明日の恋人

 朝の日差しが眩しい。
 薄く目を開けて隣で眠る男のことを確かめると、安らかな寝息を立てている。彼が安心して眠っていることに、赤井は、不思議な気持ちになった。
 昨日は呆れるほど酒を飲んだが、これは酔った末の失敗なんぞではない。誓って言えるが、赤井はこれまで酔った相手を寝床に連れ込んだことはない。男と寝たこともない。もっと言えば、そんな馬鹿をやるほど若くもない。
「可愛すぎる」
 つまり、その顔を眺めるだけで心臓が子犬みたいにはしゃぎだすのは、昨夜がそれだけ素晴らしい一夜だったからだ。
 初めて降谷と二人きりで過ごした。酒の魔力で、急に距離が縮まって、彼こそが大切な人だと気が付いた。お互いの傷の場所を知ってる。理解し合える。許し合える。別に癒して欲しいわけではないが、やんわりと慎重にそこに触れられるのは心地良かった。
 酔っ払ったせいだろうか、人恋しくて、どうにも離れ難くて、うちに連れて帰った。それから、酔った降谷が幼子みたいにむずかるのを宥めて水を飲ませてやった。
「…まだ一緒にいたい。側に居て」
 こっそりと囁かれて、キュウっと胸が締め付けられた。
 この子を帰したくないなと、思った。
 百回会話をするより手っ取り早く知り合おうと、キスして、服を脱がせて、裸でベッドに潜り込んだ。
 男とそうなるのは初めてだったが、酔って暖かく緩んだ身体は柔らかく赤井を受け入れた。正直に言うと、とても良かった。彼は、大胆に乱れて、貪欲に快楽を貪った。それは、赤井にとって与えるような奪われるような、未知の感覚だった。
 溺れているのは分かっていたが、素直にそれを受け入れられた。
 激しい交歓は、目紛しく嵐のように渦巻いて、赤井を未知の快楽とその奥底の愛へと引き摺り込んだ。素晴らしい体験だった。一夜で世界が変わってしまった。もう、彼を知る前には戻れない。
「降谷くん、起きてくれ」
 起きて、その綺麗な目に自分を映してくれ。
 安らかに眠っているのを起こすのは申し訳ないが、何かに急かされるように赤井は彼を揺り起こした。
「んん…」
「降谷くん」
 耳元に囁く。
「…頭…いた」
 降谷は呻くようにそう言った。
「二日酔いだ。君、浴びるように飲んでたからな」
 降谷の覚醒は突然だった。パチリと目を開け、素晴らしい腹筋で起き上がり、赤井を確かめて驚いた顔をした。
「えぇ?」
 酷く困惑している。
「赤井?」
「おはよう」
「おはよ、ございます」
 頭を抱えて、降谷は眉を顰めた。
「アスピリンが必要か?」
「え、あ、うん」
 戸惑いつつ、降谷は答えた。
 赤井はコップに水を汲み、アルカセルツァーを溶かして差し出した。降谷は素直に受け取った。
「やばい、マジか」
「もしかして、昨夜の記憶がないのかな?」
 コップの中で錠剤が溶けて、シュワシュワと泡立っていた。
「記憶はあります」
「ふむ。では、何が問題だ?」
「僕の予定では、貴方は、僕を残して消えてる筈でした」
 降谷は、溜息混じりにそう言った。
「ほら、一気に全部飲んで」
「ん」
 錠剤が溶けきった。降谷は一息に飲み込んだ。
「君を置いてどこに?第一、ここは俺の部屋だ」
「えぇっ⁉︎ッ!」
「急に叫ぶと、頭に響くぞ」
「…ここ、貴方の部屋なんですか」
 痛むであろう頭をさすりつつ、降谷は漸く周りを見回した。
「まともな部屋だな。もっと、殺し屋みたいな部屋に住んでるかと思ってた」
「どんな部屋だ?」
「銃器が壁いっぱいに並んでて、パイプ椅子とジュラルミンケース。床には酒瓶が転がってる」
 酷い想像だ。赤井は呆れて笑ってしまった。
「人間らしい生活をさせてもらってるさ」
 降谷の横に腰掛ける。お互い裸だ。今更、何もなかった振りはできない。
「さて、君は、俺にホテルのベッドに置き去りにされたかったらしいが」
 赤井の言葉に降谷は目を泳がせた。
「俺は遊ばれた?」
 もしかして、一夜の過ちと片付けられるのだろうか?
「違う。けど」
 降谷は、曖昧な反応を返した。
「知らんぷりされるかと思ってました」
 それから、まるで迷子みたいに心細い声で言った。
「何故?」
「貴方は、そういう大人の関係を望むかと」
 ベッドの上、所在無く投げ出された手を握った。冷たい手だった。
「あは、上手くいきませんね。遊び上手な振りしたかったのに。僕、全然、ダメですよね、大人の駆け引きとか、そういうの」
「そんなの、要らないさ」
 赤井は彼の強張る手を握り締めた。
「映画みたいに燃えあがって終わる恋がしたかったか?」
「いえ」
「長い付き合いから、ゆっくりと始まる恋は平凡過ぎるか?」
「いえ」
「そうか、良かったよ」
 ホッと息を吐く。
 遊び慣れた男だと期待されても、とてもじゃないが、上手くやれない。
 愛を告げる前に関係を持ってしまったのは、不誠実なのだろうが、それは何度でもやり直すつもりだ。不恰好だが、許して欲しい。
「あの、これだけは信じて欲しいんですけど、僕、酔って誰とでも寝るような人間じゃありません。本当に、こんなことは初めてで、昨夜は本当にどうかしてたんです。貴方となら、そうなってしまいたくて、酔わせて、その、関係を」
 降谷が赤井の頭の中を読んだようにそんな言い訳をするから、ついつい笑ってしまった。
「聞いてます?」
「あぁ、聞いてる。君の唇は、花弁みたいに瑞々しいな」
「はぁ?」
「鼻はツンと尖って、生意気で可憐だ」
「真剣に聞いてください」
「聞いてるさ」
 赤井は、降谷の頬に手を伸ばした。
「つまり、俺を愛しているということだろう?嬉しいよ。君が俺の恋人?本当に?こんなに綺麗な君が?」
「もうっ。悩んだ僕が馬鹿みたいじゃないですかっ」
「そうだ。悩む必要はないさ」
 キスをして、またベッドに押し戻す。散々飲んだ翌日だというのに、間近で見ても彼は完璧だ。
「もう君を帰さないが、構わないかな?」
「明日は仕事です」
 恋に浮かれた台詞には、現実的な返事が返された。
「…だから、今日は帰らなくても、いいかも」
 その後で、赤井の胸元に赤くなった顔を埋めて、降谷は唸るように言った。
 呆れるくらいに恥ずかしがり屋だ。だが、そこも可愛い。
「もう帰さないよ」
 降谷の顔中にキスして、もう一度告げた。
 そして、それを証明すべく、ぎゅうと抱き締めた。お互いの肌の温度が同じになって、いつしか境目も分からなくなって、ありったけの愛で揉みくちゃになったら、きっと、降谷も分かるだろう。 
「きっと、君も帰りたくなくなるさ」
 もう、離れられないくらいに、二人は愛し合ってるのだと。
 
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