3章 白松リリア
奥沢には始めて来た。
奥沢駅で降りて外に出ると、小さな噴水を見つけた。周辺にはちょっと古いお店や、こじんまりとしたカフェなどが並ぶ商店街があった。節分の飾りつけがまだほんの少しだけ残っている。
道を歩いている人はいるけれど、まばらだった。もう少し時間が経って、夕方になれば、もう少し人が増えてくるだろう。
ねぎさん――浅葱智哉くんは、通勤は電車だから、必ず奥沢駅周辺で見つかるとのことだった。
ストーカーみたいだけど、まゆは、そんなの関係ないと言った。まゆに背中を押されてここにいる。
噴水のそばで浅葱くんが現れるのを待つ。冷たい風がむき出しの足を撫でて寒い。ショートパンツにするんだったら、カラータイツくらい履いてくればよかった。
もうすぐ、彼が仕事を終えて帰ってくる時間だ。
駅のすぐ隣にある踏切が鳴る。
急にドキドキしてきて、あたしはどこかに隠れる場所がないか探した。そうしているうちに、人が駅から出てきた。
そのなかに、浅葱くんもいた。
その隣に、女の人もいた。
え、と思った。
美人だった。浅葱くんと背丈が同じか少し低いくらい。肩にかかる黒髪は綺麗だった。紺色のロングコートを着ている。二人は何か喋りながら、駅の隣にあるスーパーに向かっていった。
あれが、同居人? 名前なんだったっけ。ああそうだ、紺野さん。紺野朱美さん。ニートの作家さんってまゆが言っていた。
なんで一緒に帰ってきて、一緒に買い物をしているんだろう。浅葱くんは赤の他人って言っていたし、まゆも付き合ってないらしいって言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。すごく、仲睦まじく見える。
結局、その同居人がいたから、浅葱君には声をかけることができなかった。
静かに会話をしている二人の後ろをこそこそと着いて行って、家まで特定してしまった。駅からそんなに離れてない、立派な家だった。このあたり一帯には大きな家が並んでいるけれど、浅葱くんの家も負けていなかった。
マジであたしキモイ。本当にストーカーだ。道路の隅っこで、まゆにメッセージを送る。
『同居人とめっちゃ仲よさそうなんだけど!』
返信はすぐに来た。
『それは知らんかった、ごめん』
『もう無理だよ、絶望的だよ』
『諦めるにはまだ早いよ。明日も明後日もチャンスあるかもしれないじゃん。浅葱君と話さないまでは確定できないよ』
『そうだけど……』
まゆの応援はありがたい。けれど。
電柱に寄りかかって、冷静に考える。
そもそも、あたしは一度、浅葱くんに恐怖感を与えてしまっている。あたしの顔を見たら真っ先に逃げるんじゃないか。
うだうだしていると、浅葱くんの家のバルコニーに誰かが出てきた。紺野さんだ。
紺野さんと、ばっちりと視線が合う。
しばらく見つめ合ったあと、紺野さんは部屋の中に戻った。やばい、逃げるべきだ。
スマホをコートの中に突っ込んで、駅に戻ろうとしたときだった。
「待って」
鉄扉を押し開けて、紺野さんが道路に飛び出してくる。
ああ、もうダメだ。警察を呼ばれてしまう。奥沢駅のすぐ隣に、交番があったはずだ。ここに来るまで数分もかからない。
「あなた、もしかして、リリアさん?」
「ち、ちがっ、いやっ、ちがわないけどっ」
「うん。だよね。聞いてたものと、特徴が一致してる。智に用事があって来たんじゃないの」
ああ、名前呼びだ。しかも「とも」だ。もうダメだ。これはデキてる。うん。完全にデキてる。
絶望で何も言えないでいると、紺野さんは一度家の中に戻った。
玄関先で大きい声を出しているのか、ともー、ちょっと出かけてくるー、と言っているのが外まで聞こえてきた。
紺野さんはもう一度外に出てきて、あたしの手を握った。
「ごめんなさい、ストーカーしました。自首ならするんで、放してください」
「もしかして、警察のとこ行くって思ってる? ちがうちがう。話が聞きたいの。ごめん。私の資料になってほしい」
「え」
奥沢駅の二階には、チェーン店のカフェがある。お客さんは少なかった。紺野さんは慣れた様子で店員さんに指で二、と示して、ボックス席に歩いて行った。
あたしは紺野さんの前にちょこんと座る。
紺野さんは机の上にノートとペンを出す。万年筆だ。すごい、かっこいい。紺野さんの右手の中指には、赤インクの跡が残っている。やっぱり、作家先生なんだ、と思った。
「ちょうどね、芸能活動している人が書きたかったの。よかった。智からよく黒鉄リリコの話を聞いていたから、もうちょっと知りたかったの。あ、心配しないで。そっくりそのまま書くわけじゃないから」
「はあ……」
紺野さんは、あたしを逃がしてくれなかった。知りたいことを、とにかく根掘り葉掘り聞いてきた。一時間くらいは喋らされたと思う。
まゆに語ったのとほぼ同じことを語った。バカなあたしの人生を、紺野さんはノートに記録していく。恥ずかしくてたまらない。それに加えて、配信の裏のこととか、事務所のこととか、使ってる道具とか、スケジュールとか、そういう配信者の裏の仕組みもたくさん聞いてきた。
すごい執念だなと思う。
この人は、本気なんだ。まだアマチュアらしいけど、本気で書こうとしている。その本気度は見習うべきだった。
世の中には、本気になっても、プロになれない人がいる。それでも、本気で取り組んでいる人がいる。
あたし、この人、バカにできない。まゆもだけど。
「ああ、よかった。うん。いいの書けそう。ありがとう。とても参考になる」
ノートをぱたんと閉じて、紺野さんは微笑んだ。ああ、とても美人だ。何もかも、あたしはこの人に負けている。
「バカみたいって思いませんか」
「なぜ。私にとって、リリアさんの語るリリコの話はとても面白かった。そういう人がいてくれるから、私は書きたくなる。ちなみに、私も、私のこと、どうしようもない女だって思ってる」
あたしは喉が渇いて、紺野さんに奢ってもらったクリームソーダを口に含んだ。氷が溶けて薄くなっていた。紺野さんはブラックのコーヒー。そういうところも含めて、作家という感じがする。彼女と比べたら、あたしはまだまだおこちゃまだった。
「なんで智に会わないの。ああ、そういえば、あの日、ちょっと落ち込んで帰ってきてたな。何も言ってくれなかったけど、なんかあったんだろうな、とは思った。喧嘩でもしたの」
「あたしが悪いんです。無理に迫っちゃったから。怖がらせちゃった。それに紺野さんと仲良さそうだったし、もういいかなって」
紺野さんはきょとんとした。何を言ってるんだ、みたいな、そんな顔。
「どこで何を見て勘違いしたのか分からないけれど、私たち、別に付き合ってはないよ。今日は私は取材に出ていて、たまたま帰りの電車が彼と一緒だったから、一緒にいただけ。智と話くらいしたら。用事があってここまで来たんでしょ」
紺野さんも、まゆと同じくらい、あたしの背中を押してくれた。
浅葱くんをいい男にする代わりに部屋を貸してもらってるだけ。だから、チャンスがあるなら、応援したいというのが紺野さんだった。
本気になりなよ。それでダメだったら、またわたしのところにおいで。まゆに言われたことを思い出す。あたし、逃げるな。
カフェを出て、紺野さんと一緒に、浅葱くんの家に戻った。
紺野さんはあたしを庭に連れて行ってくれた。土だけが入っているプランターが並んでいる。花壇もあった。今はあまり花がないけれど、夏になったら見事な葵が咲くのだと教えてくれた。浅葱くんがガーデニングをするのは意外だった。あたしの知ってるオタクのイメージが少しだけ崩れる。
縁側から家の中に上がって、浅葱くんを呼びに行く。
からから、とドアが鳴って、浅葱くんが出てきた。この前と同じ、チェック柄のシャツ。縁側の下にあったサンダルに、足を入れた。
紺野さんに言われたから来たんだと言わんばかりの、迷惑そうな顔をしている。やっぱり、浅葱くんは、あたしのこと、よく思っていない。はっきり分かった。
でも、それだけで何も言わずに帰るのは嫌だ。本気を出せ。あたし。
「あのっ。ごめんなさい。越智真由さんに教えてもらって、ここまで来てしまいました」
「越智さん? なんで?」
「三軒茶屋でたまたま知って、ねぎさんの話になったんです。それで、あたし」
両手を握りしめ、声を絞り出した。
「ねぎさんに、もう一回謝りたいのと、お話がしたくて」
「それはもういいです。大丈夫。リリちゃんの引退も、なんとか、飲み込めたので」
「リリコのこと、最後まで、好きでいてくれたの?」
浅葱くんは少し泣きそうな顔になって、小さく頷いた。
あたしも、泣きそうな顔になった。
「ねぎさんが、はじめてだった。リリアのことをリリアとして見てくれて、嬉しかった。ねぎさんのこと、やっぱり、好き」
「そうですか。でも、ごめんなさい。ここまで来てくれたのは嬉しいし、そう言ってくれるのも嬉しいんですけど。でも、なんか。前のこともあるし、やっぱりリリちゃんのことがあるので……」
「うん。いい。それでね。あたし、もう一回アイドルがんばってみようと思う。あたらしいあたしを好きになってとは言わないけど、もしよかったら、新星リリコをちょっとだけでもいいから、見てほしいな。あたし、本気でやるから」
浅葱くんはとても驚いた顔をしていた。
あたしは本気宣言をして、恥ずかしくなって、すぐにバス停に走った。
静かなバスの中でめちゃくちゃに泣いた。
浅葱くんはずっとリリコにまっすぐでいてほしい。それでいい。そんなねぎさんが、あたしは好き。浅葱くんにはフラれちゃったけど、あたし、一生ねぎさんのこと、好きでいられる自信がある。
三軒茶屋に着いて、すぐまゆのところに向かった。
息を切らして、顔をぐちゃぐちゃにしているあたしを、まゆは抱きしめて迎えてくれた。
店に入ってまゆと乾杯をして、オタクの歌を歌った。即興で作った歌で、へんてこな曲だった。
ああ、オタク。好きを謳歌しろ。
バカにされてもいい、自分の好きを謳歌しろ。
ああ、オタク。人類、みなオタク。
あたしもあなたも、みなオタク。
そんな歌だった。とにかくへんてこに歌って、あたしたちはいっぱい笑った。
奥沢駅で降りて外に出ると、小さな噴水を見つけた。周辺にはちょっと古いお店や、こじんまりとしたカフェなどが並ぶ商店街があった。節分の飾りつけがまだほんの少しだけ残っている。
道を歩いている人はいるけれど、まばらだった。もう少し時間が経って、夕方になれば、もう少し人が増えてくるだろう。
ねぎさん――浅葱智哉くんは、通勤は電車だから、必ず奥沢駅周辺で見つかるとのことだった。
ストーカーみたいだけど、まゆは、そんなの関係ないと言った。まゆに背中を押されてここにいる。
噴水のそばで浅葱くんが現れるのを待つ。冷たい風がむき出しの足を撫でて寒い。ショートパンツにするんだったら、カラータイツくらい履いてくればよかった。
もうすぐ、彼が仕事を終えて帰ってくる時間だ。
駅のすぐ隣にある踏切が鳴る。
急にドキドキしてきて、あたしはどこかに隠れる場所がないか探した。そうしているうちに、人が駅から出てきた。
そのなかに、浅葱くんもいた。
その隣に、女の人もいた。
え、と思った。
美人だった。浅葱くんと背丈が同じか少し低いくらい。肩にかかる黒髪は綺麗だった。紺色のロングコートを着ている。二人は何か喋りながら、駅の隣にあるスーパーに向かっていった。
あれが、同居人? 名前なんだったっけ。ああそうだ、紺野さん。紺野朱美さん。ニートの作家さんってまゆが言っていた。
なんで一緒に帰ってきて、一緒に買い物をしているんだろう。浅葱くんは赤の他人って言っていたし、まゆも付き合ってないらしいって言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。すごく、仲睦まじく見える。
結局、その同居人がいたから、浅葱君には声をかけることができなかった。
静かに会話をしている二人の後ろをこそこそと着いて行って、家まで特定してしまった。駅からそんなに離れてない、立派な家だった。このあたり一帯には大きな家が並んでいるけれど、浅葱くんの家も負けていなかった。
マジであたしキモイ。本当にストーカーだ。道路の隅っこで、まゆにメッセージを送る。
『同居人とめっちゃ仲よさそうなんだけど!』
返信はすぐに来た。
『それは知らんかった、ごめん』
『もう無理だよ、絶望的だよ』
『諦めるにはまだ早いよ。明日も明後日もチャンスあるかもしれないじゃん。浅葱君と話さないまでは確定できないよ』
『そうだけど……』
まゆの応援はありがたい。けれど。
電柱に寄りかかって、冷静に考える。
そもそも、あたしは一度、浅葱くんに恐怖感を与えてしまっている。あたしの顔を見たら真っ先に逃げるんじゃないか。
うだうだしていると、浅葱くんの家のバルコニーに誰かが出てきた。紺野さんだ。
紺野さんと、ばっちりと視線が合う。
しばらく見つめ合ったあと、紺野さんは部屋の中に戻った。やばい、逃げるべきだ。
スマホをコートの中に突っ込んで、駅に戻ろうとしたときだった。
「待って」
鉄扉を押し開けて、紺野さんが道路に飛び出してくる。
ああ、もうダメだ。警察を呼ばれてしまう。奥沢駅のすぐ隣に、交番があったはずだ。ここに来るまで数分もかからない。
「あなた、もしかして、リリアさん?」
「ち、ちがっ、いやっ、ちがわないけどっ」
「うん。だよね。聞いてたものと、特徴が一致してる。智に用事があって来たんじゃないの」
ああ、名前呼びだ。しかも「とも」だ。もうダメだ。これはデキてる。うん。完全にデキてる。
絶望で何も言えないでいると、紺野さんは一度家の中に戻った。
玄関先で大きい声を出しているのか、ともー、ちょっと出かけてくるー、と言っているのが外まで聞こえてきた。
紺野さんはもう一度外に出てきて、あたしの手を握った。
「ごめんなさい、ストーカーしました。自首ならするんで、放してください」
「もしかして、警察のとこ行くって思ってる? ちがうちがう。話が聞きたいの。ごめん。私の資料になってほしい」
「え」
奥沢駅の二階には、チェーン店のカフェがある。お客さんは少なかった。紺野さんは慣れた様子で店員さんに指で二、と示して、ボックス席に歩いて行った。
あたしは紺野さんの前にちょこんと座る。
紺野さんは机の上にノートとペンを出す。万年筆だ。すごい、かっこいい。紺野さんの右手の中指には、赤インクの跡が残っている。やっぱり、作家先生なんだ、と思った。
「ちょうどね、芸能活動している人が書きたかったの。よかった。智からよく黒鉄リリコの話を聞いていたから、もうちょっと知りたかったの。あ、心配しないで。そっくりそのまま書くわけじゃないから」
「はあ……」
紺野さんは、あたしを逃がしてくれなかった。知りたいことを、とにかく根掘り葉掘り聞いてきた。一時間くらいは喋らされたと思う。
まゆに語ったのとほぼ同じことを語った。バカなあたしの人生を、紺野さんはノートに記録していく。恥ずかしくてたまらない。それに加えて、配信の裏のこととか、事務所のこととか、使ってる道具とか、スケジュールとか、そういう配信者の裏の仕組みもたくさん聞いてきた。
すごい執念だなと思う。
この人は、本気なんだ。まだアマチュアらしいけど、本気で書こうとしている。その本気度は見習うべきだった。
世の中には、本気になっても、プロになれない人がいる。それでも、本気で取り組んでいる人がいる。
あたし、この人、バカにできない。まゆもだけど。
「ああ、よかった。うん。いいの書けそう。ありがとう。とても参考になる」
ノートをぱたんと閉じて、紺野さんは微笑んだ。ああ、とても美人だ。何もかも、あたしはこの人に負けている。
「バカみたいって思いませんか」
「なぜ。私にとって、リリアさんの語るリリコの話はとても面白かった。そういう人がいてくれるから、私は書きたくなる。ちなみに、私も、私のこと、どうしようもない女だって思ってる」
あたしは喉が渇いて、紺野さんに奢ってもらったクリームソーダを口に含んだ。氷が溶けて薄くなっていた。紺野さんはブラックのコーヒー。そういうところも含めて、作家という感じがする。彼女と比べたら、あたしはまだまだおこちゃまだった。
「なんで智に会わないの。ああ、そういえば、あの日、ちょっと落ち込んで帰ってきてたな。何も言ってくれなかったけど、なんかあったんだろうな、とは思った。喧嘩でもしたの」
「あたしが悪いんです。無理に迫っちゃったから。怖がらせちゃった。それに紺野さんと仲良さそうだったし、もういいかなって」
紺野さんはきょとんとした。何を言ってるんだ、みたいな、そんな顔。
「どこで何を見て勘違いしたのか分からないけれど、私たち、別に付き合ってはないよ。今日は私は取材に出ていて、たまたま帰りの電車が彼と一緒だったから、一緒にいただけ。智と話くらいしたら。用事があってここまで来たんでしょ」
紺野さんも、まゆと同じくらい、あたしの背中を押してくれた。
浅葱くんをいい男にする代わりに部屋を貸してもらってるだけ。だから、チャンスがあるなら、応援したいというのが紺野さんだった。
本気になりなよ。それでダメだったら、またわたしのところにおいで。まゆに言われたことを思い出す。あたし、逃げるな。
カフェを出て、紺野さんと一緒に、浅葱くんの家に戻った。
紺野さんはあたしを庭に連れて行ってくれた。土だけが入っているプランターが並んでいる。花壇もあった。今はあまり花がないけれど、夏になったら見事な葵が咲くのだと教えてくれた。浅葱くんがガーデニングをするのは意外だった。あたしの知ってるオタクのイメージが少しだけ崩れる。
縁側から家の中に上がって、浅葱くんを呼びに行く。
からから、とドアが鳴って、浅葱くんが出てきた。この前と同じ、チェック柄のシャツ。縁側の下にあったサンダルに、足を入れた。
紺野さんに言われたから来たんだと言わんばかりの、迷惑そうな顔をしている。やっぱり、浅葱くんは、あたしのこと、よく思っていない。はっきり分かった。
でも、それだけで何も言わずに帰るのは嫌だ。本気を出せ。あたし。
「あのっ。ごめんなさい。越智真由さんに教えてもらって、ここまで来てしまいました」
「越智さん? なんで?」
「三軒茶屋でたまたま知って、ねぎさんの話になったんです。それで、あたし」
両手を握りしめ、声を絞り出した。
「ねぎさんに、もう一回謝りたいのと、お話がしたくて」
「それはもういいです。大丈夫。リリちゃんの引退も、なんとか、飲み込めたので」
「リリコのこと、最後まで、好きでいてくれたの?」
浅葱くんは少し泣きそうな顔になって、小さく頷いた。
あたしも、泣きそうな顔になった。
「ねぎさんが、はじめてだった。リリアのことをリリアとして見てくれて、嬉しかった。ねぎさんのこと、やっぱり、好き」
「そうですか。でも、ごめんなさい。ここまで来てくれたのは嬉しいし、そう言ってくれるのも嬉しいんですけど。でも、なんか。前のこともあるし、やっぱりリリちゃんのことがあるので……」
「うん。いい。それでね。あたし、もう一回アイドルがんばってみようと思う。あたらしいあたしを好きになってとは言わないけど、もしよかったら、新星リリコをちょっとだけでもいいから、見てほしいな。あたし、本気でやるから」
浅葱くんはとても驚いた顔をしていた。
あたしは本気宣言をして、恥ずかしくなって、すぐにバス停に走った。
静かなバスの中でめちゃくちゃに泣いた。
浅葱くんはずっとリリコにまっすぐでいてほしい。それでいい。そんなねぎさんが、あたしは好き。浅葱くんにはフラれちゃったけど、あたし、一生ねぎさんのこと、好きでいられる自信がある。
三軒茶屋に着いて、すぐまゆのところに向かった。
息を切らして、顔をぐちゃぐちゃにしているあたしを、まゆは抱きしめて迎えてくれた。
店に入ってまゆと乾杯をして、オタクの歌を歌った。即興で作った歌で、へんてこな曲だった。
ああ、オタク。好きを謳歌しろ。
バカにされてもいい、自分の好きを謳歌しろ。
ああ、オタク。人類、みなオタク。
あたしもあなたも、みなオタク。
そんな歌だった。とにかくへんてこに歌って、あたしたちはいっぱい笑った。