またまた、抗う男

七月某日、日曜日。
 降谷は、気合を入れて、関内駅に降り立った。
 雨が降れば、なんて本気でない願いは天に届く筈もなく、本日も横浜は快晴である。
 本日、ここで、降谷は勝負を決める。己の、この苦悩とどう向き合うのか。
 悪足掻きと笑わば笑え。だが、本人は至って真面目だ。
 待ち合わせ場所に着く前に、ちょいと髪を直す。今日の降谷は、柔らかい素材のシャツと薄手のパンツ。普段着だが、シャツはちょっと派手な柄にした。気負いすぎてない。いい感じに力を抜けた格好の筈だ。
 気合いを入れても仕方ない。どうせ、待ち合わせの相手は、いつもの黒尽くめだ。
 駅前で、その黒尽くめの大男を探す。だが、なんということか。
「あ、あ、赤井っ!」
 先に来ていた相手は、今日に限って、白いTシャツにジーンズなんて、見たことのない格好をしていたのだ。
「はわわわ」
 降谷は漫画のように口を開けた。 
 袖口が二の腕の筋肉で悲鳴をあげているではないか、なんというけしからん格好だ。まだ昼間だぞ!
「やぁ」
 赤井が手を挙げる。
 それだけで、周りの視線が奴に集中する。
 致し方ない。何故なら、今日の赤井は、眩しいばかりにカッコいい。
「く、くそっ」
 降谷は一人で悪態を吐いた。
 絶対に、惚れたりしないっ。
 降谷は己の脇腹をつねった。そうしないと、顔がにやけそうなのだ。
「お待たせしました」
「いや、俺も今着いたとこだ」
 トレードマークのニット帽も夏素材だ。
 アクセサリー類は付けない、サングラスだけを掛けていた。それが、憎らしいほどに似合っている。 
 元が良すぎるのだ。くそったれ。
 脇腹がをつねり過ぎて痛い。降谷は歯を食いしばって耐えた。
「人が多いな」
「えぇ、皆、スタジアムに向かうのでは」
 連れ立って歩き出すと、何故か、赤井は降谷を頭から足まで何度も目を往復させた。
「何か?」
 まさか、この服に不備が?
「君は、何を着ても上品になるな」
「え?」
「こんな派手な柄、俺が着たらヤクザだ」
「あは、確かに。貴方、厳ついから」
 笑ってみたら、降谷の強張った肩から少し力が抜けた。
 初めから決めていたのだ。もし、赤井が、デーゲームに誘ってくれたら、それを受け入れて楽しもうと。
「…スタジアムで飲むビールが旨いんですよ。チケットのお礼に奢らせてください」
「誘ったのは俺だ。こっちが奢るべきでは?」
 ほら、こんな因縁の相手なのに、まるで友人のように喋れる。
「日本のスタジアムの楽しみ方は、僕に任せてください」
 気負いすぎるなよ。降谷は自分に言い聞かせつつも、今日のこの日をとことん楽しもうと決めたのだった。

 さて、降谷がこの赤井という他国の捜査官を警戒するには理由があった。
 先日、部下との会話で「結婚をするなら、偶然に何度も会うような、ささやかな縁を感じる相手かもしれない」とかなんとかと考えなしに言ったのだ。だが、これが良くなかった。
 その後、やたらと赤井と顔を合わせるようになって、降谷は自分の言葉に雁字搦めになってしまったのだ。
 うっかりすると惚れそうで、気が気でない。
 なるべく避けて過ごして来たが、それも限界がある。
 そして、今日、荒治療として、降谷は赤井とデーゲームに挑んだのであった。
 結果としては、この行動は大成功だった。
「いやぁ、とても良い試合でしたね。地味な展開になったらどうしようかと思ってましたけど、終盤のホームランは痺れました」
 試合は接戦でホームチームが勝ったのだが、なかなか手に汗握る展開だったのだ。
「あぁ、良い試合だった」
 赤井も満足そうだ。
 スタジアムでお互い二杯ずつビールを飲んだが、とてもじゃないか足りないと、目に付いた店に入ったところだった。
 ここで本日三度目の乾杯を済ませ、今日のゲームに賞賛を贈っているところだ。
 降谷はとても気分が良かった。
 ピッチャーも良かった。良いプレイもあった。何よりホームランに痺れた。いつか、できることなら、例のスター選手をアメリカで応援したい。
 降谷が興奮のままに言った戯言に、赤井は真面目な顔で頷いた。
「ふむ。なら、今度は、ロスのチケットを取ろう」
「あはは、アメリカまで野球を見に行くなんて、贅沢ですね」
 でも、もし、それが実現したら…。
 降谷は想像する。
 二人で並んでゲームを見守って、良いところでスーパースターがホームランを打つのだ。降谷は立ち上がって歓声を上げる。赤井は、どうだろうか、きっと楽しそうに笑ってる気がする。
 一緒に、そんな風に過ごせたら、とても楽しい。
 目の前では、赤井が、ビールを片手に微笑んでいる。
 そんな優しい顔、いつもしていただろうか。
「ん?」
 先を促す「ん?」が、ちょっと甘い響きだった。
 言ってみれば、唯の友人には聞かせないような、そんな甘さがあった。
 いや、まさかな。
「うん。行ってみたいです。なかなかチケットも取れないそうですけど」
 降谷は随分と素直にそう言った。
「任せろ、伝手がある」
「ふふ、本当に?貴方って、人付き合いなんてしなそうなのに」
「酷いな。人並みに、友人も知り合いもいるさ」
 そこで、少しの沈黙。
 周りの騒がしさが、心地よかった。ビールも美味い。赤井との会話も沈黙も、何もかもが悪くない。
 そっと、テーブルの上の手が取られた。
 赤井の手は、ビールの冷たさが移って、ひんやりしていた。
「もし、君が、俺の誘いを断らなかったら、言おうと決めてたんだが」
「ん?」
 降谷の「ん?」も甘く掠れてしまった。
「君の恋人になりたい」
「……は、はぁ?」
 何で今?何で、唐突に?
 降谷の方は、赤井に傾きそうな心を制御するのに精一杯だというのに。
「こんな、騒がしい店で言うことじゃないな。すまない。焦っているようだ」
 赤井はバツが悪そうに頭に手をやり俯いた。
「次の機会がないかもしれないと」
「…どれだけでもありますよ」
 降谷は赤井の手を握り返した。
「どうしたって、あちこちで巡り合う運命なんですから」
 だから、降谷も腹を括った。
 有言実行は、己の信条だ。いや、今、信条になった。
 自分の発言に責任持つ。こんな運命の相手なら、行く末までを考えようじゃないか。
「付き合うなら、結婚を前提になりますが、構いませんか?」
 周りの喧騒に紛れないように、降谷ははっきりと言った。
 赤井が顔上げた。目を見開いて、驚いているようだった。
「なんですか、その顔。まさか、貴方が日本にいる間の戯れの相手にしたかっただけですか?」
「いや、まさか。真剣だ」
「では、今日から婚約者です」
「あ、あぁ」
 まるで狐に摘まれたような顔をして、赤井はぼんやり頷いた。
 もしかして、尻込みしてるのか?ここまで来て?
 今更、それはない。
 降谷はもう覚悟が決まっているのだ。
「早速ですけど、僕の部屋に寄っていきます?」
 ガタッ
 赤井が立ち上がった。
「行く」
 簡潔な返事だ。
 では、僕の方はどうだ?覚悟、決まっているのか?
 己に問いかけるが、よく分からない。
 降谷は残ったビールを飲み干すと、勢いをつけて立ち上がった。
 赤井と目が合った。お互い、戸惑っているのは分かっている。
 それでも、ほんのりと芽生えた運命の何やらが、後押しをしてくれる。
「運命には逆らえないですね」
 降谷は呟く。
「ん?」
 赤井はまたもや甘やかに「ん?」と先を促す。
「いいえ、何でも」
 だから、降谷も、もう何にも抗うことはしなかった。
 つまり、どれほど抗っても、結局は恋に落ちたということだ。
 運命とは、恋とは、実にままならないものなのであった。
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