5章 浅葱智哉

 今年の葵は、紺野さんと一緒に種を蒔いた。
 リリちゃんが復活した次の日。ホームセンターでもらってきたポットに土を入れて、種を蒔いた。
「よくこんな地味な作業できるよね」
 じょうろでゆっくり水をまきながら、紺野さんは言った。
「別に僕一人で良かったんだけど」
「なんでだろ。智が庭にいたから、やってみよって思った」
「紺野さんにしては、珍しいね」
「何が」
「理由がないのが」
 その時、紺野さんは、不思議だね、と言った。
 紺野さんはいつも、することやることに理由や意味を求めたがる。僕が彼女を欲しがる理由もずっと探っていたし、自分が書き続ける理由も求めていた。
 だから珍しいと言った。紺野さん自身も、よく分かっていなかった。
 梅雨が過ぎて、葵は一気に背を伸ばしていった。
 紺野さんが土井谷さんの件で大いに荒れたあと、紺野さんを慰めるかのように、葵は一気に開花した。
 今年も見事に咲いた。
 僕が仕事から帰ってきて、水やりをしようと庭に出ると、紺野さんも縁側に出てくる。
 体育座りになって、頬杖をついて、じっと見ていた。
「私、好きかも」
「何が」
「葵。まっすぐじゃん。私と違って、まっすぐ」
「え、紺野さんはまっすぐな人かと思ってた」
「どこをどう見たらそう思うのよ。智はこの一年、私の何を見てきたわけ」
「まっすぐだから、泣いてるのかと思ってた。一生懸命じゃなかったら、泣かないよ。本気じゃなかったって言い訳ができるもん。本気だったからこそ、言い訳ができなくて、それだけ悔しくて、泣いてるんだと思ってた」
 ホースを巻きながらそう言うと、紺野さんは、顔を赤くしてリビングに戻って行った。何かまずいことでも言っただろうか。
 ドタドタと階段を駆け上がって、勢いよくドアを閉める音が庭まで聞こえてくる。
 怒らせたかな。
 夕飯は紺野さんの好きなお好み焼きにすることにした。お好み焼きはお好み焼きでも、麺を使った、広島のやつ。広島風って言うと怒られるから、広島のお好み焼きと言う。そうすると、紺野さんは満足げな顔をする。
 駅の隣にあるスーパーに行って、キャベツを手にした時、もう一年か、とふと思った。
 紺野さんがここに来るとき、なんで僕は、紺野さんに頭を下げたんだっけ。
 初対面の女の人を、どうして家に入れたんだっけ。断ればよかったのに、なんで断らなかったんだっけ。
 一番大切な部分を、僕は忘れてしまっていた。
 キャベツと麺と豚肉を買って、家に帰って、準備をしていると、紺野さんが静かに一階に降りてきて、ソファに寝そべった。
 本当に何も手伝ってくれない。でも、それに対して不満はなかった。紺野さんが来るまでは一人でやっていたことだから、手伝いなんかいらない。
 テレビをつけて、ニュースを見て、物騒ねえ、と呟いて、晩御飯ができるのを待っている。
 出来上がったお好み焼きを前にすると、とても喜んでいた。
「上手くなったね、焼くの」
「まあ、作らない紺野さんよりは」
「それは余計な一言なのよ……。あ、私ね、智の作ったやつ、一番はこの麦茶が好き」
「それ、作ったって言えるの。使ってるバック、安いやつだけど」
「お茶ってさ、作る人によって味が変わるの。私の実家のは濃くて飲めたもんじゃないの。誠はそもそも作らなくて、ペットボトルの烏龍茶を買ってくるだけだった。このくらいの薄くて、飲みやすいのが好き」
 言っていることがよく分からないけれど、気に入ってくれてることだけは分かった。
 今日はやけに、紺野さんの口から「好き」が出てくる。何かを褒めることなんて今までなかったのに。
 そんなに好きなんだったら、ずっとここにいてくれればいいのに。
 なんて思った矢先のことだった。
「そろそろ、実家に帰ろうと思う」
 突然、紺野さんはそう言った。

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