恋の始まり
友情と恋情の差は何か。
降谷は、それを散々考えた。
例えば、肉欲を抱くかどうか。これは、曖昧だ。男とは実に哀れな生き物で、切羽詰まれば、木の虚にすら欲情する。
では、寧ろ、肉欲とは掛け離れた情を抱いたとしたら?宗教的な麗しい愛なら、恋と言えるのではないか。
降谷は、一人の男に、憧れに似た感情を抱いていた。あんな男になりたいと、密かに盗み見ては、その何気ない仕草なんかに胸を焦がしていたのだ。
これは、恋なのだろうか。
叶えようとは思わなかった。同性であるし、複雑な仲だ。ただ、少しだけ仲良くなってみたいと、そう思った。
「あの」
降谷の努力の甲斐あって、憧れの人である赤井とは親しく話せるくらいの仲になっていた。
「日本の風物詩として、お花見というのがあるのですが、どうでしょうか、懇親会がてら、そういう場を設けてもよろしいでしょうか」
そんな、三月の某日、赤井にそう切り出した。
「あぁ、いいね」
赤井は即答した。
「船遊びをしながら宴会ができますけど、そういうのが海外の方にはウケるそうで」
「ん?なんだ、チームの連中も一緒か?」
「え?」
「いや、構わんが、そういう閉ざされた空間が好きじゃない奴も多い。米花町の公園なんてどうだ?」
「えぇ、いいですね」
抑えてあった屋形船は上司に譲ることにしよう。降谷は赤井の言うことに頷いたのだった。
日米合同の花見の会は、三月の下旬に設けられることになった。
酒を飲んで、ゆっくり話し合えば、もう少し仲良くなれるだろうか。
降谷はそんな下心を隠し持ちながら、準備に勤しんだ。
場所取りは部署の若いのに任せた。降谷は仕出し料理を吟味して用意し、酒を頼み、自身でも重箱一杯に料理を持参した。
そうして、夕方から始まった宴は、期待以上に盛り上がりを見せた。特に米国の捜査官達の喜びようときたら大袈裟なくらいで、招いた側としては大満足な会となった。
「降谷くん」
会場が盛り上がる中、先に声を掛けてきたのは赤井の方だった。
「ビールが底を尽きそうだ。買い出しに付き合わないか?」
「え?あ、はい」
充分だと思った酒が足りない?
自分の見積もりの甘さで赤井を買い出しに行かせるなんて申し訳ない、とは思ったが、意図せず二人で話ができる機会がやってきた。降谷は、少し躊躇った後で頷いた。
「夜は少し冷えますね」
宵の公園を二人で歩き出す。肌寒さに、降谷は上着の合わせを掻き合わせた。
「はは、酔っ払いだらけだな」
「毎年、こんな感じですよ」
あちこちで大騒ぎで、少しもロマンチックではない。桜も、まだ、五分咲きだ。それでも、降谷は赤井と並んで歩けることを嬉しく思った。
「ちょっと、遠回りしないか?」
「え?」
「この頃、君とは話もできなかったから」
「お花見の準備で、あちこちしてまして」
「我々の為に、ありがとう」
公園の池に沿った歩道を二人で歩いた。
こんな酔っ払いだらけの雑然とした公園でも、桜色の世界は綺麗だ。
「うちの奴らがとても喜んでいたよ、花見は初めてだと」
「そうですか」
赤井も、いつもより、ずっと柔らかな雰囲気だった。
「貴方は、お花見なんて好きじゃないですか?」
「いや、どうして」
「あんまり、楽しそうにしてなかったから」
忙しく立ち回りながらも、常に目の端に赤井の姿を捉えていたのだ。片膝を立て、缶ビールを飲む姿は、どこか物憂げだった。
「あぁ」
赤井は気まずそうに目を逸らす。
「君の作った重箱の料理が、あっという間に空になってしまってな」
「すみません。量が足りなかったですね」
唐揚げや卵焼きといった、仕出しに無い家庭料理ばかりだった。だが、これが意外と人気で、あっという間に無くなってしまったのだ。
「とても、腹が立った」
「貴方の口には入らなかったですか」
「酷い話だ」
赤井は拗ねたように唇を尖らせた。
「ふふ」
それが、とても可愛い仕草だったものだから、降谷はつい笑ってしまったのだった。
「食べた奴が、とても美味いと」
「そうですか」
「ぶん殴ろうかと思った」
「そんな。お弁当くらいいつでも作りますよ」
「それは、他の奴らにもか?」
「え?」
「君のそれを俺が独占できる?」
「はい。では、貴方に作ります」
降谷は少し戸惑ったが、その申し出には頷いた。
「そうか」
赤井は笑った。降谷が知る限り、今夜初めての笑顔だった。
急に機嫌が直った。降谷には、何がそうさせたかは分からない。
「では、今度は二人で桜を見よう」
赤井はすっかり上機嫌で、そう言った。
「今回は騒がし過ぎましたか?」
「君と二人きりだと、期待してた」
「僕も、貴方と、もう少し仲良くなれたらと期待してました」
「どんな風に?」
「私的な話をしたり、一緒に余暇を過ごしたり。趣味を共有したり?」
言いながら、降谷は首を傾げた。
言葉にすると、やけに曖昧で陳腐だった。
「すみません。大人になってから、友人なんてできたことがなくて」
「友人か」
ぽつっと呟かれた言葉。
それは、降谷に例の悩みを思い起こさせた。
友情とは?恋とは?その境界線はどこにあるのか。
「君は、俺を独占したくないか?」
「独占?」
「そう。例えば、俺が漸く一つだけ身につけた煮込み料理の腕を披露する相手になりたくは?」
「それは、素敵ですね」
「それを他の人間と共有を?」
量の問題か?取り分が減る?降谷は、それほど意地汚くはない。
だが、それを想像してみると、胸にモヤモヤと靄が掛かる。
「…僕の為に作ってくれるんですよね?」
「そうだ」
「なら、僕がいただきます」
「そうしてくれ」
赤井が降谷の手をぎゅっと握った。歩道で立ち止まり、目と目が合う。その瞬間、酔客の声も、遠くの車の音も、消えた。
二人の間の空気が、これまでとはまるで違う物になって、降谷の心がそわそわと浮き足だった。
長い一瞬の後、酔っ払いが大声を出しながら通り過ぎていった。
降谷は、騒がしい春の空気に急かされるように、己の心を確かめた。
これは、恋か?
これは、なんだ?
「二人で、抜けようか?」
こそっと耳に囁かれて、降谷は頷いた。
その時に、感じたのは、憧れなんて曖昧な物ではなかった。二人で、今、触れているだけの手を伸ばし、きつく抱きしめ合いたい。衣服の下の肌に触れて欲しい。その手が、どんな風に触れるのか知りたい。誰にも見せないような顔を見せて欲しい。
酔いのせいでなく頬が赤くなったのが、自分でも分かった。
宗教的な愛?そんなものクソ喰らえだ。
「貴方と二人きりになれるなら」
今夜は、この男を独り占めしたい。
漸く知った恋の愚かさに急き立てられるように、二人はそこから姿を消した。
そして、それきり、宴の場には戻らなかったのであった。
降谷は、それを散々考えた。
例えば、肉欲を抱くかどうか。これは、曖昧だ。男とは実に哀れな生き物で、切羽詰まれば、木の虚にすら欲情する。
では、寧ろ、肉欲とは掛け離れた情を抱いたとしたら?宗教的な麗しい愛なら、恋と言えるのではないか。
降谷は、一人の男に、憧れに似た感情を抱いていた。あんな男になりたいと、密かに盗み見ては、その何気ない仕草なんかに胸を焦がしていたのだ。
これは、恋なのだろうか。
叶えようとは思わなかった。同性であるし、複雑な仲だ。ただ、少しだけ仲良くなってみたいと、そう思った。
「あの」
降谷の努力の甲斐あって、憧れの人である赤井とは親しく話せるくらいの仲になっていた。
「日本の風物詩として、お花見というのがあるのですが、どうでしょうか、懇親会がてら、そういう場を設けてもよろしいでしょうか」
そんな、三月の某日、赤井にそう切り出した。
「あぁ、いいね」
赤井は即答した。
「船遊びをしながら宴会ができますけど、そういうのが海外の方にはウケるそうで」
「ん?なんだ、チームの連中も一緒か?」
「え?」
「いや、構わんが、そういう閉ざされた空間が好きじゃない奴も多い。米花町の公園なんてどうだ?」
「えぇ、いいですね」
抑えてあった屋形船は上司に譲ることにしよう。降谷は赤井の言うことに頷いたのだった。
日米合同の花見の会は、三月の下旬に設けられることになった。
酒を飲んで、ゆっくり話し合えば、もう少し仲良くなれるだろうか。
降谷はそんな下心を隠し持ちながら、準備に勤しんだ。
場所取りは部署の若いのに任せた。降谷は仕出し料理を吟味して用意し、酒を頼み、自身でも重箱一杯に料理を持参した。
そうして、夕方から始まった宴は、期待以上に盛り上がりを見せた。特に米国の捜査官達の喜びようときたら大袈裟なくらいで、招いた側としては大満足な会となった。
「降谷くん」
会場が盛り上がる中、先に声を掛けてきたのは赤井の方だった。
「ビールが底を尽きそうだ。買い出しに付き合わないか?」
「え?あ、はい」
充分だと思った酒が足りない?
自分の見積もりの甘さで赤井を買い出しに行かせるなんて申し訳ない、とは思ったが、意図せず二人で話ができる機会がやってきた。降谷は、少し躊躇った後で頷いた。
「夜は少し冷えますね」
宵の公園を二人で歩き出す。肌寒さに、降谷は上着の合わせを掻き合わせた。
「はは、酔っ払いだらけだな」
「毎年、こんな感じですよ」
あちこちで大騒ぎで、少しもロマンチックではない。桜も、まだ、五分咲きだ。それでも、降谷は赤井と並んで歩けることを嬉しく思った。
「ちょっと、遠回りしないか?」
「え?」
「この頃、君とは話もできなかったから」
「お花見の準備で、あちこちしてまして」
「我々の為に、ありがとう」
公園の池に沿った歩道を二人で歩いた。
こんな酔っ払いだらけの雑然とした公園でも、桜色の世界は綺麗だ。
「うちの奴らがとても喜んでいたよ、花見は初めてだと」
「そうですか」
赤井も、いつもより、ずっと柔らかな雰囲気だった。
「貴方は、お花見なんて好きじゃないですか?」
「いや、どうして」
「あんまり、楽しそうにしてなかったから」
忙しく立ち回りながらも、常に目の端に赤井の姿を捉えていたのだ。片膝を立て、缶ビールを飲む姿は、どこか物憂げだった。
「あぁ」
赤井は気まずそうに目を逸らす。
「君の作った重箱の料理が、あっという間に空になってしまってな」
「すみません。量が足りなかったですね」
唐揚げや卵焼きといった、仕出しに無い家庭料理ばかりだった。だが、これが意外と人気で、あっという間に無くなってしまったのだ。
「とても、腹が立った」
「貴方の口には入らなかったですか」
「酷い話だ」
赤井は拗ねたように唇を尖らせた。
「ふふ」
それが、とても可愛い仕草だったものだから、降谷はつい笑ってしまったのだった。
「食べた奴が、とても美味いと」
「そうですか」
「ぶん殴ろうかと思った」
「そんな。お弁当くらいいつでも作りますよ」
「それは、他の奴らにもか?」
「え?」
「君のそれを俺が独占できる?」
「はい。では、貴方に作ります」
降谷は少し戸惑ったが、その申し出には頷いた。
「そうか」
赤井は笑った。降谷が知る限り、今夜初めての笑顔だった。
急に機嫌が直った。降谷には、何がそうさせたかは分からない。
「では、今度は二人で桜を見よう」
赤井はすっかり上機嫌で、そう言った。
「今回は騒がし過ぎましたか?」
「君と二人きりだと、期待してた」
「僕も、貴方と、もう少し仲良くなれたらと期待してました」
「どんな風に?」
「私的な話をしたり、一緒に余暇を過ごしたり。趣味を共有したり?」
言いながら、降谷は首を傾げた。
言葉にすると、やけに曖昧で陳腐だった。
「すみません。大人になってから、友人なんてできたことがなくて」
「友人か」
ぽつっと呟かれた言葉。
それは、降谷に例の悩みを思い起こさせた。
友情とは?恋とは?その境界線はどこにあるのか。
「君は、俺を独占したくないか?」
「独占?」
「そう。例えば、俺が漸く一つだけ身につけた煮込み料理の腕を披露する相手になりたくは?」
「それは、素敵ですね」
「それを他の人間と共有を?」
量の問題か?取り分が減る?降谷は、それほど意地汚くはない。
だが、それを想像してみると、胸にモヤモヤと靄が掛かる。
「…僕の為に作ってくれるんですよね?」
「そうだ」
「なら、僕がいただきます」
「そうしてくれ」
赤井が降谷の手をぎゅっと握った。歩道で立ち止まり、目と目が合う。その瞬間、酔客の声も、遠くの車の音も、消えた。
二人の間の空気が、これまでとはまるで違う物になって、降谷の心がそわそわと浮き足だった。
長い一瞬の後、酔っ払いが大声を出しながら通り過ぎていった。
降谷は、騒がしい春の空気に急かされるように、己の心を確かめた。
これは、恋か?
これは、なんだ?
「二人で、抜けようか?」
こそっと耳に囁かれて、降谷は頷いた。
その時に、感じたのは、憧れなんて曖昧な物ではなかった。二人で、今、触れているだけの手を伸ばし、きつく抱きしめ合いたい。衣服の下の肌に触れて欲しい。その手が、どんな風に触れるのか知りたい。誰にも見せないような顔を見せて欲しい。
酔いのせいでなく頬が赤くなったのが、自分でも分かった。
宗教的な愛?そんなものクソ喰らえだ。
「貴方と二人きりになれるなら」
今夜は、この男を独り占めしたい。
漸く知った恋の愚かさに急き立てられるように、二人はそこから姿を消した。
そして、それきり、宴の場には戻らなかったのであった。
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