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親子

 タジエナの部屋には色とりどりの菜の載った膳が運ばれ、きれいに並べ置かれていた。
 ルルヌイ川の中洲に建つ建築物は、何層もある高層のものが多く、その中でも艶麗館本館の高さは群を抜いている。ジュンランであるタジエナの部屋はその最上階にあった。部屋の四方にある硝子のはめ込まれた窓は大きく開かれていて、そこから周囲の景色がよく見渡せた。
 温暖な気候のマスカダインは、日中は暑いくらいの気温になるのだが、この五層目にあるタジエナの部屋は、川面を渡ってきた風が通り抜け、ちょうどよい具合に体温を奪っていってくれるのだった。

 イオネツがテノッサとの面会を終え、タジエナの部屋に入ると、そこにはもうすでに皆が揃っていた。
 マスカダインでは食事をする場合、一般的には椅子とテーブルを使う。だがこの島の中では、何もかも異国風にできていて、少し背の高い膳の前に、床に直接座って食事をする。マスカダインにいながらにして、遠い大陸風を体験することができる唯一の場所だ。ネマの島を開いた初めの人物が、遠い異国からの流れ者だといわれる所以であり、島を訪れてみたいという旅人が後を絶たない理由の一つでもあった。
 膳の並べられた部屋では、タジエナとウォルセフが並んで座り、その向いにミラルディが座っていた。空いている席はミラルディの隣だったので、イオネツは必然的に、その場所に腰を下ろすことになる。

「さ、ウォルセフさま、心ばかりの料理だが、楽しんでいってくださいませ」

 ミラルディがそう言うと、後ろに控えていたタジエナの使い女が、先ずウォルセフの杯に飲み物を注いだ。次にタジエナ、イオネツ、ミラルディと膳の上の涼やかなグラスに飲み物が注がれる。硝子でできたグラスは、硝子の生産がさかんなアマランスにおいても高価なものである。
 皆がグラスに手をかけ軽く顔の前に上げて乾杯をすると、会食が始まった。

「美味しそう!」

 イオネツは箸に手を伸ばす。
 この箸も、島の中だけで使われている道具で、扱いに慣れていないであろうウォルセフの前には、フォークとスプーンも置かれていた。けれども、ウォルセフもたどたどしい手つきで箸を持ち、飾り切りを施された菜をつかもうとしている。

「ねえ、ミラルディは、ワノトギだったの?」

 イオネツが思い切ってミラルディに聞いた。

「そうだよ。私はもうおばあちゃんになってからワノトギになっちまったからさ、この姿のままで、長生きしなくちゃいけなくなっちまってさ……どうせなら、もっと若いときに死霊に取り憑かれて、ワノトギになっておくんだったよ……。この歳じゃあ、あちこち旅に出るのも億劫じゃないか。それにさっきも見ただろう? ワノトギったって、あんな少しの間、この身に住まわせたトギに身体を明け渡して、ちょっと力を使っただけで、足腰たたなくなってしまうんだ。ふつうの人間よりもっと役立たずで、悪霊となんて、とっても戦えないのさ。まあ、この話はここまでにしようじゃないか」

 この場の主であるミラルディこう言われてしまえば、従わずにはいられない。本当はもっと色々聞きたかったのだが、仕方なしにイオネツは口をつぐむ。
 その後は、ミラルディがウォルセフにルルヌイの子の仕事についてたずねたり、逆にウォルセフが中洲の情報をミラルディにたずねたりと、主にミラルディとウォルセフを中心に会話が進んでいった。

「へえ、じゃあ一見の客は、まったく受け入れないわけじゃないんだ」
「まあ、そうだねえ……。でも高くつくよ。初めての客がウチで最低の値段で遊ぶより、他所の店で同じ金を使ったほうが、楽しめるかもしれないねえ」
「じゃあ、旅行客に紹介するにはやっぱり艶麗館は向かないですね」
「まあそういうことになるね。ああ、いやさ、そういう 意味じゃあ……男より女のほうがここでは楽しめるかもしれないよ。艶麗館にはきれいな女がたくさんいて、話もうまいしね。変に色気を振りまく女たちばかりがいる店へ行くよりもね」

 二人のそんな話に耳を傾けながらイオネツは食事を進めていた。
 どうやらミラルディは、ウォルセフを気に入ったらしい。そうだねえ、と考えながらも、かなり踏み込んだ情報をウォルセフに提供している。

「女性だと、ジュンランの衣装を着てみたいって人もいるんじゃないですかね?」

 ウォルセフが言った。

「ああ、だがあれそのものを客に着せるのは無理だね。あの衣装、どれだけ高級だと思ってるんだい?」
「あれは、着ている方も、慣れないと楽ではないわ」
「ちょっと、簡易的なものでもいいじゃないですか、けっこう人気が出ると思いますけど?」
「ウチではどうかね。今度、ウチから独立した妓楼にでも相談してみるか……」

「母さんのあの衣装なら、僕だって着てみたいな……」

 それまで黙っていたイオネツが、ぽろっとこぼしたその言葉に、三人の目がいっきににイオネツに集まった。
 しばしの沈黙の後に、タジエナが口を開いた。

「意外と、そちらのほうが需要が高いかもしれないわね」
「ああ、知り合いのそっち系の店に言っておくよ」

 イオネツは、そちらとか、ソッチの意味はわからなかったが、たずねることはしない。今は自分が主になって話をする場ではないとわきまえているからだ。
 黙って食事を口に運んでいると、ウォルセフがクスリと笑った。イオネツが目を上げると、ウォルセフはどうもイオネツを見て笑ったらしい。でも、イオネツにはなぜ笑われたのかわからない。
 もぐもぐと口を動かしながら「どうしたの?」とたずねる代わりに首を横に倒した。

「いや、悪い。ちょっと想像しちまった」

 そう言って、ウォルセフは口元を抑えながらイオネツから顔を背ける。

「イオネツがタジエナの衣装を着たらさ、なんかさ、タジエナのミニチュア版ができそうだな」
「ミニチュア!? 僕。母さんとそんなに身長変わらないよ!」

 イオネツは顔を赤くして異議を唱えた。

「いやいや……そうじゃなくて、迫力の問題……というより、そこで怒るのか?」

 ウォルセフははぐらかしたものの、イオネツがこの中で一番身長が低いのはあきらかである。
 楽しそうに言葉をかわす子ども二人を、タジエナとミラルディが目を細めて見守っていた。
 楽しい時間というものには、羽が生えているのかもしれない。
 あっという間に食事は進み、食後の甘味が運ばれてくる。
 マメ科の植物の根をすりつぶし、冷やし固め、細長く切り分けたものに、甘い蜜をかけて食べるもので、このマスカダインでは高級な菓子だ。蜜虫の巣から採ることができる蜜は、滋養強壮にも、腹痛の薬にもなる。
 それに、暖かい地方にあって、ひやりと冷たい菓子は一般の者の口に入ることはまずないのだ。

「今日は、イオネツが十三になるからね。特別に持ってこさせたのさ」

 ミラルディが言った。
 
「まあ、このお菓子、めったに食べられないのよ。母さん大好きよ」

 タジエナも目を輝かせた。

 艶麗館に住んでいるイオネツにとっても、実は初めて見る菓子だった。
 イオネツは箸ですくい上げたぷるりとしたゼリー状のそれを口に含み、舌で押しつぶしてみる。少しの抵抗の後にねっとりと潰れると、微かに独特な香りが口の中に広がり、蜜と混ざりながらとろけていった。
 とらえどころのない食感と甘さと冷たさが心地よい。

「ほんとだ! おいしい!」

 タジエナはイオネツのその様子を見ると、自分自身も菓子の入った硝子の器を手に取った。

 すっかり食事が終わり、タジエナ付きの使い女によって膳がきれいに片付けられると、タジエナは座っていた丸い座布団から降り、床に直接膝をついた。
 突然の行動に、イオネツも、くつろいでいたウォルセフも、何事かとタジエナを見た。

「皆様方に、お話がございます」

 タジエナは深く頭を下げた。
 その様子を見たミラルディが、すっと居住まいをなおし、それを見たイオネツとウォルセフも、背筋を伸ばす。

「今回、ヴェイア硝子店とのお話はなかったことになりました。イオネツは今日中にネマの島を出なければ、もう、一生ここから出て行くことは許されません」

 タジエナはいったんここで言葉を切り、頭を下げたまま大きく深呼吸をした。

「お願いでございます。どうか、ルルヌイの子の仲間として、迎え入れていただくことはできませんでしょうか? そして、今日イオネツを島から連れ出してはいただけないでしょうか。イオネツにはいつか神官になってほしい。けれど、十五にならなければ神官の試験を 受けることはできません。後二年。その間だけでいいのです……」

 深く頭を下げたタジエナの表情は伺うことができなかったが、その話はすっかり決着がついたものと思っていたイオネツは慌てて腰を浮かせる。

「母さん!? まだそんなこと……」
「イオネツは黙っておいで!」

 タジエナの声と視線には毅然としたものがあって、イオネツは思わず口をつぐんだ。

「私はウォルセフ様に、お願いしているのです」

 皆の注目の中で、少し考えていたウォルセフが、すっとタジエナに顔を向けた。

「それは、無理だタジエナ。ルルヌイの子には誰でもなれるわけじゃない。あそこにはあそこなりの掟があって、孤児でなければ受け入れない。例外は認められない」

 タジエナが顔を上げる。ウォルセフを見つめ、続いてミラルディを見つめ、最後にイオネツの上で視線は止まった。
 じっと見つめてくる母の視線にイオネツが居心地の悪さを覚えた頃、タジエナの瞳がようやく逸れていった。

「わかりました」

 タジエナの言葉に、張り詰めていた緊張が解けた。が、次の言葉に、その場が凍りつく。

「では、今日このときより、私はイオネツとの親子の縁を切ります」

 イオネツは母を見上げたまま、固まった。耳に言葉は届いたのだが、理解することができない。イオネツが正気になるよりも先にウォルセフが口を開いていた。

「縁を切るって、口では簡単に言うけど、そんなことできるわけないじゃないか……」

 タジエナの瞳は、爛々と輝き、まるで怒っているかのようにも見える。白い頬がバラ色に染まっていた。

「できるわ!」

 そう言うと、タジエナはすっくと立ち上がった。その姿には気迫がみなぎっていて、イオネツは母が冗談ではなく本気なのだと知った。それでも頭のどこかで、そんなこと、できるわけがないと思う。

「私は今日この時より、あなたとは……親でも子でもありません。二度と、会いません」

 母の声が、頭の中のどこか隅の方で鳴っている。

「ウォルセフ、二度と会えないのならば、死に別れたことと、同じでしょう?」

 タジエナの気迫にウォルセフも呑まれていた。
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