甘いスティグマ

 
鬼舞辻無惨を倒した。
凄惨苛烈を極めたその戦闘は、残した爪痕もまた大きかった。




「………っ」

突如壮絶な痛みに襲われて、目が覚めた。
今はもう無い筈の右腕が痛む。それは戦いの最中失ったもの。
幻肢痛。鎮痛剤も効果がないから、ただ耐えるしかない。
時刻は深夜を回り、隣の布団では無一郎がすぅすぅと規則正しい寝息を立てている。
……生きている。この人さえ生きていてくれるなら、自らを苛むこの痛みにも意味がある気がした。
とはいえ気を抜けば呻き声を漏らしてしまいそうで。
起こす訳にはいかないので、場所を変える事にした。

「痛むの?」

気が付くと、彼の腕の中にいた。

「……起こしてしまったのね。ごめんなさい」
「謝らないで」

眠気を含んだ声音は少し掠れていた。
甘く耳を擽るそれは、痛みを少しだけ和らげてくれるようだった。

「喉が乾いたから水を飲もうと思っただけなの」
「…………」

心配を掛けたくなくて、咄嗟に嘘をついてしまう。
耳元で一つ溜息が聞こえた。かと思えば、彼は抱き締めていた腕をといて私を自らの方へと向けさせた。

「嘘はつかなくていいよ」
「嘘じゃな……」

言いかけた言葉を遮るように、彼はその唇で此方の言葉を封じ込めた。

「僕に気を遣ってるくせに」

こつんと額を合わせて彼が囁く。

「君がその右腕を失ったのは……僕のせいだから」

彼を救いたかった。黒死牟との戦いで、彼が命を落とす未来を知っていた私は、その結末を何が何でも変えたかった。
その代償が、右腕一本で済んだのだ。
神様に感謝こそすれ、それ以上に望む事なんてない。
だから……。

「そんな風に思わないで。私は貴方が生きていてくれて本当に嬉しいの。これ以上幸せな事なんてない。だからお願い、そんな風に言わないで」
「…………」
「今だって、本当にただ喉が乾いただけなの。私は大丈夫。どこも痛くないから」
「強情」

次の瞬間、彼が再び唇を塞いできた。それと同時に両耳を押さえられる。
舌が粘膜を刺激する音が、耳の中にダイレクトに響いてくる。
その口づけはいつものように本能まで翻弄するような激しいものではなく、あくまでも優しく此方を労るようなものだった。
彼の意図を察した私は、安心して身体の力を抜く。
そうしてどこまでも優しく甘い口づけに、徐々に身を委ねていった。


 
腕を失う痛みとはどれ程のものだろう。それはきっと想像を絶するのだろう。 
そんなものの残滓が、未だ彼女を苛んでいるのだと思うと心臓が握り潰されたかと思うほどに胸が苦しかった。

「余計な事は考えないで。今は僕の事だけ考えて」

痛みから気を逸してやりたくて。

「僕だけを感じて」

無一郎は角度を変えて何度も口づけを繰り返す。出来る限り優しく。
がっついてしまわないようにと自らに言い聞かせながら。
ともすれば今にも切れてしまいそうな理性の糸を、必死に繋ぎ止める。
ここで本気になって彼女を求めてしまったら、幻肢痛に苦しむ彼女に更なる負担を掛けてしまう。
これはあくまでも痛みから気を逸らすためのものなのだから。

「無一郎ちゃん……もっと」

口づけの合間に漏れる彼女の声が、酷く甘くて、魅惑的でも。

「もっと……して」

快楽に蕩けた表情が、どんなに愛らしく、愛おしくとも。

「好きだよ……君が好き。愛してるんだ……」

溢れる想いは言葉で伝える。ありったけの想いを込めて、言葉を紡ぐ。

「私も……。大好き。無一郎ちゃん……」

背に回された彼女の左手に、ぎゅっと力が込められた。

「無一郎ちゃん……」

唇が無一郎の耳元に寄せられ、熱っぽい吐息混じりの声音で彼女が囁いた。

「お願い……抱いて」

思ってもみなかった言葉に息を呑む。

「…………。本当にいいの?身体は辛くない?」
「大丈夫……。それより、もっとくっつきたいの」

自らの言葉が恥ずかしいのか、上気していた頬を更に真っ赤に火照らせて、半眼を伏せる彼女。
無一郎はフッと優しく微笑んで、その瞼と頬に口づけを落とした。

「優しくするから。……辛くなったらすぐに言って」
「うん……」

そうして二人、互いを求め合う。
互いにそう長くない命だ。限られた時間の中を、二人は決して離れない事を誓い合った。

二人で生きていく。

命ある限り、前へーー

 

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