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恋人の話だ。
赤井秀一には、数年来の付き合いの恋人がいる。
劇的な出会い方をしたくせに何のきっかけも無く付き合い出した、所謂、腐れ縁のような相手だ。
長い付き合い故の気安い仲。側にいて、落ち着く。言葉が無くとも分かり合える。そんな相手である。
一年程は一緒に暮らした。それから、赤井が本国に帰ることになって、遠距離恋愛となった。
彼は…そうだ、恋人は同性のハンサムだ、だが、まぁ、それはいい。
彼は、遠距離となると遠慮して、碌に連絡も寄越さないのではと危惧していたのだが、どうしてどうして、蓋を開ければ、日に何度か他愛無いメールを寄越し、電話も頻繁に掛けてくれたのだった。
「…それで、もぉ、本当に、腹が立ってしまって」
偶には、そんな愚痴もこぼす。
つまり、かなり気を許してくれてるらしいのだ。
あぁ、本当に恋人なんだな。
赤井は、何度もそれを噛み締めた。
このように、彼、降谷とは、実にいい関係を続けていたのだった。
そんな矢先、数日前からパタっと連絡が途絶えた。
忙しいのか?
離れている間に、降谷は一つ階級が上がり部署を移動したそうだが、どこに行っても忙しいのは変わりない。
理解はしている。だが、連絡がないのは寂しい。
赤井は自分から何度かメールを送った。返事がないので、電話もかけた。
「もしもし」
電話に出たのは、彼の部下だった。
ひやっとした。
彼の身に何かあったのだと、分かった。
「降谷くんは、無事か」
「申し訳ございません、降谷は入院してます。その、事、事故に巻き込まれまして」
部下の歯切れの悪い物言いも仕方ない。降谷は、実に複雑な立場の男なのだ。彼の関わる事件は、表に出てはならないことばかりで、他国の捜査官である赤井には欠片も漏らせないのだろう。
「本人は意識もはっきりしていますが、丸一日も絶対安静でしたので」
「酷い怪我なのか?」
「いえ、細かい傷が多く、ガラス片の除去に手間が掛かったので」
ガラス片の細かい傷。爆発に巻き込まれたか。
「本人から電話をかけますので、お待ちください」
「あ、あぁ」
やけに部下の物わかりが良いのが気に掛かったが、その場は大人しく電話を切った。
降谷から電話が来たのは、その数時間後だった。
「すみません、なかなか連絡もできず」
声が、ひどく嗄れていた。
熱風で喉が焼けたのだ。
どんな酷い現場だったか、降谷は口にしない。だが、もう最前線を張る立場でもない筈では?と、ついつい口出ししたくなった。
「随分と張り切ったな」
「えぇ、ちょっと無理をしてしまいました」
「珍しいな、状況を読み間違えない君が」
無茶をするようで、無謀ではない。降谷は、実にクールな男なのだ。
「早く片付けたくて、焦ってたんです。休みを取ろうかと」
「ほぉ、珍しいな。どこかへ行くのか?」
「実は、貴方に会いに行く予定でした」
思っても無い返事だった。
「君が日本を離れて?」
「貴方がアメリカにいるから、仕方なくです」
一瞬、頭が真っ白になった。
「本当に?とても嬉しいよ」
反射的に礼を言った。
「だから、行けなくなったんですってば」
「あぁ、治療に専念してくれ。仕方ないさ」
だが、少し意外だった。
はっきり言うと、降谷が大人しく病院に収まってるタマでないと知ってるからだ。
いや、それより、降谷が雑多で煩雑な手続きの末に日本を出て、赤井に会いに来ようとしていたことの方が驚きだ。
何か赤井に用があるのだろうか。いや、たまには観光気分で、恋人に会ってもいいと思ったのか。
電話越しに、降谷がささやかに溜息をついた。
「残念ですが、退院してから、また仕切り直します」
「待ってるよ」
もしかして、思った以上に重症なのだろうか。
赤井は、切れた回線の向こうが見ないことに、焦ったい思いをしたのだった。
翌日、電話をかけたら、また彼の部下が出た。
「降谷は検査に行ってます」
機械的だ。だが、冷静な対応から、降谷の怪我は大したことがないと読める。
それにしても、この部下の男は、降谷に付きっきりなのか?
少しばかり憎らしい。
「なぁ、彼の怪我は、どんなだ?もしや、脚が動かないとか、そういう」
「いえ、元から頑丈な人なので、骨も内臓もダメージ無しです」
「本当か?その割には、大袈裟だな。君は付きっきりか?」
「仕事は、完治を待ってくれないので仕方なく」
「ふむ」
「私は、庁舎とここを行ったり来たりです」
「休ませてやれ」
「私の言う事を聞いてくれる人ではないんですよ、あの人は」
違いない。
降谷は、こと仕事に関しては、実に献身的で頑固なのだ。
「こちらに来るのを諦めたと言われてはな」
赤井の溜息を聞きとめ、電話の向こうで、男も溜息を吐いた。そして、声を顰めて、話し出した。
「…これは、私から聞いたと言わないで欲しいのですが、実は、降谷は大規模な爆発に巻き込まれまして」
やはり、現場で爆発があったのか。
「顔に火傷もしましたし、髪も焦げました」
「あぁ。それだけで済んで良かった」
「つまり、そういうことではないでしょうか」
「ん?」
「貴方には綺麗な自分を見せたいと、そういうことではないかと」
少々、意味ありげなセリフだった。
「君は、俺と彼の仲を知ってるのか?」
少なくとも、ただの友人に言うセリフではなかった。
「何を今更。降谷は、貴方との付き合いが始まった時点で周りに公表してます」
「そうなのか?」
初耳だった。
「立場的よろしくないんですよ、本当は。貴方との仲は人生を左右すると分かってて公表されたんです。それがあの人の覚悟だと、分かってやってください」
赤井は、その時、仕事が終わって自分の車に乗り込んだところだった。
電話しつつ一服しようと煙草を咥えかけたところだった。
ポロ
手から煙草は落ちた。
ぎゅっと胸が締め付けられた。
思い返すのは、空港で別れた時の、少し寂しそうな、それでも朗らかな笑顔で見送ってくれた彼の姿だった。
半年以内に会いに行くよと言った。その半年は、もう過ぎてしまっていた。
約束を守ってやれなかった。
「そっちに行けば、面会できるか?」
居ても立っても居られない気持ちになった。今すぐにでも会いに行きたかった。
「あー、それは、難しいかと」
「何故?公表された恋人だ」
堂々と、正面から会いに行ける権利がある。
降谷がそうしてくれたように、赤井も、この世の誰にも二人の仲を隠す必要がないのだ。
「降谷さん、髪が焦げて、短く切らざるを得なかったのですが」
「だから、なんだ?」
「貴方には見せたくないと、そう言ってましたので」
「なんだ、それは」
呆れてしまった。その間に、電話の向こうの男は慌てて話を切り上げようとした。
「とにかく、この話は聞かなかったことに。また、本人から電話させます」
「あっ、おい。…参ったな」
電話は一方的に切られた。
参った。本当に参った。
腐れ縁のようなそんな仲だと気を抜いていた。きっと、自分の愛の大きさは降谷には荷が重いだろうと、出し惜しんでもいた。
そんなに情熱的な愛を抱いていてくれたのか?
離れる時も、あっさりと見送ってくれたのに?
「君は、少しばかりミステリアスすぎるな」
そんな大きな秘密を抱えていたなんて。
お手上げだ。
赤井は狭い車内で、目一杯に体を伸ばした。
翌々日、赤井は堂々と降谷の居る病棟へと乗り込んだ。
上司経由で日本警察には連絡済みなので、胸張って受付で名乗ってやった。降谷との関係はパートナーと記入したが、なんの問題もない筈だ。
「なっ、あ、赤井っ!」
病室の前で降谷の部下が素っ頓狂な声を上げたが、押し退けて引き戸を開けた。
「なんだ、騒がしい」
降谷はベッドの上にすら居なかった。窓際で、書類らしきものを読んでいた。
「おい」
振り返った。
赤井を見て目を見開く。
降谷の髪は、出会ってから初めて見る短さだった。
後ろもサイドも刈り上げられ、かろうじてトップは額にかかるくらいの長さで踏みとどまっている。丸坊主ではないが…いや、やはり、これは坊主だ。
柔らかな髪色も相まって、とても可愛くなってしまっていた。
「なっ!なんで、来たんだよっ」
降谷は何故か布団に潜り込んでしまった。
「君のことが心配で、来てしまった」
「おま、お前っ、来るなんて一言も言ってなかった!」
「驚かせたかったんだ」
赤井の言葉に布団団子が身じろぎした。
「もっと前に会いに来る約束だったな。すまない」
「む〜」
降谷は布団の中で何やら唸り、ますます頑なに潜り込んでしまった。
強固だ。出てくる気配が無い。
仕方ない。
赤井は、ベッドの端に腰掛けた。
それから、布団の団子をぽんと叩いた。
「降谷くん、顔を見せてくれ」
「無理です」
硬い返事だ。
「短い髪も素敵だ」
「嘘だっ」
今度は聞き分けない子どもみたいな声だ。
「参ったな」
こうなると、降谷は頑固だ。
赤井は、またポンと布団を叩いた。
「輪郭がはっきりすると、君はますます若く見えるな」
目も眉も完璧に整ったハンサムだが、頬は柔らかく丸い。五つ程若返って見えた。
「それを気にしてるのか?」
「こんな洒落っ気もない髪、見せたく無かった」
「君、俺に会う時はいつもお洒落してるからな」
元々、ファッションに興味のある男なのだと、そう認識していた。だが、もしかしたら、赤井のためのお洒落だったのか。
難しいものだ、長い付き合いというのも。相手のことを知り過ぎていても、恋心の機微には気付きにくい。
「なぁ、君に会うだけの為に、ここまで来たんだ。顔を見せてくれないか」
「…笑わない?」
「笑うもんか」
漸く、降谷は布団から顔を出した。
蒸されて赤くなった頬が、触れたらビリッとしようなくらいにピカピカで、堪らなく可愛かった。
「うん、可愛いよ」
「か、可愛いは、無しです」
「でも、可愛い」
ピカピカの頬に手を添えた。本当にビリッと来たかと思った。久しぶりに触れたから、指が驚いてしまったのだ。
「会いたかった」
「会いに来なかった」
拗ねて尖った唇にキスした。
「すまない。片時も忘れたことはなかったんだが、日々に追われてしまった」
「本当に忘れてなかった?」
「当たり前だ。毎日のように電話してただろ」
「電話のない日は、美女と食事に行ってない?」
「誰だ、その美女とやらは?犯罪者としか出会ってないんだぞ」
だいたいが髭の厳つい男たちだ。
「貴方がモテるの知ってるし」
「君ほどじゃない。でも、君は、恋人が居たら不誠実なことはしないと信じている」
「僕だって、信じてました」
拗ねている。約束が守られなかったからだ。
「中々、会いに来なかったから、怒ってるのか?」
「怒ってないけど、寂しかった。会いたいのは、僕だけかよって」
「会いたかったよ。君が忙しそうにしてるから、スケジュールを開けてくれって言い辛かったんだ。慣れない遠慮をしてしまった」
短い髪は、撫で心地もこれまでとは違った。シャリっと淡い刺激が手の平をくすぐる。赤井は、降谷の丸い頭を何度も撫でた。シャリシャリと癖になる感覚だった。
「全く、馬鹿げた遠慮ですね」
「できる男を恋人に持つと、健気になるのさ」
にこりと降谷が微笑んだ。漸くお許しが出たので、赤井は恭しくキスをした。
病室で病人相手にするには少々行き過ぎたキスだった。つい、赤井もベットに乗り上げてしまったし、降谷の病院着もはだけた。
あちこちに傷が見えて、慌てて降谷の上から退いた。うっかりしていたが、怪我で入院しているのだ。
だが、当の降谷は痛そうな顔一つしないで、大胆に病院着を脱いでしまった。
まさか、ここで抱かせる気か?
赤井は少しばかり戸惑った。
「何日、こっちにいられますか?」
半裸の降谷が問いかけてきた。
「君が退院するまでは付き添いたい」
「僕、今すぐに退院しますけど」
「は?」
降谷は白いシャツを羽織った。ズボンも履いて、あちこち傷だらけの肌は仕舞われた。
「僕がこんなとこに収まってるタマだと思うんですか?ほら、さっさと荷物纏めるの手伝ってください」
「おいおい。医者の許可は?」
病室の異変に、廊下にいた降谷の部下が顔を出した。
「あっ、降谷さんっ、何してんですか、あんた」
降谷の格好に、部下も何が起こっているか気がついた。
「退院する。先生にはお前から言っといてくれ。手続きよろしく」
「ちょっと、私が怒られます」
「悪いな」
物の三分だ。降谷はボストンバック一つを手に、さっさと病室を出てしまったのだった。
「おい、いいのか?体は?」
先を行く降谷を追いつつ、引き止めるべきか戸惑う。
「全然、平気ですよ。明日検査して、明後日には退院する予定だったくらいで」
絶対に嘘だ。だが、自分の体の事は把握してる男でもある。
ここで休むか、自宅で休むかだ。赤井が側に付いてゆっくりさせてやろう。
そう思った。
「それより、このままどこか行きません?」
ところが、降谷はとんでもない事を言い出した。
「はぁ?」
「会いに行く予定で、パスポートも用意してるし」
「大問題になるぞ」
「赤井がまともなこと言う」
無断で退院する癖に、降谷は堂々と、正面玄関から、外へと出た。
良い天気だ。久々の外界に、降谷は目を細める。
赤井も、一緒に空を見上げた。
「台湾とか近いし、どうです?」
「せめて、国内に…。いや、家に帰ろう。怪我したんだろ?大事にしてくれ」
「かすり傷ですけど」
かすり傷では入院しないんだ。それが降谷には分からないらしい。
赤井は、漸く、降谷本来の性格を思い出した。出会った時から、とんでもないお転婆だったではないか。
やはり、この子からは目が離せない。
「これからは、頻繁に会いに来るよ」
「へ?なんで?」
駐車場まで来た所で、降谷は手を伸ばしてきた。
車のキーを出せと言うのだ。当然、運転なんてさせる気はない。赤井はその手を叩いてやった。
「君が心配だからだ!無茶ばっかりして。俺の身にもなれ」
「そんなのお互い様なのに」
「いいや、俺は、この半年で怪我なんてしてない」
「僕だってしてない」
降谷は助手席に、赤井は運転席に。
「嘘吐くな。後で体中、調べてやるからな」
「赤井のエッチ」
「エロい事の前に尋問だ」
「ふぅん」
にこり。降谷は例のバーボンのひっそりとした笑い方をした。
「そううまく行きますかね」
「ほぉ、何やら自信があるようだな」
「僕がセクシーに服を脱いで貴方に跨るとしたら?」
なんて、魅力的な提案だ。
「それは、確かに尋問どころじゃない」
素直に認めると、降谷は得意気に顎をそびやかした。
「君、そんなのどこで覚えたんだ?」
「僕だって、進化します。確かに、髪は短くなっちゃったけど、他の部分はいい感じに成熟してるはずなんです」
降谷は、短くなった前髪を恨めし気に引っ張った。
「本当は、貴方に会いに行くから、洒落た店で髪を整えていたんです」
「ほぉ」
「新しい服も買って、靴は奮発して良いやつを用意してました」
「ほぉ」
「ピカピカの新しい僕で会いに行ったら、貴方は惚れ直すかなって」
助手席をちらっと見る。
降谷も、赤井を見ていたので目が合った。二人して、笑い合った。
「馬鹿だな。君は、一秒ごとに素敵になってるよ」
「ふふ」
降谷は、照れ臭そうに短い髪を引っ張った。
短い髪は、幼さと同時に、禁欲的な色気も醸し出していた。
「僕もね、さっき、久しぶりに貴方を見て、凄くドキドキしました。見慣れた筈なのに貴方ときたらすごくハンサムで、目が合わせられなくて。だから、髪が恥ずかしいだけじゃなかったんです」
シフトレバーに置かれた赤井の手に、降谷が触れた。
「…会いにきてくれて、ありがとう」
髪が短くなった彼は、随分と素直だった。
「遅くなって、悪かった。愛してるよ」
なので、赤井も、すらりと愛の言葉が出てきてしまった。
唐突な愛してるに、降谷はびっくりしたようだった。それから、じんわりと頬を赤く染めた。
頬が、またピカピカだ。触れたら、またビリっと来るだろうか。
「目一杯惚れてるつもりなのに、また惚れ直した」
まるで、初めて触れるみたいに、赤井の指は慎重に降谷の頬を撫でた。それから、触れるだけのキスを交わす。
間近で見た降谷の瞳は、夢見るように潤んでいた。
「車を出して。人に見られたら恥ずかしい」
「あぁ」
言われるままに車を出す。
その横で、何故か、降谷がカーナビ設定を弄っているではないか。
「おいっ、どこに行かせるつもりだ!」
行き先に訳の分からない住所が設定されている。二つも県を跨いでどこに行こうと言うのだ。
「温泉くらい行きましょうよ」
「自宅で、療養だと、言っただろ」
赤井の恋人は可愛いが、たまに突拍子もないことをしてのける。
行き先は消去だ。
「あぁ、温泉…」
「楽しいハネムーンは怪我を治してからだ」
ひょいっと出た言葉に、降谷が色めき立った。
「それって」
思いがけずにプロポーズめいた事を言ってしまったが、あながち言い間違いでもない。
赤井は、言い直しはしなかった。
そのうち、きちんと洒落たプロポーズをするが、それまでの仮のそれとして受け入れてくれれば良い。
「ゆ、ゆ、指輪っ、指輪を買いに行きましょう!」
「だから、家で休めと言ってるだろ!」
赤井はハンドルを切った。
行き先は、勿論、二人の愛の巣だ。温泉なんて、とんでもない。ましてや指輪だと?それは、吟味して選ぶべきだろう。
全く、降谷は気が早い。
だが、もし、仮にだが、もし途中に役場があったなら。そうしたら、うっかり寄ってしまうかもしれない。
いいや、ロマンチックなプロポーズより前に、それは無い。
赤井は、そんな下手な事にならないように、脇見運転なんぞは決してしなかったのであった。
赤井秀一には、数年来の付き合いの恋人がいる。
劇的な出会い方をしたくせに何のきっかけも無く付き合い出した、所謂、腐れ縁のような相手だ。
長い付き合い故の気安い仲。側にいて、落ち着く。言葉が無くとも分かり合える。そんな相手である。
一年程は一緒に暮らした。それから、赤井が本国に帰ることになって、遠距離恋愛となった。
彼は…そうだ、恋人は同性のハンサムだ、だが、まぁ、それはいい。
彼は、遠距離となると遠慮して、碌に連絡も寄越さないのではと危惧していたのだが、どうしてどうして、蓋を開ければ、日に何度か他愛無いメールを寄越し、電話も頻繁に掛けてくれたのだった。
「…それで、もぉ、本当に、腹が立ってしまって」
偶には、そんな愚痴もこぼす。
つまり、かなり気を許してくれてるらしいのだ。
あぁ、本当に恋人なんだな。
赤井は、何度もそれを噛み締めた。
このように、彼、降谷とは、実にいい関係を続けていたのだった。
そんな矢先、数日前からパタっと連絡が途絶えた。
忙しいのか?
離れている間に、降谷は一つ階級が上がり部署を移動したそうだが、どこに行っても忙しいのは変わりない。
理解はしている。だが、連絡がないのは寂しい。
赤井は自分から何度かメールを送った。返事がないので、電話もかけた。
「もしもし」
電話に出たのは、彼の部下だった。
ひやっとした。
彼の身に何かあったのだと、分かった。
「降谷くんは、無事か」
「申し訳ございません、降谷は入院してます。その、事、事故に巻き込まれまして」
部下の歯切れの悪い物言いも仕方ない。降谷は、実に複雑な立場の男なのだ。彼の関わる事件は、表に出てはならないことばかりで、他国の捜査官である赤井には欠片も漏らせないのだろう。
「本人は意識もはっきりしていますが、丸一日も絶対安静でしたので」
「酷い怪我なのか?」
「いえ、細かい傷が多く、ガラス片の除去に手間が掛かったので」
ガラス片の細かい傷。爆発に巻き込まれたか。
「本人から電話をかけますので、お待ちください」
「あ、あぁ」
やけに部下の物わかりが良いのが気に掛かったが、その場は大人しく電話を切った。
降谷から電話が来たのは、その数時間後だった。
「すみません、なかなか連絡もできず」
声が、ひどく嗄れていた。
熱風で喉が焼けたのだ。
どんな酷い現場だったか、降谷は口にしない。だが、もう最前線を張る立場でもない筈では?と、ついつい口出ししたくなった。
「随分と張り切ったな」
「えぇ、ちょっと無理をしてしまいました」
「珍しいな、状況を読み間違えない君が」
無茶をするようで、無謀ではない。降谷は、実にクールな男なのだ。
「早く片付けたくて、焦ってたんです。休みを取ろうかと」
「ほぉ、珍しいな。どこかへ行くのか?」
「実は、貴方に会いに行く予定でした」
思っても無い返事だった。
「君が日本を離れて?」
「貴方がアメリカにいるから、仕方なくです」
一瞬、頭が真っ白になった。
「本当に?とても嬉しいよ」
反射的に礼を言った。
「だから、行けなくなったんですってば」
「あぁ、治療に専念してくれ。仕方ないさ」
だが、少し意外だった。
はっきり言うと、降谷が大人しく病院に収まってるタマでないと知ってるからだ。
いや、それより、降谷が雑多で煩雑な手続きの末に日本を出て、赤井に会いに来ようとしていたことの方が驚きだ。
何か赤井に用があるのだろうか。いや、たまには観光気分で、恋人に会ってもいいと思ったのか。
電話越しに、降谷がささやかに溜息をついた。
「残念ですが、退院してから、また仕切り直します」
「待ってるよ」
もしかして、思った以上に重症なのだろうか。
赤井は、切れた回線の向こうが見ないことに、焦ったい思いをしたのだった。
翌日、電話をかけたら、また彼の部下が出た。
「降谷は検査に行ってます」
機械的だ。だが、冷静な対応から、降谷の怪我は大したことがないと読める。
それにしても、この部下の男は、降谷に付きっきりなのか?
少しばかり憎らしい。
「なぁ、彼の怪我は、どんなだ?もしや、脚が動かないとか、そういう」
「いえ、元から頑丈な人なので、骨も内臓もダメージ無しです」
「本当か?その割には、大袈裟だな。君は付きっきりか?」
「仕事は、完治を待ってくれないので仕方なく」
「ふむ」
「私は、庁舎とここを行ったり来たりです」
「休ませてやれ」
「私の言う事を聞いてくれる人ではないんですよ、あの人は」
違いない。
降谷は、こと仕事に関しては、実に献身的で頑固なのだ。
「こちらに来るのを諦めたと言われてはな」
赤井の溜息を聞きとめ、電話の向こうで、男も溜息を吐いた。そして、声を顰めて、話し出した。
「…これは、私から聞いたと言わないで欲しいのですが、実は、降谷は大規模な爆発に巻き込まれまして」
やはり、現場で爆発があったのか。
「顔に火傷もしましたし、髪も焦げました」
「あぁ。それだけで済んで良かった」
「つまり、そういうことではないでしょうか」
「ん?」
「貴方には綺麗な自分を見せたいと、そういうことではないかと」
少々、意味ありげなセリフだった。
「君は、俺と彼の仲を知ってるのか?」
少なくとも、ただの友人に言うセリフではなかった。
「何を今更。降谷は、貴方との付き合いが始まった時点で周りに公表してます」
「そうなのか?」
初耳だった。
「立場的よろしくないんですよ、本当は。貴方との仲は人生を左右すると分かってて公表されたんです。それがあの人の覚悟だと、分かってやってください」
赤井は、その時、仕事が終わって自分の車に乗り込んだところだった。
電話しつつ一服しようと煙草を咥えかけたところだった。
ポロ
手から煙草は落ちた。
ぎゅっと胸が締め付けられた。
思い返すのは、空港で別れた時の、少し寂しそうな、それでも朗らかな笑顔で見送ってくれた彼の姿だった。
半年以内に会いに行くよと言った。その半年は、もう過ぎてしまっていた。
約束を守ってやれなかった。
「そっちに行けば、面会できるか?」
居ても立っても居られない気持ちになった。今すぐにでも会いに行きたかった。
「あー、それは、難しいかと」
「何故?公表された恋人だ」
堂々と、正面から会いに行ける権利がある。
降谷がそうしてくれたように、赤井も、この世の誰にも二人の仲を隠す必要がないのだ。
「降谷さん、髪が焦げて、短く切らざるを得なかったのですが」
「だから、なんだ?」
「貴方には見せたくないと、そう言ってましたので」
「なんだ、それは」
呆れてしまった。その間に、電話の向こうの男は慌てて話を切り上げようとした。
「とにかく、この話は聞かなかったことに。また、本人から電話させます」
「あっ、おい。…参ったな」
電話は一方的に切られた。
参った。本当に参った。
腐れ縁のようなそんな仲だと気を抜いていた。きっと、自分の愛の大きさは降谷には荷が重いだろうと、出し惜しんでもいた。
そんなに情熱的な愛を抱いていてくれたのか?
離れる時も、あっさりと見送ってくれたのに?
「君は、少しばかりミステリアスすぎるな」
そんな大きな秘密を抱えていたなんて。
お手上げだ。
赤井は狭い車内で、目一杯に体を伸ばした。
翌々日、赤井は堂々と降谷の居る病棟へと乗り込んだ。
上司経由で日本警察には連絡済みなので、胸張って受付で名乗ってやった。降谷との関係はパートナーと記入したが、なんの問題もない筈だ。
「なっ、あ、赤井っ!」
病室の前で降谷の部下が素っ頓狂な声を上げたが、押し退けて引き戸を開けた。
「なんだ、騒がしい」
降谷はベッドの上にすら居なかった。窓際で、書類らしきものを読んでいた。
「おい」
振り返った。
赤井を見て目を見開く。
降谷の髪は、出会ってから初めて見る短さだった。
後ろもサイドも刈り上げられ、かろうじてトップは額にかかるくらいの長さで踏みとどまっている。丸坊主ではないが…いや、やはり、これは坊主だ。
柔らかな髪色も相まって、とても可愛くなってしまっていた。
「なっ!なんで、来たんだよっ」
降谷は何故か布団に潜り込んでしまった。
「君のことが心配で、来てしまった」
「おま、お前っ、来るなんて一言も言ってなかった!」
「驚かせたかったんだ」
赤井の言葉に布団団子が身じろぎした。
「もっと前に会いに来る約束だったな。すまない」
「む〜」
降谷は布団の中で何やら唸り、ますます頑なに潜り込んでしまった。
強固だ。出てくる気配が無い。
仕方ない。
赤井は、ベッドの端に腰掛けた。
それから、布団の団子をぽんと叩いた。
「降谷くん、顔を見せてくれ」
「無理です」
硬い返事だ。
「短い髪も素敵だ」
「嘘だっ」
今度は聞き分けない子どもみたいな声だ。
「参ったな」
こうなると、降谷は頑固だ。
赤井は、またポンと布団を叩いた。
「輪郭がはっきりすると、君はますます若く見えるな」
目も眉も完璧に整ったハンサムだが、頬は柔らかく丸い。五つ程若返って見えた。
「それを気にしてるのか?」
「こんな洒落っ気もない髪、見せたく無かった」
「君、俺に会う時はいつもお洒落してるからな」
元々、ファッションに興味のある男なのだと、そう認識していた。だが、もしかしたら、赤井のためのお洒落だったのか。
難しいものだ、長い付き合いというのも。相手のことを知り過ぎていても、恋心の機微には気付きにくい。
「なぁ、君に会うだけの為に、ここまで来たんだ。顔を見せてくれないか」
「…笑わない?」
「笑うもんか」
漸く、降谷は布団から顔を出した。
蒸されて赤くなった頬が、触れたらビリッとしようなくらいにピカピカで、堪らなく可愛かった。
「うん、可愛いよ」
「か、可愛いは、無しです」
「でも、可愛い」
ピカピカの頬に手を添えた。本当にビリッと来たかと思った。久しぶりに触れたから、指が驚いてしまったのだ。
「会いたかった」
「会いに来なかった」
拗ねて尖った唇にキスした。
「すまない。片時も忘れたことはなかったんだが、日々に追われてしまった」
「本当に忘れてなかった?」
「当たり前だ。毎日のように電話してただろ」
「電話のない日は、美女と食事に行ってない?」
「誰だ、その美女とやらは?犯罪者としか出会ってないんだぞ」
だいたいが髭の厳つい男たちだ。
「貴方がモテるの知ってるし」
「君ほどじゃない。でも、君は、恋人が居たら不誠実なことはしないと信じている」
「僕だって、信じてました」
拗ねている。約束が守られなかったからだ。
「中々、会いに来なかったから、怒ってるのか?」
「怒ってないけど、寂しかった。会いたいのは、僕だけかよって」
「会いたかったよ。君が忙しそうにしてるから、スケジュールを開けてくれって言い辛かったんだ。慣れない遠慮をしてしまった」
短い髪は、撫で心地もこれまでとは違った。シャリっと淡い刺激が手の平をくすぐる。赤井は、降谷の丸い頭を何度も撫でた。シャリシャリと癖になる感覚だった。
「全く、馬鹿げた遠慮ですね」
「できる男を恋人に持つと、健気になるのさ」
にこりと降谷が微笑んだ。漸くお許しが出たので、赤井は恭しくキスをした。
病室で病人相手にするには少々行き過ぎたキスだった。つい、赤井もベットに乗り上げてしまったし、降谷の病院着もはだけた。
あちこちに傷が見えて、慌てて降谷の上から退いた。うっかりしていたが、怪我で入院しているのだ。
だが、当の降谷は痛そうな顔一つしないで、大胆に病院着を脱いでしまった。
まさか、ここで抱かせる気か?
赤井は少しばかり戸惑った。
「何日、こっちにいられますか?」
半裸の降谷が問いかけてきた。
「君が退院するまでは付き添いたい」
「僕、今すぐに退院しますけど」
「は?」
降谷は白いシャツを羽織った。ズボンも履いて、あちこち傷だらけの肌は仕舞われた。
「僕がこんなとこに収まってるタマだと思うんですか?ほら、さっさと荷物纏めるの手伝ってください」
「おいおい。医者の許可は?」
病室の異変に、廊下にいた降谷の部下が顔を出した。
「あっ、降谷さんっ、何してんですか、あんた」
降谷の格好に、部下も何が起こっているか気がついた。
「退院する。先生にはお前から言っといてくれ。手続きよろしく」
「ちょっと、私が怒られます」
「悪いな」
物の三分だ。降谷はボストンバック一つを手に、さっさと病室を出てしまったのだった。
「おい、いいのか?体は?」
先を行く降谷を追いつつ、引き止めるべきか戸惑う。
「全然、平気ですよ。明日検査して、明後日には退院する予定だったくらいで」
絶対に嘘だ。だが、自分の体の事は把握してる男でもある。
ここで休むか、自宅で休むかだ。赤井が側に付いてゆっくりさせてやろう。
そう思った。
「それより、このままどこか行きません?」
ところが、降谷はとんでもない事を言い出した。
「はぁ?」
「会いに行く予定で、パスポートも用意してるし」
「大問題になるぞ」
「赤井がまともなこと言う」
無断で退院する癖に、降谷は堂々と、正面玄関から、外へと出た。
良い天気だ。久々の外界に、降谷は目を細める。
赤井も、一緒に空を見上げた。
「台湾とか近いし、どうです?」
「せめて、国内に…。いや、家に帰ろう。怪我したんだろ?大事にしてくれ」
「かすり傷ですけど」
かすり傷では入院しないんだ。それが降谷には分からないらしい。
赤井は、漸く、降谷本来の性格を思い出した。出会った時から、とんでもないお転婆だったではないか。
やはり、この子からは目が離せない。
「これからは、頻繁に会いに来るよ」
「へ?なんで?」
駐車場まで来た所で、降谷は手を伸ばしてきた。
車のキーを出せと言うのだ。当然、運転なんてさせる気はない。赤井はその手を叩いてやった。
「君が心配だからだ!無茶ばっかりして。俺の身にもなれ」
「そんなのお互い様なのに」
「いいや、俺は、この半年で怪我なんてしてない」
「僕だってしてない」
降谷は助手席に、赤井は運転席に。
「嘘吐くな。後で体中、調べてやるからな」
「赤井のエッチ」
「エロい事の前に尋問だ」
「ふぅん」
にこり。降谷は例のバーボンのひっそりとした笑い方をした。
「そううまく行きますかね」
「ほぉ、何やら自信があるようだな」
「僕がセクシーに服を脱いで貴方に跨るとしたら?」
なんて、魅力的な提案だ。
「それは、確かに尋問どころじゃない」
素直に認めると、降谷は得意気に顎をそびやかした。
「君、そんなのどこで覚えたんだ?」
「僕だって、進化します。確かに、髪は短くなっちゃったけど、他の部分はいい感じに成熟してるはずなんです」
降谷は、短くなった前髪を恨めし気に引っ張った。
「本当は、貴方に会いに行くから、洒落た店で髪を整えていたんです」
「ほぉ」
「新しい服も買って、靴は奮発して良いやつを用意してました」
「ほぉ」
「ピカピカの新しい僕で会いに行ったら、貴方は惚れ直すかなって」
助手席をちらっと見る。
降谷も、赤井を見ていたので目が合った。二人して、笑い合った。
「馬鹿だな。君は、一秒ごとに素敵になってるよ」
「ふふ」
降谷は、照れ臭そうに短い髪を引っ張った。
短い髪は、幼さと同時に、禁欲的な色気も醸し出していた。
「僕もね、さっき、久しぶりに貴方を見て、凄くドキドキしました。見慣れた筈なのに貴方ときたらすごくハンサムで、目が合わせられなくて。だから、髪が恥ずかしいだけじゃなかったんです」
シフトレバーに置かれた赤井の手に、降谷が触れた。
「…会いにきてくれて、ありがとう」
髪が短くなった彼は、随分と素直だった。
「遅くなって、悪かった。愛してるよ」
なので、赤井も、すらりと愛の言葉が出てきてしまった。
唐突な愛してるに、降谷はびっくりしたようだった。それから、じんわりと頬を赤く染めた。
頬が、またピカピカだ。触れたら、またビリっと来るだろうか。
「目一杯惚れてるつもりなのに、また惚れ直した」
まるで、初めて触れるみたいに、赤井の指は慎重に降谷の頬を撫でた。それから、触れるだけのキスを交わす。
間近で見た降谷の瞳は、夢見るように潤んでいた。
「車を出して。人に見られたら恥ずかしい」
「あぁ」
言われるままに車を出す。
その横で、何故か、降谷がカーナビ設定を弄っているではないか。
「おいっ、どこに行かせるつもりだ!」
行き先に訳の分からない住所が設定されている。二つも県を跨いでどこに行こうと言うのだ。
「温泉くらい行きましょうよ」
「自宅で、療養だと、言っただろ」
赤井の恋人は可愛いが、たまに突拍子もないことをしてのける。
行き先は消去だ。
「あぁ、温泉…」
「楽しいハネムーンは怪我を治してからだ」
ひょいっと出た言葉に、降谷が色めき立った。
「それって」
思いがけずにプロポーズめいた事を言ってしまったが、あながち言い間違いでもない。
赤井は、言い直しはしなかった。
そのうち、きちんと洒落たプロポーズをするが、それまでの仮のそれとして受け入れてくれれば良い。
「ゆ、ゆ、指輪っ、指輪を買いに行きましょう!」
「だから、家で休めと言ってるだろ!」
赤井はハンドルを切った。
行き先は、勿論、二人の愛の巣だ。温泉なんて、とんでもない。ましてや指輪だと?それは、吟味して選ぶべきだろう。
全く、降谷は気が早い。
だが、もし、仮にだが、もし途中に役場があったなら。そうしたら、うっかり寄ってしまうかもしれない。
いいや、ロマンチックなプロポーズより前に、それは無い。
赤井は、そんな下手な事にならないように、脇見運転なんぞは決してしなかったのであった。
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