ネマの島の子どもたち
◇
荷改めに例外はない。
ジュンランであるタジエナも、その息子のイオネツも、艶麗館で働く者たちと共に大広間に並んだ。
館の主が大広間に並んだ住人たちを順番にじっくりと見回していく。
艷麗館の主人は女であり、名をミラルディといった。
ミラルディは骨の上に薄い皮が張り付いているような痩せた女で、白髪をきゅうっと高い位置でひっつめにしていた。灰色の瞳は一つの嘘も見逃さないぞというように爛々と光っている。
ミラルディの信頼の厚い下衆たちが、館のあちこちを捜索し、使い女が使用人たちの荷物や、身体の検査を始める。
「何があったの?」
タジエナは隣に並ぶ遊女に小声で尋ねた。
「イオヴェズの火って、知っていらっしゃるでしょう?」
タジエナは頷く。
イオヴェズの火と言うのは、宝石の名だ。
このアマランスという国を治めているのは人ではない。フラガリエ火山に住む火の神霊イオヴェズである。真っ赤に透き通る宝石は、神霊イオヴェズの欠片だなどと言われ、力の宿る石とされていた。ミラルディはそのイオヴェズの火の中でも極めて大ぶりな宝石を指輪に仕立て、大切にしていた。この艶麗館のシンボルといってもよい宝石で、館で働く人間なら、みんなその存在を知っている。
「盗まれたんだそうよ」
女はこっそりと素早く言った。
タジエナが目を見開いて「本当?」と小声で聞くと、その遊女はしたり顔でうなずいてみせる。
使い女たちは、一列に並んだ子どもたちの荷を改めていた。
子どもたちはみんな、自分の全財産を詰め込んだズタ袋を持って立っている。
袋の中からは、小銭やら、歪な形の人形といった物が床の上に並べられていった。
「あっ!」
子どもの荷を改めていた使い女の一人が鋭い声を上げた。
居並ぶ者全員の視線が集まる。
青い顔をして震える遊女の手の中には、大きくて真っ赤な宝石の付いた指輪が輝いていた。
「誰の荷から出てきたんだい?」
老女ミラルディの嗄れた声が飛んだ。腰を曲げ、杖を突きながら宝石を手にした遊女の方へと歩いていく。
赤い石を手にした女は、目を大きく開いたまま固まっていた。
「誰の荷から出てきたのかと、聞いてるんだよ」
返事をしない女に、ミラルディは先程よりも大きな声でたずねた。女は我に返ると、一歩一歩近づくミラルディを振り返り、震える声で答えた。
「イオネツの……荷でございます……」
「え?……僕?」
イオネツが自分自身を指差し、タジエナが息を呑んだ。
集まった使用人たちの間から、驚きの声があがる。
「何かの間違いです!」
「そんなこと、あるわけねえ!」
そう言ってくれたのは、タジエナ専属の使い女と下衆の二人だ。
しかしイオネツは、荷改めをしていた下衆に肩を鷲掴みにされると、その場で取り押さえられてしまった。床にがくりと膝をつき、肩の痛みに思わずうめき声を上げる。
手をきつくねじりあげられているために、顔を上げていることができなくて、うつむいた視線の先には、磨き上げられ黒光りする床板が見えた。
イオネツがそれでも必死に首を上げると、怒りの炎をその目に灯しながら近づいてくるミラルディの姿があった。
その眼光の鋭さに思わず目をそらしたくなるのだが、ミラルディは厳しくはあっても、怒りに任せて理不尽な罰を与えるような人物ではないと、イオネツは知っていた。
――目を、逸しちゃダメだ。
向けられる瞳の力にたじろぎそうになりつつも、自分を奮い立たせてミラルディの視線を受け止め、じっと見つめ返す。
緊迫した空気で見つめ合うミラルディとイオネツを、その場に集まった者たちが固唾を呑んで見守っていた。艶麗館はネマの島で一番の妓楼である。この広間に集められたものだけで百名近くにもなるというのにのに、広間はしんと静まり返っていた。
実際には、一瞬のことだったのかもしれない。
けれどもこの張り詰めた空気の中で、怒りに燃えたミラルディの眼差しを受け止めるイオネツにとっては、長い長い時間に感じられた。
その長い沈黙の先で、ようやくミラルディの視線が緩み、イオネツの上から逸れていく。灰色の瞳の奥に燃えていた炎は小さくなっていった。
「イオネツ。これがお前さんの荷から出てきた。それはお前がなんと言おうとも、動かしようのない事実だ。何か申し開きすることはあるかい?」
先程までの、息の詰まるような緊迫した雰囲気はなりをひそめたものの、ミラルディの発した声には、有無を言わさぬ硬質な響きがあった。
館の主として、この件をうやむやにすることはできないのだろう。申し開きをしなければ、イオネツが犯人となる。
「この石が盗まれたのはね、フド・イオの時を知らせる鐘の直前から、雨が降り出して少しするくらいまでの間なんだよ。それまでは私はこの指輪をちょうど磨いていたし、私が下衆に呼ばれて部屋を空けてからまた部屋に戻るまでは、ほんの少しの時間しかなかったんだ。その後は私の部屋が空になったことはないんだからね。さあ、イオネツ、お前さんはこの時間何をしていた」
「僕、その頃はナトギ様の社にいたよ」
イオネツは即答したのだが、ミラルディは首を振りながら小さなため息をついた。
「それを証明してくれる者はいるのかい?」
イオネツは首をかしげ、それから周囲に居並ぶ者たちの様子を順にうかがった。
真正面に立つタジエナは、その場に最初と変わらぬ姿勢で真っ直ぐに立ち、ただわずかに青ざめた顔でイオネツを見つめている。
二人を見守る遊女や下衆は、皆信じられないと行った表情だ。なかには眉根を寄せ、イオネツに対する非難の色をにじませている者もいる。
「まさか、イオネツがねえ……」
「タジエナの息子だからって、特別に扱われてさあ」
「いい気になってたんじゃないのかい?」
「何の不満があったんだか……」
「まさか、もう明日にはロワンザのヴェイア硝子店から迎えが来るんだろう?」
「どうなるんだい?」
「盗みを働いたとなればさあ……。相手は商品を扱う大店だよ」
「いくら店主がタジエナに入れ込んでるとはいえ……」
誰かが口火を切れば、ささやき声は瞬く間に広がっていった。
イオネツに好意的なものもあれば、あからさまに非難するような声も聞こえる。
イオネツは自分を取り囲む人たちの顔を見回していった。
最後に、自分と並んで立つ子どもたちへと視線を移す。
やはり驚ろいているらしい。
「まじでかよ」
「信じらんねえ」
「やばいだろ……」
彼らは口々にそんなことを言っている。
その中で、皆の影になるように後方に立っているモニエルに目が止まった。彼女は口をわずかに開けたまま、呆然としたような表情をしていた。今にも倒れそうなほど顔色が悪く、細かく震えているようにも見える。
イオネツにとってモニエルは、小さい頃は優しいお姉さんだった。
今だって、この館に住む子どもたちの中では、モニエルだけが時折イオネツに優しく声をかけてくれる。
最近は、この館の子どもたちのリーダーであるテノッサの嫌がらせがひどくなり、モニエルもあまりイオネツに声をかけてくれなくなってしまっていたし、一緒に遊ぶこともなくなっていたけれど、イオネツは今でもモニエルを嫌いではない。
イオネツは、こんな時だというのに、モニエルの様子がどうにも気になった。そのモニエルの隣にはテノッサが立っている。
ふと、モニエルの肩にテノッサの手が乗っていることに気がついた。手には力が込められていて、ぐっとモニエルの肩を掴んでいるようにみえた。
イオネツはモニエルからテノッサへと視線を移した。
テノッサは唇の端を引きつるように引き上げ、笑っているようにも見えるのだが、その目はまるで刺すようにイオネツを見下ろしていた。
なぜここまでテノッサに敵意を剥き出しにされるのか、イオネツにはわからない。
と、その時、モニエルが身じろいだ。
顔を上げてイオネツへと視線を向けると、一歩前へ出ようとする。けれどもテノッサがモニエルの肩に乗せている手に力を込めてぐいっと引いた。前へ出ようとしていたモニエルの身体が、ふらりとテノッサの方へとよろめく。モニエルの目が一瞬だけイオネツを捉えたのだが、またすぐにうつむいていってしまった。
結局、モニエルがそれ以上動くことはなかった。悄然とした様子で、テノッサに隠れるようにうつむいて立っている。
荷改めに例外はない。
ジュンランであるタジエナも、その息子のイオネツも、艶麗館で働く者たちと共に大広間に並んだ。
館の主が大広間に並んだ住人たちを順番にじっくりと見回していく。
艷麗館の主人は女であり、名をミラルディといった。
ミラルディは骨の上に薄い皮が張り付いているような痩せた女で、白髪をきゅうっと高い位置でひっつめにしていた。灰色の瞳は一つの嘘も見逃さないぞというように爛々と光っている。
ミラルディの信頼の厚い下衆たちが、館のあちこちを捜索し、使い女が使用人たちの荷物や、身体の検査を始める。
「何があったの?」
タジエナは隣に並ぶ遊女に小声で尋ねた。
「イオヴェズの火って、知っていらっしゃるでしょう?」
タジエナは頷く。
イオヴェズの火と言うのは、宝石の名だ。
このアマランスという国を治めているのは人ではない。フラガリエ火山に住む火の神霊イオヴェズである。真っ赤に透き通る宝石は、神霊イオヴェズの欠片だなどと言われ、力の宿る石とされていた。ミラルディはそのイオヴェズの火の中でも極めて大ぶりな宝石を指輪に仕立て、大切にしていた。この艶麗館のシンボルといってもよい宝石で、館で働く人間なら、みんなその存在を知っている。
「盗まれたんだそうよ」
女はこっそりと素早く言った。
タジエナが目を見開いて「本当?」と小声で聞くと、その遊女はしたり顔でうなずいてみせる。
使い女たちは、一列に並んだ子どもたちの荷を改めていた。
子どもたちはみんな、自分の全財産を詰め込んだズタ袋を持って立っている。
袋の中からは、小銭やら、歪な形の人形といった物が床の上に並べられていった。
「あっ!」
子どもの荷を改めていた使い女の一人が鋭い声を上げた。
居並ぶ者全員の視線が集まる。
青い顔をして震える遊女の手の中には、大きくて真っ赤な宝石の付いた指輪が輝いていた。
「誰の荷から出てきたんだい?」
老女ミラルディの嗄れた声が飛んだ。腰を曲げ、杖を突きながら宝石を手にした遊女の方へと歩いていく。
赤い石を手にした女は、目を大きく開いたまま固まっていた。
「誰の荷から出てきたのかと、聞いてるんだよ」
返事をしない女に、ミラルディは先程よりも大きな声でたずねた。女は我に返ると、一歩一歩近づくミラルディを振り返り、震える声で答えた。
「イオネツの……荷でございます……」
「え?……僕?」
イオネツが自分自身を指差し、タジエナが息を呑んだ。
集まった使用人たちの間から、驚きの声があがる。
「何かの間違いです!」
「そんなこと、あるわけねえ!」
そう言ってくれたのは、タジエナ専属の使い女と下衆の二人だ。
しかしイオネツは、荷改めをしていた下衆に肩を鷲掴みにされると、その場で取り押さえられてしまった。床にがくりと膝をつき、肩の痛みに思わずうめき声を上げる。
手をきつくねじりあげられているために、顔を上げていることができなくて、うつむいた視線の先には、磨き上げられ黒光りする床板が見えた。
イオネツがそれでも必死に首を上げると、怒りの炎をその目に灯しながら近づいてくるミラルディの姿があった。
その眼光の鋭さに思わず目をそらしたくなるのだが、ミラルディは厳しくはあっても、怒りに任せて理不尽な罰を与えるような人物ではないと、イオネツは知っていた。
――目を、逸しちゃダメだ。
向けられる瞳の力にたじろぎそうになりつつも、自分を奮い立たせてミラルディの視線を受け止め、じっと見つめ返す。
緊迫した空気で見つめ合うミラルディとイオネツを、その場に集まった者たちが固唾を呑んで見守っていた。艶麗館はネマの島で一番の妓楼である。この広間に集められたものだけで百名近くにもなるというのにのに、広間はしんと静まり返っていた。
実際には、一瞬のことだったのかもしれない。
けれどもこの張り詰めた空気の中で、怒りに燃えたミラルディの眼差しを受け止めるイオネツにとっては、長い長い時間に感じられた。
その長い沈黙の先で、ようやくミラルディの視線が緩み、イオネツの上から逸れていく。灰色の瞳の奥に燃えていた炎は小さくなっていった。
「イオネツ。これがお前さんの荷から出てきた。それはお前がなんと言おうとも、動かしようのない事実だ。何か申し開きすることはあるかい?」
先程までの、息の詰まるような緊迫した雰囲気はなりをひそめたものの、ミラルディの発した声には、有無を言わさぬ硬質な響きがあった。
館の主として、この件をうやむやにすることはできないのだろう。申し開きをしなければ、イオネツが犯人となる。
「この石が盗まれたのはね、フド・イオの時を知らせる鐘の直前から、雨が降り出して少しするくらいまでの間なんだよ。それまでは私はこの指輪をちょうど磨いていたし、私が下衆に呼ばれて部屋を空けてからまた部屋に戻るまでは、ほんの少しの時間しかなかったんだ。その後は私の部屋が空になったことはないんだからね。さあ、イオネツ、お前さんはこの時間何をしていた」
「僕、その頃はナトギ様の社にいたよ」
イオネツは即答したのだが、ミラルディは首を振りながら小さなため息をついた。
「それを証明してくれる者はいるのかい?」
イオネツは首をかしげ、それから周囲に居並ぶ者たちの様子を順にうかがった。
真正面に立つタジエナは、その場に最初と変わらぬ姿勢で真っ直ぐに立ち、ただわずかに青ざめた顔でイオネツを見つめている。
二人を見守る遊女や下衆は、皆信じられないと行った表情だ。なかには眉根を寄せ、イオネツに対する非難の色をにじませている者もいる。
「まさか、イオネツがねえ……」
「タジエナの息子だからって、特別に扱われてさあ」
「いい気になってたんじゃないのかい?」
「何の不満があったんだか……」
「まさか、もう明日にはロワンザのヴェイア硝子店から迎えが来るんだろう?」
「どうなるんだい?」
「盗みを働いたとなればさあ……。相手は商品を扱う大店だよ」
「いくら店主がタジエナに入れ込んでるとはいえ……」
誰かが口火を切れば、ささやき声は瞬く間に広がっていった。
イオネツに好意的なものもあれば、あからさまに非難するような声も聞こえる。
イオネツは自分を取り囲む人たちの顔を見回していった。
最後に、自分と並んで立つ子どもたちへと視線を移す。
やはり驚ろいているらしい。
「まじでかよ」
「信じらんねえ」
「やばいだろ……」
彼らは口々にそんなことを言っている。
その中で、皆の影になるように後方に立っているモニエルに目が止まった。彼女は口をわずかに開けたまま、呆然としたような表情をしていた。今にも倒れそうなほど顔色が悪く、細かく震えているようにも見える。
イオネツにとってモニエルは、小さい頃は優しいお姉さんだった。
今だって、この館に住む子どもたちの中では、モニエルだけが時折イオネツに優しく声をかけてくれる。
最近は、この館の子どもたちのリーダーであるテノッサの嫌がらせがひどくなり、モニエルもあまりイオネツに声をかけてくれなくなってしまっていたし、一緒に遊ぶこともなくなっていたけれど、イオネツは今でもモニエルを嫌いではない。
イオネツは、こんな時だというのに、モニエルの様子がどうにも気になった。そのモニエルの隣にはテノッサが立っている。
ふと、モニエルの肩にテノッサの手が乗っていることに気がついた。手には力が込められていて、ぐっとモニエルの肩を掴んでいるようにみえた。
イオネツはモニエルからテノッサへと視線を移した。
テノッサは唇の端を引きつるように引き上げ、笑っているようにも見えるのだが、その目はまるで刺すようにイオネツを見下ろしていた。
なぜここまでテノッサに敵意を剥き出しにされるのか、イオネツにはわからない。
と、その時、モニエルが身じろいだ。
顔を上げてイオネツへと視線を向けると、一歩前へ出ようとする。けれどもテノッサがモニエルの肩に乗せている手に力を込めてぐいっと引いた。前へ出ようとしていたモニエルの身体が、ふらりとテノッサの方へとよろめく。モニエルの目が一瞬だけイオネツを捉えたのだが、またすぐにうつむいていってしまった。
結局、モニエルがそれ以上動くことはなかった。悄然とした様子で、テノッサに隠れるようにうつむいて立っている。