贅沢な夜

 赤井と降谷は仲のいい友人同士だった。
 いい年して…と周りから呆れられるくらいの仲だと言えば伝わるだろうか。所謂、親友というやつだった。
 そりゃあ、不仲な時期もあった。顔を合わせると命の取り合いになるような事もあった。
 だが、気安く付き合ってみると、反発してたのが嘘みたいに引き合う。そんな、磁石のような相手だと分かったのだ。
 お互い、とにかくウマが合う。
 趣味が合う。食の好みが合う。金の使い方が似ている。お互いの些細なだらしない部分も許せる。
 それに、これが一番大事なことだが、とにかく一緒に呑む酒が美味い。
 気が付けば、赤井は降谷とばかり酒を飲むようになっていた。
 そうなると、下らない話もするようになった。
 下世話な話だ。
 若い頃の悪さの話。落としてきた女の事。
 実に馬鹿馬鹿しい。だが、酒の肴には相応しい。
「ふぅん、やっぱり、貴方ってモテるんですね」
「君ほどじゃない」
「僕はモテませーん」
 降谷は絶世の美男子のくせに、よくそう言うのだった。
 二人で都内のバーで飲んで、さて、そろそろ帰ろうかと街を歩く。
 気が乗れば二件目に行く。遊びたければ、プールバーにも。カラオケは二人ともやらない。趣味じゃないのだ。
 夜の街で、女性の二人連れとすれ違ったとする。そうなると、やる事は品定めだ。
「右」
 赤井は言う。
「左」
 降谷は逆だ。
 美人とすれ違うと、どれが好みか言い合うといった下品な遊びもした。だが、ナンパはしない。女と遊ぶより降谷と飲むほうが楽しい。
「女の好みは被らんな」
「んー。でも、貴方の好みは分かってきました。貴方って、とにかく美人が好きですよね。完璧に面食い。でも、ツンとしたのよりは可愛げのある愛嬌美人を選ぶ」
 素晴らしい観察眼の持ち主である降谷は、赤井が自分でも気付いて無かったような事を言い当てた。
 なるほど、自分はそういう女が好きなのか。
 赤井は、ふと考え込んだ。
 近くにそんな女はいるだろうか?
 居たとして、果たしてその女と付き合いたいと思うだろうか。
「そうだ。今度の休みに、一緒にボルタリングやってみません?僕、まだ未経験で」
 隣で笑う降谷を見る。途端に赤井の考えは霧散してしまう。
「あぁ、いいね」
 もう、その時には週末の遊びが楽しみで仕方ないからだ。どこにいくか、どっちの車で行くか。何を食べようか。
 まるで子どもの頃に戻った気分だ、毎日が楽しみで仕方ないなんて。
 赤井は、この歳になって、明日が来るのを心待ちにするようになっていた。
 自覚はしていた、赤井の降谷への好意は並外れていると。だが、行儀良く友情の範囲に収まってもいた。
 そのラインが曖昧になったのは、いつからか。
 赤井の好みは、造形の整った美形だ。だが、彫像のように冷たい美貌ではない。可愛らしさとエロチックな甘さを持つ、飴細工みたいな柔らかな肌質の女がいい。そう思っていた。
 だが、それこそが罠だったのだ。
 よくよく考えたら、それこそが、そのシュガーちゃんこそが、隣の男だったと気が付いてしまったからだ。
「…あのぉ、なんで、こんな高そうなお店に連れて来たんですか?」
 長く友人として付き合ってきた降谷は、つい先日、満を持して恋人となった。
 特別な人だ。半地下の酒場なんぞには連れて行けない。ロマンチックな高層階の夜景こそ彼に相応しい。
「今更、僕に気を使わなくてもいいのに」
 降谷は、赤井の理想そのものの笑顔を浮かべた。
 可愛い。
 そうだ、こんなに綺麗な人をガサツに扱ってきたのが間違いだったのだ。
 赤井は、友人同士だった頃のように振る舞えなくなっていた。嫌われたくないからだ。いや、出来れば惚れて欲しいと思っているからだ。
 そのために、目一杯、格好つけてもいい。
 降谷の前では、バカスカ吸ってた煙草も控えた。酒も酔わない程度にしておく。とにかく行儀良く振る舞う。
「そろそろクリスマスですね。あ、だから、こんなお店に誘ってくれた?」
 逆に、降谷はいつでも自然体だった。
「クリスマスデートはまた改めて誘うつもりだが」
「忙しいでしょう?ご家族と過ごすって言ってた」
「あれは」
 恋人も居ないことだし母親と妹にサービスしようとしただけこと。降谷は友人として、素晴らしいと誉めてくれたものだ。
「家族のパーティって素敵ですね」
「どうだろうな。とにかく、母と妹は既に旅行中だ。ヨーロッパを巡ってる」
「素敵だ。クリスマスの欧州は綺麗でしょうね」
「あぁ、あちこちから絵葉書が届くよ」
 勿論、赤井は誘われなかった。今では、赤井に恋人が居るのを知っているからだ。
「実は、二十四日に誘いたいんだが、どうだろうか?」
「それは、いいですけど」
 降谷はこてんと首を傾げた。
 薄暗い店の中、キャンドルに照らされた彼は、まるで絵画のように美しい。
「どこか行きたい所があるんですか?」
「そうだな。洒落た店で君へのプレゼントを一緒に選ぶというのは、どうだろうか」
 赤井は、そっと、降谷の手を握った。
「え?」
 降谷は驚いたように目を見開いた。
「なんだ?」
「いや、貴方、そういうのしないって言ってたから。ガールフレンドにも現金渡して好きな物買えって言ってきたんですよね」
「…いや、まさか。ちゃんとした贈り物を君にしたいと思ってるさ」
 冷や汗が背筋を伝う。
 数ヶ月前の自分を殴りたい。なんで、そんな、身も蓋もない事を言ったのだ。馬鹿なのか?
「ふぅん」
 降谷は納得しきれないようだが、食い下がりはしなかった。
「じゃあ、貴方の奢りで良いお肉とワインでも買って、うちでお祝いします?今からじゃお店も予約できないですし」
「いいのか?」
「勿論」
 降谷は屈託なく言った。
 クリスマスに自宅に招かれた。
 赤井は浮かれそうになって、いやいや紳士的に接しなくてはと自分を戒めた。
「楽しみだな、お肉」
 降谷は自宅に男を招くことに警戒心すらないのだ。
 当たり前だ。これまでも何回も遊びに行っている。友だちだったのだ、仕方ない。
 しかし、今は恋人、もしかしたら、そういうロマンチックな雰囲気になれるかもしれない。いやいや、まだ早いか。
 赤井はちょっとの下心を持ちつつも、強引な真似は出来ないだろう自分を知ってもいるのだった。
 言い訳をすれば、赤井は意気地のない男ではない。ただ、降谷との仲には慎重なだけだ。
 この子を手放したくない。
 蝋燭の揺れる火が照らす降谷ときたら、一秒事に目が奪われる程に美しい。
 赤井は握る手に力を込めた。
 愛している。
 これを口にすると、降谷は大袈裟なくらいに恥ずかしがるから、見つめるだけで我慢する。これまで口にできなかった「愛している」で胸の内はひしめき合って、今にも溢れそうだ。 
 この荒っぽい愛は、降谷を怯えさせるだろう。
 ゆっくりと恋人という仲に慣れてくれたら、それでいい。
 赤井は、慎重に、二人の仲を進めてきた。
「僕のこと、ちょっと違うなって思っても、友だちとしては付き合ってくださいね」
 そんな赤井の葛藤も知らずに、降谷は言った。
「なんでそんな」
「僕、どう考えても貴方の好みのタイプじゃないんです。どんな美人より、セックスが上手い女の方が良いって言ってたけど、僕にはそんなテクニックはないですし」
「待て待て待て待て」
「だから、こんな風になってからは、貴方を部屋に呼ぶのも躊躇っちゃって」
 降谷は溜息を一つ吐いた。赤井の背中を冷や汗が伝って落ちた。
「僕の部屋、知ってるでしょ?がっかりさせましたよね」
「そんなわけない。とても居心地の良い部屋だったよ」
「物が少なくて片付いてますから」
「いいことだと思うが」
「でも、ほら、部屋が散らかってる女はセックスが上手いって、貴方の数百人からなる統計では…」
「いやっ!あれは、嘘だ。ちょっとばかり話を盛った」
 慌てて、降谷の言葉を遮った。もう、この際、嘘吐きだと思われた方がマシだった。数ヶ月前の自分は、ちょっとした馬鹿話のつもりだったのだろうが、そのクソみたいな持論が後の自分の首を絞めるとは。本当に、恐ろしい。
 まだ一杯目の酒なのに、頭が痛くなって来た。
「別に、取り繕わなくていいです。貴方がたくさんの女性に愛されてきた事、知ってます。そういう世慣れた所も知ってて好きになったので」
 好き?
 今、好きだと言ったか?
 振られる場面ではないのか?
 赤井の心中は乱気流の中の飛行艇みたいに大揺れだ。
「でも、比べられたくないなぁ。練習しなくては」
「練習とはなんだ?何処の誰とやるつもりだ?」
 まるで訓練に向かう前のやりとりだ。おかしい。二人はデートしてる筈なのに。
「一人でこっそりしますよ」
「しなくていい」
 赤井は止めた。
「どうしてもしたいなら、俺が練習台になる」
「そうなると、それは練習ではなく、本番ですが」
「それでいい。そんなものに練習はいらん」
 その鍛錬とやらを少し見てみたい気もするが、それは口にするべきで無い。
「うーん、見苦しいところは見せたくないなぁ。だって貴方は初手からお相手をイカせ…」
「わーっ!」
 とんでもない言葉を遮って上げた声に、周りの目が集まった。
 二人して顔を見合わせ口を閉じたが、もう遅い。
 悪目立ちをしてしまった。他の客からちらちら盗み見られるし、何やら言われている気もする。
 これは、居心地が良くない。
「…出ようか」
 人の目に晒されるのを避けて、二人は、早々に、店を出ることになってしまったのだった。
 とは言っても、やはり飲み足りない。
 二件目も任せてくれるなら、落ち着いた雰囲気のソファ席で並んで座れる店に連れて行きたい。少し酔わせて、その肩を抱いてみたい。
 赤井は懲りない男なのだ。
「わぁ、街がクリスマスですね」
 隣で降谷は、赤井のささやかな下心は知らずに、無邪気にはしゃいでいた。
 冬の街は、イルミネーションでキラキラだ。
 たかだか電飾である。これまではそう白けていたくせに、赤井は降谷と眺める街を美しいと素直に思った。
「少し、歩こうか」
 自然に手を取った。
「うん」
 降谷の手は握り返して来た。キュンと胸が高鳴った。
「なぁ、さっきの話だが」
 ロマンチックな場面で、あんな馬鹿な事を蒸し返したくなかったが、誤解は解いておきたかった。
「君の体が目当てなんじゃない。だから、そんなに構えないでくれないか」
「それって、僕にはそういう魅力を感じてないってことでしょうか」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、君のこと大事にしたいんだ」
「僕のことはプラトニックな仲でいいと?」
「そ、いや、うぅむ」
 格好つけてそうだとは言えなかった。今後、降谷を抱きたいと懇願した時に「抱かないと約束したのでは?」と責められるのが目に見えている。
 今、まさに、数ヶ月前の自分に散々な目に遭わされているのだ、慎重にもなる。
「僕の他にお相手を見つけるつもりですか?」
 考え込むと、降谷は畳み掛けるように問い詰めてきた。
「もしかして、後悔してるんですか?僕と、恋人になったこと」
「まさか。なんでそんなことを言うんだ」
「なんだか、無理させてる気がして」
 鋭い。流石だ。無理に紳士ぶっているのは、お見通しなのか。
「良いですよ、友だちに戻っても。だって、まだ僕らキスもしてないですもんね」
「嫌だ」
 赤井は足を止めた。
「確かに、ものすごく格好つけている、ガッついてると思われたくなくて」
 手を繋いだままの降谷も止まった。
「え?格好、つけ?」
 きょとんと聞き返すのが可愛かった。
「えぇ?今更?変なの」
 それから降谷は、屈託ない笑顔になった。
「君には、腹の底まで見せてしまった後だが、どうにかイイ男だと思われたくてな」
「…そんなの、取り繕わなくても、十分にイイ男なのに」
 首に巻いたマフラーに口元まで埋まりながら、降谷はこっそりと言った。
 恥ずかしそうな仕草が可愛かった。
「よしっ、キスしよう」
「へ?」
「俺は、キスも出来ない腰抜けではないぞ」
 勢いで引き寄せようとしたら押し返された。
「もっとムードを大事にしてくれません?」
「そういうのは恥ずかしがるだろう?」
「ロマンチックなこともしたいんですよっ」
「複雑だな」
「複雑なんです。友だちみたいに、貴方が気を使わない相手でいたいけど」
 降谷の視線は彷徨ってから、遠慮がちに赤井を捉えた。
「でも、ロマンスのお相手として、甘い時間も過ごしたい。それって、矛盾しますか?」
「ふむ。難しい話だな。俺は友だちと恋人は別のカテゴリだと思っている」
「僕は、友人が恋人に出世してもいいかなと思ってます」
「出世…」
 理解が追いつかず首を傾げた。
「恋人が友人の上位にあるという意味ではなくて、同じ魚が年月を経て別の名前になるような」
 赤井の脳裏でイキのいい魚が跳ねまくった。降谷も自分の言ったことに違和感があったのか首を捻った。
「魚は、ロマンチックじゃなかったですね。すみません」
「なるほど、魚か」
 面白い。堪えきれずに笑ってしまった。
 こんなにも二人の頭の中は違う。だが、それでいい。自分と同じような形に嵌めたいわけではない。違う形でも、磁石は引き合うものだ。
「よし、これからは全力でロマンチックな愛を捧げよう。君を怯えさせたくなくて遠慮してた」
「は?手を抜いていたと?」
「そうだ」
「僕だって、貴方が気の迷いで道を踏み外したかと、様子見してましたよ」
 変なところで負けず嫌いな降谷は言い返した。
「では、これからがお互い本気だな」
「見てろ!度肝抜いてやりますよ」
 もう十分に驚きと感動の連続なのだが、これからもっと面白い人生が待っているらしい。
 赤井は降谷の手を引き歩き出した。どこに行こうか決めてないが、雰囲気のいいソファに座らせても、いつものバーでも、降谷は気にしないだろう。
「なぁ」
 隣を歩く恋人に呼びかけた。
 降谷はまっすぐに赤井を見つめていた。
「愛しているよ」
「うぐっ」
 目を見て言うと、致命傷を負ったように身を捩る。
「流石です。そんな難易度の高い台詞を照れずに言えるとは」
「まぁな。俺の愛は何処に出しても恥ずかしく無いからな」
「僕の愛だって、世界に誇れますっ」
「今夜、君を帰したくない」
 今度は耳元に囁いた。
「そ、それは、まだ早いです」
 降谷は真っ赤になってしまった。
「おい、まさか、本当に練習とやらをするつもりか?」
「しますよ。参考になりそうな資料も用意しました」
「いや、勿体無い。やめてくれ」
「なんだよ、勿体無いって」
「初々しい君も見てみたい」
「…変態」
「普通だろ」
 美しく着飾った街を二人で歩く。
 どこへ向かうは決まってない。だが、やっぱり、
赤井は、楽しくて仕方なかった。
 今夜はどこへ行こうか、明日は何をしようか。降谷となら、何でも素晴らしい。
 恋人との明日が待ち遠しいなんて、実に贅沢な気分だった。
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