肩越しの恋

 その日、降谷は三十回目の誕生日を迎えた。
 いや、実のところ、そんなことは覚えてなかった。
 本日が締め切りの書類に日付を記入して、気付いたくらいだ。
「あ、誕生日だ」
 ぽん、出来上がった書類に判子を捺した。
「っ!た、誕生日ですか⁉︎」
 傍で捺印を待っていた部下が素っ頓狂な声を上げた。
「あぁ、忘れてたよ」
「おめでとうございます!あぁ、何も用意してない、参ったなあ」
「別に、めでたい歳でもないが、まぁ、ありがとう。気持ちだけで十分だ」
 出来上がった書類を渡して、降谷は立ち上がった。
 実は、今日はずっと内勤で、座りっぱなしだったのだ。
 ちょっとばかり出世したものだがら、降谷の席はそりゃあ良い椅子なのだが、それでも腰は凝る。
 立ったついでにストレッチして、コーヒーでもと、傍の部下、風見に声を掛けた。
「君、コーヒーに付き合わないか?奢るよ」
「だーっ、駄目です!私に、持たせてください!本当に参ったな、知らなかったですよ、今日が誕生日なんて」
「言いふらすほどでもないだろ」
 二人で歩き出して、すぐにその場にいた部下たちに囲まれた。
「降谷さん、誕生日なんですか?水臭いですよ?なんで言ってくれないんです」
「おめでとうございます」
「おめでとうございます。コーヒー買ってきましょうか?」
「いや、オレが」
 野太いおめでとうの嵐だ。 
 コーヒーを奢りたがるやつも山ほど名乗り出てきた。
 とにかく、ありがとう。コーヒーは風見に奢ってもらう。君たちの気持ちは、とても嬉しい。歳をとるのも悪くないな。
 降谷は、その場をそう納めた。
「それにしても、謎だらけの降谷さんの秘密を一つ知れましたよ」
 風見は休憩スペースで自販機のコーヒーを奢ってくれた。
「今夜、一杯、奢らせてくださいよ」
「いや…」
 部下に金を出させるのは気が引ける。降谷は自分の奢りならと言いかけ、ハッと気が付いた。
 誕生日とは、そんなに特別な日なのか!と。
「あー、でも、恋人と過ごしますよね。また、別の日に誘います」
 恋人は居ない。 
 しかし、憎からず思う男はいる。
 降谷は、その頭脳をフルに動かし考えた。  
 憎からず思う男に「今日、誕生日なんですよね」とかなんとか伝えたら「ほぉ、今夜、一杯奢らせてくれ」となるかもしれないぞ。
 さてさて、そうなると、あの男に会う必要がある。そして、さりげなく伝える必要もある。今日が誕生日だと。
 電話…は味気ない。せっかくなら、直接「おめでとう」と言って欲しい。なら、彼の職場に押し掛ける?図々しいと思われるだろう。
 祝われるのもなかなか難しい。
「降谷さん?」
 側で風見が首を傾げた。
「なぁ、君」
「はい?」
「今日、赤井は警視庁に登庁してたかな?」
「赤井捜査官ですか?いらっしゃいましたよ」
「そうか!」
 ならは、何か用事を作って、訪ねてみよう。さりげなく、それとなくだ。
 降谷の見立てでは、あの男は日に二度は煙草休憩をとる。昼飯の後と、夕方だ。この、タイミングで顔を合わせるのが望ましい。仕事ではないという気安い雰囲気が大事だ。
 そうとなれば、善は急げだ。
 降谷は、昼飯を抜いて、待ち伏せを試みたのであった。

 昨今の情勢を鑑み、警視庁も分煙が進んでいる。喫煙者はどんどんと追いやられ、とうとう屋外にしか喫煙所はない。
 しかし、これが降谷には好都合だ。偶然らしく通りかかれる。
 昼飯を抜いたので、腹が減った。だが、仕方ない。
 降谷は喫煙所を物陰から見張った。
 ところが、今日に限って、赤井が現れないのだ。 
 どういうことだ。まさか、煙草の吸える喫茶店にでも寄ったのか。今日は僕の誕生日なのにか?
 降谷は理不尽に怒りを募らせた。 
  
 結局、赤井に会えず、降谷はしょぼんと自分の席に戻ったのだが、そこで部下からとんでもない事実を告げられたのだった。
「赤井捜査官がいらしてましたよ」
 なんという間の悪さ、なんという不運。
 降谷は漫画のように地団駄を踏んだ。
「昼休みが終わるまで待ってらしたんですけど」
 その時間、降谷は喫煙所を見張っていたというのに。
「くぅ」
 己の読みの浅さが悔やまれた。
 しかし、降谷は諦めなかった。
 あの中毒者は、夕方六時前後にも喫煙所に寄る。そこで一服して、また仕事に戻るのがルーティンだ。
 規則正しくニコチンを取り込むとは、気がしれない話だが、今日に限ってはありがたい習慣だ。
 そこで仕留めてくれるわ!
 降谷は、腕時計を確かめつつ、ほくそ笑んだ。

 そして、運命の午後五時四十分、降谷は喫煙所を見張れる物陰に身を潜めた。少し早いが、あの男が気まぐれを起こさないという保証はない。
 さぁ来い、赤井秀一。
 降谷は気を引き締めた。
 だが、待てど暮らせど、赤井は現れなかったのだった。
 カァ
 どこかでカラスが鳴いた。彼らも、もう寝床に帰る時間だ。
 すっかり日が暮れてしまった。
 喫煙所から、人影も居なくなった。もう隠れる意味もない。
 降谷は、立ち尽くし、自分の足元を見つめた。
 侘しい。腹が減ってるせいか、とても悲しい。
 そんなに、身の程知らずの望みだっただろうか。 
 一言、誕生日を祝って欲しかっただけだ。ただそれだけでも、叶わない願いなのだろうか。
 こんなことなら、誕生日なんて忘れたままがよかった。
 このまま帰ってしまおうかな。いやいや、まだ仕事がある。
 とぼとぼ歩く足先の影が濃くなった。はっと目を上げると、そこにはなんと、待ち焦がれた赤井その人が居たのであった。
「あぁ、降谷くん、よかった」
「え?」
 赤井は、何故か、ぎゅっと降谷の肩を掴んだ。
「なかなか会えないものだから、帰ってしまったかと思ったよ」
「な、な、何か、用がありましたか?」
 慌てて腹を抑えた。ひもじい腹が音を立てそうで、心配だったのだ。
「人伝に君が今日誕生日だと聞いて、一言でもお祝いを言いたかったんだ。おめでとう」
「あ、りがとうございます」
 不覚にも、降谷は泣きそうになった。
「出遅れたな。もっと早く会えると思った」
「え、えへ」
 降谷のシュミレーションでは、守備よく赤井に『おめでとう』と言わせたら、居丈高に『別に、めでたくもないですが、まぁ祝いの言葉くらいは受け取りますよ』とかなんとか返すつもりだった。
 それが、実際は、ホコホコと胸が沸き立って、とてもじゃないけど、言葉なんて出てこない。
「一杯、奢らせてくれ。仕事終わりに連絡してくれたら、迎えに行くから」
「…誕生日なんて、別に特別じゃないです」
 これまでの二十九回の誕生日等を憐れむ。
 お前等は、実に惨めな物だった。
「でも、とても嬉しい」
「そうか!」
「えへ」
 降谷は、三十回目で、ようやく『お誕生日』を迎えたのだった。
 おめでとう、僕。
 降谷の誕生日は特別な日になった。
 ところが、赤井は、何故か、約束を取り付けても、立ち去らなかった。
 掴んだ降谷の肩を放さず、じっと見つめている。
 降谷は気恥ずかしくて、赤井の目を見れなかったので、目を逸らした。そして、そのタイミングで、赤井は言ったのだ。
「あー…その、ハグしても?」
「えっ!」
 思わず逸らした眼を見てしまった。
「ダメか?」
 赤井の綺麗な翠色の目が揺れていた。
「それは、誕生日プレゼント的な?」
「いや、まさか」
 では、何故、そんな凄いことをしてくれようと?アメリカでは常識か?まぁ、そうだ。だが、ここは日本だ。
「君がこの世にいることを実感したいんだ」
「じっかん?じゃ、ハグしてください」
 よく分からないが、ハグは受け入れた。  
 ぎゅっと抱きしめられる。煙草の匂いが薄いのは、やはり今日は喫煙所に行ってないから? 
 あぁ、憎からずなんて淡い気持ちだったのが、大好きって気持ちに進化してしまう。
 ハグなんてするからだ。赤井は馬鹿だ。
「来年は、一番最初に祝わせてくれ」
「来年?」
 来年の約束なんて、期待させて…。
 心とは裏腹に、降谷はその手を伸ばして、赤井の大きな体を抱き返した。そして、その肩越しに見えた空に一番星を見つけたのだ。
 今日の、この日を一生忘れない。
 とても幸せな誕生日だった。
 
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