ギソウのフウフ

 六月某日、降谷は独身生活に終止符を打った。
 つまり、結婚したのだ。
 相手は、因縁の相手である男で、実のところ恋愛関係にもなく、つまり書類上だけの結婚だった。
 降谷はこの所、切羽詰まった状況に置かれていた。見合い話が山のように舞い込んできていたのだ。「男が三十過ぎで独り身だと、何かおかしな点があると思われる」「早く身を固めろ」周りの勝手な言い草には辟易していたが、断り続けるのにも限度がある。
 それを何かの拍子に赤井に漏らした。
「奇遇だな。実は、俺も困っているんだ」
 聞けば、彼には婚約中の弟がいるのだが、その弟が「兄を差し置いて先に結婚はできない」と婚約者を待たせているのだとか。
「だが、俺には相手がいない。それに、結婚に向いてない」
 困ったもんだと、二人して嘆息したその時、テレビでは漸く認められた同性婚の話題が流れ出したのだった。
「…降谷くん」
「はい?」
 あれは、そうだ。昼飯に入った町の中華屋だった。
「結婚してくれないか?」
 赤井は、友人かどうかすら怪しい降谷にそんな提案をした。
「なるほど」
 何がなるほどか分からないが、降谷はそう答えた。
「しましょう、結婚」
 そうして、煩わしいことから逃げ出すように、二人は結婚してしまったのだった。
 
 結婚生活は形から入ることにした。周りには本当の夫婦…夫夫と思わせなくてはならない。揃いの指輪を買って、職場と家族に結婚の報告をして、赤井が降谷の部屋に転がり込んでくる形で同居も始めた。
「狭くてすみません。落ち着いたら引っ越しましょう」
 赤井には、四畳半の空き部屋を使ってもらうことになった。流石に申し訳ないので、居間で寝てくれても構わないと提案したが「寝るだけの部屋だ」とあっさり受け入れられた。
 赤井には拘りも荷物も無かった。実に身軽で、実に悠々とした生き方をする男だったのだ。それなのに、降谷の規則正しい生活にも難なく馴染む。赤井はいい同居人だった。ゆっくりと降谷のテリトリーに入り込んで、気が付いたら、ソファに二人並んで寛げるくらいに気を許せるようになるくらいに。
 同居生活が上手くいったのは、彼の性格に依る所が大きかった。
「引っ越すなら、どのへんがいいですか?ちょっと広い部屋にしましょうよ」
「ふむ。しかし、いいのか?分譲で」
 風呂上がりに二人で物件の情報を調べながらビールをやるのが、最近の降谷の楽しみだ。
「貴方と共同で買うなら、全然、予算内です」
「だが、ややこしくなるぞ、別れる時に」
「え?」
 思いもよらない言葉に、聞き返してしまった。
「別れるんですか?」
「いや、もちろん、別れたくないが」
 赤井は否定した。降谷は、ほっと息を吐いた。
「ですよね。良かった。僕、古い人間だと言われますけど、結婚は一生に一度しかしないと決めてます」
「では、俺が、君の唯一の男か」
 変なやり取りだった。だけど、二人して笑い合った。

 そんなこんなで、二人の新婚生活はとても順調だった。孤独だった降谷は、家族ができた事にこっそりと喜びも感じていたくらいだ。
 だが、問題がないわけでも無かった。
「貴方達って、本当に夫夫なの?」
 結婚して一月が過ぎた頃、赤井の同僚であるスターリングに指摘されてしまったのだ。
「え…」
 降谷は動揺してしまった。
「なんだか、新婚なのに部活の合宿みたいな感じだから。男同士ってそんなもの?」
 スターリングは新婚の降谷を揶揄いたかっただけだった。
「私たちに遠慮してるのかしら?堂々といちゃついてもいいのよ。いまだに貴方達のこと狙ってる女豹達に見せつけてやりなさいよ」
 赤井とは居心地のいい関係だが、あまりにも新婚らしくないのかもしれない。これでは、赤井に気のある者たちは諦めやしないだろう。
 その日の寛ぎの時間に、降谷はそれを赤井に相談してみた。すると、赤井は大して考えもせずに、すぐに答えを出したのだった。
「ふむ。キスでもするか?」
「へ?」
「仕事場で会ったら、ハグしてキスする。見つめ合って、今日も綺麗だよと囁いてくれ」
「僕が?貴方に?」
「難しいなら、俺が君にキスするが?」
「えぇ?」 
 赤井は戸惑う降谷の手を握り、腰を抱き寄せ、じっと見つめて囁いた。
「会えなくて寂しかったよ、ダーリン」
「同じ家に住んでるのに?」
 思わず笑った降谷の唇に、ちゅっとキスされた。
「職場だけでなんて、ぎごちなくなる。家でもしよう。慣れが大事だ」
 その時は、そういうものだろうか?なんて思った降谷だったが、その後、職場で自然にハグとキスが出来るようになったので、確かに効果的だった。赤井が降谷の腰を抱き寄せると、あちこちで、赤井に気のある者が歯軋りをしていたくらいだ。降谷はそれに傲慢な優越感を感じた。そして、そんな自分を少し恥じた。
 順調で何の悩みもない結婚生活に、少しだけ歪みが生じた。生活は変わってない。降谷が変わったのだ。赤井とのキスの度に、胸がドキドキ高鳴る。これは、良くない。赤井に邪な感情を抱くのは、違反だ。何への違反かは分からないが、赤井への裏切りだ。
 赤井は、この結婚をどう思っているのだろう。いつか、本当に愛する人ができたら、どうするのだろう。
 キスする仲になって、降谷は赤井との生活を気楽だとは思えなくなった。
 今日も帰ってきてくれるか、そんな事を気にするようになった。
 
 降谷の心配を他所に、赤井は毎日、二人の家に帰って来た。そして、ハグとキス。二人で食事を摂り、たまにはソファに二人で並んで酒を飲む。
「もう少し飲まないか?」
 赤井は降谷のグラスに酒を注いだ。
「じゃ、もう少しだけ」
 明日は揃って休みだ。酒を飲んでも問題ない。
「明日は、新居探しだったな。君のお眼鏡に適う家が見つかると良いが」
「…あの、実は、もう一件、物件を考えてて」
「ん?」
「ちょっと、予算オーバーなんですけど」
 降谷は、昼間、出先の不動産屋で偶然見つけた物件の資料を差し出した。
「ここは」
「貴方のお母さんのマンションに空きが出てて」
 女性の一人住まいは心細いことも多かろう。息子が近くにいれば心強い筈だ。
「僕、家族がいないから、よく分からないんですけど、貴方は弟さんの為に結婚するくらい家族思いの人だから」
 せっかく家を買うなら、近くに住むべきではないか。そう思ったのだ。
「…俺は、そんなに孝行息子じゃないさ」
 赤井は呟いて、風呂上がりの洗い晒しの髪を掻き上げ、降谷を見つめた。やけに思い詰めた顔をしていた。長い沈黙の後、赤井は重たそうな口を漸く開いた。
「弟が俺の結婚を待つと言ったのも、いつまでもぐずぐずしている臆病者のケツを蹴っ飛ばす為だ」
 不意に肩を抱き寄せられる。酒の匂いがして、いつものキスが頬と唇に触れた。
「君の事を愛しているから、結婚した。一緒に居れば、いつか君にも愛が芽生えるかもしれないと、勝手に期待して」
 もう一度、キスした。今度は、唇の内側を暴くような深いキスだった。
「ゆっくりでいい。本当の夫夫に、なりたい。君の本当の夫に選んで欲しい」
 赤井は降谷の耳に触れるくらいに近くで甘ったるく狡い声で言った。
「あの」
 降谷の頭の中には、色んな事がぐるぐるした。これは初めの約束に背いている。けど、結婚なんてものは、お互い好意があるからする物であって、だからおかしなことでは無くて…
「……しますか?」
「ん?」
「寝室、一緒にしますか?ふ、夫夫なんだから」
 降谷はそれを勇気を振り絞って、さんざん口篭った末に言った。
「それは!…いや、うん、嬉しいよ」
 赤井は、降谷の手を取って立ち上がらせると、徐に抱き上げた。
「え?」
 所謂お姫様抱っこだ。絶対に重いのに。
 落っことされないように逞しい首に抱きついた。赤井はちっとも重くなさそうに笑っていた。
「本当の結婚をしよう」
「え?今から?あの、僕、新居の話を…」
 それから、降谷の、いや、今夜から二人の寝室のドアを開けたのだった。
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