真昼の出来事
その日、赤井は珍しくランチを店で取った。
仕事の日に、外食なんて滅多にしない。たまに、通りに出ているタコスの屋台に行くのが関の山だというのに、今日は同僚が新しい店に行きたいというにの付き合わされたのだ。
「まぁまぁだったんじゃない?ねぇ、シュウ」
同僚のスターリングは実に食に貪欲で発展的だ。
「そうだな」
ちなみに、今日のランチはイタリアンだった。
赤井は思い返したが、トマト味だったとだけ記憶に残った程度だった。
それより、昨夜、恋人が作ってくれた西京漬というのが美味かった。あれほど魚を美味いと思ったのは初めてだ。
一口食べて顔を輝かせた赤井に、恋人は『美味しい?金目鯛なんです。高級魚ですもんね』なんて笑っていた。いやいや、君の料理がとても素晴らしいからだよ。
赤井は、すっかり胃袋を掴まれている。
そして、それは、実に幸運な出来事だ。
今夜、あの子は何を作ると言ってたかな。赤井は、もう既に、恋人の元に帰りたくなってしまった。
早く彼に会いたい。
「次はお肉も食べてみたいわ。ディナーは席が取れないんですって。人気なのね」
「自分は、デザートのケーキが気に入りました」
同行の二人が盛り上がれるのが羨ましい。
もう、赤井は、恋人の作るものでしか満足がいかない体にされてしまった。
あぁ、何ということだ。この先、彼の飯が食えない日には飢えを感じるだろう。何という不幸。何という幸福。まるでロミオになった気分だった。
「あら、シュウ、唇が荒れてるわ。さっきのメインが辛かったのね」
「あぁ」
そういえば、食後に口を拭った時、ピリッとした。
「リップバームを貸しましょうか?」
「いや、持ってる」
赤井はポケットから、緑色のスティックを取り出す。
「!」
「⁉︎」
同僚二人があからさまに驚いていた。
赤井が、これまで所有したことがないアイテムだからだろう。別に自分で用意したわけじゃない。
「零に貰った」
「そ、そ、そうなの。流石だわ、降谷」
「?色もついてない普通のやつだぞ」
華やかな匂いや味もなく、簡素なパッケージだ。
キャップを取ると、涼やかなミントが香る。赤井はため息を吐いた。
「はぁ」
「何よ、どうしたのよ」
スターリングはリップクリームに憂える赤井を訝しむ。
「いやな、朝は、彼が手ずから塗ってくれたものでな」
「は?」
「いつも玄関で見送ってくれるんだ。キスして、唇が荒れてるからと、バームを塗ってくれて、仕上げにもう一度キスしてくれる」
「…ワォ」
スターリングが乾いた声で呟いたが、気にしなかった。
「毎朝、出勤するのが困難だ。あんなに可愛い恋人と別れて仕事に?何故?」
「仕事だからよ」
前は弁当も作ってくれていたが、同僚とのコミュニケーションの為にランチを一緒に摂っては?と止めてしまった。とても、悲しい。人付き合いが下手なばかりに、弁当を取り上げられたのだ。
赤井は切々と二人に訴える。
とても、辛い。だから、明日からはランチには付き合わない。また弁当を作ってもらう。
勿論、飯の後には、彼に会いに帰りたい。またリップを塗って欲しい。仕上げのキスはたっぷり時間を掛けて欲しい。いや、どうせ帰るなら、彼とランチを食べたい。
「………あ、そ」
スターリングとキャメルは、葛藤する赤井は放って、仕事へと戻るのだった。
「赤井さん、ずっとあぁですね」
キャメルは心配そうに呟いた。
「いつになったら、新婚ボケが治るのかしら」
恋人と同棲を始めてから、赤井はかなり愉快な症状を発している。
「降谷も忙しいでしょうに、あんなに甘やかして」
「今、彼、他部署のコンサルタントですよね」
「えぇ、そうよ」
実は、赤井の恋人は、今、同じ職場で働いているのだ。彼の頭には、とんでもない量の情報が詰まってる。今は、主に人身売買のルート潰しに一役買ってもらってる筈だ。
「…うちのチームに引っ張って」
「ダメよ!シュウが仕事にならないわ!」
キャメルが言いかけたのは、スターリングが遮った。
「もしかしたら、かえって身が入るのでは」
「そんな。でも、もしかしたら、そうかしら」
しかし、職場内での恋愛はトラブルも多い。悩みどころだ。
「降谷は嫌がるでしょうね。彼、公私は分けたいタイプよ」
「えぇ、ですが、我々の赤井さんのモチベーションが上がるなら」
上がるなら、降谷は我慢すべきではないか。と?
キャメルは控えめだし常識人だが、こと赤井のことになると過激派だ。
「そうね!」
スターリングも考えた。考えて、馬鹿らしくなってみると、それは、とても素晴らしいアイデアなのではないかという思考に到達した。
ランチの後にキスするくらいなら、目を瞑れば良い。日本人は気遣いと恥じらいの人種。きっと、人前ではいちゃつかない。
「さぁ、キレキレのシュウが帰ってくるわよ」
スターリングは、意気揚々とチームもボスと交渉に向かった。
同じ時刻、同じ屋舎の別フロアにて、降谷は大きなくしゃみをしたが「花粉症かな?」と、鼻を擦ったのだった。
仕事の日に、外食なんて滅多にしない。たまに、通りに出ているタコスの屋台に行くのが関の山だというのに、今日は同僚が新しい店に行きたいというにの付き合わされたのだ。
「まぁまぁだったんじゃない?ねぇ、シュウ」
同僚のスターリングは実に食に貪欲で発展的だ。
「そうだな」
ちなみに、今日のランチはイタリアンだった。
赤井は思い返したが、トマト味だったとだけ記憶に残った程度だった。
それより、昨夜、恋人が作ってくれた西京漬というのが美味かった。あれほど魚を美味いと思ったのは初めてだ。
一口食べて顔を輝かせた赤井に、恋人は『美味しい?金目鯛なんです。高級魚ですもんね』なんて笑っていた。いやいや、君の料理がとても素晴らしいからだよ。
赤井は、すっかり胃袋を掴まれている。
そして、それは、実に幸運な出来事だ。
今夜、あの子は何を作ると言ってたかな。赤井は、もう既に、恋人の元に帰りたくなってしまった。
早く彼に会いたい。
「次はお肉も食べてみたいわ。ディナーは席が取れないんですって。人気なのね」
「自分は、デザートのケーキが気に入りました」
同行の二人が盛り上がれるのが羨ましい。
もう、赤井は、恋人の作るものでしか満足がいかない体にされてしまった。
あぁ、何ということだ。この先、彼の飯が食えない日には飢えを感じるだろう。何という不幸。何という幸福。まるでロミオになった気分だった。
「あら、シュウ、唇が荒れてるわ。さっきのメインが辛かったのね」
「あぁ」
そういえば、食後に口を拭った時、ピリッとした。
「リップバームを貸しましょうか?」
「いや、持ってる」
赤井はポケットから、緑色のスティックを取り出す。
「!」
「⁉︎」
同僚二人があからさまに驚いていた。
赤井が、これまで所有したことがないアイテムだからだろう。別に自分で用意したわけじゃない。
「零に貰った」
「そ、そ、そうなの。流石だわ、降谷」
「?色もついてない普通のやつだぞ」
華やかな匂いや味もなく、簡素なパッケージだ。
キャップを取ると、涼やかなミントが香る。赤井はため息を吐いた。
「はぁ」
「何よ、どうしたのよ」
スターリングはリップクリームに憂える赤井を訝しむ。
「いやな、朝は、彼が手ずから塗ってくれたものでな」
「は?」
「いつも玄関で見送ってくれるんだ。キスして、唇が荒れてるからと、バームを塗ってくれて、仕上げにもう一度キスしてくれる」
「…ワォ」
スターリングが乾いた声で呟いたが、気にしなかった。
「毎朝、出勤するのが困難だ。あんなに可愛い恋人と別れて仕事に?何故?」
「仕事だからよ」
前は弁当も作ってくれていたが、同僚とのコミュニケーションの為にランチを一緒に摂っては?と止めてしまった。とても、悲しい。人付き合いが下手なばかりに、弁当を取り上げられたのだ。
赤井は切々と二人に訴える。
とても、辛い。だから、明日からはランチには付き合わない。また弁当を作ってもらう。
勿論、飯の後には、彼に会いに帰りたい。またリップを塗って欲しい。仕上げのキスはたっぷり時間を掛けて欲しい。いや、どうせ帰るなら、彼とランチを食べたい。
「………あ、そ」
スターリングとキャメルは、葛藤する赤井は放って、仕事へと戻るのだった。
「赤井さん、ずっとあぁですね」
キャメルは心配そうに呟いた。
「いつになったら、新婚ボケが治るのかしら」
恋人と同棲を始めてから、赤井はかなり愉快な症状を発している。
「降谷も忙しいでしょうに、あんなに甘やかして」
「今、彼、他部署のコンサルタントですよね」
「えぇ、そうよ」
実は、赤井の恋人は、今、同じ職場で働いているのだ。彼の頭には、とんでもない量の情報が詰まってる。今は、主に人身売買のルート潰しに一役買ってもらってる筈だ。
「…うちのチームに引っ張って」
「ダメよ!シュウが仕事にならないわ!」
キャメルが言いかけたのは、スターリングが遮った。
「もしかしたら、かえって身が入るのでは」
「そんな。でも、もしかしたら、そうかしら」
しかし、職場内での恋愛はトラブルも多い。悩みどころだ。
「降谷は嫌がるでしょうね。彼、公私は分けたいタイプよ」
「えぇ、ですが、我々の赤井さんのモチベーションが上がるなら」
上がるなら、降谷は我慢すべきではないか。と?
キャメルは控えめだし常識人だが、こと赤井のことになると過激派だ。
「そうね!」
スターリングも考えた。考えて、馬鹿らしくなってみると、それは、とても素晴らしいアイデアなのではないかという思考に到達した。
ランチの後にキスするくらいなら、目を瞑れば良い。日本人は気遣いと恥じらいの人種。きっと、人前ではいちゃつかない。
「さぁ、キレキレのシュウが帰ってくるわよ」
スターリングは、意気揚々とチームもボスと交渉に向かった。
同じ時刻、同じ屋舎の別フロアにて、降谷は大きなくしゃみをしたが「花粉症かな?」と、鼻を擦ったのだった。
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