直ぐすぎる好意に、照れてしまった。
中学生みたいだと、そのあと、もっと恥ずかしくなった。三十にもなって、そんなことでドキドキしてしまっていることに、驚きもあった。
セックスは億劫なもの。その学習によって抑えられていた性欲が、身体の奥で蠢いているような感覚になる。
驚いた。まだ自分にも欲が残っていることが。
「嫌?」
「嫌ではない。でも、忘れちゃった」
「どういうこと?」
「うーん……、私もしたいと思うよ。うん、したい。でも、どんな気持ちでいたらいいか忘れちゃった」
「好きって思ってたらいいんじゃないのかな。僕はそう思うから、紺ちゃんとしたい。やってみたいからとかじゃないよ。早く卒業したいとか、そういう焦りでもない」
「分かってる、智がそういう理由だけじゃしないってこと、分かってるから」
智のことは好きだ。だから私はここにいる。
自分のその気持ちを信じられなくて、それは好意ではなく、ただ智に甘えているだけなんじゃないかとも思った。でも離れると、寂しかった。確かに自分は智のことが好きだと自覚した。
でも、好きという気持ちと性欲とが、バラバラになってしまっている。どうやったら、一体化できるのだろう。
「ねえ、こっち向いて」
振り向くと、ぎゅうと強く抱きしめられる。
何もしない。ただ、黙って抱きしめる。私も、智の背中に腕を回した。
背丈はそんなに変わらない、少しだけ智のほうが高いかな、くらい。それに細い。でも体格は確かに男のそれで、私は包まれるかのように抱きしめられていた。
智のにおいがする。
心臓の音がする。呼吸の音もする。
あ、好き。心の中に浮かぶ言葉が、それだけになる。ぐだぐだした思考はどこかへ消えていった。
智の言う「好きだから好き」とは、こういうことなのだろうか。他の感情が入り込む余地がない。
熱い。身体は反応している。触ってほしい。
そうか、こうやって気持ちを合わせるんだ。私はそれを知らなかった。
キスしたくなったから、私からキスした。今までずっと智からしてくれていたから、自分からするのはこれが初めてだ。
「いい?」
最後の確認。ちゃんと聞いてくれる。そういうところに、ひどく安心した。彼は私の嫌なことは絶対にしないだろうという安心。今まで出会ってきた有象無象とは違う。
「いいよ、私もしたい」
ああ、好きだ、この人が。
智を受け入れた瞬間、そう思った。
「初めて紺ちゃんに好きって言われた」
「そうだっけ」
「そうだよ。僕は何回も言ってるけど、紺ちゃんはいつも照れて言ってくれない」
「許してよ」
「別に怒ってはないよ。言われなくて寂しいってこともない。嬉しかっただけ。疑ってないから」
「うん」
湯船に二人で入る。抱きしめられる格好になっていた。
智は私の胸に顔を埋めている。このだらしがない乳も、今なら、智をこうやって受け入れることができるからあってよかったと思う。
学生の頃夢見ていたイチャイチャというのは、こういうことをいうのだろう。
智は私よりずっと若い。性格的に落ち着いて見えるけれど、体力も気力もある。それについて行けるかどうかも不安だった。
でも、まだ大丈夫だと思う。私にもまだ元気はある。恋愛したいという気持ちも。
落ち着いて二人で生活したい、落ち着いた付き合いがしたい、というのは変わらないけれど、どこかで若々しい恋愛も求めていたのだと思う。
「今度の智の休みの日、どこかにデート行こうよ」
「え」
「えって何よ」
「いや、だって。取材じゃなくて?」
「うん」
「どこかって、どこ?」
「どこでも何でもあるじゃん、東京なんだから」
「僕あんまり遊ばないから」
「東京生まれ東京育ちのくせに」
「関係ないでしょ」
こんな私たちだから、派手な遊びにはならないだろうけれど。
私はまだできるはずだ。
手を繋いで歩くことも、カフェでおしゃべりすることも、だらだらとウィンドウショッピングすることも、キスも、セックスも。
「このあともう一回したいって言ったら怒る? 嫌だったりする?」
「ううん、しよう。したい」
勝手に衰えた気になっていたけれど、まだ大丈夫だ。
私は今、恋愛をしている。それを自覚できたことが、とても嬉しい。