ルルヌイの岸辺
たゆたう水が空の青を映し、大河ルルヌイは、緩やかにマスカダインの大地を流れる。
水面には白い帆を張った帆船が美しいフォルムを見せ、その周囲には幾艘もの小舟が行き交っていた。
川幅数キロにも及ぶこの大河に橋はかかっていない。水面を縦横無尽に行き交う渡し舟が、人々の足なのだった。
一筋の風が、水面に白いさざ波をたてる。
渡し舟を操る少年は、風に黒髪をなびかせながら川面を見渡していたが、少し先をゆく小舟に目を留めると、櫂を握る手に力を込め、その細い体からは信じられないような力強さでぐんぐんとスピードを上げていく。
「アッチェレ!」
少年は目的の小舟の近くまでやってくると、その舟の漕手に向かって呼びかけた。
突然声をかけられたアッチェレの背中が小さく揺れ、声の主を振り返る。
「ウォルセフ! 驚かせるなよ!」
振り返ったアッチェレは、自分に声をかけてきたのがウォルセフであると認めると、すぐに笑顔になった。
ウォルセフは器用に櫂を扱いながら、アッチェレの漕ぐ小舟にピタリと自分の舟を寄せた。
「悪いアッチェレ、お客様が宿の世話をしてほしいっていうんだ、案内したら、そのまま上がるわ。今日の締めはお前に任す」
「りょーかい」
アッチェレが軽く手を振りながらそう答えると、ウォルセフは「頼む」とひとこと言い置いて、すぐに舟を漕ぎだした。
ウォルセフの漕ぐ渡し舟に乗った客たちは、ぐんぐん離れてい行く小舟を眺めながら
「いやあ、うまいもんだなぁ、お兄ちゃんいくつだい?」
などと、彼の櫂さばきをしきりに褒めそやした。
ウォルセフは、笑みを顔に貼り付ける。
客は六人。三組の、おそらくは夫婦。どの夫婦もかなり年配で、お互いに知り合いらしい。人生の終盤に差し掛かって、仲間との巡礼の旅といったところだろうか。
マスカダインという島には、五つの国がある。それぞれに違う神霊のいらっしゃる神殿があり、このところ、その五つの神殿を巡る旅が、隠居した高い年齢層の者たちの間で流行っているのだ。
「俺は十七ですよ。ロワンザの町では、渡しの仕事は俺たちルルヌイの子の仕事って決まってるんで、中には十くらいのガキも舟漕いでますよ。俺なんかは、 渡しの中では年上な方です」
「へぇー。ああ、今声をかけていた少年は十くらいにみえたねえ」
客の言葉に、ウォルセフは笑い声をあげた。
「アイツ、もうじき十四ですよ。痩せてて背が小さいことを気にしてるんで、今の言葉を聞いたら落ち込んだかもしれませんね」
そう答えながら、この客たちは「ルルヌイの子」の、本当の意味をわかってはいないだろうな、とウォルセフは思う。
別に説明してやる義理はないので言いはしないが「ルルヌイの子」というのは、ロワンザの町に住む親のない子どもたち、つまり孤児のことだ。ルルヌイ川の川べりで集団生活をし、渡しの仕事をすることで、町の一員として認められている。
客からもらった渡し賃はロワンザの町組織に入るが、少年たちにはその代わり、町からの報酬と庇護が与えられていた。
「彼に仕事を任せるようなことを言っていたが、君はそのルルヌイの子のリーダーか何かなのかい?」
一番近くにいた男の客がウォルセフに尋ねた。
「ええ、まあ。ルルヌイの子にはいくつかのグループがあるんですよ。一応俺は、その中の一つの取りまとめをしてますけどね」
へぇ。とまた一斉に声が上がった。
あまりにタイミングぴったりに全員が声をあげたので、ウォルセフは思わず吹き出しそうになるが、遠くを見るふりをして、それを堪 えた。
「お客さんたちは、ネマの島へは出かけますか? もし行くんなら、近くの宿を紹介しますし、あまりうるさくないほうがいいってんなら郊外の宿を紹介しますよ」
「ああ……ネマの……」
「ええ、ほら、アレです。マスカダインで一番人口の密度が高い場所です。このルルヌイ川に浮かぶ中州のことですよ。かつて存在していたという快楽を司る神霊の名前から、ネママイアの島、ネマの島、なんて呼ばれています」
ウォルセフは、櫂を漕ぐ手を止めて上流を指差した。
客が一斉にウォルセフの指さした方角へと首を向ける。
「おお!」
六つの口がぽかんと開いた。
マスカダイン島の五つの国の中の、赤き火の国アマランスと青き水の国ヒヤシンスとの国境を流れるのが、この大河、ルルヌイである。
アマランス側のロワンザの町には中洲(ネママイアの島)があり、そこは、マスカダイン一の歓楽街となっていた。女遊びに賭け事、また、周辺にも洒落た品物を扱う土産物屋や飯屋などがひしめき、多くの旅人が見物に訪れる場所である。
六人の客は、上流に見えるその異様な島に目を奪われているようだった。
ネマの島は、その中にたくさんの妓楼や賭博場を抱える大きな島だ。その周囲をぐるりと外壁で囲まれ、その塀の上からは背の高い建物がいくつも顔を覗かせている。その姿はまるで一つの要塞のようにも見えた。
「中洲の中にある建物は、三層から五層の木造建築になってるんですよ、マスカダインではああいった高層の建物自体珍しいですし、たいていの家は石造りで、木造建築というものも珍しいかと思います。夜になると、あの建物の軒先にランタンの火が灯されて、そりゃあ綺麗ですよ。夜遊びはしないにしても、その様子を眺めるだけでも楽しめるかと思います」
「へえー」
あんぐり開いた六つの口から、いまいちど感嘆の声が漏れた。
「でも、私らも年だしねえ。あんまりうるさいのはかなわないねえ。夜はあまり遅くならずに宿に入りたいし」
ようやく我に返った客の女がそう言いだす。
「なるほど……では、少しネマの島から離れた小綺麗な宿でどうでしょう? ご希望があれば中洲への送り迎えもしてくれますし、安全な土産物屋や、飯屋を紹介もしてくれます。もちろん希望すれば宿で食事をすることもできますよ」
ウォルセフは、会話をしている間にも、客の身なりや話しぶりで懐具合を計算する。悠々自適の物見遊山の色合いの濃い巡礼の旅。それほど華美な服装ではないし、供の者も連れてはいないから、大富豪というわけではないだろうが、金には困っていないだろう。それに、人に命令することに慣れている。三組の夫婦からはそんな雰囲気が読み取れた。
「ああ、それは私らにはちょうどいいかもしれないね」
最初に意見を言った女の、隣りに座った初老の男が言う。
彼がリーダーなのかもしれない。
渡しの料金は、舟着場を管理している廻り番に支払うことになっているのだが、渡しの客に宿屋を紹介すれば、その手間賃は直接自分の懐に入る。ルルヌイの子どもたちは、こうして小遣い稼ぎをする。
「かしこまりました。さあ、もうすぐ舟着場です」
ロワンザの町の舟着場は、もう目と鼻の先だった。
話のまとまったウォルセフは、心持ち緩めていた舟のスピードを早める。
頭上には真っ青な空が広がっているのだが、遠く、隆起した崖の向こうには、灰色の雲が広がり始めていた。
今夜は雨になるかもしれないなと、ウォルセフは思った。
水面には白い帆を張った帆船が美しいフォルムを見せ、その周囲には幾艘もの小舟が行き交っていた。
川幅数キロにも及ぶこの大河に橋はかかっていない。水面を縦横無尽に行き交う渡し舟が、人々の足なのだった。
一筋の風が、水面に白いさざ波をたてる。
渡し舟を操る少年は、風に黒髪をなびかせながら川面を見渡していたが、少し先をゆく小舟に目を留めると、櫂を握る手に力を込め、その細い体からは信じられないような力強さでぐんぐんとスピードを上げていく。
「アッチェレ!」
少年は目的の小舟の近くまでやってくると、その舟の漕手に向かって呼びかけた。
突然声をかけられたアッチェレの背中が小さく揺れ、声の主を振り返る。
「ウォルセフ! 驚かせるなよ!」
振り返ったアッチェレは、自分に声をかけてきたのがウォルセフであると認めると、すぐに笑顔になった。
ウォルセフは器用に櫂を扱いながら、アッチェレの漕ぐ小舟にピタリと自分の舟を寄せた。
「悪いアッチェレ、お客様が宿の世話をしてほしいっていうんだ、案内したら、そのまま上がるわ。今日の締めはお前に任す」
「りょーかい」
アッチェレが軽く手を振りながらそう答えると、ウォルセフは「頼む」とひとこと言い置いて、すぐに舟を漕ぎだした。
ウォルセフの漕ぐ渡し舟に乗った客たちは、ぐんぐん離れてい行く小舟を眺めながら
「いやあ、うまいもんだなぁ、お兄ちゃんいくつだい?」
などと、彼の櫂さばきをしきりに褒めそやした。
ウォルセフは、笑みを顔に貼り付ける。
客は六人。三組の、おそらくは夫婦。どの夫婦もかなり年配で、お互いに知り合いらしい。人生の終盤に差し掛かって、仲間との巡礼の旅といったところだろうか。
マスカダインという島には、五つの国がある。それぞれに違う神霊のいらっしゃる神殿があり、このところ、その五つの神殿を巡る旅が、隠居した高い年齢層の者たちの間で流行っているのだ。
「俺は十七ですよ。ロワンザの町では、渡しの仕事は俺たちルルヌイの子の仕事って決まってるんで、中には十くらいのガキも舟漕いでますよ。俺なんかは、 渡しの中では年上な方です」
「へぇー。ああ、今声をかけていた少年は十くらいにみえたねえ」
客の言葉に、ウォルセフは笑い声をあげた。
「アイツ、もうじき十四ですよ。痩せてて背が小さいことを気にしてるんで、今の言葉を聞いたら落ち込んだかもしれませんね」
そう答えながら、この客たちは「ルルヌイの子」の、本当の意味をわかってはいないだろうな、とウォルセフは思う。
別に説明してやる義理はないので言いはしないが「ルルヌイの子」というのは、ロワンザの町に住む親のない子どもたち、つまり孤児のことだ。ルルヌイ川の川べりで集団生活をし、渡しの仕事をすることで、町の一員として認められている。
客からもらった渡し賃はロワンザの町組織に入るが、少年たちにはその代わり、町からの報酬と庇護が与えられていた。
「彼に仕事を任せるようなことを言っていたが、君はそのルルヌイの子のリーダーか何かなのかい?」
一番近くにいた男の客がウォルセフに尋ねた。
「ええ、まあ。ルルヌイの子にはいくつかのグループがあるんですよ。一応俺は、その中の一つの取りまとめをしてますけどね」
へぇ。とまた一斉に声が上がった。
あまりにタイミングぴったりに全員が声をあげたので、ウォルセフは思わず吹き出しそうになるが、遠くを見るふりをして、それを
「お客さんたちは、ネマの島へは出かけますか? もし行くんなら、近くの宿を紹介しますし、あまりうるさくないほうがいいってんなら郊外の宿を紹介しますよ」
「ああ……ネマの……」
「ええ、ほら、アレです。マスカダインで一番人口の密度が高い場所です。このルルヌイ川に浮かぶ中州のことですよ。かつて存在していたという快楽を司る神霊の名前から、ネママイアの島、ネマの島、なんて呼ばれています」
ウォルセフは、櫂を漕ぐ手を止めて上流を指差した。
客が一斉にウォルセフの指さした方角へと首を向ける。
「おお!」
六つの口がぽかんと開いた。
マスカダイン島の五つの国の中の、赤き火の国アマランスと青き水の国ヒヤシンスとの国境を流れるのが、この大河、ルルヌイである。
アマランス側のロワンザの町には中洲(ネママイアの島)があり、そこは、マスカダイン一の歓楽街となっていた。女遊びに賭け事、また、周辺にも洒落た品物を扱う土産物屋や飯屋などがひしめき、多くの旅人が見物に訪れる場所である。
六人の客は、上流に見えるその異様な島に目を奪われているようだった。
ネマの島は、その中にたくさんの妓楼や賭博場を抱える大きな島だ。その周囲をぐるりと外壁で囲まれ、その塀の上からは背の高い建物がいくつも顔を覗かせている。その姿はまるで一つの要塞のようにも見えた。
「中洲の中にある建物は、三層から五層の木造建築になってるんですよ、マスカダインではああいった高層の建物自体珍しいですし、たいていの家は石造りで、木造建築というものも珍しいかと思います。夜になると、あの建物の軒先にランタンの火が灯されて、そりゃあ綺麗ですよ。夜遊びはしないにしても、その様子を眺めるだけでも楽しめるかと思います」
「へえー」
あんぐり開いた六つの口から、いまいちど感嘆の声が漏れた。
「でも、私らも年だしねえ。あんまりうるさいのはかなわないねえ。夜はあまり遅くならずに宿に入りたいし」
ようやく我に返った客の女がそう言いだす。
「なるほど……では、少しネマの島から離れた小綺麗な宿でどうでしょう? ご希望があれば中洲への送り迎えもしてくれますし、安全な土産物屋や、飯屋を紹介もしてくれます。もちろん希望すれば宿で食事をすることもできますよ」
ウォルセフは、会話をしている間にも、客の身なりや話しぶりで懐具合を計算する。悠々自適の物見遊山の色合いの濃い巡礼の旅。それほど華美な服装ではないし、供の者も連れてはいないから、大富豪というわけではないだろうが、金には困っていないだろう。それに、人に命令することに慣れている。三組の夫婦からはそんな雰囲気が読み取れた。
「ああ、それは私らにはちょうどいいかもしれないね」
最初に意見を言った女の、隣りに座った初老の男が言う。
彼がリーダーなのかもしれない。
渡しの料金は、舟着場を管理している廻り番に支払うことになっているのだが、渡しの客に宿屋を紹介すれば、その手間賃は直接自分の懐に入る。ルルヌイの子どもたちは、こうして小遣い稼ぎをする。
「かしこまりました。さあ、もうすぐ舟着場です」
ロワンザの町の舟着場は、もう目と鼻の先だった。
話のまとまったウォルセフは、心持ち緩めていた舟のスピードを早める。
頭上には真っ青な空が広がっているのだが、遠く、隆起した崖の向こうには、灰色の雲が広がり始めていた。
今夜は雨になるかもしれないなと、ウォルセフは思った。
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