十三夜
あれから五年が経った。
あの暗殺組織は解体され、バーボンは死んだと噂されては生き返るゾンビみたいな存在になった。
降谷自身は、相変わらず堅物の警官だ。
そして、ライは…。
「やぁ、降谷くん」
赤井秀一という伝説の捜査官として帰還した。
彼は、愛銃を担ぎ、ゆうゆうと現場に現れた。顔を晒すと煩わしい事が増えると、なかなか表に出てこないのだが、今回は降谷の呼びかけに二つ返事で飛んできてくれたのだ。
「すみません、貴方を呼び出したりして」
「構わんよ、君の仕事ならどこからでも駆けつけるさ」
あの頃、意地悪で冷たかったライは、今では優しくて甘い男になった。
今回の現場には灯りはない。飾り気の一つもない。寒々としたビル群の隙間の狭い屋上。それでも、今夜の月は美しい。
久々の逢瀬が、こんな場所だとは、実に自分達らしかった。
降谷は握手を求める代わりに、ぎゅっと赤井を抱き締めた。赤井は、耳元に親愛のキスをしてから、降谷を見つめた。
「おや、そのコート」
赤井が眉を上げる。表情が乏しい男が驚いた時の顔だ。
「あぁ、貴方に貰った物です。本当に良いものなんですね、ちっとも型崩れしない」
「相変わらず、よく似合ってる」
「いえ、あの頃のバーボンは、このコートを着こなせてなかったです」
それどころか、降谷は自身もバーボンという男を理解しきれてなかったくらいだ。
「貴方は、どうして、こんな贈り物をしてくれたんですか?」
これは英国のクラッシックなブランドの物だが、そこでは珍しい遊び心のあるデザインのコートだ。
あの時のバーボンはよく分かってなかったが、後々調べて、自分が求める物だと直感的に感じた。
与えられた仕事をスタンダードに完璧にこなす。その上で、敢えて、それを崩して付加価値を上乗せする。
バーボンとは、そういう男であればいい。
あの日から、考えが変わった気がする。降谷は降谷だ。だが、バーボンという男には、その人格を与えてはならない。一人の別の人間の生き様を重ねてきたように作らなくてはならない。
生意気で、不遜で、洒脱で、スマートな男がいい。
そう、決めたのだ。
「偶然、このコートを見つけて、どうしても君に着せたいと思った」
「僕に?」
「あぁ。若くて美しくて行儀のいい男の子だが、少しセクシーな顔もする。君にぴったりだと思った」
「セクシー?初めて言われた」
「知らんのか?君は、最高にセクシーだ」
赤井の手が、風に嬲られる降谷の髪を撫でた。
「バーボンにも片鱗があった。生意気そうにツンと唇を尖らせるのが子どもっぽかったが、知性溢れる振る舞いと煙みたいな色の瞳が色っぽい、アンバランスな子だった」
丁寧に髪を撫で付けてから、赤井は降谷の頬に手を添えた。
「大人になってしまったな」
それから、恭しくキスをした。
赤井は、たまに、こんな風に降谷を王子様みたいに扱いたがる。
「子どもの僕がお好みでしたか?」
「まさか。君が大人になるのを待ってたよ」
「どうだか」
そう言いながら腕の時計を確かめた。
そろそろ時間だ。
「指定位置に」
降谷はあらかじめ用意していたポイントを示した。
「了解」
ライの頃から、彼の好みは熟知している。どこからでも撃てる腕をしているが、ストレスが無い角度と距離感のポイントを選んだ。
「想定より風が強い。撃てますか?」
「あぁ。大した距離じゃない」
ターゲットは、隣のビルの一室。降谷の部下が取引相手を装ってコンタクトを取ったが、多分、捜査官だと気取られている。少しでも隙を見せたら殺されるだろう。上手く窓際まで誘導できるか、胃が痛む。自分で潜入する方が余程気楽だ。
「落ち着け。この角度なら、相手が窓から離れていても撃てる」
赤井は、実に落ち着き払っていた。もう、頭の中では、ターゲットがどこに位置したらどう撃つか、何百とパターンを描いているのだ。
「殺さないでくださいね」
「分かってる。大物だ、生捕りにしてみせるさ」
愛銃のL96AWSを構え、赤井は黙り込んだ。
風が吹いた。赤井がナーバスになるかと、降谷は彼の顔を確かめた。
スナイパーというのは繊細な生き物で、精神の状態を重視する。
だが、この時も、赤井は微笑んでいた。
「君の声を聞いていたい。何か、話を」
「気が散りませんか?」
降谷はせめてと、彼の側に寄り添った。
「君の声が聞きたい」
風が吹く。弾道を変えることはできないが、赤井を風から守りたかった。
少し冷える。降谷はコートを掻き合わせた。
暖かなコートのお陰で、この五年間ずっと降谷は寒くなかった。
「そう言えば、あの時、何もお礼してなかったですね」
「君が、あの女から貰った物を着ている事が許せなかっただけだ。気にするな」
「へ?あは、ふふ、そうですか」
降谷は笑った。
「男が着る物を贈る意味、知ってるのかな?」
赤井はスコープを覗いたままで言った。
「脱がせたいからって?都市伝説でしょ、それ」
それに…
「コートを脱がせたところで、まだまだ服はたくさん着てますよ。スーツと、シャツと、下着と、その他諸々」
「自分から脱ぎたくなるさ」
「どうだか。我慢できずに、むしり取るのでは?」
ちょっと際どいやり取りに、赤井が声を荒げた。
「おい、俺の前でバーボンみたいに振る舞わないでくれ」
赤井はこちらを見ずとも、どんな顔で言ったか分かっていたのだ。
「バーボンのこと可愛がってたくせに」
「クソみたいなライとかいう若造を思い出すから、やめてくれ」
「ライは素敵でしたよ。男臭くて、粗野で、でも優しくて」
「あいつが?優しい?まさか。あいつは嫌な奴だった」
「貴方には、ライの良さが分からないんですよ」
「いや…」
赤井は異論ありと口を開きかけ、途中でやめた。
その視線の先で、動きがあったのだ。
降谷の無線にも警戒の短い通信が入って、すぐに途切れた。
「奴が確認できました。いつでも貴方のタイミングで。発砲を許可します」
「了解」
緊迫の場面だ。だが、赤井は落ち着いたものだった。
「さて、首尾良くやり遂げたら、何か貰えるのかな?」
「コートを脱がせたいんでしょ?構いませんけど」
降谷は向かいに建つビルを睨みつけながら言った。
そろそろ、降谷の部下が現れる。うまく、ターゲットを窓側に誘導できるか…。
「本気か?」
「集中してください」
「おい、本気か?」
「集中しろ!」
部下が視界に確認できた。
「目を瞑っても撃てる。それより、本気で言ったのか?」
「いいですよ。僕のコートを脱がしても」
降谷は双眼鏡を覗いた。部下が目標との距離を詰めた。上手くやれてる。
相手も、こちらの情報を抜いてからでないと殺したりしない。焦らして、窓際に導くんだ。
ダァァン
降谷の念が届く前に、発砲音がした。
「え?」
まだ、ターゲットが…。
数瞬後、吸い寄せられるように窓際に数歩近付いたターゲットの肩口が撃ち抜かれた。
撃たれた男が後ろに吹っ飛ぶ。
まるで、赤井には数秒後のターゲットの動きが読めるようだ。
一瞬、呆気に取られた後、インカム越しに叫んだ。
「踏み込めっ」
降谷の指示で、待機していた捜査官が踏み込んだ。
インカムの向こう側が騒がしくなった。各々が怒鳴っているが、全部を聞き分けた。ターゲットは生きている。囮役の部下には、傷の一つもついてない。完璧だ。
降谷はホッと息を吐いた。
「貴方って、まるで、超能力者みたい…んむっ」
言葉は赤井の唇に途切れた。
「このコートを脱がせてもいいんだよな?」
ギラギラした目が間近に迫ってくる。
ライはあんなに冷たい目をしていたのに、身体が炙られそうな熱い目だった。
「本当に、脱がせたくて、僕にくれたんですか?」
「そう言っただろ?」
降谷の頭には、出会ってからのこの男との日々が駆け巡った。
まるで子ども扱いだと、憤ったり悲しくなったり。それでも、知らないふりは出来ない相手だった。背中を盗み見ては、あんな風になりたいと思った。男らしさをひけらかさない、ひんやりとした佇まいに死ぬほど憧れた。
ライは最高に渋い男だった、
あの男が、僕のことを憎からず思っていたのか。
「参ったな。本当に、自分から脱いじゃいそうです」
降谷は、小童だった頃の自分とバーボンの境目がなくなる心持ちになってしまった。
ライの背中に見惚れた自分に。
「ふふ」
ライの事を想ったなんて言ったら怒らせる。
降谷は目を伏せて、赤井に寄り添った。そうすると、レザーの匂いがひどく懐かしくて、甘く胸を締め付けたのだった。
あの暗殺組織は解体され、バーボンは死んだと噂されては生き返るゾンビみたいな存在になった。
降谷自身は、相変わらず堅物の警官だ。
そして、ライは…。
「やぁ、降谷くん」
赤井秀一という伝説の捜査官として帰還した。
彼は、愛銃を担ぎ、ゆうゆうと現場に現れた。顔を晒すと煩わしい事が増えると、なかなか表に出てこないのだが、今回は降谷の呼びかけに二つ返事で飛んできてくれたのだ。
「すみません、貴方を呼び出したりして」
「構わんよ、君の仕事ならどこからでも駆けつけるさ」
あの頃、意地悪で冷たかったライは、今では優しくて甘い男になった。
今回の現場には灯りはない。飾り気の一つもない。寒々としたビル群の隙間の狭い屋上。それでも、今夜の月は美しい。
久々の逢瀬が、こんな場所だとは、実に自分達らしかった。
降谷は握手を求める代わりに、ぎゅっと赤井を抱き締めた。赤井は、耳元に親愛のキスをしてから、降谷を見つめた。
「おや、そのコート」
赤井が眉を上げる。表情が乏しい男が驚いた時の顔だ。
「あぁ、貴方に貰った物です。本当に良いものなんですね、ちっとも型崩れしない」
「相変わらず、よく似合ってる」
「いえ、あの頃のバーボンは、このコートを着こなせてなかったです」
それどころか、降谷は自身もバーボンという男を理解しきれてなかったくらいだ。
「貴方は、どうして、こんな贈り物をしてくれたんですか?」
これは英国のクラッシックなブランドの物だが、そこでは珍しい遊び心のあるデザインのコートだ。
あの時のバーボンはよく分かってなかったが、後々調べて、自分が求める物だと直感的に感じた。
与えられた仕事をスタンダードに完璧にこなす。その上で、敢えて、それを崩して付加価値を上乗せする。
バーボンとは、そういう男であればいい。
あの日から、考えが変わった気がする。降谷は降谷だ。だが、バーボンという男には、その人格を与えてはならない。一人の別の人間の生き様を重ねてきたように作らなくてはならない。
生意気で、不遜で、洒脱で、スマートな男がいい。
そう、決めたのだ。
「偶然、このコートを見つけて、どうしても君に着せたいと思った」
「僕に?」
「あぁ。若くて美しくて行儀のいい男の子だが、少しセクシーな顔もする。君にぴったりだと思った」
「セクシー?初めて言われた」
「知らんのか?君は、最高にセクシーだ」
赤井の手が、風に嬲られる降谷の髪を撫でた。
「バーボンにも片鱗があった。生意気そうにツンと唇を尖らせるのが子どもっぽかったが、知性溢れる振る舞いと煙みたいな色の瞳が色っぽい、アンバランスな子だった」
丁寧に髪を撫で付けてから、赤井は降谷の頬に手を添えた。
「大人になってしまったな」
それから、恭しくキスをした。
赤井は、たまに、こんな風に降谷を王子様みたいに扱いたがる。
「子どもの僕がお好みでしたか?」
「まさか。君が大人になるのを待ってたよ」
「どうだか」
そう言いながら腕の時計を確かめた。
そろそろ時間だ。
「指定位置に」
降谷はあらかじめ用意していたポイントを示した。
「了解」
ライの頃から、彼の好みは熟知している。どこからでも撃てる腕をしているが、ストレスが無い角度と距離感のポイントを選んだ。
「想定より風が強い。撃てますか?」
「あぁ。大した距離じゃない」
ターゲットは、隣のビルの一室。降谷の部下が取引相手を装ってコンタクトを取ったが、多分、捜査官だと気取られている。少しでも隙を見せたら殺されるだろう。上手く窓際まで誘導できるか、胃が痛む。自分で潜入する方が余程気楽だ。
「落ち着け。この角度なら、相手が窓から離れていても撃てる」
赤井は、実に落ち着き払っていた。もう、頭の中では、ターゲットがどこに位置したらどう撃つか、何百とパターンを描いているのだ。
「殺さないでくださいね」
「分かってる。大物だ、生捕りにしてみせるさ」
愛銃のL96AWSを構え、赤井は黙り込んだ。
風が吹いた。赤井がナーバスになるかと、降谷は彼の顔を確かめた。
スナイパーというのは繊細な生き物で、精神の状態を重視する。
だが、この時も、赤井は微笑んでいた。
「君の声を聞いていたい。何か、話を」
「気が散りませんか?」
降谷はせめてと、彼の側に寄り添った。
「君の声が聞きたい」
風が吹く。弾道を変えることはできないが、赤井を風から守りたかった。
少し冷える。降谷はコートを掻き合わせた。
暖かなコートのお陰で、この五年間ずっと降谷は寒くなかった。
「そう言えば、あの時、何もお礼してなかったですね」
「君が、あの女から貰った物を着ている事が許せなかっただけだ。気にするな」
「へ?あは、ふふ、そうですか」
降谷は笑った。
「男が着る物を贈る意味、知ってるのかな?」
赤井はスコープを覗いたままで言った。
「脱がせたいからって?都市伝説でしょ、それ」
それに…
「コートを脱がせたところで、まだまだ服はたくさん着てますよ。スーツと、シャツと、下着と、その他諸々」
「自分から脱ぎたくなるさ」
「どうだか。我慢できずに、むしり取るのでは?」
ちょっと際どいやり取りに、赤井が声を荒げた。
「おい、俺の前でバーボンみたいに振る舞わないでくれ」
赤井はこちらを見ずとも、どんな顔で言ったか分かっていたのだ。
「バーボンのこと可愛がってたくせに」
「クソみたいなライとかいう若造を思い出すから、やめてくれ」
「ライは素敵でしたよ。男臭くて、粗野で、でも優しくて」
「あいつが?優しい?まさか。あいつは嫌な奴だった」
「貴方には、ライの良さが分からないんですよ」
「いや…」
赤井は異論ありと口を開きかけ、途中でやめた。
その視線の先で、動きがあったのだ。
降谷の無線にも警戒の短い通信が入って、すぐに途切れた。
「奴が確認できました。いつでも貴方のタイミングで。発砲を許可します」
「了解」
緊迫の場面だ。だが、赤井は落ち着いたものだった。
「さて、首尾良くやり遂げたら、何か貰えるのかな?」
「コートを脱がせたいんでしょ?構いませんけど」
降谷は向かいに建つビルを睨みつけながら言った。
そろそろ、降谷の部下が現れる。うまく、ターゲットを窓側に誘導できるか…。
「本気か?」
「集中してください」
「おい、本気か?」
「集中しろ!」
部下が視界に確認できた。
「目を瞑っても撃てる。それより、本気で言ったのか?」
「いいですよ。僕のコートを脱がしても」
降谷は双眼鏡を覗いた。部下が目標との距離を詰めた。上手くやれてる。
相手も、こちらの情報を抜いてからでないと殺したりしない。焦らして、窓際に導くんだ。
ダァァン
降谷の念が届く前に、発砲音がした。
「え?」
まだ、ターゲットが…。
数瞬後、吸い寄せられるように窓際に数歩近付いたターゲットの肩口が撃ち抜かれた。
撃たれた男が後ろに吹っ飛ぶ。
まるで、赤井には数秒後のターゲットの動きが読めるようだ。
一瞬、呆気に取られた後、インカム越しに叫んだ。
「踏み込めっ」
降谷の指示で、待機していた捜査官が踏み込んだ。
インカムの向こう側が騒がしくなった。各々が怒鳴っているが、全部を聞き分けた。ターゲットは生きている。囮役の部下には、傷の一つもついてない。完璧だ。
降谷はホッと息を吐いた。
「貴方って、まるで、超能力者みたい…んむっ」
言葉は赤井の唇に途切れた。
「このコートを脱がせてもいいんだよな?」
ギラギラした目が間近に迫ってくる。
ライはあんなに冷たい目をしていたのに、身体が炙られそうな熱い目だった。
「本当に、脱がせたくて、僕にくれたんですか?」
「そう言っただろ?」
降谷の頭には、出会ってからのこの男との日々が駆け巡った。
まるで子ども扱いだと、憤ったり悲しくなったり。それでも、知らないふりは出来ない相手だった。背中を盗み見ては、あんな風になりたいと思った。男らしさをひけらかさない、ひんやりとした佇まいに死ぬほど憧れた。
ライは最高に渋い男だった、
あの男が、僕のことを憎からず思っていたのか。
「参ったな。本当に、自分から脱いじゃいそうです」
降谷は、小童だった頃の自分とバーボンの境目がなくなる心持ちになってしまった。
ライの背中に見惚れた自分に。
「ふふ」
ライの事を想ったなんて言ったら怒らせる。
降谷は目を伏せて、赤井に寄り添った。そうすると、レザーの匂いがひどく懐かしくて、甘く胸を締め付けたのだった。
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